鉄の女王1
青竜編15~17話あたりの話。
レノーラ視点です。
青い髪の王に、王冠がかぶせられる。
周囲に湧く歓声をよそに、私は落胆していた。新しい時代がはじまると皆はいうけれど、以前にもどるだけ。この戴冠式一つとってもそれが分かる。前王が廃止した、中身のない慣習や決まりがさっそく復活していた。私が期待していた時代は今終わった。
あの、若く猛々しく生命力にあふれた赤い髪の王こそが、私の王。熟しすぎて地に落ちる寸前のようなこの国を、彼なら生まれ変わらせてくれると夢見ていた。
レギン=カルマサス=フレイド様の戴冠式が終わると、祝宴がはじまったが、私は早々に踵を返した。そして、同じく会場を去ろうとしていた赤い髪の皇子を見つけた。
シグラッド=カナン=フレイド様。現王レギン様の異母弟であり、つい一月前まで王であった方であり、私がこの人こそ王とあがめるお方。
皇子は一人だった。つい先日まで、多くの人に囲まれていたというのに。
シグラッド様の側近は閑職に追いやられたり、皇子との接触を禁じられたと聞く。己の利に聡い者はさっそくレギン様に頭を垂れ、日和見の者たちはシグラッド様を見て見ぬふりをした。
強い者が、より強い者に喰われるのが宮廷の常。しかし、人の変わり身の早さに、当事者でない私もぞっとさせられた。
ふと、皇子が振り返った。追ってくる私に気づいたらしい。私は淑女らしく一礼し、謝罪のために口を開けた。
許されなくても、謝らければ気が済まなかった。私がきっかけで皇子は政敵のマギー老と言い争いになり、ひいてはこうして王座を降りるはめになってしまったのだから。
「自分のせいだとか、くだらんことは思うな。私の失敗だ」
いわなくても察せられて、虚を突かれた。まぬけに唇をうすく開いた状態で固まる。年下だというのに、中身は数段上だ。
「宗主になりたかったら、まだあきらめるなよ」
「まだ……というのは?」
暗にいおうとしていることを想像し、私は唾をのんだ。赤い竜の国に、青い竜が王座に上ったことには、賛否両論が湧いている。強硬な手段を用いれば、皇子にはまだ王座に返り咲く機会がある。
起こるかもしれない騒動に息を詰めていると、皇子は一筋縄ではいかない笑いを浮かべた。
「突然、宗主がおまえを跡継ぎにするという幸運が降ってわくかもしれないだろう? 物騒な想像をするなよ?」
なにもかも見透かされ、私は言葉に詰まった。背後ではなごやかに祝宴が行われている。扇を開いて、パタパタと自分をあおいだ。
「何も想像なんてしておりませんわ。皇子こそ、そんなことをおっしゃるなんて、考えている証拠でしょう」
腕を捕まれた。にらむように見られる。
「不用意な発言もするなよ?」
「……すると、どうなるのかしら?」
恐縮させられ、感心させられ、緊張させられ、からかわれ、かと思えばおびえさせられる。
短時間に、これだけ感情をめまぐるしく揺さぶられたのは初めてだった。なけなしのプライドが首をもたげて、皇子を高慢に見返す。
明るい金褐色の双眸が、危険にきらめいた。
「――っ!」
皇子に、強く唇に唇を押しつけられた。すぐに離されたものの、突然のことに、呆然とした。
「……こうなる」
皇子は私のさまをみて、くすりと満足げに笑った。
そのとき、芯から、なにかを抜かれた気がした。今まで自分を自分たらしめていた何か。奪われてなるものかと抱えてきたものを、するりと、いとも簡単に。
「じゃあな、レノーラ。おまえも今はおとなしくして生き残れよ」
皇子の後ろ姿を見送った。見えなくなるまで。見えなくなってもまだ。
「……おもしろい方」
つぶやきが虚勢であることを自覚する。
頬が、胸が、じんじんと熱かった。
*****
戴冠式の祝宴は、三日三晩つづくけれど、私は参加する気になれなかった。
かわりに、シグラッド皇子が住まわれている西の棟へと足をむけた。
会えるかどうかはわからなかった。約束も、人の紹介もないのに無謀だ。でも、きっと会えるという妙な確信があり、念入りに身支度をして、そこへむかった。
果たして、天運は私にむいた。予想通り門前払いされても、あきらめきれずに西棟の周りをうろついていると、人目につかないひっそりとした東屋に、皇子の姿があった。
傍らには黒髪に白い肌の、ティルギス人女性の姿もある。その女性のことはよく知っていた。ティルギス王女の護衛、シャール。男装がめずらしい上に、見目がよいので、宮廷で知らない人はいない。私のように一度も話したことがなくとも、名前まで覚えてしまっている。
皇子と黒髪の護衛は、何かもめていた。私は刈りこみの影から、しばらく様子をうかがうことにした。
「シャール、おまえはどうして私の気持ちをわかってくれないんだ?」
「なんといわれようと、お断りいたします」
「おまえのその頑固さは美徳でもあるが、ときには柔軟さも大事だぞ?」
皇子はベンチから立ち上がると、護衛に歩み寄った。後ろから、そっと護衛の両肩をつかむ。年の離れている二人だが、容姿の整った者同士がよりそう姿は絵のように様なった。
見てはいけない場面に居合わせたかもしれない。
自然と足が半歩下がった。引き返そうかと考える。
まさか元婚約者の美貌の護衛に言い寄るなんて。言い寄られている方が眉をひそめ、身を守るように両腕を閉じ、拒絶を示しているのを見て、皇子への失望が湧いてくる。
所詮は、その程度の人物だったのか。浮き立っていたが気持ちが一気に冷め、浮わついていた自分にも腹が立った。
「いいからその杖を貸せ! ちょっとしたお遊びだろうが!」
「嫌ですよ! 持ち主を自分に惚れさせるおまじないってなんですか! アルカ様から補修を頼まれた大事な預かりものなんですから、あやしげな目的にお貸しするわけにはいきません!」
引きかけていた足が止まる。どうも、思っていたのと様子がちがう。皇子の関心は、護衛が胸に抱えた杖にあるようだった。
「あやしげ? シャール、おまえ、本当にこんなご令嬢向け雑誌の巻末におまけでのっているような恋のおまじないなんてものが効くと思っているのか?」
「思っておりません」
「ならかまわんだろ」
さ、と差し出す手に、護衛はなおも背をむけた。皇子はしつこくからむ。
「貸せ。早く貸せ! こんな場面をだれかに見られたら、私がおまえに無理強いして迫っているように思われるだろうが!
私に元婚約者の護衛に言い寄る最低皇子のレッテルが貼られたあげく、アルカと破局したらどうしてくれる!」
「全部ご自分のせいですし、今、そうなりかけておりますよ!」
護衛の顔が、身を乗り出していた私に向いた。皇子の注意も。
存在を知られては仕方ない。木の陰から出て、姿をさらす。
「ごきげんよう、シグラッド皇子。お取り込み中でしたかしら?」
皇子は護衛をはなした。
「レノーラ、おまえ、まじないは信じるか?」
「いいえ」
すると、皇子はまたも護衛に絡んだ。
「ほら見ろ。まったく効果の見込めない安全なまじないだぞ? ためすぐらいいいだろう?」
「効果がないのをわかっていて試すっておかしいでしょう」
「一応だ一応。念のため。万が一にも、アルカが誤った感情を抱くといけないから。
形だけの結婚がいつの間にか、とか、なんとも思っていなかったただの友達が、とか、そんなのは巷の恋愛小説だけで十分だ!」
「……皇子、暇に任せて何を読んだんですか?」
護衛は、東屋のベンチに読み散らかされている本たちを見やった。すっくと背筋を伸ばし、杖をしっかり抱き締めたまま、棟の方へ足をむける。
「お飲み物を用意してまいります。二人分でよろしゅうございますか?」
「ついでに何か食べるものも。飲み物はクリムトの花茶で」
護衛はめずらしい顔をした。
「そちらのお嬢様の好みだ」
護衛は納得して、棟へと去っていった。皇子がベンチにもどりながら、少し残念そうにつぶやく。
「手強いな。杖を触らせもしない」
「まじないを信じていらっしゃるの?」
ベンチには雑多に本が散らばっていたが、目につくのは、年若い少女たちが読む本だ。趣味で読んでいるのだとしたら、かなり幻滅だ。さっきの護衛とのやりとりといい、聡明な少年皇帝像が盛大に崩れていく。
「あの杖は頭のところに物が入れられるようになっていてな。何か入ってるようなんだ。何が入っているのか知りたい」
私が座る場所を確保するため、皇子は本を一か所に片しはじめる。
「それは……ご婚約者様の秘密を知りたいということですの?」
「だれの秘密なのかは知らない。元の持ち主は、ティルギスの軍師だった。あれが隠したものかもしれない。あの食えない男が何を隠しているか、おおいに興味がそそられるな」
にたりと獰猛に笑うその横顔は魅力的で、私は目を奪われた。やはりこの方は、私が仕えるにふさわしい人物だ。
皇子の向かいを指されたので、座る。皇子が腰かけると、木製のベンチも王座さながらの席に見えた。
「で、なんの用だ? わざわざここまで。個人的興味か?」
「ええ。ご迷惑だったかしら。あなた様のことを、もっと知りたいの」
私がもっと知りたい、というと、たいていの男性はよろこぶ。皇子も身を乗り出してきた。
「ふうん?」
明るい黄褐色の目が、興味津々に私をのぞきこむ。まるで新しいおもちゃを発見した子供のように。
「男連中が噂するだけあるな。まさに花の顔だ。どこもかしこも女らしい」
「光栄ですわ。あなた様自身は、どうお思いですの?」
「鉄の処女」
「はい?」
「私が考えたおまえのあだ名だ」
皇子は浮かせた腰を、ふたたび落ち着けた。
「どういう意味ですの?」
「ナイショ」
皇子は悠然と、運ばれてきたお茶に口をつける。
私はお茶をかけてやりたくなった。乙女に面とむかって処女なんて。鉄、は私の故郷のことを指してだろうから納得だけれど、褒めたわりにひどいあだ名だ。
それとも、かの有名な拷問道具のことをいっているのか。私自身に、そういわれるような心当たりはないけれど。
なんにせよ、ほぼ初対面の相手に、この皇子は不躾すぎる。レギン陛下の側近やマギー老に毛嫌いされるのも納得だ。
「ちなみに、おまえのあだ名もあるぞ? シャル」
「教えてくださらなくて結構です」
片された本の一番上に、男装した黒髪の女剣士が表紙の本がある。タイトルは『さすらいの女剣士シャル』。たしか主人公は、この護衛がモデルだったはずだ。
「しかし、なぜこんな本を? 仕事も一切取り上げられてお暇なのはわかりますが」
「親戚付き合いの一環だ。ご婦人方との話の種を作っておかないといけないのでな」
「そこまでされるんですか」
「これも一種の外交活動」
皇子は焼菓子をしげしげとながめた。護衛がバルクの差し入れですというと、さっさと口に放り込む。
「飲まないのか。おまえの好みだろう」
「よくご存じですわね。わたくしに過度な興味がおありみたい」
「そうだな。興味があるやつはだいたいそのくらいは把握してある」
臆面もなく肯定された。私は悔しまぎれに、カップを口に運ぶ。
「私はおまえに女としては興味がないが、どうする?」
「少しも色気がございませんのね」
ふだん、男性たちに甘い言葉をささやかれる私は、優雅さのかけらもない無骨なやり取りに、少々げんなりした。
「私を皇子の仲間にしてくださいまし」
「ほお」
「あなたのもとで働きたい」
本心だった。彼についていけば、自分がアスラインの宗主になれる機会ができるかもしれない。
「妙なこともあるものだ。私が王位を降りたとたん、手のひら返していなくなったやつもいるかと思えば、反対もあらわれる」
「信用していただけます?」
「それはおまえが私から勝ち取るものだ」
皇子は席をとなりに移ってきた。肌に息がかかって、どきりとする。美姫と名高い母を持つシグラッド皇子は、中身はともかく、容姿は完璧だ。
長いまつ毛、高くとおった鼻梁、どこから見ても整った端正な顔立ち。威圧するような鋭い眼光をむけられなければ、だれもがきっとうっとり何時間でも眺めるだろう。
「とりあえず、香水を変えろ。この香りは好きじゃない」
「他にはどんなご要望が?」
「服はもっと色気出せ」
こんな感じ、と皇子は婦人向けの衣装雑誌を開いて見せてきた。
胸元や体の線を強調したデザインばかりだった。派手めな衣装を好む私だけれど、こういうものは好みでない。
「恋人でもないのに、あなたの好みに合わせるのね」
「付き合っている男がいるのか?」
「付き合っているというほどではないけれど」
「私とそっち、どっちを選ぶ?」
信頼を勝ち取らなければ。やっと巡ってきた好機だ。
「皇子を」
「いいだろう。なら、おまえは今日から私の恋人だ」
*****
王位を下りたシグラッド様は、部下だけでなく仕事も取り上げられ、腐るほど時間をお持ちだった。私を恋人に命じたのは、一緒に遊び歩く相手が欲しかったからだった。
「しばらく猫被っておとなしくしてないといけない。付き合え」
ときめきも艶めきもない。命令だった。
でも、役とはいえ、皇子と付き合えることには心が踊った。翌日、さっそく一緒に出かけることになり、私は上機嫌で身支度した。
あのシグラッド皇子と付き合える。見目麗しく、城内のだれより強く、幼少から大人顔負けの頭のよさを誇る皇子。
赤竜王の再来と呼ばれる彼は、人目を引きつけて止まないけれど、不用意に近づけば斬られそうな雰囲気があってとっつきにくい。宮廷の女たちは、私も含め、見惚れはするものの、遠巻きに眺めるだけだ。
「あら、レノーラ。おでかけ?」
部屋に入ってきた叔母がいう。都に滞在中、私は叔父夫婦の屋敷に住んでいた。父は病気がちなので、故郷にいる。叔父たちには、私が淑女としての振る舞いから外れたことをしないか監督する役目もある。
「ルークが来ているわよ」
「あらそう。でももう時間がないの。これから、シグラッド様と観劇に出かけてくるから」
叔母の目が真ん丸になった。私はその反応に、得意になった。
「シグラッド皇子?」
「ええ。戴冠式でお会いしたのが縁で。誘っていただいたの」
観劇に行くことは、本当はこちらが提案したのだが、すまして答えた。
「まあ、それは。本当に?」
「本当よ。もうすぐ迎えに来てくださるんじゃないかしら」
叔母が疑うのも無理はない。シグラッド皇子といえば、婚約者のアルカ王女をそれはそれは大事にしていて、他には目もくれないと有名だ。
だれになにをいわれても手放さない寵愛ぶりで、王女に近づく相手への警戒心もすさまじく「竜の宝に手を出すな」というのが宮廷の合言葉になっているほどなのだから。
そういう私も、王女に話しかけられて話していたにもかかわらず、にらまれたことがある。王女が話しかけてくれなければ、父から預かった王女への贈り物もきっと直接は渡せなかった。
「アルカ王女は、レギン陛下のお妃になられたものね。皇子は新しい出会いをお探しなのね」
「叔母様、香水をお借りできる? 皇子が私の香水はお好きでないとおっしゃって」
「待っていて。すぐにもってくるわ」
求愛者の一人であるルークが持ってきた花束を放り投げ、叔母は部屋を出て行った。
鏡には、皇子の希望に添ったドレス姿の私がいる。友人から借りたものなので、サイズがあっていない。胸は窮屈で、腰はゆるい。腰のリボンを、侍女に強めに締め直させた。
「大胆すぎるかしら?」
「それくらいでいいわよ。皇子もきっと喜ぶわ。すばらしいご縁ね。うまくやるのよ」
叔母は取ってきた香水を吹きかけてくれた。
支度が整ったころ、馬車の音がした。部屋を出る。玄関ホールに降り立ったとき、応接間からルークが出てきた。私の大胆なドレスに少しおどろき、うっとりする。
「レノーラ、今日もうつくしいね。そのドレス、とてもよく似合ってる。一緒に夜景の中を散歩しないか?」
「ごめんなさい。他に出かけるのお方がいるの」
召し使いが玄関を開ける。馬車はちょうど真ん前に来ていた。
さすがは皇族だ。着飾った騎兵のお供に、黒塗りの立派な馬車。馬具も、御者の出で立ちも抜かりなく整っている。召使いたちが仕事そっちのけで窓にはりついた。中から降りてきた人物には、ざわめきが起きる。
「シグラッド……皇子?」
ルークはぽかんとした。先日まで王座に座っていて、近づくこともままならなかったような相手が目の前にいるので、これは夢かと目をこする。
「乗れ。レノーラ」
皇子はすぐに変化に気づいた。
「香水を変えたな」
「いかが?」
「気に入った」
皇子が頬に口付けてきた。ごく自然なしぐさで、恋人らしく。
まだ容姿に大人っぽさが足りないのが惜しい。後、一、二年後だったなら、私も恋人役に浸れただろうに。相手が五つも年下だと、ごっこ遊びにつき合わされている感が否めない。
昨日と違い、皇子は私を完全に女性として扱った。恭しく手を取ると、私を馬車へと促した。
「ドレスも似合ってる。おまえを他に見せるのが惜しいくらいだ」
「本当はかけらもそう思ってもいらっしゃらないくせに」
「拗ねた顔をしてもかわいいだけだ」
「もう」
皇子は山と甘い言葉をかけてくる。昨日はさんざんな扱いをされたせいで、女性の扱いを知らないのだと思っていたけれど、そんなことはないらしい。
たとえ役だとしても、これは本当に楽しいことだった。




