それから2
『それから』シグラッド編。
即位して早二十数年。シグラッドはニールゲン皇帝として着々と国を発展させ、繁栄させ、賢帝として名をはせていた。
大陸最強の騎馬軍団、ティルギス国の姫を妃に迎えていることもあり、向かうところ敵なし。皇帝が特別に育てた精鋭部隊も、強いのはもちろんのこと、ティルギスの駿馬を駆って、どこでも神出鬼没に現れることから、部隊の名のとおり飛竜だと各国から恐れられている。
巨大で豊かな国土に、他国の戦意を消失させる軍備。若いころは『赤竜王の再来』と呼ばれていたシグラッドだが、今ではシグラッドが『赤竜王』と呼ばれるほどだ。
人事登用制度の改正により、優秀な人材がそろっている。道路の整備によって交易は盛んとなり、資源や資金は潤沢。ニールゲン周辺にさまざまあった国はティルギスと結託して統一し、脅威は取り去った。跡継ぎである皇太子は優秀で、次代への憂いはない。
ニールゲンは開国以来、最大の版図を誇り、もっとも輝かしい時を迎えていた。
――が。
そんな偉大な皇帝陛下は現在、晴れやかとは正反対の、憂いに満ちた表情をしていた。
「……はあ」
「どうしたんだよ、シグラッド。そんな重たいため息ついて。
アスラインのご当主パルマン夫人から、また政治に対する意見書という名のラブレターが来た?
マギーに、新制度に対する反対の反対の反対の意見なんていうめんどくさい絡まれ方をされた?
それとも、ティルギスの元軍師ハルミット殿からそこはかとなく悪意を感じる贈り物が来た?」
「いや、今回はそのどれでもないんだ、レギン。もっと内々のことだ」
シグラッドはベンチの背にもたれかかった。
「おまえのところは最近、どうだ? リンデは元気か?」
「リンデ? 元気だよ。最近、小さい子に歌を教えているみたいで。よく出かけているよ」
「物を教えることが好きな娘だったもんな。うちの子供たちにも、勉強教えていたし。ああいう姿を見ると、おまえの子だって思ったものだ」
「見た目はローラに似たけどね」
レギンは相好をくずして娘のことを語る。レギンの子供は、ローラとの間にできた娘、リンデしかいないので、レギンは娘のことがかわいくて仕方ない。
「ちょっと前は、何を言っても、何をしても嫌がられるって言っていたけど、それは解決したのか?」
「難しいお年頃も終わったみたいでね。ようやくお姫様にお相手をしていただけるようになったよ。
――ただ。側室を取るたびに、数日間、ものっすごく避けられるのは、相変わらずだけど」
「大変だなあ」
「他人事みたいに言うな。君がアルカ以外娶らないっていって、側妃候補を全部僕に押し付けてくるせいだろ。
リンデだけでなく、ローラにも口きいてもらえなくなるんだからね? 本当、針のむしろだよ」
「じつは、おまえのハーレムに、また新たに一人追加したいと思っているところなんだが」
「誕生日前に追加するのだけは絶対やめて。当日、生まれてきたこと後悔したくなるくらい、さみしくなるから」
レギンはしばらく胃を押さえていたが、ふっと息を吐いた。
「でもまあ、毎度毎度、そうやって妬いてもらえるんだから、幸せだよね。胃が痛くなるうちが花かな」
「いってろ」
にやける異母兄に、シグラッドは足元に落ちていた枝を投げつけた。
「しかし、そういうことを尋ねてくるってことは、シグラッドの悩みは家庭のことか。
この間、長女のフライアちゃんの縁談で悩んでいたね。……アレは現実の男に興味がないから困ったとかなんとか」
「それは解決した。嫁ぎ先に決めた国がな、ちょっと前、おまえが大のお気に入りだった物語の舞台だぞっていってやったら、すぐに嫁ぐ気になってな。聖地巡礼だって喜んでいた」
「それ、根本は解決していない気がするんだけど」
「『今は、前よりもっと人物関係が面白いことになっているようですから。私、新たな可能性を発掘してまいります!』ってすごい張り切っていたぞ。もう止めようにも止められない」
「……まあ、姪っ子が幸せなら、伯父としてもうれしいっていっておくよ。
フライアちゃんでないってことは、次女のフリッカちゃん? すでに男癖が悪いってぼやいていたっけ」
「べつにいいんだ、それは。フリッカの嫁がせたい先には、女郎蜘蛛のようなタチの悪い、国王の寵姫がいるから。それに対抗できるぐらいになってもわらないと」
「……娘の素行不良を歓迎する父親ってのも珍しいよね。
それじゃあ、まさか、三女のヴァルトラテちゃん? でも、彼女がする困ったことって言ったら、せいぜい小屋を破壊したとか、柱を折った、ぐらいだよね」
「そうそう。せいぜい、一個中隊相当が一カ月活動不能に陥らされることとかぐらいだ」
「……だんだんすさまじくなってくるね、ヴァルちゃん。この国の一員としては、頼もしい限りだけど。
四女のヒルデちゃんは? まだ今も、ベッドの中まで蛇やら虫やら狼やらお友達を連れてくるの?」
「連れてくるけど。私が一にらみすると、全部逃げていくから。最初から大した問題じゃない」
「……さすが赤竜王様だね。生き物として、逃げたくなる気持ちは理解できるよ。
ミーメ君は、君はべつに悩んでいなかったよね。アルカは、ミーメ君の女装好きに、将来を不安そうにしてたけど」
「全然。その方が王位争いを心配しなくて済むから、都合がいい。いっそ要らないものも取ろうかどうしようか悩んでいるくらいだ」
「……同じ男として、それは同意しづらいなあ。
なんにせよ、アルカに感謝しなよ。みんな、元気でかわいくて、君に都合のいい子ばっかり産んでくれてさ。シグルド君も優秀だし」
「いや、あいつは問題アリだぞ」
「え? 嘘。どこが。君からしたらおとなしすぎる子かもしれないけれど、世間一般からしたら許容範囲だよ?」
「あいつはおとなしくなんかないぞ。私の心変わりを心配するアルカに、あいつ、なんて言ったと思う?
『安心してください、母上。父上とお別れになっても、僕は母上についていきますし、死ぬまで母上の面倒を見ますから。父上に代わって、僕が母上を幸せにします』っていったんだぞ!」
「……まちがいなく君の息子だね」
「あの愚息、世間では、中身は私に似ず、謙虚で物腰やわらかで礼儀正しい好青年みたいにいわれているけれど、何十枚も猫の皮、いや、人間の皮をかぶっている気がする!」
「まあまあ落ち着いて。母親を泣かせるような息子よりはいいじゃないか。
そういえば、一人抜かしたね。末っ子のルーネちゃんはどうしているの? 身体が丈夫でないみたいだって、ローラから聞いたけど」
「それなんだ」
シグラッドは眉間にしわを刻み、自身の苦渋をあらわにした。ようやく本題にたどり着いたらしい。
「五日前も熱を出して、寝込んでしまって」
「城内でも風邪が流行っていたものね。僕もそうだったけど、子供のうちは体力ないから、余計にかかりやすいんだよね」
「……」
シグラッドは相槌も打たず、なぜかうなだれていた。
「ルーネちゃんはアルカに似ているんだって? 君にとっては、ルーネちゃんがつらいと余計につらいよね」
「……」
シグラッドの頭がさらにさらに深くうなだれる。
「どうしたんだよ、そんなに落ち込んで。まさか――すごく具合が悪いの? 午後の政務は僕が代わるから、そばにいってあげなよ。さあ、早く」
レギンはシグラッドをベンチから立たせようとしたが、シグラッドは動かない。鉛のように重たいため息をつき、首を横に振る。
「今は元気にしていると思う」
「思うって、そんないい加減な。子供は病気をすると大人以上に大変なんだよ」
「私がいないから、元気にしていると思う」
シグラッドはとまどっているレギンに、説明する気力も出ない様子だった。
「――父上に伯父上、ご休憩中ですか?」
二人のいるベンチを通りかかったのは、シグラッドの息子、シグルドだった。若いころのシグラッドに似ている彼は、しかしながらシグラッドと違って物腰やわらかく『品行方正な皇帝陛下』の異名をとっている。今もその名に恥じず、父と伯父に礼儀正しく頭を下げた。
「今日はいい天気ですから、外にいると気持ちがいいですよね。風もすがすがしいですし」
「そうだね。シグルド君が散歩とは、めずらしいね。気分転換の時は、鍛錬場にいくことが多いのに」
「今日の散歩は、僕のためではないものですから」
シグルドの後ろで、幼子が乳母に抱かれていた。まだ二つ三つくらいの幼子だ。ふかふかとした毛布の合間から、ふっくらとした白い頬と、むっちりとした手指が見え隠れしている。
「その子、ひょっとして、ルーネちゃん?」
「はい。天気がいいので、外の空気を吸わせてあげようと思って。――あ、伯父上」
「今、その子の話をしていたところだよ。うわあ、かわいいなあ。子供ってなんでこんなにかわいいんだろ。見ているだけで和むよ」
シグルドは、ルーネを抱こうとする伯父をいったんは制止しようとした。しかし、ルーネが嫌がっていないのを見ると、止めようとした手を降ろす。
「伯父上は平気でしたね。よかった」
「平気って?」
「実は、ルーネは人一倍、第六感といえばいいのか、感受性といえばいいのか、そういうものが強いようで。近づいてきた相手に危険を感じると、体力が尽きるまで泣くか、気絶してしまうんです」
「じゃあ、伯父さんは合格ってことだね。よかった」
『草食系ドラゴン』と異名をとるレギンは、遠慮なく姪っ子のふっくらとしたほっぺにキスをした。
それから、ふと首をひねる。
「体力が尽きるまで泣くの?」
「そうなんです。相手によっては、抱かれただけで気絶するほどで」
レギンは、ぎこちなく、大食漢の肉食系ドラゴンである異母弟に視線を移した。
陽の光のせいだけではなだろう、明るい茶褐色の瞳が金色にかわり、ぎらぎらとレギンをにらんでいた。
「……まさかとは思うけど、シグラッドはルーネちゃんにとってダメな方なの?」
「沈黙をもって回答とさせていただきます、伯父上」
賢明な息子は、明言は避けた。レギンはとりあえず、姪っ子を乳母に返す。シグラッドの瞳孔が縦に割れかけてきている。
「ルーネがよく寝込む原因は、生まれつき小さくて体力がないからだとばかり思っていたのですが」
「いやいや、嘘だろ? まさかそんな。父親なのに? 抱かれたら、恐怖のあまり気絶?」
「気絶したのは、オーレックおばあ様に抱かれた時だけですよ。
その時、一緒にいらしたイーダッドおじい様の『食物連鎖の頂点と底辺が出会ったらこうなる』との一言で、ルーネがよく体調を崩す原因がわかったんです。
オーレックおばあさまにしろ、父上にしろ、害意はなくとも威圧感が圧倒的。ルーネにしてみれば、ヒナが蛇に出会ったようなものです。大きな精神的負担になるのでしょうね」
「ルーネちゃんの目には、きっと、常時、今のシグラッドのように見えているわけだね」
シグラッドのやり場のない怒りと悔しさは頂点に達していた。座っている木のベンチの端が焦げ、ぶすぶすと黒い煙を上げている。人の姿をした竜がそこにいた。
「やっと……やっと、アルカ似の娘が生まれたと思ったのに……。ルーネは嫁にはやらず、ずっと手元に置いておこうと思っていたのに!」
シグラッドの振るったこぶしで、背後の木が折れた。
音に驚いて、ルーネが泣く。シグルドは妹をなだめ、レギンは異母弟をなだめに走る。
「どうしていつも本命には逃げられるんだ?
何が悪いんだ? 私がもっと背が低くて、不細工で、頭が足りなくて、弱くて、貧乏で、身分が低かったりすればよかったのか? すべてにおいて完璧すぎる自分が恨めしいな」
「それだけ前向きな結論が出せるなら、大丈夫そうだね」
「大丈夫じゃない! こんな親子でいいと思うのか」
「大きくなったら、慣れるんじゃないかな?」
「一生、父と呼んでもらえなかったらどうしよう」
可能性を否定できず、レギンは黙した。空気が重い。ルーネの「とっと、とっと」というかわいらしい声が唯一の清涼剤だった。
「待った、シグラッド。あの『とっと』っていうの、『父様』っていっているんじゃないかな? うちのリンデもそうだったし。心配にしなくても、ちゃんと覚えているんだよ」
レギンは希望の光を見つけて、ほっと胸をなでおろしたが、その安堵はつかの間だった。ルーネは確かに「父親」という単語を連発していたが、その相手はシグラッドではなかった。
「ああ、すいません。僕と父上が似ているせいか、ルーネは僕が父だと間違えているみたいで」
シグルドが抱き上げると、ルーネは「うっきゃあ」とはしゃいだ。小さな指でひしと抱きつく。
「思えば、僕も子供がいてもおかしくない年なんですよね。さっき散歩している間も、僕の子供とさんざん間違えられて」
シグルドは困った口ぶりだったが、表情は全然困っていなかった。むしろ笑顔だった。火であぶったチーズくらいしまりなくとろけていた。
「そういうわけですので、父上。ルーネは、僕が父上に代わって立派に育てますから。安心してくださいね」
「おまえ絶対、根底は私似だろ―――――ッ!」
うっかりしていると愛妻と愛娘を取っていきそうな自分そっくりな息子に、シグラッドは怒りを爆発させた。
皇帝陛下にとって、未来は安泰なようで安泰でない。




