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黒き竜は空を舞い  作者: サモト
黒き竜は空を舞い
18/44

17.

 しばしの間、シグラッドは療養に専念した。その間は、側近たちも政治の話を持ち込むことを遠慮したが、ダルダロスのことだけは報告に上がった。


 ダルダロスが捕まることはなかった。兵が西の棟に押し入ったとき、あったのは偽物のブレーデンの姿だけだった。ダルダロスの荷はすべて消えており、その存在は煙のように掻き消えた。


「アスラインにも現れていないんだな?」

「今のところ。パルマン嬢をアスラインに帰らせ、見張らせております」


 ゼレイアが苦々しげにいった。レギンの他に新たな敵が増え、渋面を作る。


「危ういことになってまいりましたな。まさかこんなにも早く、ニールゲンの混乱に乗じて騒ぎを起こそうとする輩があらわれるとは思いませんでした」

「……あるいは、最初から仕組まれていたのかもしれない」


 シグラッドの目が、陽光を受けて光る。寝台の上にいても、頭の働きに変わりはない。


「私とレギンがこの城で争ったこと自体、ひょっとしたら、第三者のしわざかもしれない。だれかがレギンたちの差し金に見せかけて私を襲い、私とレギンと対立させたのかも」


「まさか」


「私を襲った犯人、結局捕まらなかっただろう。レギンの側近たちは全員ちがうと否定した。私たちは否定を嘘だと決めつけていたが、あれはたぶん真実だったんだ。互いが互いに抱いている疑心を、うまく利用されたな」


 ゼレイアの眉間のしわが、みるみるうちに深くなっていった。他の側近たちも不安そうなそぶりを見せる。


「早いところ、国を平定しなければならないな。竜王祭の返事はどうなっている?」


 側近たちは互いに目と目で相談しあった後、シグラッドに一通の書状を差し出した。幾人ものサインが連なった書状だ。


「ここに記されている名前はすべて、竜王祭の返事をしていない者たちのものです。彼らは全員、これと一緒に届けられた書状の内容に、陛下が同意を示した場合のみ、竜王祭に出席すると申しております」


「これと一緒に届けられた手紙?」


 側近は硬い面持ちで、手紙を銀盆にのせて捧げた。真っ先に目につくのは、青い封蝋だ。この国ではたった一人しか使わない色。レギンだ。シグラッドが身を乗り出し、奪うようにして手紙を取った。


「……ふふ。なるほど」

「どのようなことが? 陛下」


 気をもむ側近たちに、シグラッドは手紙を突きつけた。


「決着をつけよう、とさ。竜王祭で、貴族と宗主の投票によって、王を決めようといっている」


 側近たちは文章を目で追い、固唾を呑んだ。


「このまま二人で争う状態が続けば、ニールゲンが危うい。早いところ決着をつけよう――ダルダロスの事件を知っているかと思うほどの的確な提案だな」

「陛下、本当にその提案を受ける気なのですか?」

「こんな状況になった以上、それが一番だろう」


 シグラッドはあっさり同意を示し、手紙をたたむ。ゼレイアが血相を変え、寝台に詰め寄った。


「投票など……ニールゲンの王はあなたです。あなたほどニールゲンという国にふさわしい王は他にいない! あなたがいない国など、ニールゲンではない!」

「そうか。ならば投票でカタをつけたって、私が残るはずだな」


 シグラッドはすましていって、手を一振りした。退出の合図だ。その身ぶり一つで側近たちを鎮めるだけの威厳が、シグラッドには備わっていた。ニールゲン最強の黒竜を地に落とした今では、当然といえた。


「ダルダロスは消えたが、あの男に他に仲間がいなかったとは限らない。ニールゲンに害意を持ちそうなやつらの監視を怠るな。何かあればすぐに報告を」

「……御意」


 だれもいなくなると、シグラッドは部屋の隅を見やった。黒髪の少女がちょこんと椅子に腰かけている。


「なんだ、意外なものを見るように」

「ごめんなさい。そんなにもあっさりレギンの提案に乗ると思わなかったので、驚いて」

「私が勝ったって、ニールゲンという国が残らなければ意味がない。当然の選択だろう」

「そうですけれど」


 以前のシグラッドであれば、国がどうなろうとかまわず、王座に執着したはずだが。イーズは微笑んだ。


「投票の音頭は、銀竜、おまえがとれ。どちらかの関係者がやると、後からケチをつけるやつが出るかもしれないからな。竜の中の竜、銀の竜の名において、ニールゲンの王を決めると世に宣言するんだ」


「むこうが納得してくれますか? 銀の竜があらわれたなんて、そうそう信じてくれないと思うのですけれど」


「おまえはレギンを助けただろう。少なくとも、レギンは納得する。それで十分だ」


 イーズは気乗りしなかった。その投票で、今度こそ、どちらかは消えなければならないだろう。平気で投票を見守っていられる自信がない。だが、シグラッドはもう決めてしまっていた。


「そういえばおまえ、名前は?」

「な、名前ですか? ええと、その……あの、たぶんあると思うんですけれど」


「……あるのか! ないのか! さっさと答えろ。三秒以内だ。さーんにーいーち!」

「イーズ! イーズです!」


「イーズ?」


 勢いで本名を答えたイーズは、うつむいた。妙に気恥ずかしい。レギンやバルクたちに呼ばれてもなんともなかったのだが、シグラッドだと落ち着かなかった。自分のすべてをさらけ出しているようだ。


「ふうん。短いな。愛称でもなくて、それが本名なのか」

「変、ですか?」

「べつに。思った以上に普通でびっくりした」


 シグラッドは別段、それ以上の興味も湧かなかないようだった。イーズだけ一人、いつまでも動揺を抑えられず、心臓をドキドキさせていた。たった一度、自分の本名を呼んだシグラッドの声が耳に残ってはなれない。ずっと胸にとどめておきたくなる。


「陛下、謁見のことでご相談が……」


 シグラッドがそろそろ執務に復帰しようという頃、侍従が遠慮がちに相談に来た。内容を聞いて、シグラッドは寝台をはなれた。なぜかイーズにも支度を要求する。


「銀竜、おまえも支度しろ。あの外套を着て、仮面をかぶって、銀竜らしくな。会ってもらいたい奴がいる」

「私に、ですか?」


 シグラッドは相手がだれかはいわなかった。ひとまず侍従と、自分だけ下へ降りていった。しばらくしてから、だれかを連れて上がってくる。


 やってきた人物に、イーズは一瞬息を止めた。シャールだ。イーズの作った婚礼衣装を身にまとい、優雅に裾をつまんで、一国の姫と見まがうほどに綺麗だった。


 シャールの結婚式は、今日だったらしい。詳しい日取りを聞いていなかったので、心構えが遅れた。


「陛下、このお方は……まさか」

「そう、今、城内で話題の銀竜様だ」


 面食らっているシャールに、シグラッドはにやりと笑う。


「せっかく現れた珍しいおめでたいヤツだ。どうせなら、花嫁殿を祝福してもらおうと思ってな」


 シャールは銀の仮面をかぶった人物に、怪訝そうに首をひねった。どこかで見たことがあるというように。


 イーズは我慢できなくなって、仮面をそっとはずした。


「おめでとう、シャール」

「ア――アルカ様!?」


 シャールは口をパクパクさせて、皇帝を見上げた。


「ちがうぞ、シャール。そいつはアルカじゃないからな」

「いや、どう見てもアルカ様ですよ!?」


「ちがうんだ。黒竜にも誤解されて面倒だったんだが、アルカではなくて、銀の竜がアルカの姿に化けているんだ」

「……はい?」


「地下の宝物庫に隠れていたのを、たまたま捕まえたんだ。そうしたら、こいつが私に恐れをなして、卑怯なことにアルカに姿を変えたんだ。銀竜っていうのは、自由に姿を変えられるからな」


 異国人のシャールは、そもそも銀竜というものの存在になじみがない。シグラッドの説明をうのみにできず、疑い深くイーズを注視した。


「赤竜王様、彼女を祝福するようにとのことでしたね。

 では、少しの間、隣の部屋に移ってもよろしいですか? 祝福代わりに、彼女のドレスに刺繍を一つ入れさせていただこうと思うんです。

 少し時間がかかりそうなので、よければどうぞ他のことをなさっていてください」


 シグラッドは他にしたいことがあったらしい、すなおに出て行った。二人きりになってから、イーズは申し訳なさそうに告白する。


「ごめん、シャール。ちょっとややこやしい状況になってて」

「ちょっとどころでなく、だいぶややこやしそうですけど!? ――よかった、やっぱりアルカ様なんですね?」


 声量を落とし、シャールはかつての主人の顔をのぞきこんだ。


「バルクとダルダロスさんに地下室に監禁されていたら、たまたまシグがやってきて。とっさに銀竜のふりをしたら、こんなことになったんだ」


「すみません、何か今、突っ込みたい人名と単語が乱発されましたけど。バルクとダルダロス様に、監禁? タタールと一緒に、足を治すために城を出て行かれたのでは?」


「それは全部嘘。ようやく全部話せる状況になったから、聞いてくれる?」


 イーズは針と糸を取った。衣装を手直ししながら、事情を説明する。オーレックとバルクに裏切られていたこと、正体を知られていたこと、ダルダロスのたくらみを止めるために動いていたこと。


 シャールは目を白黒させながら事情を聞き、すべてを知ると、額をおさえた。化粧でととのえられた顔を台無しにして、顔をしかめる。


「バルク……あいつとダルダロスがつながっていたなんて。しかもオーレック様もグルなんて。予想もしませんでした、そんなこと」

「バルクは? どこにいるか知ってる?」


「最悪です。情報収集に行くといって、数日前に姿を消しました。すぐに捜索を」


「今すぐじゃなくて大丈夫。まだ内緒だけど、シグとレギンの決着が、今度の竜王祭で着くことになってる。ひとまずダルダロスさんたちのたくらみは阻止されるはずだから」


 結婚式も放り出して行動を起こしそうなシャールを、イーズは押しとどめた。糸を切り、少しはなれて出来栄えを確認する。納得のゆく仕上がりだ。


「ただ、まだ全部が終わったとはいい切れない。ダルダロスさんは”自分は”あきらめるっていって、他に仲間がいるようなことを言っていたの。何かあったときは、手を貸してくれる?」

「もちろん。今でも私の主人は、あなた様ただ一人なのですから」


 シャールはイーズを抱きしめた。昔、イーズに剣を捧げたときと同じように、信頼と深い愛情をこめて。


 作業を終えてもどると、皇帝陛下がなぜか仮面をかぶっていた。赤い竜の仮面だ。服装も謁見用の立派なものでなく、簡素なものに変えている。


「さて、じゃあ、行くか」

「どちらに?」

「結婚式に」


 療養中で暇なのをいいことに、シグラッドは部下の結婚式に参加するつもりらしい。シャールがあわてた。


「お待ちください、陛下。陛下はご療養中の御身ですし、陛下をお出迎えするような準備はまったく――」

「だから変装しているんだろうが。周りに気を使わせないようにと思って。内々の訪問だ。気にするな」


「それ、仮装ではなかったのですね」

「変装だ」


 一瞬にして見破られそうな変装だったが、シグラッドは頑固に言い張った。


 結婚式は、離宮で行われていた。花婿も花嫁も、参列者たちも、竜王祭の準備で多忙で、城からはなれられないため、シグラッドが特別に許可したらしい。


 ふだんあまり使われることのない離宮だが、この日は楽器の音や歌声や、参列者の話声でにぎわっていた。近くに来ただけで、イーズは心が浮足立った。


「お願いですから、ご無理はなさらないでくださいよ」

「分かってる分かってる。分かってるからさっさと行け。儀式の準備があるだろう」


 恐縮しきりのシャールを見送り、シグラッドはイーズの手を取った。突然あらわれた怪しい仮面の二人組に、会場がざわめく。主役たちより視線が集まった。


 だれかが正体を言い当てる前に、シグラッドは酒瓶を取って強引に参列者へ注いだ。さも一般の招待客であるかのように、酒を注いで回る。


 イーズも集中する視線の解消に困ったが、子竜に助けられた。イーズによくなついている子竜は、イーズの動作に合わせて、木の実を空中で取ったり、火を吹いたり、物を取ってきたりしたので、イーズは竜使いの芸人か何かと勘違いされた。銀竜様とたいそうな扱いを受けることもなく、会場に溶け込む。


「さあ、今日は呑んで食べて歌って踊って騒ぐぞ! 乾杯!」


 シグラッドが乾杯を叫ぶと、人々もそろって杯をかかげた。追及の出鼻をくじかれた人々は、うやむやのうちにこの二人の参加を受け入れた。婚姻の儀式が始まる前から盛り上がる。


「イーズ、踊るぞ! おまえ、歌と踊りは大好きだったろう」

「え――ええ、はい!」


 本物の銀竜がそうでは、踊らざるを得ない。イーズは踊れるか不安だったが、幸いなことに、リードが巧みだったため、困ることはなかった。


 シグラッドが巧みなのは、踊りだけではなかった。歌もだ。動き回りながらだというのに、息を切らせることなくのびやかに歌う。


 仮面のせいでくぐもってはいるが、広間の隅々にまで朗々と響かせられるほど声量豊かなシグラッドだ、いい声をしていた。腹の底から溶岩のように突きあがる生気が、声となって発散されているような力強さがある。多少音を外しても堂々としている歌いぶりは、主役たちを祝おうという気持ちがよく表れて、聞いていて楽しくさせられる。本職の歌い手たちが聞き手に回ってしまうほどだった。


「知らなかった。歌もお上手なんですね」


 儀式がはじまる時間になると、イーズは柱の影で一休みした。仮面を取って深呼吸し、シグラッドにむかって笑いかける。シグラッドの視線が顔に留まった。


「ごめんなさい、仮面を取ってはいけませんでしたか?」

「……笑った顔は、久しぶりに見たから」


 シグラッドは照れくさそうにした。イーズも一拍おいて、赤くなる。全身が甘くしびれるような感覚におそわれた。そばにシグラッドがいるというだけで、苦しいような、うれしいような、ふしぎな気持ちになる。


「ああ、はじまるな」


 祭壇に花婿と花嫁、仲人が立っていた。高らかに楽器が鳴り、花吹雪が舞う。祝福の言葉が降り注ぐ。人々の身につけた宝石が、グラスが、食器が、楽器が、すべてが陽光にかがやき、まぶしい。


 イーズは自分の身体を両手で抱いた。全身がざわめいて、そうしなければ叫んでしまいそうだった。世界をあざやかに色づかせ、光りかがやかせるこの感情を、なんというのか。


「行こう」


 八重歯をのぞかせて、シグラッドがいたずらっぽく笑う。

 イーズはようやく、自分がこの赤い髪の王様に恋をしていることを知った。


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