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黒き竜は空を舞い  作者: サモト
番外編
25/44

元村人Aのぼやき

黒竜編19話終了後~。

バルク視点。

 任務終了、お役目御免。

 イーダッド様もいなくなったし、どうするか。

 ぷらぷら歩いていると、突然空から襲われた。


「お願いバルク、力を貸して。私たちにはバルクが必要なの」


 子犬みたいな目で一心に頼まれて断れるのは、そこにいる彼女の人でなしな父親くらいなものだろう。

 イーズちゃんの頼みに、オイラはあっさりうなずいた。


*****


「必要って……こーゆーわけですか」


 鉄鍋の中をかき回すと、米と肉がじゅうじゅうといい音を立てた。


「ごめんね、私たち三人、だれも料理できないから……」

「すまんな。基本生で、丸焼きしかないから」

「できないことはないが、うまいかどうかは別問題でな」

「いや、やることないし、ベツにいいんですケド」


 炒めた具材に水を入れ、葉っぱでフタをして待つこと数十分。火加減は竜の方々がきっちり調整してくれるから、楽なもんだ。りっぱな夕食ができあがった。


「おいしい! バルクってなんでもできるんだね」

「うん、うまい。料理人もやれるんじゃないか?」


 女性陣の評判は上々だった。イーダッド様も黙々と食べている。よかった、口に合ったようだ。


「これから、どうするんすか?」

「南へ行く。人に紛れてくらした方が都合がよい。よい交易の地点があってな」

「アンカラですか? 結構遠いですよ」


 心配なのは、オイラを除く三人に、まったく旅の準備がないこと。オーレック様やイーダッド様は身一つでもなんとかなるだろうけれど、姫サンは無理だろう。


「言っておきますけど、オイラ、金ないですからね。食糧の手持ちもコレで尽きました」


 空になったオーレック様の椀に、お代わりをよそう。イーダッド様にも。


 知ってはいたケド、この二人は本当に大喰らいだ。オイラはまだ半分も食べていないし、姫サンに至ってはまだ四分の一も減っていないのに、鍋いっぱいに作ったはずの夕食は、オイラたちが食べ終わる前になくなりそうだった。緑竜の子供も鍋に頭を突っ込んで食べているので、ますます危うい。


「先立つモノはあります?」

「多少は」


 イーダッド様が服の下から、ドサドサと金器や銀器、高価そうな小物が落ちた。


「一体どこから」

「ニールゲンを去るときにな。失敬してきた」


 それ火事場泥棒ですよ、イーダッド様。

 ああ、清く正しい姫さんが怒ってる。でもこれがないと、道中四人と一匹、ずっと野宿しなければいけなくなる。目をつぶってくだサイ。


「お前一人の身体ではないのだし。お前のために使うなら、このくらいは赤竜も見逃すさ」

「え? 姫サン……まさか身重?」


 顔を赤くしてうなずかれてしまった。そうか~、あのヘーカがやることやってないわけがないし。当然か。

 なんかふしぎなキブンだ。あの小さかった姫サンがなあ……


「バルク? どうかした?」

「いや、すんません。昔を思い出してトリップしてました」


 ダメだ。思わず目頭が熱くなってしまった。

 しかし、それならなおさらだ。食事も寝泊まりする場所も気を遣わないと。お腹の子に差し障る。


「早いとこ居場所決めて落ち着きましょう。産婆サンにお世話にならないといけませんし。明日はゼッタイ宿に泊まりますヨ」

「賛成だ」


 食事が終わると、四人仲良く横になった。オイラの隣がニールゲンの元最強守護竜オーレック様で、その隣がニールゲンの元皇妃イーズちゃんで、さらにその向こうがティルギスの元天才軍師イーダッド様という順だ。


 ……なんだろう。ふと冷静になってみると、オイラ、すげー人たちと横になってるよなあ。


 いいのか、コレ。オイラの肩書なんて、元村人Aなんだケド。夢じゃないのか? あっていいのか、こんなこと。


 頬をつねってみようかと思ったが、やめた。

 このまま眠れば、次に目が覚めたときに、どうせ夢か現かはっきりするのだ。


*****


 幸いといっていいのかどうかは悩むところだケド、A級戦犯並みにスペシャルな方々といるというのは、現実だった。翌日、オイラはイーダッド様たちと共に、近くの町へと入った。


 町では、金目物を換金し、旅に必要な道具を買いそろえた。姫サンには、古着屋で服も変えてもらった。元の服じゃスカートだから寒いし、あんな仕立てのいいドレスじゃ目立つしネ。


「ねえねえ、バルク。どうかな?」


 今度の姫サンの出で立ちは、シャツにズボンと少年っぽい格好。でも、髪は長~いおさげでちゃんと女の子。うおおっ、カワイイっす姫サン!


「似合ってますヨ、イーズちゃん」

「よかった。どこからどうみても村娘Aだよね」


 いや、そーゆー意味じゃなかったんですケド。今はそっちの意味の方が重要っすよネ。質問を勘違いしてスンマセン。


「サイズぴったりなんだけど、これ、子供用なんだって」

「仕方ないっすよ。姫サン華奢だし。女の子が男の子の服着たらそうなりますって」

「そう?」


 納得しかけた姫サンの視線が、オーレック様にむいた。町に入るため、オーレック様は完全に人化した。なので、オイラの着替えをお召いただいているのだが……


「まあ、なんにでも例外はありますカラ」

「丈が短いのは我慢できるが、あちこちきついのが辛いな」


 オーレック様がよく張り出しているお胸とお尻を気にする。どちらも布地の下から存在を強く主張している。


「スンマセン、背、あんま高くないし、ペラくて。性別上、ナイスな凹凸もないんで」

「ボタンが弾け飛ばないか心配だ」


 ぷるん、とオーレック様の豊かなおムネがゆれる。古着屋の店主がメガネを正して拝んでいる。気づけば店の外でも、通りすがりの男たちが魅惑のおしりに釘付けになっていた。


「なあ、脱いでもいいか?」

「ダメだよ」

「ダメっす」


 オイラと姫サンの声が重なった。皇族で一風変わった生い立ちのせいだろう、オーレック様は世間の慣習から三歩ほどズレている。


「バルク、この服はいくら払えばいい?」

「この銀貨とこの銅貨で足りますよ」


 慎重に硬貨をつまんでならべる姫サン。オーレック様だけじゃなく、姫サンもちょっと危ういよなあ。ずっとお城にいたから、一般市民の生活なんて分からない。


 でも、幸い、姫サンはそれが苦じゃないみたいだ。町並みを楽しそうにながめている。気になったものはオイラに質問して、オーレック様と盛り上がっている。


「シグから話は聞いていたけど、やっぱり実際に見るのとは違うね。おもしろい」

「イーズイーズ、あれ見ろあれ! 変な動物がいるぞ!」


 久々に地上に出たオーレック様も大はしゃぎだ。見世物小屋に興味津々。楽しそうだ。


「オイラ、買い物してくるんで、二人ともゆっくり見ててくださいヨ」

「私も行くよ。一人じゃ大変でしょ?」

「や。大丈夫ですよ。ここで待っててください。下手に動かないよーにネ」

「うん。オーレックといれば大丈夫だから」


 姫サンがぴったりとオーレック様に付き添うのを見届け、オイラは食糧の調達にむかった。


 ちなみにイーダッド様は、アンカラへのルートを確認するために別行動している。あの人は姫サンやオーレック様とちがって世間慣れしているから、心配ないだろう。


「残りはこんだけ――か。十分十分」


 イーダッド様から預かったお金で、十分な量の食糧が買えた。最後に屋台で昼飯を買い、二人のところへ戻る。


 ところが。


「えーっと……一体、何が? 姫サン」

「まずね、私が見世物小屋の人にもっといいものを見せてあげるって声をかけられて、奥に案内されたの」


「それは怪しいっスね」

「そうなの。途中で怪しいって気づいて、戻ろうとしたら、つかまりそうになって。でも、すぐにオーレックが助けに来てくれて――」


「で。コレっすか」


 見世物小屋を営んでいた男たちが全員ふっとばされている。それだけならいいが、ついでに関係のない荷馬車が数台壊れ、屋台も数件壊れ、道に商品が散乱していた。


「悪い悪い。力加減をまちがえてな」

「弁償だよね? やっぱり」

「ソウデスネ」

「ごめんなさいごめんなさい! 私が最初から怪しいって気づけば」

「イヤ、二人にしちゃったオイラの判断ミスですから。姫サンのせいじゃないですヨ」


 南無三。これで手持ちの金が吹っ飛んだ。ってゆーか、それでも足りない。イーダッド様ー!


「イーダッド様、お金足りないんで。もうちょっと出してもらっていいっスか?」

「私ももう残っていないが」

「んなはずないでしょ。あんなにあったのに」

「本当だ。今さっき使い果たした」

「全部!? あの大金を、この短時間に!?」

「全部だ」


 平然と空の革袋をふってみせるイーダッド様。

 このとき、オイラは悟った。


 ――この人たち、オイラがいないとダメだ!


*****


 イーダッド様の出費は交易商をするための、先行投資だったらしい。

 ムダづかいでなかったのは安心だが、あれだけの金をポンと気軽に使われるのは心臓に悪い。オイラの金じゃあないから強いこといえないケド、一言欲しかった。イーダッド様の奥様は、ずっとこんなことに付き合ってきたのカナ~。偉い。


 それはさておき。オイラたちは、迷惑をかけた方々に、修理や手伝いなどできるかぎりのことをしてお詫びし、勘弁していただいた。幸いにも、必要なものは先に買ってあったので、オイラたちは無事に旅立つことができた。


 旅路は空路だ。陸路ではなく、空路。竜の血の濃いオーレック様とイーダッド様は、どちらも空を飛べる。姫サンはオーレック様に、オイラはイーダッド様に運ばれての移動だ。


「空路だと野盗の心配もないし、山も川も悪路もないからいいですケド……もーっちっとどうにかなりませんかね? イーダッド様」

「どうにかとは?」

「でっかい荷袋に入れられて、ぶら下げられて運ばれるって、オイラ、モロ荷物じゃないですカ」


 オイラの入っている荷袋には、小物や日用品も同梱されている。居心地といえばいいのか、ぶら下がり心地といえばいいのか、快適とは言えない。姫サンのよーに毛布にくるんで大事に抱えて運んでくれとは言わないが、もうちょっと人道的な輸送方法にしてほしいところだ。


「せめて荷物と分けて下さいヨ」

「分かった」


 次の休憩で、オイラは荷物と分かれた。でも、代わりに、簀巻きにされて、ミノムシのごとくぶら下げられて運ばれることになった。


「……イーダッド様、オイラのことひょっとして嫌いです?」

「なぜだ?」


 オイラは人道的扱いについてイーダッド様に説きたくなったが、ぐっとこらえた。イーダッド様は竜化しても、オーレック様みたく人一人背中に乗せられるほど大きくなれないし。人一人ずっと抱えているのは大変だし。きっとこれがイーダッド様の限界なのだ。うん。


 はじめ、旅路は順調だったが、アンカラの手前にある大きな町に着いた時、天候が怪しくなった。オイラたちは天候が回復するまで町に滞在することにしたが、なにせ金がない。オイラたちは到着するや否や、宿代を稼ぐため、すぐに職を探した。


「オーレック様は港で荷物の積み降ろしの手伝いを、姫サンはここで代筆と通訳をお願いしますネ」


 町で探してきた仕事を割り振ると、二人ともいい返事をしてくれた。オーレック様は怪力の持ち主だし、姫サンは皇妃として育てられてきているので、語学は堪能だし、教養も十分ある。わりのいい仕事を探すのに、そう手間はかからなかった。


「バルク、私はどうする」

「イーダッド様はお好きにドウゾ。やること、決めてんでショ?」


 ほのかに口のはしを上げて、イーダッド様はどこかに消えていった。わざわざオイラに指示を求めてきたのは、オイラが姫サンやオーレック様に指示を出しているという前代未聞の状態をおもしろがってのことだろう。あの人の笑いのセンスはイマイチ理解できない。


 二人が働きに出ている間に、オイラは宿を決めたり、アンカラの情報を集めたりした。なんでも、アンカラは最近、海賊が出るようになって交易が滞っているらしい。一応、軍が動いて討伐に乗り出しているらしいが、戦果ははかばかしくないようだ。ニールゲンは先代のときに軍備を縮小しているし、もともと海軍が弱い。近頃ではアンカラから撤退する商人もではじめていると言う話だ。


「さて――様子をうかがいにいきますかネ」


 夕方。オイラは二人の職場をのぞきにいった。二人とも、そろそろ終わっているころだろう。


「オーレック様、どう――」

「おお、バルク。仕事ならもう終わったぞ。今は遊んでいるところだ」

「へ?」


 思わず間の抜けた声が出た。終わった? あの倉庫に山ほど積んであった荷を? もう? ……ホントだ、なくなってる!?


「一人で十人分くらいの働きを――怪しまれないように百人分ではないぞ――したからな。ほら、報酬も十人分」

「う゛わあ」


 動揺のあまり声が濁った。……って、まずいぞ~。オーレック様、そこら中にいる屈強な荷役人サンたちの仕事を取っちゃったのか。彼らは日雇いだ。毎日この仕事をあてにしてその日暮らしをしているのだ。仕事をとられたと逆恨みされるなきゃいいケド。


「おい、兄ちゃん。あんたあの姉ちゃんの知り合いか」


 ひいっ! さっそく!


「ありゃなんだ? 人間か?」

「え~、あの~、その~、一応?」

「だれ一人、腕相撲して勝てやしねえ。どうなってんだ」


 クソッとくやしがるおにーちゃん。うん? 思ったほど怒ってはないナ。本気でくやしがってる。


「さあさあ、もういないのか? 私に腕相撲で勝てたら、この袋に入っている金、全部やるぞ。一回銀貨五枚。十枚かけるなら、勝ったとき、私が一枚脱ぐと約束しよう!」


 ――ぶはっ! やけに報酬が多いと思っていたら、そーゆーコトか。ぬぎぬぎ腕相撲大会!?


「次は俺が!」

「その次は自分がっ!」


 殺到する筋肉集団。うわあ。目の色変わってる。でもだれも勝ててねー。


「腕相撲もそろそろ飽きたなあ。どうだ、次は大食い大会なんてのは? ついでに飲み比べ大会もしようか。私に勝てたら、なんでも一ついうことを聞くぞ?」


 必殺悩殺谷間チラ見せ。うおおおお! と野獣のような叫びがこだまし、オーレック様と筋肉集団は飲み屋に消えていった。


 オーレック様については、宿と食い扶持をまったく気にしなくて良さそうだ。


「えーっと……姫サンはっと」


 気を取り直して、姫サンを置いてきたお店にいく。すると姫サンの姿が見当たらない。店主がオイラの姿を見つけて、ああ、と手をあげた。


「あの子なら、役所に手伝いに行ってもらったよ」

「役所?」

「いやあ、びっくりしたよ、あの子。色んな国の言葉が話せるんだねえ。知り合いのお役人のとこによ、海の向こう国のお偉いさんが来ててよ。通訳のやつがたまたま病気で寝込んじまって困ってたんだ。代役で行ってもらったよ」


 オヤジに役所の場所を聞き、行ってみると、姫サンはちゃんといた。お役人サンたちに混じって、賓客と話していた。とゆーか、お役人サンたちのだれよりも近くで、賓客のお相手をしていた。


「あの~、うちの連れを引き取りに来たんですケド……」

「悪い、もう少し貸してくれ。お客さんがあの子のこと、気に入ったみたいでさ。格好はともかくとして、なんつーのか、品? があるっていってよ。言葉づかいも言動も挙動も垢抜けてて、どんな話題をふっても響くような答えをしてくれるって。まるで一国の主人にもてなされているような気分だっていって、ご満悦なんだよ」


 そりゃそうだ。つい先日まで本当に一国の女主人だったんだから。


「あんたたち、旅の途中なんだってな。いつまでいるんだ? 五日くらいいないか? 頼むよ、しばらく貸してくれ」

「オイラの一存じゃ決められないしなあ――」

「構わないが、代わりに条件がある」


 迷うオイラの肩を叩いたのはイーダッド様だった。いつの間に。


「ここはアンカラの隣町だ。アンカラの役人とも親交はあるだろう? ひとつ口をきいてもらいたい。アンカラで商売をはじめたいのでな。役所の許可がいる」

「紹介くらいはできるけど……許可はさすがにあんたたち次第だぜ?」

「結構だ。そうだ、君らの上役はいるかね? 耳よりな話があるんだが」

「耳寄り? でもなあ、事前の面会予約がないと」

「少しだけ。すぐ終わる。迷惑はかけない。上役のところへ案内だけしてくれればいいのだ」


 のぞきこむように相手の目を見るイーダッド様。イーダッド様はよくこうして相手の目を見つめる。なんでも、こうすると相手は蛇ににらまれたカエルのように、イーダッド様に逆らえなくなるらしい。オイラもイーダッド様の目はブキミなので、必要以上にあわせないようにしているけど。


 竜という地上最強の種族の血を引いている相手に、オイラたちニンゲンは本能で怯えてしまうのだ。今回のお役人サンも例外ではなく、イーダッド様から目がはなせなくなり、そのままフラフラとなすがままに連れていかれた。


「……何の話してきたんです?」

「町の倉庫で、大量の在庫になっている作物を見つけたのでな。他でいい値で売りさばいてきてやると話を持ちかけたのさ」

「で、利益を山分け?」

「まさか。町と私で、三対七だ。本当は二対八にしたかったが、前歴を語れない身では仕方ない。これで商品の仕入れは完了だ」

「お早いことで」


 町を旅立つ頃には、オイラたちの所持金はテーブルに山を作るほどになっていた。チビ緑竜まで、町で芸をしているのか、落ちている小銭を拾ってくるのか、毎日小銭を運んできた。


「一時はどうなることかと思ったけど。なんとかなって良かった。本当にごめんね、バルク。巻きこんじゃって」

「すまんな。苦労をかけて。私もちゃんと世間というものを勉強するからな」

「こういう庶民らしい生活を熟知しているのはおまえだからな。いて助かる」


 庶民らしい服を着て、庶民らしく大衆食堂の料理をつつく姫サンたち。一見、どこにでもいる三人組のようだが、オイラはものすごく違和感を覚えた。


「お三方とも、元の場所に帰った方がよくないスか……?」


 この三人が庶民の暮らしをするというのは国家レベルの損失じゃあなかろうか。


*****


 アンカラは南海最大の港町だ。最大、ときくと姫サンが反応を示した。わくわくしているような、びくびくしているような、なんともいえない反応だ。


「どうかしました?」

「知り合いがいるかもなって」


 こんなところに姫サンの知り合い? だれかいたっけ? 気になったケド、姫サンにはナイショにされてしまった。見かけたらわかるとのコト。楽しみなようなそうでないような……だれだろう。


 アンカラの港町は、少々さびれた雰囲気が漂っていた。海賊による被害は深刻なようで、人々の表情がぱっとしない。看板を下ろした店や、空倉庫が見受けられる。港にたむろしている兵たちは、海賊退治に成果のない毎日に倦んでいるようで、覇気がなかった。


「情けない。私が鍛え直してやろうか」


 オーレック様が憤慨していると、大きな船から白髪交じりの男のヒトが下りてきた。酒瓶を片手にぶら下げた、赤ら顔の男性だ。オーレック様の姿に目を見開いている。


「あ――あなた様は……」

「うん? おまえ? 昔、どっかでみたな」


 オーレック様が小首をかしげると、男のヒトは突然膝から地面に崩れ落ちた。そのまま地面に両手をつき、オーレック様に首を垂れる。


「風のうわさであなた様が再び地上に出たと聞いていましたが……まさかこんなところで、生きてお目にかかれるとは。そうです、昔、あなた様と共に戦場を駆けた、あなた様の忠実なしもべでございます! どうか再びお仕えさせてくださいませ竜姫様!」


 うわおう。オーレック様の熱狂的ファン第ン百号か。ここにもいたんだ。まあ、オーレック様は全盛期、世界中を飛び回っていたから、どこにいてもおかしくない。


「では、とりあえずどこか住むところをくれ。後、食事。酒。ついでに服も」

「お安い御用でございます」


 たぶん誰かも正確に思い出していないだろうが、オーレック様はためらうことなく要求する。された方も二つ返事で請け負う。彼は下りてきた船の持ち主で、他にもいくつか船を所有しているけっこうな地位にあるヒトだった。若いころはオーレック様にあこがれて入隊し、海兵をしていたものの、オーレック様が地下に幽閉されてからは、家業を継いでいたらしい。


「ずっとあなた様のことが忘れられなくて……申し訳ございません、勝手ながら船にあなた様の名を」

「はは、船首に私の像までついているじゃないか。ここまでしてあったら、あれはもう私の船だな」

「さようでございます。竜姫様のものです。すべて」


 再会の感動に目を潤ませ、もう心ここに非ずの状態でうなずくおっちゃん。おーい、気を付けないと、その横であこがれの人の息子がギラギラ目を光らせてますヨー! ケツの毛までむしりとられますヨー!


「彼は港に倉庫もいくつか持っているようだ。ちょうど良いな」

「何がちょうど良いんですか」


 イーダッド様が能面の下で冷静かつ正確かつ冷徹にそろばんをはじいているのがわかる。あああ……怖い。黒竜親子がタッグ組むと超怖い。素直に強盗や詐欺を働くわけじゃないだけに余計に怖い。乗っ取る気満々だ。


「これっていいのかなあ?」


 数時間後、オイラたちは港から少し坂を上ったところにある一軒家をもらい、食事も酒も着替えもたっぷり用意してもらった。そのことに、姫サンが困惑していた。さすが黒竜´Sの最後の良心。黒竜親子が真に賞賛されるべきは、その桁外れの戦闘力でも頭脳でもなく、姫サンという良識と慈愛の体現者を生み出したことだとオイラは思う。


「食事が終わったら、私たちは出かけてくるから。先に寝ていなさい」


 私たち、というのは、イーダッド様とオーレック様だ。オイラと姫サンは家に残されるらしい。


「父さん、どこ行くの?」

「散策だ」

「もう夜だよ?」

「この姿は、人目に付くと厄介だ」


 イーダッド様の身体が竜化していく。竜化するということは、空を飛んでの用事だろう。オーレック様も連れてだと、海賊退治カナ。


「朝食をたっぷり用意してお帰りをお待ちしてますヨ」

「それは助かるな」


 準備運動に、オーレック様とイーダッド様はかるく手合わせをしはじめた。オーレック様はだいぶ手加減しているんだろうけど、それでも凄いやりあいだ。二人とも動きは紙人形か何かのようにかるい。イーダッド様の年に似合わない動きに姫サンは目を点にしていた。


「父さんもオーレックと同じで老化が遅いのかな」

「たぶん。オイラと会ったときと、見た目そんなに変わってませんモン」


 ぱっと見、あの二人は夫婦だといっても違和感がない。同じくらいの年だ。


「私も空が飛べたり、もっと強かったり、もっと賢かったりすればよかったのにな。私も竜の血を引いているんだから、ちょっとくらい。ねえ、バルク」


 小さな唇をとがらせる姫サン。いやいや、姫サンはそのまんまでいいですヨ。十分です。その普通さが、オイラの心のオアシスです!


 ちなみに、海賊退治は十日ほどで終わった。退治のたびに、イーダッド様たちは海賊たちのお宝を持って帰ってきた。これではどっちが賊が分からない。


******


 商売を始めると、イーダッド様とオーレック様が表に出て働き、姫サンとオイラがそのサポートという形になった。


 もっとも、オイラは帳簿だの伝票の整理だの、書類仕事はニガテなので、そちらは姫サンにお任せし、オイラは使い走りや家事雑事を担当した。掃除洗濯はふつうにできるし、料理は好きな方なので苦にならない。


 ご近所付き合いも得意だ。生活に慣れてくると、近所のおばちゃまたちと、井戸端会議で盛り上がるまでになり、お総菜を分けたり分けあったり、お茶に招いたり招かれたりする仲になった。


 ご近所さんたちの間では、オイラたち一行は、ティルギス人の夫妻(イーダッド様とオーレック様)とそのイーズちゃんと、その家族の下男オイラのことが商売の新天地を求めてやってきた、という認識らしかった。半分あっていて半分あっていないが、正しいことを説明するのはとても大変なので、オイラはあえて訂正しなかった。


「お腹の子供のことは、死んだ夫の子供、でいいかなあ?」


 姫サンが膨らんできたお腹をなでながら、小首をかしげる。実物は殺しても死にそうにないが、それが妥当ないいわけだろう。 


「順調そうですカ?」

「うん。お産のときには、ヴォーダン夫人も来てくれるって」


 ヴォーダン夫人というのは、レギン様付きだったあのコワ~い侍女だ。驚いたことに、彼女の故郷はアンカラだったらしい。姫サンの言っていた知り合いとは彼女のことだ。引っ越しのあいさつにご近所回りしたら出くわし、心臓が止まるかと思った。なにせオイラ、あのおばちゃまに丸刈りにされそうになったことがあるので、来ると聞くだけで、思わず頭に鍋をかぶってしまう。


「しっかし、そんなに仲良くしてて大丈夫ですカ? レギン殿下に居場所をばらされたりしませんかネ?」

「どうだろ。夫人はどうしてオーレックや父さんと一緒にいるのかってすごい不可解にしていたし、城に帰りなさいって怒っていたけど、オーレックが私の背後で殺気を放ったら、口をつぐんだよ。勝手に言うことはないと思うけど……」


 恐るべしオーレック様。ヘーカをも恐れないヴォーダン夫人を黙らせるなんて。


「おむつとか産着の作り方とか、教えてもらっているんだ。知ってる人が近くにいて、よかったよ」


 針を動かす手を止め、お腹をなでる姫サン。そうだよなあ。見知らぬ土地で、見知らぬ人の中、今までとまったく違う生活をはじめただけでも不安なのに、お腹には赤ちゃんまでいるのだ。不安はいっぱいだろう。たとえ相手がヴォーダン夫人だとでも、知っている人がいるというのは安心にちがいない。


「オイラもできる限りのことをさせてもらいますからネ。何か用意しておくものとかあります? 乳母車とか子供用の食器とか」

「大丈夫だよ。父さんやオーレックも気にかけてくれているし。でも、そうだなあ、赤ちゃん産まれたら、台所の火かき棒を借りるかも」

「え? 火かき棒?」


 なんに使うんだろう、そんなモノ。育児に火かき棒なんて、聞いたことがない。……折檻目的ならあり得るケド。でも、姫サンがそんなことするはずない!


「ほら、ニールゲン人は卵で生まれてくるでしょ?」

「はい?」

「竜の血が濃い人たちはそうなんでしょ? 生まれてきたら、孵るまで火で温めないといけないらしいから、転卵するときにいるかなって」


 一瞬頭が真っ白になった。だれだそんなデマいったの!


「ちがうの!? オーレックはそうやって生まれてきたっていってたよ?」

「あのヒトは参考にしちゃダメですよ!」

「父さんもビミョーに殻に包まれて生まれてきたらしいし」

「あのヒトも参考にしちゃダメです!」


 なんてこった。やっぱお城に残ってもらうべきだった。そしたら姫サンは風にも当てないくらい大事にされて、赤ちゃんも常識ある人々に守られたはずだ。


 てゆーか、おなかの赤ちゃん、本当なら皇子サマとか皇女サマなのに。生まれてすぐ、育て方間違えて焼死しましたなんてコトになって、それが世間の人々にばれたら……。ヤヴァイ。考えたくない。三回は殺される。姫サンのお母さんとか、オーレック様以外の身内の女の人がいたらよかった。


「イーダッド様、奥サンのこと、迎えに行ったりしなくていいんですカ?」


 夕食時。ずっと気になっていたことを尋ねると、イーダッド様は食事をする手を一瞬止めた。肉から串を外し、ふむ、とつぶやく。


「そうだな。今のうちに迎えに行くか。商売が軌道に乗ったら、そんな暇もなくなるだろう」

「父さん、母さんには自分が生きてること、知らせてあるの?」

「いや、全く」


 淡々と答えるイーダッド様に、姫サンが信じられないというような目をした。まあ……イーダッド様だからなあ。身内だろうが容赦なく欺く。


「そういうわけですので、母上、申し訳ありませんが、しばらく家を空けてよろしいですか?」

「おお。かまわんぞ。おまえの嫁御か~。楽しみだな。私も一緒について行って、他の孫の顔も見たいものだが」

「それはまた別の機会に」

「母さん、再婚してるんじゃない?」


 お父サンの身勝手さに怒ったらしい、姫サンがぼそっと不穏なことをつぶやいた。あり得ない話ではない。ティルギスでは旦那サンが亡くなると、奥サンは旦那サンの兄弟や親戚と再婚する。そうでなくとも、ティルギスの女性は強いのだ。旦那サンが気に入らないと、奥サンが離婚を宣言して、さっさと他の人と再婚しちゃったりする。


「それならそれで、べつにかまわん」

「そう」


 どこまでも淡々としているイーダッド様。姫サンは腹立ちMAXのようで、それからしゃべらなくなってしまった。イーダッド様が酷薄なのはとっくに承知のことだろうが、やっぱり腹が立つものは立つ。その日の夕食は静かにぎこちなく終わった。


「ふふ、おまえもまだ分かっていないんだねえ、イーズ」


 翌日。イーダッド様の旅立ちを見送った後、オーレック様がまだむくれている姫サンに笑った。


「アレの”かまわない”は、どうでもいいってことじゃあないぞ。”再婚していたって連れて帰るのは変わらないから、べつにかまわない”だからな? 嫁が再婚していたからと言って、おとなしく引き下がって、帰ってくるわけないだろう」


「そうかなあ? 父さんがそこまでするような激情家の執着型には思えないけど」


「おいおい、イーズ、おまえはあの子の何を見ていたんだ。おまえと赤竜が別れられたのは、イーダッドが赤竜に匹敵する激情家で執着型だからこそだ。他のヤツだったらムリだ。赤竜に根負けしてる」


「私とシグが別れたのは、べつに父さんが私に執着していたからじゃないでしょ? たんにニールゲンを追い詰める策の一環としてだったと思うけど」


「いや、半分はおまえに対する思い入れだろ。おまえなんぞに娘をやるかー! っていう」

「嘘だあ」


「イヤ、あり得ますヨ、姫サン。オイラ、イーダッド様から『娘を守れ。相手の生死は問わない』って結構ブッソーな指令を受けてましたモン」


「おまえが赤竜に手を出されたって、バルクから聞いたときは、なあ。すごかったよな」

「殺気にじませながら、あの小僧って舌打ちしてましたよネ」


 姫サンが青い顔で、あの小僧さんとの子供がいるお腹をなでた。


「ある日どこかに捨てられたりとかしないよね……」

「それは大丈夫だよ。子供に罪を問うようなことはしないさ。ちゃんとおまえの子供として、自分の孫としてかわいがるよ」

「そうそう。姫サンがそれでヘーカを恨んでいたら違ったでしょうケド、そうじゃないですからネ。姫サンが子供のこと楽しみにしているなら、イーダッド様も割り切りますヨ」


 イーダッド様の留守はこれといったトラブルもなく、イーダッド様も無事に帰ってきた。奥さんを抱えて。


「やっぱ抱えられるんじゃないですカ」

「腕がつかれる」


 荷物のように運ばれたオイラは不満をもらしたが、イーダッド様はしれっとしていた。ま、わかってるケドさ。


「どうも奥様、こんにちわ――ってか、こんばんわか。この時間だと。イーダッド様の使い走りのバルクです」

「あら……どうも。こんにちは」


 イーダッド様の奥様、キールさんは、まだとまどっているふうだった。目鼻立ちのくっきりとした意志の強そうな顔に、不安が見える。突然死んだはずの旦那さんが現れ、ティルギスから遠くはなれた土地に連れてこられたのだ。当然だ。


「姫サンならすぐに来ますよ」


 キールさんのさ迷っていた視線は、すぐに扉に定まった。顔をだした姫サンが、ぎこちなく笑う。


「母さん、久しぶり」

「イーズ、ずいぶん変わって」


 キールさんは、自分の記憶の中の姫サンの姿と、今の姫サンの姿との間に重なる部分を見つけては、触ってたしかめた。次第に表情がやわらいでいく。

 姫サンの方も、キールさんの姿形を一つ一つ視線でなぞって、なつかしさを噛み締めているようだった。


「びっくりしたよね。勝手に色々……ごめんなさい。母さんたちにも迷惑かけたよね」

「あなたの責任じゃないわよ。いいの。大丈夫よ」


 キールさんは屈託なく笑う。快活そうな人だ。やや骨ばった体は俊敏そうで、足元の荷をひょいとまたぐ動作はかるい。きびきび働きそうなタイプだ。


「こちらは?」

「イーダッドの母の、オーレックだ」


 キールさんは、イーダッド様より若々しい黒髪の美女に目を点にした。しかし、その肌が黒いうろこに覆われているのを見ると、事実をあっさり受け入れる。


「若くてとてもきれいなお義母様ね。キールと申します。どうぞよろしく」

「さすがイーダッドの選んだヨメ。状況適応能力が高いな。素直だし。元気そうだし。気に入った」


 お義母様と呼ばれたのと、褒められたことががうれしかったらしい、オーレック様はほくほく顔だった。キールさんの頬にむちゅーと唇を押し付ける。


「イーダッドからどこまで聞いているか知らないが、私はずっとニールゲンで幽閉されていたんだ。が、このたび、イーズとイーダッドのおかげで自由になれた。これからは一家仲良く暮らしていきたいと思っている。突然来てもらって悪かったが、これからよろしくな」

「ええ。……はい」


 キールさんは、ちらりと、イーダッド様に視線をやった。


「ティルギスには、もう戻らないつもりなの?」

「あの国でしたかったことはした。もう戻る気はない」

「でも、私とオーレックはティルギスに一回くらいは行ってみたい気でいるから。そのときは、母さんも一緒に。突然だったから、ティルギスに忘れ物とかあるよね」

「二人くらい余裕で運べるからな。任せておけ」


 ティルギス行きの話題で、きゃっきゃと仲良く盛り上がる姫サンとオーレック様。キールさんは、それを横目にして、ちょっと困った顔をした。


「一家って……お義母様とあなたと私と、イーズよね?」

「他も呼ぶか?」

「いえ、イルマはもうしっかり一家の長だし、アルカは嫁に行った身だし、ヒーリットももうすぐ結婚だもの。連れてくるほうがかわいそうよ」

「そうだろうな」


 イーダッド様は結論は出たとばかりに、キールさんの荷物を部屋へと上げはじめる。


「――あなた、ちょっと話が」

「酒とつまみを用意してあるんだ。今夜は酒盛だ!」


 キールさんのお話は、はしゃぐオーレック様にさえぎられ、その後も話題に上ることはなかった。


 ……うーん? ケッコー思い詰めた顔してたケド。

 なんだったんだろう?


*****


 第一印象を裏切らず、キールさんはやっぱり働き者だった。アンカラに到着した翌朝、オイラがやるよりも早く、かまどに火を入れ、朝食の支度をはじめていたほどだった。


 そんなことなので、オイラの仕事だった家事は自然、キールさんの手に移り、家のことはキールさんにお任せになった。イーダッド様も、身の回りのことはキールさんにやってもらった方が落ち着くようだ。やっぱり、夫婦にしかない呼吸というのがあるのだろう。イーダッド様の一番の使いパシリを自称するオイラとしてはちょっとじぇらし~。


「イーダッド様とキールさんのなれそめって、なんだったんスか?」


「私、主人のお義母様――ティルギスでのお義母様よ――に気に入られていてね。お嫁に来ない? って誘われて、決まり。なれそめってほどのこともないのよね」


 キールさんは腹を開いた魚をざるに投げる。すでにざるにはさばいた魚が山盛りだが、まだ足りない。オーレック様とイーダッド様の胃袋を満たすには、十人前は必要なのだ。毎食の用意が大変なので、オイラもちょっとお手伝いしている。


「結婚は親同士が決めるモンだっていってしまえばそれまでですケド、キールさん……迷わなかったんスか?」


 歯にモノ挟まった言い方の真意を悟って、キールさんはふふっと笑った。


「言いたいことはよーくわかるわよ。あの人、不気味だものね。私、もちろんちょっと躊躇したわ。でも、自分の親に対してすごく優しい人だったから。悪い人ではないかなって思って」


「うーん、悪い人ではないかもしれませんケドー……それで決めちゃえたんですネ」


 ティルギスで、イーダッド様は身体が不自由なふりをしていた。それを補って有り余るほどの頭脳を持っていたケド、ティルギスは武勇を貴ぶお国柄だ。周りの評価が高かったとは思えない。


 もし、強い若者とイーダッド様が並んだなら、若い娘サンたちの人気は前者に集中しただろう。キールさんがイーダッド様を選んだのはかなり意外だ。


「イーダッド様から熱烈プロポーズとかなかったんですカ?」

「ないわねえ」


 のんびりとした答え。うーん? キールさんっぽくないのんびりさが、ちょっと引っかかる。他に何か理由があったんじゃないだろうか。


「そうねえ。せいぜい、お互いの両親交えて顔合わせたとき『君なら安心そうだ』っていわれたくらいかしら」

「安心?」


「あの人ね、ちょーーーーっと危ない層の女性から好かれる類なのよね。なんていうの? 『結婚してくれないなら心中してやる!』ってナイフもって襲い掛かってくるような?」


「……」


「だから、私みたいに、あの人が好きで結婚するわけじゃないタイプはよかったみたいね」


 昔、お酒の席でイーダッド様に好きな女性のタイプを聞いたら「気の強い美人は嫌だ」という答えがあった。


 理由は「決まって、私の前では矜持を投げ捨てて愛を乞い、あられもない醜態をさらしつくした挙句、心中を図ってくるから」とゆーモノだった。当時は全く信じていなかったケド……マジだったのか。


「あの独特な不気味な雰囲気に、はまる人ははまるみたい」

「キールさん、いろいろと苦労されること多かったんじゃないですカ?」

「それはもう。離縁してやる~っ! って何度思ったことか」


 やっぱり。イーダッド様にムチャぶりされている身としてとても共感してしまう。


「でも、アデカ王の頼みがあったから簡単に別れられなかったのよね」

「頼み?」


 キールさんはしまったというように手を止めたが、言葉は止めなかった。


「アデカ王に、あの人を見張っているよう頼まれていたのよ。私、これでもアデカ王の遠縁なの。どちらかといえばアデカ王側」


「見張りってことは、疑われていたってことですか、イーダッド様は」


「疑っていたと言うよりは、ただ純粋に知りたかったんだと思うわ。あの人、何考えてるか分からないところあるでしょ?

 実際、今回のことにしても核心については口を割らなかったし。

 何十年も一緒にいるのに、親友だって思ってるのに、肌着だって貸し借りしたほどの仲なのにっ! あいつはなんにも教えてくれないし相談してくれないっ! てアデカ王は拗ねていらしたわ」


 アデカ王は猛々しい武人のイメージなんだケド……結構カワイイんだな。


「見張ってたかい、ありましたネ」

「そうね。長かった……ようやくお役御免だわ」


 食堂に二人分の足音。姫サンとイーダッド様だ。今日は天気が良かっただの、そろそろあの魚が安いだの雑談を交わす姿は素朴で、気取らなくて、親子らしい。前よりもずっと。


「本当に親子ね」

「そりゃ、本当の親子すからネ」


 ははっと笑って、途中で笑いが止まった。他に笑いがない。キールさんは無言で魚をさばいている。


「イーズのお腹にいるの、ニールゲン皇帝陛下のお子でまちがいないのよね」

「まちがいないですヨ。保証します」

「本当なら、子供はニールゲンのものよね」


 ……う。

 そうなんですケド。

 所有権はシグラッド様にあるんですケド。


「でもでも。仮に姫サンの赤ちゃんがニールゲンの王宮に引き取られていったらですヨ?

 陛下が正妃をお迎えになって、御子がおできになったとき、かわいそうですヨ。肩身の狭い思いをすることになるじゃないですカ」


「そんなのあの子が正妃になれば済む話でしょう」


「いやいやいや。イーズちゃんは身代わりのお姫様だったじゃないですカ。正妃にはなれないデショ」


「身代わりだなんて、誰がわかるっていうの。ティルギス人全員が口をつぐんでいたら、わかるわけないでしょ」


「万が一ってことがありますしぃ~……」


 キールさんはかるくため息をついた。


「万に一つもありはしないわよ。ああ、もう……失敗した」


 失敗したのが、最後の魚のさばき方だったのか、それとも他のことなのか。キールさんは手を洗うと、食堂に出た。


「イーズ、産婆さんのところにはちゃんと行ってきたの?」

「うん。この調子ならもうあと、十数日くらいだろうって」

「あなたもついていったの?」


 奥サンの物珍しそーな視線を、イーダッド様はしれっとかわした。


「正当な報酬の他に、心づけを渡しておいた方が円滑にいくと思ってな。先日船で届いた品をいくつか届けに」

「手厚いこと」

「これの出産に関しては、口止め料がいるだろう?」


 姫サンは申し訳なさそうに肩をちぢめた。でもやっぱり、子供は楽しみらしい。幸せそうにお腹を撫でている。


「最近、よく動くんだ。早く外に出たいのかな」

「元気な子が出てきそうね。大きそうだし」

「母さん、産むの大変だった?」

「初産はだれでも大変よ。でも、ま、イルマは大きな子だったから余計かしら」


 姫サンが不安そうにするやいなや、すかさずイーダッド様が畳みかける。


「ファブロ城に戻るか?」

「どうして」

「城の方が安心して出産にのぞめる上に、その後も安泰だ。もし出産で万が一のことになっても、小僧に言いたかったことを言い残せる。どう考えても最良だ」

「絶対、戻らないもん」


 甘ったれた子供のようにいって、イーズちゃんは父親をにらんだ。ホント、イーズちゃんはイーダッド様には素直だよなあ。


「父さんの思うようにはさせないって言ったでしょ」

「意固地な奴だ」


 イーダッド様はあからさまにあきれていたが、イーズちゃんのきつい視線とふくれっ面を愉しそうにしていた。


 説得するのなら他に言いようがあるだろうに、わざわざ神経を逆なでするように言うのは、たぶん、イーダッド様がイーズちゃんの怒り顔や困り顔が大好物だからだろう。イーダッド様は愛情表現の仕方もねじ曲がっている。


 姫サンはぷりぷり怒って、お仕事しに二階へむかっていった。


「意外とイルマより根性あるな、あれは」

「おもしろがらない。そのうち馬に蹴られるわよ」

「馬に?」

「娘の恋路を邪魔するなんて、父親として最低よ」

「障害である自覚はあるが、邪魔はしていない。私は戻りたければ戻れと、再三いっているのだから」


 その通り。イーダッド様の言い分は正しい。

 もどらないのは、姫サンの意志だ。

 だけど……なあ。


「私はそういうことをいっているんじゃないのよ! このわからんちん! 理屈なんてどーでもいいの! 世の中には常識も理屈も理論も通り越してあなたが悪いってこともあるのよ!」


 キールさんは憤然と立ち上がった。


「話の途中だが」

「私は終わったわ。お塩買い足してくる」


 キールさんが扉を閉めると、建屋がちょっと揺れた。パ、パワフル~。キールさんってテキパキしてるから冷静なヒトかと思いきや、感情派なのネ。


「相変わらず、あれのいうことがたまに理解できない」


 女との口げんかに勝とうと思うな、といっていたのは、オイラのじーちゃんだったか。怒った女房の前で理屈をこねたって、屁をするのと同じことだっていってたな~。


 イーダッド様には理不尽だケド……キールさん、ありがとう! オイラもすっきりした!


「今日の夕食は魚か」

「エエ。塩焼きと香草蒸しと団子汁にするって言ってましたケド……この分だと、全部塩焼きかもしれませんネ」

「食えれば問題ない」


 イーダッド様は平然としている。

 振動の余波で、山盛りのざるからは魚が一匹、滑り落ちていた。


「……イーダッド様、後で奥サンとちゃんと和解しておいた方がいいですヨ」

「ほう?」

「オイラ、なーんか、とんでもない隠し玉がありそーな気がするんですよネ」


 導火線に火のついた爆弾が、ぼんやり頭に思い浮かんだ。


*****


 しばらくして、姫サンは男の子を出産した。赤ちゃんが大きくて、姫サンはかなり体力を消耗していたけれど、母子共に無事だったので何よりだ。


「名前はどうするんだ?」

「シグルド、にしようかなって」


 赤ちゃんを抱っこしていたオーレック様の目が点になった。イーダッド様も怪訝そうだ。オイラも同じ思いだ。なにせその名は……


「赤竜王の息子の名だろう。いいのか?」

「前に、シグが子供に名前つけるならこれがいいって言ってたから」

「小僧の希望か。本人がいいならいいが」

「何かあるの? その名前」


 ティルギス育ちのキールさんだけが、小首をかしげる。

 シグルド――というのはニールゲンの歴史上、有名な名前だ。初代赤竜王の息子という意味で。また、父を殺した息子として。


「……やっぱ止めておいた方がいいかなあ? 将来、非行に走るかな」

「親を越える子になって欲しいと願ってつけることもございますから。父親が了承済みなら問題ないでしょう」


 ピシリと背筋を正されるよーな口調。ヴォーダン夫人だ。お産の時からちょくちょく顔を出して、姫サンに助言したり、家のことを手伝ったりしてくれている。


「シグルドは父殺しとして悪名高いですが。母親孝行な息子としても有名です。父親不在の家庭になるならば、頼もしい名なのでは?」

「私としては、父親にも孝行な子になって欲しいんだけど……」


「うんうん。持つべきものは母親想いな子供だからな」

「再婚を嫌がっているお前のよい虫よけになるだろう」


 赤ちゃんの名前は、イーズちゃんさえ無事なら世は安泰とか思ってそーな二人によってシグルドに決定した。


 赤ちゃんはすくすくと育ち、それと同じように、イーダッド様のはじめた商売も順調に成長した。海賊のおかげで商売敵が減っていたため、運んだ荷は予想以上の高値が付いたのだ。


 商談の数をこなすごとに、品の種類も量も増え、雇う人の数も増えていった。


 オーレック様の信奉者からの借り物だった倉庫や船は、徐々に所有権がイーダッド様の手に移っていき、二年も経つ頃にはイーダッド様が完全にのっとられた。


 おそろしいことに、のっとられた方にその意識はなく、嬉々としてイーダッド様の下で働いているが。


「イーダッド様の今回の目的は、なんなんデス?」

「目的とは?」

「単純にお金持ちになりたーい、なんてコトで商売始めたわけじゃないデショ?」


 ああ~、やっぱり。イーダッド様のコワイ含み笑いが返ってきたヨ。


「そのうち、船の時代が来る」

「へい?」

「新たな土地と資源を求めて、大航海時代だ。楽しみだな」

「……」


 騎馬隊で一時代作っといて、それが終わらないうちから、今度は船? このヒトには未練とかそーゆーのがないのか?


「昔から、何かを作るのが好きなタチでな。出来上がると、一気に興味が失せる。ティルギスはもう、私が何かしなくとも、後数十年は強国として君臨するだろう」


「なるほど。お馬さんブームは、イーダッド様の中では、過ぎたんスね」


 イーダッド様はジュールマーレンから送られてきた、新型船の設計図と模型をみくらべていた。楽しそうなコト。ティルギスに戻れば、重鎮として扱われるだろうに。こりゃ本当にキョーミないわー。


「キールさん、ティルギスに心残りなこととか、ないですカ? 取ってきてほしいものとか、伝言とかないですカ?

 オイラたちの居所とか、イーダッド様のことを知らされるのは困りますケド、自分の無事を伝えるくらいだったら、手伝いますヨ?」


「バルクさん、やさしいのねえ。あの人に怒られない?」


「いちおー、オイラはイーダッド様の許可するであろう範囲で動いてますンで。ご心配なく」


「バルクさんは人との距離の測り方が絶妙よね。だからつい油断しちゃう」


 キールさんはコロコロ笑い、岩塩をけずって羊肉にふりかける。めずらしい岩塩だ。うっすら色がついている。


「めずらしいでしょ? ティルギスの岩塩なのよ」

「ですよネ。市で売ってたんですカ?」

「ええ。思わずご機嫌になっちゃって、羊を一頭買いしちゃったわ」

「そりゃよかったですネ」

「その人、また来るって言っていたから、塩とティルギスの食材を仕入れきてって頼んでしまったわ」


 まだご機嫌なご様子のキールさん。相当うれしかったようだ。


「その売り子さんはティルギスから来た人だったですカ?」

「まさか。ティルギス人でもここまでは来ないわよ。その人は、どこかの町で会った行商から買って、持っていただけ。無理いって売ってもらっちゃった」

「そりゃそうですよネ」

「今日の夕食は楽しみにしていて頂戴。うんとおいしいのを作るから」

「じゃ、おやつは食べず、うんと腹を空かせておきますヨ」


 厨房から三歩出て、はたと気づいた。結局、キールさん、伝言はよかったんだろーか?


 夜はキールさんが言っていた通り、おいしくて豪勢だった。羊肉の串焼きにやら、羊肉入りの焼き飯、羊の脳みそのスープ、羊の血の腸詰や腸と香草のあえ物など、羊尽くし。オーレック様は舌なめずりしてがっつき、シグルド君も目を輝かせていた。緑竜の子供も羊の骨をかじってご機嫌だった。


「全体的に、いつもとなにか違うね」

「ああ、姫サン、それはね――」

「塩がちがう。ティルギスの塩だな」


 スゲエ。イーダッド様、塩ソムリエか何かっすか。


「珍しいでしょ? 市で売っていたのよ」

「……そうか」


 イーダッド様は大皿の隅に散っていた塩のかけらを指先に乗せ、口に放りこんだ。ちょっと何か考える表情をした後、何事もなかったかのように黙々と食べ続ける。


「キールさんが塩を買ってきた先、調べときましょうか?」


 食後。一人夜空を見ながら晩酌しているイーダッド様に、たずねてみた。


「なぜ?」

「聞き返さなくてもいいでしょう。奥サンが塩を買った人に手紙を託すなりして、ひそかにティルギスと連絡を取らないか、心配したくせに」


 イーダッド様の目が笑う。あ、ヤベ。うっかり目が合った。ニガテなのに。この、幽霊がいそうな暗がりを思い出させる黒い目。子供のころ、夜中にふるえながら小便にいってたときの気分になるんだよなあ。


「こっそり、何を伝えると思う?」

「イーダッド様の悪行全部?」


「ティルギスにはイルマとヒーリットが残ってる。子供たちの不利になるような手紙は出さないな」

「息子さんに、迎えに来てとか?」


「私は母とイーズとキールが、ティルギスに行くことを認めているよ。わざわざ隠すことではないし、帰りたかったら、キールはとっくにここから飛び出してる」


「イーダッド様、オイラはネタ切れですヨ」

「おまえでネタ切れなら、私もお手上げだ」


 オイラの鏡のように、イーダッド様も掌を見せた。でも、イーダッド様は、オイラのように何の案もないってことはない。ただ、情報が足りておらず、可能性が低いから、いわないだけだろう。


「どーします?」

「べつに。何もしなくていい」


 イーダッド様は立ち上がって、飲みかけのグラスを渡してきた。


「近頃な。自分も、見えないだれかの盤上にいる気がしてきた」

「イーダッド様が? どしたんすか。そんな弱気なこと言って」

「最初はそれを不愉快に思った。が、だんだん、おもしろくもなってきた」

「はあ?」

「事実は物語よりも奇であった方が、おもしろい。私の作った物語をイーズが逸脱したように。何が出てくるか、楽しみだ」


 イーダッドはオイラにグラスを押し付けると、足音もなく二階へ上がりだした。


「ちょっ、イーダッド様、コレ、飲んでいいんスかー?」

「飲んで片付けておいてくれ。シグルドの夜泣きがやまない。連れて飛んでくる」

「飛んで? 余計に泣くんじゃないスか?」

「地上はるか遠くから落ちるということになっても、子供というのは意外と無邪気に笑っているものだ」

「すでに実験済みっすカ!」


 数分後、赤子を抱えた黒い大きな影が夜空をよぎっていった。


「丸くなったっていうのかねえ? しっかりおじいちゃんやっちゃって」


 ん? なんだあれ。イーダッド様の影の、さらに上。

 流れ星? にしちゃあ、動きが変なような……


「――シグルドも、飛べるようになるのかなあ……」

「うおっ! 姫サン、どーしました」


「もう文字が読めるってどういうこと? ティルギス語もニールゲン語も人によって使い分けてしゃべるし、私がつけてる帳簿の計算までしちゃうし。この上、空まで飛べるようになったら……私、私はできれば目立たない子に育って欲しいのにいいいいい!」


「姫サン落ち着いて落ち着いて! 疲れてるの? 夜泣きつづきで寝不足なの? 目の下クマできてるもんね!? とりあえず、今のうちにコレ飲んで寝て!」


 オイラはイーズちゃんの口に、イーダッドの飲み残しを流し込み、寝床に押し込んだ。ふい~、おかーさんってのはやっぱ大変だなあ。


 グラスを片付けた後、もう一度夜空を見上げると、銀の光は消えていた。

 流れ星……だったのカナ。



*****



 キールさんの行動を看過した結果が、吉だったか凶だったかといえば、それは人によってそれぞれだった。


 イーズちゃんにとっては吉だったと思う。

 オーレック様にとっては凶だろう。

 イーダッド様にとっても凶。

 オイラにとっては……まあ、よかったんじゃないかと思うので、吉だ。


 総合評価でいえば、吉と凶が半々で、プラスマイナスゼロ。すべてが無に返った。


 ある日の夜。キールさんがとうとう爆弾発言を投下してくれた。


 じつはイーズちゃんは、モノホンのティルギスのお姫様で、イーダッド様の娘じゃないという爆弾を。


 生まれたての頃、キールさんとアデカ王が結託して、入れ替えたらしい。イーダッド様に一泡吹かせるためだったという。


「意外だったわ。あなたが少しも気づいていなかったなんて」


 爆弾発言の衝撃が少し落ち着いたあと、キールさんがぽつりといった。姫サンはシグルド君と散歩をしに行って、家にはオイラたち四人しかいない。


「あなた、勘付いていたでしょう? ティルギスの塩を売ってくれた人に、私が手紙を託したこと。内容も知られていたと思っていたのに。どうして何もしなかったの?」


「さあ。銀の竜に踊らされてみたくなったからか」


「銀の竜?」


「すべては天のなすがままにってことですヨ、キールさん」


 オイラが補足すると、キールさんもオイラと同じく奇妙そうにした。イーダッド様はやっぱり変わったんだなあ。


「あの子が自分に似てないって、変だって、ちらりとも思わなかった?」

「似ていない方が、好都合だと思っていたから。気にならなかった」

「自分の子じゃなかったら一大事でしょうに。考えもしなかったなんて。結構いい加減ね」


 キールさんに言われたい放題だが、イーダッド様は黙っている。さしものイーダッド様もショックが大きすぎたのかと思っていたら、ちがった。オーレック様がくくっと笑って、息子の心情を暴いてしまった。


「たとえ自分の子でなくとも、おキールの子であるならよいと思っていたのさ。なあ?」


 これにはキールさんの大きなお目めがぱちくりした。

 イーダッド様はというと――うっひい。初めて見たぞ。この表情。オーレック様をほーふつとさせる、色気たっぷりの妖しい微笑。


「あなた、なんで私と夫婦でいようって気でいられるわけ?」

「一度、懐に入れた相手に、わたしたちはとことん弱いのでな」

「どこが。いつもどうでもいいって顔しているくせに」

「わかっていないな、嫁御殿は。この世に竜ほど情が深い生き物はいないんだぞ」


 息子の気持ちを代弁するように、オーレック様が後ろからキールさんを抱きしめ、キスをする。


 うんうん、本当に。この世に竜ほど厄介――じゃなかった、執念深い――じゃなかった、情がふかーい生き物はいないだろう。キールさんはそれをこれから思い知るに違いない。


「イーズ、遅いわね。そろそろ夕食できあがるけど、どこまでいったかしら」


「オイラ、迎えに行ってきましょーカ?」


「私も行こう。あの子は繊細だからな。自分からでは、家に戻るタイミングを測りかねてウロウロしているかもしれない。私がバーンと腕を広げて大歓迎モードで行かないとな」


「すみません、お義母様も。ずっとあの子のことを気にかけてくださって……」


「血がつながっていなくたって、あの子は私のかわいい孫娘だよ。もうこれは決定事項なんだ。いっただろう? 竜は一度懐に入れた相手にはとことん弱いんだって。

 今更ティルギスの王に返さなくたっていいじゃないかと思っているくらいなんだが」


「そうはいっても、あの子がアデカ王の孫であることは事実ですから。アデカ王は死ぬ前に一度、あの子と、祖父と孫として向き合っておきたいと願っていらっしゃるのです。お察しください」


「とりあえず、会いたいだけなのか。じゃあ、面会の後も、あの子が私たちと暮らす可能性はあるわけだな?」


「ええ。アデカ王もむりにあの子をティルギスに連れ帰ろうとお考えではないと思いますので――」


 といっている間に、お? 足音だ。姫サン、帰ってきたカナ?


「おかえりー! 姫サーン!」

「遅いから、変なヤツにつかまってないか心配したぞ~!」


 オイラたちは歓迎モード全開でドアを開け、三秒後、石になった。


 一体全体どうして。


 なんでこんな図ったようなタイミングで、ここにいらっしゃるのか。


「お客さんなんだけど……紹介、した方がいいかな」


 いらないいらないいらない。


 ド派手な真っ赤な髪に、キレッキレの金の目。もはや名刺代わりにもなるであろーその美貌。いるだけで周囲を威圧する圧倒的な存在感。


 名乗りなんて、聞くまでもない。


「もうすでに変なヤツがあああああああっ!」


 本日二度目の爆弾に、オーレック様は絶叫し、オイラは鍋をかぶってうずくまった。


*****


 その後の顛末を簡単に書くと、姫サンはシグルド君を連れ、ヘーカとお城に戻っていった。


 姫サンに自分の子供がいると知って、ヘーカが放っておくはずがない。予想通りの成り行きだ。


 姫サンもアデカ王とお会いして、自分が本当にティルギスのお姫様だったことを知ったので、戻る決心がついたようだ。もうイーダッド様にこだわる必要はない。


 イーダッド様はアデカ王に乞われ、キールさんとティルギスにもどった。イーダッド様はもう自分は必要ないといっていたものの、ティルギス内部がゴタゴタしているので、イーダッド様の力が必要らしい。


 自分の子供と、アデカ王の孫を入れ替えたことについて、イーダッド様は当然かーなーり怒っていたが。


「おかげでちゃんとおまえの本音が見えた」


 アデカ王から、すんごくうれしそうな、一点の曇りもない太陽のような笑みをむけられると、イーダッド様は黙った。んで、ブツブツいいながらも、結局アデカ王のお願いを受け入れた。


 アデカ王は、あたたかい人だった。畏れ多くもオイラは握手する機会を賜ったのだけれども、皮の分厚い手はやわらかくてあたたかくて、地に根を張っているような体の力強さが伝わってきて、とても安心させられた。


「イーダッド様がフトコロにおいれになったのも、オイラ、なんだかナットクです」

「天然の竜殺しだ。あの家系は」


 そういやキールさんもアデカ王の系譜らしいしな。うん。恐るべし、ティルギス王家。


 イーダッド様がティルギスに戻るとなると、アンカラで興したこの貿易商会は解散かと思ったが、そちらはなんと、オイラに任せられた。


「オイラ、見事につぶしますヨ? 商売なんてホント経験ないし」

「名目上は母上のものということにしておく。なんとかなるだろう」


 なるほど。オーレック様の信奉者たちが手伝ってくれるだろうから、なんとかなりそうな気がするケド。


「つぶれそうになったら、金目の物をもてるだけもって逃げればよい。退職金代わりにくれてやる」

「ヘ~イ。せいぜい、イーダッド様がアンカラに帰ってくるまでつぶさないよう粘りますヨ」


 回れ右をしたとき、くっと、小さく、イーダッド様の笑い声が聞こえた気がして、振り返った。


「なんスか?」

「いや。おまえも相当な変わり者だなと」

「そうスか? どこにでもいる、ただの村人Aっすヨ?」


 オイラが反論したら、爆笑が起きた。オーレック様が腹を抱えて笑っていた。


「……。まあ、しばらく留守を頼む」

「アンタまで笑いこらえてんのかよ」


 口調が、思わず出会った頃の口調になった。あ~、あの頃は若かったなあ。故郷ののんびりさに飽き飽きして、平凡な自分を嫌って、ちょっととがっていたっけ。


 イーダッド様の手下になって、村を出て、外の広い世界に出たときは、これで平凡な日常とはおさらば! と浮かれていた覚えがある。


 だけれども。どんな非日常だって、慣れてしまえば日常だ。最初の頃はとまどったものの、今や眼前にティルギスの元軍師サマがいよーが、ニールゲンの守護竜サマがいよーが、ありがたみも驚きもない。おかげで自分の村人A感も抜けない。結局、オイラはどこまでいってもオイラらしい。


「おまえは、故郷にはもどらなくていいのか」

「そうスねえ……もっと年取って、語りつくせないぐらいの土産話ができたら、帰ろうかと思いますヨ」


「すでに土産話は十二分にあるだろうに」

「確かにオイラ、ニールゲンでのコトを書くだけでも、本が四冊書けるっていう自信はあるんですケド」


 あるんだケド。問題は、全然信じてもらえなさそうな気がするコトだ。

 きっと村人Aの荒唐無稽なぼやきぐらいにしか思ってもらえないだろう。


「ま、それはそれでいいんですケドネ」


 信じてもらえないなら信じてもらえないで、作り話として楽しんでもらえばいい。

 老後は子供相手に、ニールゲンでのことをおもしろおかしく話して生活しよう。話の題はなんにしようかな。『村人Aのぼやき』? うん、我ながらセンスな~い。おじーちゃんつまんなーい、と言われる姿が今から目に浮かぶ。


「ではしばらく頼むぞ」

「へいっ! いってらっしゃいまし」


 イーダッド様はキールさんを抱えて空へ舞い上がった。

 その姿にふと、夜空を舞い飛ぶ銀色の竜の姿を連想した。


「そして銀の竜は――」


 お。なんかいいタイトルが思いつきそうな気がしてきたゾ。

 話の主人公は、だれにしよう。主人公がいた方が、聞いている子供たちは共感して楽しいはずだ。

 やっぱり、あの子カナ。泣き虫で臆病で、とても優しい、黒い髪の女の子。きっとみんな、ワクワクしながら聞いてくれるだろう。


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