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黒き竜は空を舞い  作者: サモト
番外編
26/44

それから

黒竜編から十ン年後のお話。

アルカとシグラッドとその子供たち。

 シグラッドと結婚して、十数年。アルカはシグラッドと仲睦まじく暮らし、六人の子宝にもめぐまれ、順風な家庭を築いていた。


 今日も、帰ってきた父親を、子供たちが笑顔で出迎えるという、絵に描いたような幸福な光景が展開されていた。


「お帰りなさいませ、陛下。先日お土産でいただいたご本、とても楽しく読ませていただきました。ぜひまたお願いいたします」


 本を片手に、少しつんと澄まして、優雅にあいさつをするのは長女のフライア。城内ある活字という活字を読みつくし、文学や芸術に造詣が深い、知性派美少女だ。


「もう、遅いですわ、お父様。わたくし、お昼から今か今かとお父様のお帰りを待ちわびておりましたのよ。見て下さいまし、このドレス。お父様の助言通り、透ける素材で作りましたの。似合うでしょう? 今年はきっとこれがはやりますわ」


 くるりとまわって、十三歳ながらすでに大人びている肢体を披露するのは次女のフリッカ。流行に敏感で、早くも色気をにおわす、小悪魔派美少女だ。


「今日もご無事で何よりですっ、父上っ! 聞いてください、とうとう城の騎士たちに全勝しましたっ! 次はパッセン将軍に勝ちます!」


 はきはきと元気がいいのは三女のヴァルトラテ。生まれながらに怪力で、運動神経は抜群。二代目竜姫を目指す武闘派美少女だ。


「今日はねー! 父様ー! 竜ちゃんたちとお庭で遊んでたのー! おもしろい仕掛けをたくさん作ったよー!」


 緑竜の背に乗り、大蛇を首に巻き、両手に虫をつかんで無邪気に笑っているのは四女のヒルデ。どんな生き物にも物怖じせず、一カ月におよぶ野外生活も平気な野生派美少女だ。


「とーたま、おかえりなさい。だいしゅき」


 レースとリボンがふんだんなドレスを着て、恥ずかしげに父親に抱きつくのは次男のミーメ。男児なのだが、目がぱっちりと愛らしく、声は鈴の音のようにかわいらしく、女の子の衣装が似合う美少年である。本人もかわいいものが大好きで、男の子の衣装を着せると泣くほどだ。彼の見せる笑顔に惑い、誘拐犯になりかけた紳士淑女が何人いるかわからないといわれる魔性派美少年だ。


「陛下、私、今度、友人たちと歌劇を催すのです。もしよろしければ、陛下にもご出演いただけないでしょうか?」


「お父様、今度のパーティーの時はわたくしを連れて行ってくださいまし。おそろいで衣装を作りましたのよ。だからもう絶対ですわ。約束ですのよ」


「パッセン将軍に勝てたら、父上とも打ち合わせてくださいね!」


「父様、お風呂ー。お風呂お風呂お風呂。汗かいたし、泥んこになったから、一緒に風呂ー!」


「ミーメもいっしょにはいりたいです。きょうもいっしょにねんねしてください」


 子供たちの必死さを示すように、おのおのの着ている色とりどりのドレスのすそやリボンが揺れる。色彩豊かな南国の小鳥たちがつどって、さえずっているようだった。


「おまえたち、いいたいことは一人ずつ順にいえ。まずは整列。フライアから。持ち時間は一人三分。いつどこでだれと何をどうしいかを意識して、簡潔に」


 シグラッドがパンパンと手をたたくと、子供たちは一斉に静かになった。椅子に深々と腰かけた父親の前にお行儀よくならび、一人ずついいたいことをいう。


 城内では好き放題の子供たちも、父親の前では借りてきた猫のようにおとなしい。あまりに素直で従順な様子に、侍女たちがほほ笑んだ。


「もう本当に。みんな、御父上であらせられる陛下のことが大好きですわよねえ」


「我が家では、子供たちは父親なんていてもいなくても一緒なんていう状態ですのに」


「子供たちは元気で、夫婦仲も親子仲も良好で。円満なご家庭で、うらやましいですわ」


 侍女たちの褒め言葉に、アルカはあいまいに笑んだ。シグラッドが当分、子供たちにかかりきりなことを見取ると、そっと扉を押す。


「シグルドがまだのようだから、呼びに行ってきます。今日は、陛下が夕食の時に大事な話をなさるそうだから、みんな揃っていないといけませんものね」


「まあそんな。私どもが行って参りますわ」


「今日はあまり外に出られなかったから、散歩がてら行きたいの。よろしくね」


 アルカが廊下へ出ると、すぐに護衛のシャールがそばについた。


「アルカ様、どちらへ?」

「……」

「アルカ様?」


 シャールに二度聞かれても、アルカは答えなかった。急に壁に頭を押し付け、行き先とはまったく関係のないことをつぶやく。


「シャール……私、子供たちに嫌われているのかも」

「急に何をおっしゃられるのです?」


 シャールがぎょっとしても、かまわない。アルカはよろよろと庭に出て、人気のない東屋に座り込んだ。


「ほら、あるでしょ? お父さんが年頃の娘たちに、お父さんなんて嫌ーいっていわれて村八分にされちゃうの」


「ありますね。母親と娘がすごい仲良くて、父親はのけ者にされるっていう図。同僚たちの仲にも何人か、そういうのがいますよ。それが何か? アルカ様とは関係ないでしょう」


「関係なくないの。大ありなの。私、それと一緒なんだよ。子供たちに話が合わないダサい父親みたいに思われてる!」


「母親のアルカ様がその立場なのですか!?」


 アルカは両手で顔をおおって嘆いたが、まだシャールは冷静だった。待ってください、と反論する。


「いくらお子様たちと陛下の仲が良いからといって、アルカ様のことをお嫌いと考えるのは早計ですよ。そんなに嫌われていると思うようなことがあったのですか?」


「あったよ。いろいろ。それぞれに」


 アルカは絶対の自信をもってうなずき返した。


「ではまず、長女のフライア様のことからお聞きしますけれど。フライア様は本が好きで、よくアルカ様がおひざにのせて本を読み聞かせていらっしゃいましたよね?」


「昔はね。一人で読めるようになってからは全然。誕生日に本を贈ろうと思って、どんな本読んでるのかなってあの子の部屋の本棚をのぞきにいったら……すごい剣幕で『勝手に入らないでください!』って怒られた」


 娘の日記を開きかけた父親のように、アルカはしゅんとうなだれた。


「次女のフリッカ様は。アルカ様に、アルカ様とおそろいの衣装を作って欲しいとねだるほど、アルカ様にべったりでしたよね?」


「年頃だね。『お母様とおそろいなんて嫌ですわ。殿方を虜にできませんもの』ってズバッといわれた」


 私服が超ダサいと言い放たれた父親のように、アルカは傷ついていた。


「三女のヴァルトラテ様とは? この間、一緒に遠駆けにいってらっしゃいましたよね」

「それがさ。うっかり落馬しかけて、あの子に抱き留められてちゃってね……。大丈夫ですかってすごい気遣われてさ」


 若くないんだからムチャしないでよ、と諭されている父親の気分になったアルカだった。


「四女のヒルデ様は? お友達のできなかったヒルデ様に、緑竜というお友達を作ったのは、アルカ様でしたよね」


「そのせいで、ヒルデは緑竜たちと森で野生生活を始めちゃったんだよね。竜ちゃんたちといれば何があっても大丈夫って。

 一カ月も森から帰ってこなくて……帰ってくるよう、私、毎日通って説得しに行ったけど全然だめで……結局」


「巡察からお帰りになられた陛下が、力づくで捕獲したのでしたね」


 娘の交友関係と無断外泊に気をもむ父親の気持ちがわかるアルカだった。


「次男のミーメにいたっては、なぜだか女の子の格好が好きだし……」


「まだ幼くていらっしゃいますから。よくわかっていらっしゃらないのでは?」


「ならいいんだけどさ……。どうしよう、大きくなっても女装が大好きだったら。

 私はあの子が幸せならそれでもいいかなって思うけど、でもでも、でも! シグみたいに前向きに『子供たちの中で一番美形そうだからそれで正解。いっそのこと、余計なものもとってしまうか!』ってことまではいえなくて。子供のことを全肯定できないなんてダメな母親だよね」


「落ち着いてください、それが普通です」


「きわめつけは、聞いて! 五日前、シグがお城を空けているときなんだけど。

 夕食前に出かけていて、戻ってきたら、子供たちに『もう戻っていらしたの?』って迷惑そうに言われて。しかももう夕食食べつくされてて。これどうぞって、パンだけ渡されたんだ。

 三日徹夜で疲れて家に帰ったら、机の上に『夕食。ムスメと避暑にいってきますby妻』ってかかれた紙と乾パンが一個だけのってて泣けたっていうティルギスの外交官さんの気持ちがすごくよく分かった!」


 さすがのシャールも反論が尽き、口をまごつかせる。アルカの愚痴は止まらない。


「シグはかっこいいし、強いし、頭いいし、色気あるし、身分もあるし、親にしたら自慢の親だけど。

 私なんて、私なんて。美人じゃないし、弱いし、背低いし、子供たちより頭悪いし、子供たちと並んでいるとたまに『あなたが長女?』って間違われるくらい童顔で色気ないし……どこに出しても恥ずかしい母親なんだ! きっといなくてもいいって思われてる! いない方がいいんだよおおおおお」


「アルカ様、落ち着いて。落ち着いてください。あ、ほら、鐘が鳴りましたよ。夕食のお時間です。ご用があるのなら、早く済ませませんと」


 鳴り響く鐘に、これ幸いとシャールは話題をそらす。


「そうだった。シグルドを呼びにいこうと思って来たんだった。行かなくちゃ」

「そういえば、シグルド様とはいかがなのです?」

「シグルドとは……どうだろ。あの子は昔から出来がよくて。私が出る幕がなかったなあ」


 シグルドは幼い頃より母に代わって公務をこなし、成人してからは父の代役も勤める万能派美青年である。容姿ともろもろの能力は父親似だが、性格は母親似で穏健派なので周囲からは「なんて理想的な混血」と喜ばれている。


「でも、悪くはないかな。相談されたりするし。たまに甘えてくるし」

「よかったじゃないですか」


 えへへ、とアルカは頬をゆるめた。庭を突っ切って本宮へとむかう途中、回廊に息子の姿をみつける。むこうもすぐに母親の姿に気が付いたが、その表情は歓迎とは遠かった。


「母上、わざわざ出迎えに来てくださらなくても結構ですよ」

「でも、陛下の命令で、私の代わりに公務をさせてしまっているから、申し訳なくて……」


「お気持ちはうれしいですが、陛下のご命令ですから当然の仕事です。母上が負担に思う必要はございません。代役を果たした結果報告がお聞きになりたいということでしたら、僕の方から参上いたしますから」


「そういうことではなかったのだけれど」


 優秀な息子にキビキビと応えられ、アルカは昔を懐かしく思い出した。子供のころのシグルドは、公務の終わりにアルカが迎えに行くと、喜んで抱きついて、その日の報告をしてくれたものだが。


「外は危険ですので、出歩かないでくださいね、母上」


 シグルドの気遣いはトドメとなってアルカの心に突き刺さった。わかったわ、と何とか返事をして、回れ右をする。


 もう穴にこもりたい――アルカがそう願った瞬間、いきなり、地面が抜けた。


「いっ――!?」

「アルカ様!」

「母上!」


 シャールとシグルドの顔が遠い。落とし穴に落ちたのだ、と気づくのに、そう時間はかからなかった。ただ、なぜこんなところに落とし穴があるのかは、分からなかったが。


「大丈夫ですか? 今日、ヒルデのやつが庭に罠を仕掛けていたので、外は危険だと注意したつもりだったのですが……」

「そういう意味での危険だったの!?」


「だからやめろといっただろう、ヒルデ! 明日、全部解除させるからな」

「ごめんなさいーっ!」


 シグルドにぽかりと頭をたたかれて、四女の野生派美少女ヒルデが泣く。穴のふちには、シグルドとシャールだけでなく、フライア、フリッカ、ヴァルトラテ、ヒルデの顔がならんでいた。


「みんな、どうして」

「ヒルデの陛下への報告を聞いていたら、お庭が危ないと気づいたものですから。お母様、近道だからとよくお庭を通られるでしょう? 危ないと忠告をしに、追ってきたのですわ」


 ミーメも遅れて顔を出した。これで子供たちが勢ぞろいだ。


「おまえたち、もっと早く止めに来てくれればよかったのに」

「心外ですわ、お兄様。本当はもっと早くおとめするるつもりでしたのよ」

「じゃあ、なんだって遅くなったんだ」

「それは……」


 次女のフリッカは、口紅の塗られた、つやつやと愛らしい唇をとがらせた。三女のヴァルトラテも、なにやら居心地悪そうに、そわそわしている。


「ひょっとして……聞いてた?」


 アルカが恐る恐る尋ねると、娘たちはますます居心地悪そうにした。アルカは、もう一生穴にこもっていたいと赤面し、穴の底に座り込んだ。


「ちがうの、母様。ヒルデが森に出かけたのは、母様、ミーメにばっかり構って、ヒルデのこと構ってくれなかったからだよ。

 だから竜ちゃんたちと家出して……そしたら母様が迎えに来てくれて。すぐには帰りたくなかったからだだこねてたら、母様、毎日会いに来てくれたから、うれしくて……ごめんなさい。

 穴に落としちゃったのもごめんなさい! ヒルデも落ちるから許して!」


「おまえまで落ちてどうする!」


 兄の突っ込みも無視して、ヒルデは穴に飛び降りた。アルカはしっかり抱き締める。すると、今度はヴァルトラテが弁明を始めた。


「あのですねっ、母上っ。自分は、母上のことを頼りなく思っているわけではありませんっ。母上が落馬しかけたとき、お助けできて、むしろうれしかったですっ。父上にも褒められましたしっ。だから、全然、気にしないでほしいというかっ。もっと頼って欲しいというかっ」


 ヴァルトラテが穴に綱を垂らした。背にヒルデを背負ったアルカを、一人で引き上げる。


「取りあえず、アルカ様はお召し替えが必要ですね」

「本当」

「それでしたらお母様、わたくしの部屋にいらしてくださいまし。お母様のためにご用意した衣装がございますのよ。わたくしとおそろいの」


 フリッカの申し出に、アルカは首を傾げた。


「おそろいは嫌なのではなかった?」

「おそろいなのが嫌なのではございませんわよ。ただ、お母様のお召しになられるものはすべて、露出が少なくて地味だから嫌なのです」


 フリッカは母親のドレスを脱がせた後、自室の衣裳部屋を開けた。フリッカの衣裳部屋は兄弟姉妹のだれよりも広いが、隅から隅まで衣装で埋まっている。


「だから、わたくし、考えましたの。わたくしがお母様の色に染まれないのなら、お母様がわたくしの色に染まればよいだけのことだと。ねえ? お母様。お召しいただけますわよね?」


 広げられたドレスに、アルカは固まった。いつも着ているドレスと比べて、布地が五割少ない。袖のない、胸元と背中が大きく開いた、大胆なドレスだった。


「お母様のお肌はとてもお綺麗なのですもの。隠していてはもったいないですわ。公開すべきだと思って、わたくしが特注いたしましたの」


「フリッカ……気持ちはうれしいのだけれど、私にこれは」


「フリッカ様、アルカ様のお召し物は、すべて陛下のご意向に沿って選ばれているものですから。このように露出の派手なものはお召しになれないのですよ」


「あら、そうでしたの。でも、お母様が先ほどお召しになられていた衣装は、もう処分いたしましたから。これをお召しになるしかございませんわよ?」


 アルカとシャールはバッと後ろを振り返った。フリッカの言うとおり、先ほどアルカの着ていたドレスは侍女たちの手によってどこかへ捨てられていた。シャールがアルカの私室からドレスを取ってこようにも、侍女たちがしっかりと出口をふさいでいる。


「どうしてもと嫌だとおっしゃるなら、肌着一枚で外にお出になられればよろしいわ!」


 悪女のような高笑いが響く。父親に似て、フリッカは目的のためには手段を択ばない娘だった。


「ふふふ、お母様のお肌は本当に真白くてすべすべしてお綺麗ですわ~。きもちいい~」

「ちょっ、フリッカ、くすぐったい」

「お止めなさい、フリッカ。お母様が困っておいででしょう」


 母の危機に立ち上がったのは、長女のフライアだった。


「お母様が絡むのは、NLで陛下、GLでシャールお姉さまと相場が決まっているのよ。もしくはオーレックおばあさま。少数派ながらレノーラお姉さまもあるけれど……ともかく、お母さまのカプ厨は他より過激なのよ! 安易なカプ主張は命取り。あなた、そこに加わる覚悟はあるの!?」


 フライアは妹に向かって毅然と人差し指を突き付けたが、アルカとシャールは目が点だった。


「……え? 絡む? NL? GL? 何、何語? シャール、分かる?」

「さ、さあ……。あ、フライア様、本を落とされて」


 なおも妹に何かまくしたてているフライアは、本を落としたことに気が付かない。シャールは拾い上げ、なにげなく表紙を見た。怪訝な表情になる。


「すごく乙女な感じの表紙だね。だれだろ、この表紙の女の子二人。ティルギス人っぽいけど。シャール、分かる?」

「いや……まさかとは思いますが」


 シャールは青い顔でパラパラと本をめくり、さらに青くなった。


「……」

「シャール、私にも見せてよ。フライアがどんな本を読んでいるか知るいい機会――」

「いけません! 見ては!」

「どうして。フライアは難しい本ばっかり読んでいるのかと思ったけれど、かわいい本も読んで――」

「だめです! アルカ様には早すぎます!」

「もう三十越している人間にも早い本って何!?」


 シャールは早々にフライアの手に本を戻した。フリッカが冷めた視線を姉にそそぐ。


「自分の家族や知り合いがネタになっている妄想同人本なんてよく読めますわよねー、フライアお姉さま」


「話の中に出てくるお母様たちは、もはやお母様たちであってそうでないのよ。偶像みたいなものなの。現実と二次元の区別はきっちりつけていますのでご心配なく」


 世間で硬派な文学少女と称されているフライアは、先ほどまでの激しさはどこへやら、澄まして答える。シャールの疑惑に満ちた視線は、鉄の壁でも隔てているかのように、完全に無視だった。


「道理でアルカ様に部屋に入られたくないわけですね……」

「シャール、どうじんぼん――って何? どんな本なの?」


「同じ志を持つ人間が集まって出す本のことです。フライアは世界平和実現同盟の一員なのですよ、母上。先ほどのわけのわからない単語はすべて同盟員が使う隠語ですので、母上はどうぞお気になさらず。

 それよりフライア、フリッカ! おまえたち出てこい! これが赤の他人同士だったら、拉致監禁罪に猥褻行為だぞ!」


 扉の外から、母親に似てまともな長男がフォローを叫んだ。娘たちと入れ替わりに、次男のミーメが入ってくる。シグルドに持たされたらしい、いつも通りの、地味で露出の少ないアルカのドレスを抱えていた。


「かーたま、おてつだいしましゅ」

「ありがとう、ミーメ。リボンを結ぶの、上手ね」

「リボン大しゅきなので、れんしゅうしたです」


 器用ねー、と褒めつつ、アルカは内心、複雑だった。母親の着替えを手伝いながら、ミーメはドレスの刺繍やレースに目を輝かせている。将来、刺繍やレース編みもはじめそうだ。


「ミーメは、女の子に生まれたかった?」

「はい」

「……そう。ごめんね」

「おうじがふたりだと、とーたまとレギンおじたまみたいに、けんかすると困るですから」


 思いもよらない理由に、アルカは息が止まった。


「だからミーメは、おとなになったら、お姫様になるでしゅ」

「ミーメ、べつにそんな」


「それにミーメは、おにいしゃまの生活より、おねえしゃまたちみたいな生活の方がしゅきです。かわいくてきらきらしてて、たのしいでしゅ!」


 第二皇子が迷いのない笑顔で主張したので、アルカの淡い期待は砕け散った。


「お待たせ、シグルド。色々とありがとう。すごく助かった」

「僕らが母上のことを疎んじていないことは、十分にご理解いただけました?」


 アルカは頬を赤くして、うなずいた。


「ええ。一人で誤解していてごめんなさい」


「ちなみに、父上の留守中に、先に僕らが夕食を食べのは、その日の料理人がいつもと違ったからです。いつもの料理人が病気で倒れて、別の人間になっていたので、警戒しまして」


「まさか毒見のつもりで、あなたたちが先に食べたの?」


「ヒルデやヴァルトラテが、一口ではよくわからないと食べ過ぎて、母上の分がなくなってしまったことは申し訳なく思っています」

「それはいいけど。そういうのはふつう、親の役目でしょう。二度としないで頂戴ね」


「母上ならそうおっしゃると思っていましたが……今の母上では」「今の私では?」


 聞き返したが、シグルドは言葉を濁した。


「ともかく晩餐にいたしましょう。父上が首を長くしてお待ちですよ」

「そ、そうね。私も皆に嫌われているわけではないとわかったら、決心がついたし。……行くわ」


 アルカはこぶしを握った。晩餐に行くというよりは戦にでも行くような気合の入れようだ。


「今日、陛下が夕食の時に大事な話があるとおっしゃっていたでしょう?」

「ええ。それが何か?」


「大丈夫よ、シグルド。もし離婚しようっていう話でも、私、負けない。あなたたちの親権は譲らないから」

「……はい?」


「気を使って、分からないふりなんてしなくていいのよ、シグルド。いくらにぶい私でもわかるわ。ミーメを産んで以来、陛下は私とお過ごしになることが少ないし」


「ミーメが生まれてから、外に出られることが多かったですし、帰ってきたら帰ってきたで、弟妹達がベッドの中までべったりでしたからね。少なくもなるでしょう」


「最近、やたらと私に気を遣うし」

「母上がいつも以上に大事だからでしょう」


「子供が六人できてノルマを果たしたからもう用済みか、他に好きな人ができたか、どちらかだと思うの」

「父上に代わってお答えします。どちらでもありません」


 シグルドは腰の引けている母親を、食堂へと引っ張るようにして連れていく。その間も、アルカの悪い想像は止まらない。


「ちゃんとね、みんなを養っていく算段も立ててあるの。万が一の時は、イーダッドおじさまに、アンカラでの商売を手伝わせてくださいってお願いしてあるし、オーレックもいつでもおいでっていってくれているし。安心してね」


「相変わらず母上は、全速力で後ろ向きに突っ走りますよね」


「大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫。やればできるやればできるやればできる。よし――お待たせ、皆。夕食にしましょう!」

「おめでとうございます、お母様!」


 アルカが食堂の扉を開けた瞬間、子供たちが花びらを降らせた。


「七人目ご懐妊、おめでとうですー!」

「妹か弟かわかりませんけど、楽しみにしてますね!」


 アルカはたぎらせていた闘志のやり場を失って、ぽかんとした。間の抜けた顔で、自分のお腹を見下ろす。


「やはりお気づきではなかったのですね。僕らは母上がご懐妊なさると、においですぐわかるのですけれど」

「……大事な話って、これ?」


 アルカ以外の全員が、一斉にうなずいた。


「先ほど、今の母上に毒見をわせるわけにはいかないと申し上げたのは、こういう理由からです。未来の弟妹まで危険にさらすわけにはいかないでしょう?」


「そうね。でも、ええっと――あれ?」


 なおもアルカが首をひねっていると、シグラッドがしれっといった。


「大丈夫だ。私は身に覚えがあるから」

「待って。私にないのはどういうこと?」

「七人目はアルカに似るといいな~」


 皇帝陛下は愛妃の抗議を、強引に口でふさいだ。


「七人目の子供というけれど、八人目よね」


「お父様も子供みたいですものね。わたくしたちがお父様以上にお母様と仲良くしていると、ご機嫌麗しくなくなりますものねえ」


「兄上、母上はじつは銀の竜で、皇子一人と皇女五人産んで欲しいっていう父上の願いをかなえたら、天に帰られるというのは本当なのでしょうか? 違いますよね?」


「それ、ヒルデも聞いたー。七人目が妹だったら、母様、いなくなっちゃうの?」


「夜、ミーメとヒルデお姉しゃまがとーたまとねんねしていれば大丈夫だって、フリッカお姉しゃまがいってたのに……なんででしゅか?」


「なんだそれ。いろんな話が混じって、変なデマが――ぐっ!」


 長男の口は、父親の手で乱暴でふさがれた。


「その通り。おまえたちの母親は、ちょっと目を離すとどこかにいってしまう家出癖の持ち主だから、おまえたち、ちゃんと見張っているんだぞ。泣き落としでも実力行使でも、何でも許す。ありとあらゆる手段を使ってお引き留めしろ」


「はーい!」


 父親に似た明るい茶褐色の瞳をかがやかせて、子供たちが元気よく請け負う。絶対逃がさない、と顔に書いてあった。


 かわいい子供たちに囲まれて、幸せだと思う。


 けれども。


 七人目は自分に似るといいな、とアルカはちょっぴり思った。

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