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黒き竜は空を舞い  作者: サモト
黒き竜は空を舞い
20/44

19.

「なんだ!?」


 ティルギスの大使が、イーズたちの近くで叫んでいた。その他大勢と同じく、爆音のした方向――壁画の間をふりむく。煙が立ち上り、付近が騒然としていた。


「シグ! レギン!」


 イーズは人ごみをかき分け、壁画の間に近づこうとしたが、人の海は広く深く、混沌としていた。ともすると押しつぶされそうで、シャールが早々にイーズを安全な場所へ連れ出した。


「赤竜王の壁画の裏は、地下通路とつながっていましたよね……」

「壁画を爆破して、敵が侵入してきたんだ。早く助けに行かなくちゃ!」


 焦るイーズをあざ笑うように、今度は別の方角から爆音がひびいた。人が激流のようにあちこちへ流れ出す。


「新手だ!」


 人の流れを横切って、大使もイーズたちのところへ逃げてきた。ニールゲンでは見慣れない服装の一群がいた。全員、武装している。矢を射かけ、剣をふりまわし、ニールゲンの人々に襲いかかっている。


「あの人たちは?」

「おもにイルハラント人だな。他にも混じっているようだが。なんてことだ、国を滅ぼされた恨みを晴らしに来たらしいぞ」


 敵はそれだけでは済まなかった。さらにまた別の方角から、異国語で鬨の声がした。あちこちの地下の出口から敵が湧いて出て、人々を襲っている。


「警備隊は?」


 イーズの耳に、剣戟の音がとどいた。警備隊は動いていた。しかし、その数はやけに少ない。警備兵は一様に顔色が悪く、腹をおさえたり、吐瀉したりする者がいた。まともに動ける数が半数もいない。


「食事に何か盛られたようですね」


 シャールはイーズを自分の背後へ追いやった。だんだんとイーズたちのいる場所も安全ではなくなってきていた。大使はティルギスの外交官たちを呼び集め、動けない警備兵から武器を拝借し、迎撃の姿勢を取った。こうなっては、自分の身は自分で守らなければならない。


「他に戦力は?」

「飛竜隊が近くにいるはずです。彼らの食事は、一般の警備兵たちとは違いますから、まだ無事かもしれません。指揮を執ってきます!」


 シャールは言葉の半ばには、もう駆け出していた。大使たちはティルギス人十八番の弓術を披露して、敵を幾人か倒していた。近くにゆるく放たれた矢が飛んできて、大使がおやと目を見開く。


「運がついているぞ、アルカ。ティルギスの矢羽だ。どうやら我々の援軍が来たらしい」


 竜王祭に招かれたティルギスからの客人が、はなれたところで応戦しているのが見えた。大使たちは特殊な身振りで、言葉の代わりに意志を交わし、それぞれ動く。元々全員が戦場育ちであるだけに、こういった状況に対する対応は早かった。


「アルカ、壁画の間に行け! 君にも援軍が来たぞ」


 人を跳ね飛ばす勢いでやってくるのは、二頭の緑竜だった。イーズの肩で、ゲッゲッと子竜が鳴いている。子竜の兄弟たちも、親竜についてきていた。


「どいてください! ごめんなさい!」


 竜に騎乗していれば、周りの方がイーズを避けた。一心不乱に壁画の間を目指すが、途中で視界に黒い影を捕えた。一拍迷い、方向転換する。


「貸ります!」


 イーズは警備兵から弓と矢を奪い、つがえた。矢はみごとに、全身を黒で装った人物に的中した。黒い仮面の男――ダルダロスが立ち止まる。


「あなたのしわざね」

「私の? なんのことだか。私は、ニールゲンを憎んでいる奴らに、地下通路の地図と鍵を渡しただけだ。指示したわけではない」

「屁理屈は聞きたくない」


 イーズが本気で急所に狙いを定めると、ダルダロスも少し腰を落とした。イーズは指先がかすかにふるえた。緑竜たちがいても勝てる見込みはうすい。弱腰になる自分を叱咤するために、イーズは怒鳴った。


「あなたを絶対に許さない。覚えておきなさい、もし、シグとレギンが死んだなら、私と私の子供が、あなたに必ず復讐しに行くわ!」


 途端、ダルダロスが急にかまえを解いた。イーズがとまどうほどに、あっけなく。


「……そうか。子が」


 ぽつりと、ダルダロスがつぶやいた。飛んできた弓矢をつかみ、イーズを見上げる。


「ならば引こう」


 矢を投げ捨て、ダルダロスは踵を返した。イーズが追う間もない。人を飛び越え、木を登り、すぐに姿をくらませた。


「一体……何?」


 ダルダロスの謎の言動に、イーズは呆気にとられた。お腹を撫で、考え込むが、ゆっくりしている時間はなかった。元の方向へ転じる。


 壁画の間には、さすがに他より多くの警備兵が駆けつけ、一足早く騒ぎの終息をみていた。中から追われて飛び出てきた敵に、緑竜が火を吹くと、それが最後の敵だった。


「レギン、無事!?」


 広間の中央に、青い髪の青年が立っていた。返事は必要なかった。レギンは竜化し、青いうろこで武装していた。足では敵を踏みつけ、手では敵の首根っこをつかんでいる。


「大丈夫そうだね」

「僕はね」


 レギンは痛ましげに、広間を見回した。ひどいありさまだった。壁画は裏側から爆破され、瓦礫と化していた。そこから出てきた敵兵に突然襲われ、多くの犠牲者が出ている。マントをかけて隠されている遺体がいくつも見受けられた。


「……シグは?」


 イーズは血のにおいに鼻をおおった。レギンの視線に導かれて、壁画の方をむく。瓦礫の中に、赤い布をかぶせられた遺体が一つあった。


「僕と同じように壁画を背にして立っていたから、真っ先に下敷きになって――」


 レギンは目をそらした。聞きたくない、見たくない現実だった。イーズの声がかすれる。


「嘘だよね?」


 肩に手をおかれ、イーズは気が遠くなった。世界が暗く、無音になったが、外の歓声がそれを破る。


「――よくもやりやがったなって激怒して、地下通路から逃げていこうとした敵を追っていったよ」

「……へ?」

「この歓声を聞くに、別の出口からもどってきたんじゃないかな」


 外に出れば、飛竜隊が動いて残党を浚えていた。その先頭に、シグラッドがいる。先陣を切って敵に迫り、激しく攻めたてる。その力強い戦いぶりに、混迷していた人々も落ち着きを取りもどしていた。赤髪の王の勇姿に見惚れている。


「イーズのいう通り不死身だよ、あいつは」


 最後はおびえて逃げる敵を引っ掴まえて、シグラッドは掃討を終えた。右往左往する人々に檄を飛ばし、指示を与え、事態を収拾する。元気すぎる姿に、イーズはかえって涙が出た。


「待たせたな、レギン。こっちの勝負を再開しよう」

「その必要はないよ」


 レギンは壁画の間から運ばれていく犠牲者たちを一瞥した。投票どころの話ではない。シグラッドは困ったように、剣で肩を叩く。


「採決は延期だな」

「いいや。その必要もない。僕は、もう結果は出ていると思う」


 警備兵も召使も客人たちも、皆が見つめているのは、シグラッドだった。朝日を背にして立つ弟を、レギンは眩しそうにした。


「満場一致で、君が王だ」


 シグラッドの剣を握る手に、力がこもった。レギンは何かを覚悟して、目を閉じる。剣が振り上げられた瞬間、イーズも思わず目をつむったが、何も起きなかった。剣は空ぶって、宙を切った。


「なら、今日からおまえは私の部下だ、レギン。いいな?」


 剣が鞘に収まり、レギンは一瞬、間の抜けた表情を見せた。


「……待てよ、シグラッド。まさかそうやって終わらせる気か? 僕を消さなければ、また同じことが起こるかもしれないのに」

「また同じことが起こったなら、また勝ってやるだけだ。また私が強かったと証明するだけだ。やれるものならやってみろ」


 シグラッドは偉ぶって胸を張る。レギンから非難めいた視線を受けても、揺るがなかった。


「甘いって思っているんだろう。でも、おまえこそ甘い。壁画が吹っ飛んだ時、私をかばったんだから。なんでかばったんだ」

「なんでっていわれても――腐っても、僕は君のお兄ちゃんだからね」


 レギンは背をさする。二人はお互いをお互いに呆れた目で見た。そうして一つうなずき合って、観衆たちに顔を上げた。


「さあ、じゃあ、仕切り直しだ。ここの指揮は僕がしておくから、シグラッド、君は着替えておいで。イーズ、君も準備をしてくれる? シグラッドの皇妃役として」


 わざわざ顔をのぞきこんで意志を確認されると、イーズは緊張した。ちらりと、シグラッドの反応をうかがう。レギンがにやにやと口の端をゆるめた。


「シグラッド、銀竜様が、後で大事な話があるって」

「大事な話? どんな」

「君の将来にかかわること。ね」


 レギンに同意を求められ、イーズはうなずいた。シグラッドは妙な顔をし、そばで、シャールは何もかもわかって笑っていた。イーズが皇妃の部屋へもどるのに付き添い、支度を手伝う。


「結局、アルカ様は陛下とご縁があるんですね、きっと」

「そうなのかなあ」


 シャールが衣裳部屋から婚礼用の衣装を出してくると、イーズは頬を赤く染めた。うれしいのだが、とまどいも大きい。無理をいって別れ、またくっつこうというのだ。アデカ王に呆れられそうだ。


「アルカ様、竜王祭が終わったら、大事な話がございます」

「大事な話? シャールも何かあるの?」

「いえ、私からではなく、アデカ王から」


 汗とほこりで肌が汚れていたため、着替えの前に、シャールは湯と布を調達しに出て行った。一人残されたイーズは、深呼吸をして、鼓動を落ち着かせる。この部屋に、無事にまたもどってこられたことに安堵する。すべて終わったのだと実感した。


「……そういえば」


 イーズは床に転がっている杖を拾った。この部屋を飛び出る前に悩んでいたことを思い出す。


「なんで父上の杖に、鍵が入っていたんだろう?」


 先々代の御代が終わったのは、今から四十年ほど前のことだ。鍵がすり替わったのは、少なくとも四十年以上前ということになる。


 イーズは、はたとあることに気づいた。杖に不審そうな視線を注ぐ。イーダッドは、生きていれば今年で四十七だ。


「ダルダロスさんがニールゲンにいたのって、いつまでだっけ――?」


 自問するイーズの脳裏を、さまざまなことが駆け巡った。


 書庫にある本をすべて暗記するほど賢く、弁舌鋭かった黒竜の息子。一方、知識の塊のようにあらゆることを網羅し、大国を丸めこむほどの弁舌を誇っていたイーダッド。


 進んで目立つことはしなかった黒竜の息子と、目立つことを嫌い、常に己の活躍を隠して働いていたイーダッド。


 点と点だった情報が結びつき、さらに記憶が遡る。タタールは殺される前、ダルダロスの素顔を見て狼狽していた。逃げることも忘れ、なぜ、と亡霊を前にしたようにおどろいていた。


 ダルダロスが、あくまで自分を殺さなかった訳。オーレックが自分を実の娘のようにかわいがった訳。そして、イーズがシグラッドの子供を宿していると知って退いた訳。


 イーズの中で、すべての謎が氷解した。


 バルコニーへ出て、上下左右を見回す。本宮の塔の先端に、探していた姿を見つけた。オーレックだ。荒れた広場を泰然と見下ろしている。イーズはすぐさま踵を返し、塔の階段を駆け上がった。


「――オーレック!」


 息を切らせて名を呼ぶと、オーレックはゆっくりとふりむいた。


「そんなに急いで、どうした? 私のかわいい娘」

「孫娘、でしょ」


 イーズは泣きそうに笑った。弾む息をととのえ、つばを呑む。


「やっと……やっと。ようやく、気づいたよ。どうして黙っていたの? 私がオーレックの孫だって。ダルダロスさんが、私の死んだはずの私の父親だって」

「私はいうつもりでいたんだけどね。どうしていわなかったんだ? おまえ。私が赤竜と戦っているとき、いってもよかっただろうに」

「これが私に啖呵を切ったものですから。どうなるか試したくなって」


 どこからともなくイーダッドがあらわれた。イーズはその顔をよくよくながめた。底の知れない怜悧な黒い目、卵型のつるりとした顔の輪郭、それとは対照的な高い鼻に、うすい唇。見間違いようがない。


「死んでいなかったんだね」

「竜が炎で死ぬわけがない」


 イーダッドの背がかつてと同じように、異様に盛り上がった。衣服を突き破り、黒い羽根が飛び出す。ああ、と恍惚のため息がもれた。


「ようやく羽根を伸ばせる。恨みを忘れないようにと歩けないふりをしていた間、うずくこれをおさえるのはなかなかに大変だった」

「イーズ、私たちのことは知らなかったことにしなさい。おまえ、お腹にあの小僧の子供がいるんだろう。おまえを連れていくつもりだったけれど、おまえはここに残った方がいい」

「嫌だ。そんなこと、できるわけない。私もオーレックたちと一緒に行く」

「残れ。おまえが私たちの血縁なんてことは分からん」

「いつか分かるかもしれない。それに」


 イーズはじろりと父親をにらんだ。


「私が残れば、父上のもくろみは最初の通りに行くものね。そんなこと、させない。徹頭徹尾、父上の手のひらの上で踊らされるなんてまっぴらだ」


 イーズは子供のように意地になって、オーレックにしがみついた。渋い顔をするイーダッドに、オーレックがからからと笑う。


「おまえの負けだ、イーダッド。残念だったな」

「いつの間にこんなに聞かない気の強い子になったのやら。

 だが、そうだな。私とおまえからはじまったことなら、二人で終わらせるのがよかろうな、イーズ。おまえは私の想像以上に成長した。それが一番の収穫ということになるのだろう」


 父と娘は互いの両手を取った。始まりと終わりが出会い、すべては完結した。オーレックの渇望、イーダッドの野心、イーズの憂慮、シグラッドの傲慢、レギンの空虚、その他多くの人々の思惑と想いが二人の腕の中に閉じられた。それぞれ別にものに生まれ変わって。


「では、行くか。これからは親子三代、いや四代か、楽しく暮らそう」


 イーズはうなずき、急にしゃがんだ。広場で、シャールがイーズの姿を探していた。何の前触れもなく姿を消したので、どこへいったのかと心配している。


「三人一緒にいるのを見られたら、大騒ぎだよ」


 飛び立つタイミングを計りかねていると、急にシャールが晴れ晴れとした表情で本宮へもどっていった。笛の音がしている。竜笛の音が。


「だれが――?」


 広場をのぞき、イーズは絶句した。本宮から、白銀の衣装をまとって、自分そっくりの少女が出てくる。なめらかに竜笛を吹き鳴らし、シグラッドを連れて。


「おいおい、だれだ、あれは?」


 あまりの似ように、オーレックも狼狽する。まるで三人の動揺に気づいたように、イーズそっくりの少女はこちらを見上げた。目の色が一瞬だけ、青色に変わる。


 イーズはあっと声を上げた。同じ色だった。あの不思議な子供、シャムロックと。


「まさか……シャムロックさんが本物の?」

「よく分からんが、好機だ。行こう」

「そうしましょう」


 二頭の黒竜は翼を広げた。イーズはオーレックに抱えられたまま、地上に目を釘づけにしていた。


 演奏が終わると、イーズに扮した銀竜は笛を捨てた。シグラッドに近づき、祝福するように額に口づける。銀の光が、あたりにまき散らされる。少女の形が溶けるようにくずれ、代わりに銀色のうろこに覆われた竜の姿が造られる。人々が驚愕に息をのむ音がここまで聞こえるようだった。


「信じられない、本物だ」


 オーレックも飛びながら、何度も背後を顧みる。銀色の竜は人々の歓声を置き去り、身をくねらせて、一気に空まで駆け上がった。竜笛よりもうつくしい、高く澄んだ鳴き声が都中に響きわたる。


 自分たちとは逆の方向に去っていく銀の竜の姿を、イーズはファブロ城の景観とともに目に焼き付けた。城はどんどん遠ざかっていく。何年も過ごした、思い出深い場所。あの中で泣き、笑い、怒り、叫び、生きた。必死でもがいていた箱が、あんなに小さなものだったと思うと、イーズは不思議な感慨をいだいた。


「……さよなら、ニールゲン」


 イーズはまぶたを閉じて、黒い竜の身体に抱きついた。

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