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黒き竜は空を舞い  作者: サモト
黒き竜は空を舞い
2/44

1.

 荒れた庭にはいまだ火がくすぶり、煙が風にたなびいていた。物見高い召使たちが集まってきて、片づけをしている兵士たちに何があったかを尋ねている。最後に、救護のために運ばれていく兵を見送ると、レギンがイーズを振り返った。


「ありがとう。助かった」


 イーズは首を横にふった。正体が知られることを恐れて、あくまで声を発しないイーズに、レギンが苦く微笑する。


「でも、僕は近いうちにこの城を追い出されるだろう。民を襲う王なんて、もっての外だからね。どのみち、僕の負けだな」


 兵や召使たちは、いまだに肌をうろこに覆われているレギンの姿をおそれ、遠巻きにしていた。暴走の原因は竜涎香にあるが、何も知らない人々は、レギンが竜化の発作を起こしたと誤解していた。レギンたちの側近は、すでに全員がシグラッドたちに拘束されているため、真実は闇の中だ。


「隙を見てどこかに亡命ですな。西の属国、デリラが適当でしょう。レギン様の叔父上のお土地ですし」


 マギーがやれやれとつぶやく。レギンは近くで、青ざめた顔でへたりこんでいるローラを見やった。侍女たちが警戒し、ローラを背後にかばう。


「ひ、姫様は何も悪くありません。すべてはあの皇子が悪いのです。姫様の人の好さにつけ込んで」

「あーあー、分かった分かった。分かったからちょっと協力を――」

「マギー」


 レギンはマギーを手で制し、一歩前に出た。ローラは処罰を恐れて身を固くしたが、レギンがしたことは違った。ローラの前にひざまずくと、肩にそっと手を置いた。


「申し訳ありませんでした、ローラ王女」


 謝罪からはじまった言葉に、ローラは顔を上げた。え、と呆気にとられる。


「すべては、貴女を不安にさせてしまった僕の責任です。どうか許してください」

「レギン様……」

「皆に言われますが、僕は思い切りが足りなくて」


 レギンはローラを抱き寄せると、唇に唇を重ねた。


「……これで、僕の心を信じていただけますか?」


 まっすぐに見つめられ、ローラは顔をくしゃりとゆがめた。はい、と素直に返事をして、レギンの胸に飛び込む。安堵のあまりしばらく泣きじゃくった後は、レギンの言う通り、侍女たちと一緒に建物の中へ入っていった。


「うーん。くやしいけど、シグラッドの迅速かつ効果的かつ効率的手法が一番役立ったねえ」

「おまえ、じつはたらしの才能があるんじゃないのか?」


 オーレックが不審そうな目をすると、レギンは笑った。何か吹っ切れたような笑い方だった。マギーに向き直る。


「ローラの処罰はしない。それでいいだろう? 彼女にはやってもらうことがあるんだから」

「と、申しますのは?」

「言わなくても分かっているくせに。おまえがさっきいいかけたように、ローラ王女には僕の亡命を手伝ってもらわないといけない。デリラはクリムトに近い。ローラがいれば、クリムトの王は僕に協力してくれるだろう」


 レギンは沈着とした灰色の瞳で、淡々と語る。


「彼女とはこの先、長い付き合いになる。彼女を責めるよりは、好意を買っておいた方が得だろ?」

「ほほっ、レギン様、だいぶ先の手が読めるようになってきましたな。女性の扱い方も心得てきたようで。じいはうれしゅうございます」

「僕は悲しいよ。おまえの思考が読めるようになってくるなんて。同じ人種になりそうだ」


 レギンは天を仰いでなげいた。レギンは、もう大人しく命を奪われるつもりはないようだ。イーズはそろりと踵を返した。


「銀竜」


 静かに去って行こうとするイーズに、レギンが物言いたげに呼びかけた。決して五歩以上は近寄ろうとせず、全身をローブでひた隠し、一言も発しないこの相手がだれなのか、ちゃんと予想がついているらしい。長い逡巡の後、つらそうに問いかける。


「元の場所に帰るの?」


 イーズは無言で天を指差した。きょとんとしたレギンを、オーレックがかるくどつく。


「銀竜様は天に帰らないといけないだろう?」

「ふふ、そうだね。仕方がない」


 イーズはレギンの間近に歩み寄った。小声で、そっとささやく。


「イーズ」

「え?」

「それが私の本当の名前なの」


 レギンは動揺を隠せず、灰色の目を見開いた。だが、そう、と一つうなずいた。


「僕も君の荷物を背負えて、嬉しい。ありがとう」

「オーレック、レギンの亡命を手伝ってあげてくれる? 追っ手にティルギスの駿馬が使われでもしたら、逃げ切るのは大変だろうから」


 返事の代わりに、オーレックは翼を大きく広げ、夜空に舞い上がった。


 レギンと別れた後、イーズはローブを脱ぎ、仮面をはずし、どこからともなく現れたバルクに預けた。何食わぬ顔でまた西の棟へもどり、寝室に入る。


「ありがとう、バルク。手伝ってくれて」

「イエイエ、オイラは姫サンの味方ですから。じゃ、扉閉めたら、あっち側から扉の取っ手にまたロープかけときますから。これで姫サンが銀竜様だったなんて、だれも思わないでショ」


「密室から脱出して、杖も使わず歩いていたなんてね。想像つかないよね」

「かわいそうな姫サン。そのうち、オイラたちが出してあげますよ、ここから」

「バルク“たち”?」


 イーズは怪訝にしたが、追求する元気はなかった。押し殺していた体と心の痛みがぶりかえしてきて、イーズから思考を奪う。


「とりあえず……休もう」


 イーズはベッドに倒れこみ、シャールたちがもどってくるまでの間、うとうとと夢の世界に迷い込んだ。


 隣室にどやどやと人が入ってきたことで、泥に沈んだようだったイーズの意識はふたたび浮上した。恐る恐るといったふうに扉が開き、暗い室内に一筋の明かりが入る。


 戸口に、シャールが立っていた。切ったロープを手に持って、とまどった顔をしている。まさか監禁されているとは思っていなかったらしい。体力的にも精神的にも摩耗し、疲れ切った顔をしている主人に、息を呑む。


「……終わりました。こちらの勝ちですが、レギン様もご無事です」


 イーズは茫洋とした目で、そう、と力なくつぶやいた。


「シャール、ケガは?」

「ございません。大丈夫です」


 イーズは力を振り絞って、身体を起こした。シャールは手を震わせながら、杖を差し出した。たよりない主人の動きを支える。


 隣室では、シグラッドたちが酒瓶を開けて、祝杯をあげていた。だれもかれも、満足げで誇らしげな表情をしており、イーズとシャールに気が付くと、声を弾ませた。


「今日の一番の功労者が来た」

「お二人もどうぞ」


 ゼレイアやシグラッドの側近たちは、二人にも酒をすすめたが、イーズは首を横にふった。かろうじて微笑を作る。


「申し訳ございませんが、今日はこれで。下がります」


 イーズは一同にかるく頭を下げてその場を辞そうとした。が、シグラッドに呼び止められる。


「さっきの騒ぎでアルカの部屋が壊れた。今日は私の部屋で休め」


 シグラッドは杯を飲み干すと、イーズを抱き寄せた。今日何度目かになるキスをする。一同から、ひゅう、と冷やかす声が上がった。酒と勝利に酔った仲間たちが、楽しげにはしゃぐ。


「ははは、長かったですねえ、陛下」

「二重の意味でおめでとうございます。一度でもレギン様の手に渡ってしまったのは、さぞ口惜しいことでしたでしょうが」

「一番の戦利品ですね」


「べつに気にしてないさ。本当に名ばかりの妃だったんだから」

「と、申しますと?」

「ティルギスの女というのは、じつに慎み深いな。さっき私が触れるまで、ティルギスの姫君の御身はまっさらだったよ」


 ゼレイアたちはきょとんとしたが、やがて、さっきよりも大声で二人をはやしたてた。お熱いことで、とひとしきり冷やかした後、二度目の乾杯をする。


 イーズは無理に笑ったが、シャールだけは表情を強張らせ、蒼白になった。自分が去った後に何があったか、今、イーズがどんな気持ち全員の祝福に答えているか分かったらしい。怒りをおさえ、ふるえる声で、シグラッドに訴えた。


「シグラッド様、少しの間だけ、アルカ様を外にお連れさせてください。お疲れの様子ですから、ここでは」

「ああ、ずいぶん眠たそうだ。さっさとこの場はお開きにするか。明日もあるからな」


 シグラッドは部下たちにかるく手をふった。ゼレイアたちはすぐに杯を飲み干すと、明日の打ち合わせをしながら、その場を片付けはじめた。皆がそれぞれ散っていく中、シャールははなれずその場に留まり、シグラッドが主人の身柄を引き渡してくれることを待っていた。


「来年の竜王祭に合わせて婚儀を執り行うとアデカ王にお伝えしてくれ。私の正妃はアルカだ。元の通りにな」

「ありがたき幸せ。どうか末永くお慈しみくださいませ、陛下」


 応えたのは大使だった。シャールは頬を赤くし、怒りを見せた。しかし、シャール以上に任務に厳格な大使は、行くぞ、と強引にうながす。イーズもなされるがまま、また寝室へもどった。


「銀竜に邪魔された」


 寝台に入ってから、シグラッドがいった。イーズはほんのわずかに身体を強張らせた。そう、と慎重に返す。正体がばれていないか、不安で鼓動が早くなる。


「銀の竜が、現れたんだ?」

「今度会ったら、絶対捕まえてやる。世界に一匹しかいない幻の竜だ。二度と空を飛べないよう羽根を切り、地につないでやる。私を侮辱し、邪魔した罰だ」


 鋼のように強い腕に抱かれて、イーズはぎくりとしたが、シグラッドは銀の竜の正体に気づいているわけではなさそうだった。イーズに顔をすりつけて甘え、安心しきった表情ですやすやと眠りはじめた。


 翌朝、シグラッドはまだ薄暗いうちから起き出した。イーズはまだ疲れが残って辛かったが、なんとか起きて、朝食に付き合った。


「朝議に出るの?」

「そう。復帰第一日目だ」


 あくびを噛み殺しているイーズとちがい、シグラッドは元気だった。目を生き生きとかがやかせ、食欲旺盛に料理を平らげる。つい先日の狩猟祭で見せていたような気だるげな雰囲気は一切ない。快活そのものだった。


「……シグはやっぱり、王座にいないとダメなんだね」


 すっかり元通りのシグラッドに、イーズは目を細めた。侍女の案内で、あでやかに身なりを整えたレノーラが入室してくる。


「早いな、レノーラ。一番乗りだ」


 シグラッドが褒めると、レノーラはそつのない笑顔を作った。顔もきっちり化粧で作ってあり、一分の隙もない。


「この日にふさわしい衣装が必要だと思いまして。用意して参りましたの」


 連れの召使いが進み出て、シグラッドに衣装箱を差し出した。中には、シグラッドの髪の色にそろえてあつらえた礼服が入っていた。飾りも華やかで、王にふさわしい装いだった。侍女たちがあわてて用意した衣装よりもずっと今日にふさわしい。


「ぜひ着ていただきたいと思って、飛んで参りましたの」

「用意がいいな」

「差し出がましいまねかと迷ったのですけれど」


 レノーラからちらりと視線を投げかけられ、イーズは内心、笑うしかなかった。疲労困憊で、まだ半分夢うつつで、そんなことには少しも頭の回っていなかった。


「お着せしてもよろしいかしら?」

「ええ。ぜひお願いします」


 完璧な先制攻撃になすすべもない。イーズは黙って、レノーラの手でシグラッドが着付けられていくのを、ただながめていた。


「また貴方様が王座に座る日が来て幸せです。この日のために用意していたかいがございました」


 赤色の衣装をまとい、王者として堂々たる威風をそなえたシグラッドに、レノーラは心から満足そうにした。


 一方、イーズは、この日というのは、レギンの御代が終わる日のことかと冷めた心で考え、自分に嘆息した。身体だけでなく、心も相当磨耗している。


「じゃあ、行ってくる。まだ残党掃討が終わっていないから、しばらくはこの棟から出ないようにな」

「いってらっしゃい」


 イーズにとってはたんなる見送りの一言だったが、シグラッドは久々に聞く一言に破顔した。行ってきます、とイーズにキスをする。


 日が昇るにつれ、棟の前にはゼレイアやシグラッドの側近たちが集まった。時間になると、シグラッドはレノーラや彼らと共に本宮へと向かっていった。


「これから、どういう段取りなの?」

「昨晩の騒ぎは、レギン様の竜化が原因で、レギン様は療養が必要な状態であると発表されます。シグラッド様はレギン様の代役として王座に登られます」

「レギンは療養っていう名目で城を追い出されるってところ?」


 そうですね、とシャールは歯切れ悪くうなずく。レギンは現在、城の一室に閉じ込められているらしい。


 棟の中にもどろうとしたとき、シャールがあっと声を上げた。つられて上を仰ぐと、屋根からオーレックが飛び降りるところだった。大きく翼を広げ、宙に身を投げる。


「……きれい」


 たっぷりと背に朝日を浴びながら、黒竜はゆうゆう空に舞い上がった。体をくねらすたびに、うろこがうねる波のように陽にかがやく。シャールは昨晩さんざんな目に遭わされたため、苦々しげにしたが、イーズはちがった。そっと感嘆の吐息をもらす。


「竜は空を舞ってこそだね」


 イーズは空を舞う黒竜をまぶしそうに見上げた。


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