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黒き竜は空を舞い  作者: サモト
黒き竜は空を舞い
19/44

18.

 投票は竜王祭がはじまる前に、赤竜王の壁画がある広間で行われることになった。シグラッドとレギン、二人が演説し、それから貴族や宗主たちが投票という流れだった。


 レギンは竜王祭の前日に、城へ帰ってきた。多数の貴族や宗主たちと共にだ。


 二人の王が広場で対峙したとき、予想通り、その場の空気は張りつめた。レギンの護衛たちは武具を下ろそうとはせず、シグラッドをかこむ近衛兵たちも同じだった。


 挨拶すらも平和に終わるかどうか怪しい。シグラッドが早々に、白銀の外套をまとい、銀の仮面を身につけたイーズを、場に引き出した。


「レギン、こいつに見覚えはあるな」


 イーズはおずおずと、二、三歩前へ進んだ。シグラッドに代わってレギンと相対する。数か月ぶりに会うレギンは、肌が日に焼け、健康的な見た目になっていた。表情は引き締まり、身体も全体的に筋肉がついて、男性らしい精悍さが加わっている。


「おまえを助けた銀の竜だ。覚えているだろう?」

「それは……もちろん」

「こいつに私たちの採決を取り仕切ってもらおうと思うが、どうだ?」


 イーズは心の中で、レギンに謝った。レギンは目を瞬かせている。なぜシグラッドと別れたはずのイーズがまだここにいるのか、どうして銀の竜などと誤解されているのか。頭の中にたくさんの疑問符が乱舞していることは容易に想像された。


「レギン、私を信じていただけませんか?」


 イーズが助けを求めるようにいうと、聡明なレギンは、ひとまずすべての疑問を胸におさめてくれた。余計な質問はせず、分かった、とうなずく。


「竜の中の竜、竜王よりも偉い銀竜様に審判役を任せられるなんて、そんなありがたいことはない。ぜひお願いします」

「お待ちください、レギン様。銀の竜が公に世に現れたのは赤竜王様以降、ないことです。本当に本物かどうか、それを確かめてからでなければ」


 マギーがうさんくさそうに、じろじろとイーズをながめまわす。レギンの他の供も同じだった。不審そうにしている。


「不敬だぞ、マギー。私の命の恩人に。銀竜様が私を助けてくださったのを、おまえも見ただろう」

「存じておりますとも。しかし、その仮面がいけすかん。なぜ顔を隠す必要がある。人に見られてはまずいのかね。自由に姿を変えられるのなら、見られてもよい顔にだってなれるはずだ」

「僕が信じるというのだから、おまえも信じろ」

「かまいませんよ、レギン。私自身についての疑義も晴らしておかなければ、後々のことに響きますから。おみせしましょう」


 嘘をつくときは堂々と――イーズはそう自分に言いきかせ、潔く仮面をとった。ざわめく人々に、眉一つ動かさず、素顔をさらす。


「そのご尊顔、ティルギスの王女、アルカ殿下とお見受けするが」

「ええ、そうです。彼女の姿です。この姿でないと、私が憎くて憎くて仕方ない赤い竜王様が斬りかかってくるものですから」


 イーズの背後で、シグラッドがぎらぎらと目を金に光らせていた。多くの人々は口を閉ざす。本物の銀竜かどうかは分からないが、これをまだアルカだと主張しようものなら、シグラッドに殺されかねないと恐れをなしたようだった。


「本当に本物かのー? 見れば見るほどにアルカ殿下にそっくりで」

「そいつ、雄だぞ、エロジジイ。男の裸を見るのと一緒だぞ」


 恐れを知らないマギーだけがただ一人、白銀の外套の裾を持ち上げようとしたが、シグラッドの発言で手を下ろした。一気に追及する気が失せ、萎える。レギンがやれやれと溜息を吐いた。


「アルカは一生満足に歩けない体だったけれど、銀竜様はちゃんと歩いていらっしゃるし、シグラッドが嘘でもアルカを傷つけようとするなんてありえない。反論はないね?」


 マギーはつまらなさそうに黙り、おとなしく引き下がった。だが、亀の甲より年の功、マギーの目には鋭い光がある。老獪なマギーは、イーズが銀竜とは信じていない。ただ、イーズとシグラッドの間に、すでに何か特別な取引が成立していないことが分かったので、おとなしくすることにしたようだった。


 銀竜の立会いの下、二人の王は平和的にあいさつを交わした。投票が終わるまでの間、絶対に争わないことを約束する。主人たちの誓いにしたがって、部下たちも武器をおさめた。


「では、中へ。レギン、シグラッド、今晩は私という監視役のもとで過ごしてもらいます。よろしいですね?」

「はいはい」

「仰せのままに、銀竜様」


 銀竜に主導権を握られることを、シグラッドは渋々、レギンは諾々と受け入れた。使う部屋は、皇帝と皇妃の部屋だ。シグラッドは現在使っている皇帝の部屋をそのまま使い、レギンは皇妃の部屋を、イーズはその間の寝室に居場所を決めた。


「イーズ、でいいの?」


 イーズが仮面も外套も脱いで一息ついていると、レギンが小声で話しかけてきた。


「オーレックが、イーズが赤竜に銀竜だって誤解されて捕獲されたって騒いでいたけれど、本当だったんだ」

「オーレックと会ったの? 最近?」


「王都に入る前に、ちょっとだけね。ケガしていたからびっくりしたよ」

「うん。シグと本気の喧嘩をしてね」


「知ってる。巷で噂になっているもの。赤竜王様が守護竜様に勝ったって。オーレックは、墜落させられただけで負けたわけじゃないっていっていたけれど、あのオーレックに傷を負わせただけでも偉業だよ。よく生きてたな」

「シグは不死身だもん」


 思わず声が弾んで、イーズはあわてて口を押えた。ごめん、と頭を下げる。


「手は抜かないから。審判役、任せてくれる?」

「一番の適役だけれど、嫌な役をさせるって、こっちが申し訳なく思っているくらいだよ。本当によかったの?」


 いい、と答えようとしたものの、イーズは舌が動かなかった。固く両手を組む。


「私、本当は、あのままレギンはデリラやクリムトあたりで、静かに暮らせればと思っていたんだ。でも、結局、こうなるんだね」

「それは難しいよ。僕を今日まで生かしてきたのは、良くも悪くも、僕の味方をしてくれた人たちのおかげだから。彼らと縁を切って完全にってっていうのは難しい」


「……ごめんね」

「どうしてイーズが謝るの?」

「私には、結果を先延ばしにすることしかできなかった」


 泣き言は吐かないつもりでいたのに、レギンの前にすると、その誓いはどこかへいってしまった。涙がぼろぼろとこぼれた。突き上げてくる無力感をこらえようと、奥歯を噛む。


「怖い。怖いよ。平気でいられる自信なんてない。助けて」


 泣きたいのも、助けを求めたいのも、当人であるレギンの方だろうにと、イーズは自分の身勝手さに呆れた。泣き言をいう相手をまちがえているのは分かっているが、この不安を吐いてしまわなければ、どうかなりそうだった。


「大丈夫だよ、イーズ」


 おだやかな、柔らかい声が耳朶を打つ。あまりに意外なレギンの落ち着きぶりに、イーズは嗚咽が止まった。今までレギンに対してかけてきた言葉を、逆に自分がかけられ、泣くのを忘れる。


「いい知らせがあるんだ。聞いてくれる?」


 レギンの手が、イーズの手を包む。温かかった。不安に凍えていた心が溶けていく。


「ローラと子供ができたんだ。三か月だ」

「本当!?」

「たとえ僕に何があっても、無事に産んで立派に育ててくれるってさ。生まれるのはきっと青い竜だろうに。今から生まれるときを楽しみにしてくれているんだ」


 レギンはうれしそうに、少し恥ずかしそうに、笑みをこぼす。イーズはつばを飲みこみ、自分も頬をゆるめた。


「おめでとう」

「ありがとう」

「本当におめでとう、レギン」


 イーズは強く手を握って、もう一度言った。自分が不安に泣いていたことなど忘れてしまうくらい、うれしい事だった。レギンはようやく皇子としてでなく、一人の人間として居場所を得たのだ。それはきっと、レギンの人生で一番の幸福な出来事だろう。


「私もおめでとうっていってもらっていい? 実は私もなんだ」

「私もって、まさか」

「三か月は過ぎていると思うんだけど。よく分からなくて」


 イーズは少しふっくらしてきたお腹をなでた。レギンがあんぐり口を開ける。


「それ、もちろん、あいつは知らないんだよね?」

「もちろん。いえるわけないもの。でも、生むよ。大事に育てていこうと思ってる」


 レギンは天を仰いだ後、イーズの両肩に手をのせた。


「お願いだから、あいつが勝ったら、あいつと結婚してやって。銀竜様としてでもいいから。頼むよ。何も知らないなんて、かわいそうすぎる」

「シグがいいっていってくれたらね」


 イーズは目の端の涙をぬぐい、ちらりと背後を見た。和気藹々としている二人に、シグラッドが不審そうにしている。


「何か秘密の相談か?」

「やましいことはないよ。僕の近況をお知らせしていたんだ」

「ふーん。わざわざご報告か」

「助けていただいた身だからね。当然だろう」


 シグラッドはむくれた。敵対はしていても、レギンは一番の理解者だ。レギンまで銀竜に敬意を払っているのが気に入らないらしい。拗ねていた。


「暇だ。レギン、ボードゲームするぞ。酒もある。つまみもある。今夜は遊ぶぞ」

「緊迫感ないなあ。明日、僕ら人生の大勝負だよね? 演説の内容とか、考えなくていいの?」

「優等生なおまえのことだから、もう考えてあるだろう?」

「君が大丈夫かと思って」

「ぬかせ。私だってもう準備は万端なんだ」


 レギンは肩をすくめ、シグラッドと同じく寝台の上に座った。酒を片手に、盤上に駒をならべはじめる。


 子供の頃にもどったような二人の姿に、イーズは幸せな気持ちになった。だが、この光景が見られるのもこれが最後だと思うと、やはり辛かった。二人がゲームの途中で眠ってしまうと、少しの間、皇妃の部屋に引っ込んだ。


 不安を紛らわせようと、父親の形見である杖をもてあそぶ。杖は、バルクの部屋に隠されていたのを、シャールが見つけて届けてくれた。バルクの部屋からは、他にも、ティルギスとアスラインの協定に関する文書も見つかっている。イーズの口から裏切りが明らかになった後、バルクの部屋は徹底的に捜索されたのだ。


「でも、他に大したことは見つからなかったんだよね……」


 ダルダロスは、他に仲間がいるようなことをほのめかしていた。バルクの部屋からその手がかりが見つかればと思っていたのだが、有益な情報はなかった。バルクも近々消える予定でいたのだろう、部屋から一つもお菓子が見つからないほど、きれいに片づけられていた。


「杖と協定書を残して行ってくれたのは、きっとわざとだね」


 最後までお菓子のように甘い気遣いだ。イーズは苦笑した。ふと、手の中の杖に違和感に気づく。以前より、わずかにかるい。杖頭を取ると、あったものがなくなっていた。鍵だ。


「まずい。支度しなくちゃ」


 髪をなでつけながら、レギンが部屋に飛びこんできた。月が西に沈みかけていた。眠たそうなシグラッドを急き立て、皇帝の部屋へと送りこむ。


「どうしたの? イーズ」


 杖を手にして動かないイーズに、レギンは衣装を選ぶ手を止めた。


「……ないの」

「何が?」

「地下道の、外に通じる扉の鍵が」


 昔に一度、杖の中を見たことがあるレギンは、すぐにイーズのいわんとするところを察した。寝ぼけ眼を覚ます。


「やっぱり、そうだったんだ。その杖に入っていたの、地下の鍵だったんだね」

「やっぱりってことは、レギン、見たことがあったの?」

「オーレックに見せてもらったことがあるんだ。左の鍵は、彼女が守っていたから」

「……左?」


 イーズは懸命に、以前、地下道で鍵を挿したこと時のことを思い出した。レギンの記憶力の良さは承知だ。自分の記憶がまちがっているのかもしれないと思うが、あの時、鍵が回ったのは右の扉だった。


「本当に左?」

「左であっていると思うけどな。左は地下においてあって、右の鍵は代々、王が管理。でも、右は先々代の皇帝の御代に紛失したって、父上から聞いたおぼえがあるから」


 聞き返してきたイーズに、レギンも聞き返す。


「左の鍵でしょう? ハルミット様が地下の鍵を持っていたのなら、オーレックからもらったのでないと説明がつかないもの。二人はどうやら仲が良かったみたいだし」


 イーズは答える余裕がなかった。以前は自分もレギンと同じ推測をしていたが、杖に入っていたものが右の鍵ならば、事情は全くちがってくる。イーダッドはオーレックに会う前から、右の鍵を持っていたことになる。


「レギン、右の鍵がどうしてなくなったか、知ってる?」

「なんでも、知らない間に偽物と入れ替わっていたんだって。だから、ないって気づいた時にはもう手遅れ。犯人は分からずじまい。父上が王位を引き継いだ時に、鍵を確認して分かったから、先々代の御代の間にってことだけは分かったらしいけど」


 レギンが身支度を始めたので、イーズは一人寝室にもどった。寝台に腰掛け、事態を把握しようと必死に考える。盗まれた鍵を、なぜイーダッドが持っていたのか。思った以上に動揺して、思考うまくまとまらない。


 ただ一つ分かるのは、イーダッドの持っていたの右の鍵で、オーレックが左の鍵を持っていたのなら、この二つは今ごろ一人の人物の手に渡っているはずだ。杖を保管していたバルクの主人であり、オーレックの息子である、ダルダロスの。


「イーズも支度するよね。お待たせ。後は控室でなんとかするから、ゆっくり着替えて」

「待って、レギン。そんなことしている場合じゃないかもしれない」


 イーズは引き留めたが、侍女たちはレギンを完璧に仕上げようと切羽詰まっており、時間に厳格な侍従たちも急いていた。イーズは一人、解答を導き出すために戦う。地下の鍵。ダルダロスが手に入れたなら、どうするか。彼自身はもうニールゲンに手出しをするつもりはないのだから、使わないだろう。だが、彼の仲間なら。


 イーズの脳裏を、地下に閉じ込められていたときのことがかすめた。シグラッドが乗り込んでくる直前のことだ。だれかが松明をもって地下通路にいた。なぜもっと危険な信号だと思わなかったのかと、自分をなじる。すでにだれかが地下からこの城に忍び込んで、何かのために動いているに違いない。


「銀竜様、お支度はどのようにいたしましょう?」

「そんな場合じゃない!」


 イーズは白銀の外套も仮面も放り投げた。侍女の制止をふり切り、階下に駆け下りる。廊下は壁画の間にむかう人でいっぱいだった。外には、宮殿へ入れない人々がたむろし、採決がはじまるのを待っている。その中にシャールを見つけて、イーズは外へ飛び出した。


「シャール、手伝って! 敵がいる!」


 突然の警告に、シャールは面食らっていた。だが、イーズの表情が尋常でなく切羽詰っていることに、事態の深刻さをすぐに悟った。兵士の顔つきになる。


「どこにいますか? 場所と数は?」

「正確なことはわからない。でも、地下通路にいるんだ」

「地下に?」

「地下には外と通じている扉があるんだ。鍵がなければ開かないんだけど、その鍵をダルダロスさんが手に入れているんだよ。城内に仲間の手引きをしている可能性が――」


 イーズの台詞は、最後までいう必要がなかった。

 爆音がファブロ城を揺らした。


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