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黒き竜は空を舞い  作者: サモト
黒き竜は空を舞い
17/44

16.

 シグラッドのケガは、見た目はひどかったが、たいしたことはなかった。竜化していたため、肌はうろこに覆われており、やけどは皆無だった。覆われていなかった部分も、炎に焼かれると勝手に皮膚がうろこ状になり、身体を保護するようで、無事だった。ろっ骨にひびが入っていたが、他は数か所の打ち身と擦過傷で済んでいた。


「奇跡的だよお。さっすが赤竜王様。強運だよねえ」


 遠慮なしに黒く焦げた皮膚を擦り落としながら、シャムロックが感心する。


 最初は他の負傷者の手当てをしていたのだが、イーズが引っ張ってきたのだ。ゼレイアたちは最初、不審がっていたが、シャムロックの手際はよく、薬や人体の知識も豊富で、遅れてやってきたシグラッドの侍医を圧倒するほどだったので、すっかり任せていた。


「さ、終わり。後は部屋に運んで数日安静にしていれば、起き上がれるようになるよ。若いから体力あるしね。心配ないよ」


 かるくシグラッドの胸を叩くと、後は侍医に任せた。シャムロックは濡れた布で手をふき、イーズに注意をむける。


「タタールはちゃんと埋葬しておいたよ。燃やされて骨だけになって、無残に捨てられていたから」

「そう……。ありがとう」


 話してもいないのに、シャムロックは成り行きを知っているようだった。ふしぎなことだが、イーズはなぜだかシャムロックに限ってはふしぎでないことに思えて、ただ事実を受けとめた。


「タタールが死んだのは、君のせいじゃないよ。タタールはあの日、あの時、君と一緒に行けば死ぬであろうことを知っていた。でも、彼は君と一緒に行ったから」

「知っていた?」

「僕がそう教えたから」


 イーズは占いの札を取り出した。骸骨の絵が描かれている。


「僕は出会ってすぐ、彼にニールゲンにもどれば死ぬことを伝えた。そうなることが“見えた”から。でも、彼は逃げなかった」

「避けることはできなかったの?」

「避ければ、彼は君にしてあげられることが減ることを恐れたんだ。じたばたしても仕方ない、今、なすべきことをなすだけ――タタールがいっていたでしょう?」


 イーズは、西の棟へ出かけた夜のことを思い出した。あのときのシャムロックとタタールの会話の謎が、ようやく解けた。棟に入る直前、タタールが、イーズがイーダッドに似ていなくてよかったといったのは、自分が憎い男の娘のために死ぬことを知っていたからだったのだ。


「タタールの独特な歌が聞けなくなって残念だよ」

「私は一度もきけなかった」


 イーズの声はかすれた。逃げなかったタタールの強さに、心がじんと熱くなる。


 父親を殺した相手だ。すべてを許せたといえば嘘だ。しかし、彼は罪を認め、つぐなって死んでいった。イーズに逃げるなといったように、彼もまた、決して逃げなかった。


 イーズは形見となったタタールの短剣を胸に抱いた。彼の強さが、自分の一部となって生きてくれるように。


「君の中ではぐくまれている命に、彼のような一本気な強さが宿るといいね」


 シャムロックお腹を撫でられ、イーズはうろたえた。


「身ごもると、体臭や体つきが変わるからねえ。赤竜王様でも、別人だと誤解するはずだよ」


 イーズは呆けた。月のものが来ていないのは気づいていたが、心労が多いと、こなくなることもしばしばだったので、さほど気に留めていなかった。


 胸が張ったり、やけに食欲が増していているのも、妙といえば妙だったのだが、それよりも周囲のことに追われていて、気にしている暇がなかった。シャムロックの発言は青天の霹靂だった。


「今のところ、うん、順調みたいだけど。お大事にね」


 イーズはお腹に手をあて、シグラッドの方をふり返った。意識を取りもどしたらしい、側近たちと担架に乗るのらないでもめている。目が合いそうになると、イーズはあわててうつむいた。気恥ずかしさに、全身がほてる。


「どうなることかと肝を冷やしましたけれど。ともかく、黒竜を撃退できて幸いでしたわ。二度となさならいように、よくお願い申し上げなくては」


 シグラッドが担架で運ばれていくと、レノーラが争いの原因となったイーズをにらみつけた。


「パルマン嬢、ダルダロスがどこにいるか知りませんか?」

「私がいちいちあの男の行動を把握しているわけがないでしょう? そんなこと、銀竜様なら当然ご存じのはずでは?」


「金の仮面をかぶったあの子は? 棟にいますか? 早く捕まえないと。あの子はブレーデンではありません。ダルダロスの奴隷です」

「……なんですって?」


「ダルダロスは自分が都合よく操れる奴隷に、ブレーデンのふりをさせていたんです。アスラインを乗っ取るために」


 ダルダロスはあきらめるといっていたが、信憑性のほどは不確かだ。それに、ブレーデンが同じように利用されることを防ぐ必要もある。イーズはダルダロスの計画の一部を暴露することにした。


「ブレーデンは第三皇子。王位継承権を持つ。シグラッドとレギン、二人の王位継承に異議を唱え、王に立てる気でいるんです」


「そんな――何のために、あの男」


「ニールゲンを分裂させ、崩壊させるためです。ニールゲンに恨みを持つ者など、いくらでもいる。繁栄の裏には多くの怨嗟が張り付いているのですから」


 とげとげしかったレノーラの態度が、揺らいだ。ゼレイアも身を乗り出し、口をはさむ。


「ともかく、銀竜様の話を確かめてみましょう。本当だったら、大変なことです」


 ゼレイアは部下を数人呼びつけた。その影で、イーズは火鼠の外套を脱ぎ、銀竜の仮面と共にレノーラに差し出す。


「……何?」

「代わりをお願いしたくて。自由に動き回りたいものですから」

「嫌よ。私も私で忙しいの。不届者を捕えて宗主になる好機、逃がしてなるものですか」


 ダルダロスに言い負かされたことが原因だろう、レノーラの目は激しく燃えていた。


「皇妃は嫌ですか? これを着ていただければ、たぶん、皇妃の役が自然と回ってきますけれど」


「後よ。あのダルダロスとかいう男を倒したり宗主になるのは、今しかできないけれど、あなたを追い出すのはいつでもできそうだもの。首を洗って待っていなさい」


「……さいですか」


 かなり侮られているが、すでに気迫負けしているイーズは、そっと外套と仮面を引っ込めた。どんどん集まってくる見物人たちから顔を隠すため、また外套を羽織り、仮面をかぶる。


「恐縮ですが、銀竜様。お使いいただいていた部屋はこの通り、めちゃくちゃになってしまいましたから、こちらへどうぞ」


 ゼレイアが案内したのは、皇帝と隣り合ってある、皇妃のために作られた部屋。イーズが元いた部屋だった。竜王祭が近づいてきており、城内の部屋数に余裕がないためというが、イーズは難色を示した。


「いっそ牢屋でもかまいませんよ。皇帝陛下がお怒りになられそうですから」

「いえいえ、そんなことをした方が、陛下に殺されます」

「そんなことないでしょう。私、嫌われているのですから」

「ちがいますよ。嫌いだといっていなければ、嫌いにならなくなりそうなので、そういっているだけです。結局、あのお方は銀竜様が気になって仕方ないんですよ」


 ゼレイアはさあさあ、とイーズを部屋に中へと押した。


「大変お手数をおかけしますが、陛下を見張っていてくださいませんか。先ほどの戦いで分かるように、陛下は結構な無茶をなさる方なので。ケガが治るまでは、ベッドをはなれないようにしていただきたいのです。先ほども担架に乗る乗らないでもめて」

「そんな。私では止められるかどうか」

「銀竜様で止められなかったら、私どもでも無理です。どうかお願いいたします」


 イーズは半ば押し切られる形で、扉の中へ入れられた。


 部屋は、出て行った時とほとんど変わりなかった。カップだけは片付けられていたが、使い途中の裁縫箱はそのままの形で残され、椅子にかけてあった膝掛けもそのまま。部屋を埋め尽くした財宝だけは位置を変え、ガラクタのように、隅や他の部屋においやられていた。財宝がなければ、自分がここから去って行ったことを忘れてしまいそうなほどだ。


「……変な感じ。またここにいるなんて」


 イーズは椅子の背をなでた。軟禁という形でまたこの部屋にいるというのに、心持は以前と全くちがった。今度は自分の意志でいるのだということが、気持ちに余裕を持たせていた。


 いったんは椅子に座ったイーズだったが、やることもない。ゼレイア頼みを果すため、寝室の扉を開けた。


「あれ……?」


 ベッドの上を見て、イーズは小首をかしげた。あるはずの姿がない。ここでは寝ていないのかと思ったが、少し乱れた夜具が人のいた名残をとどめていた。


 嫌な予感をおぼえ、イーズはさらに奥へとつづく扉を開けた。次はシグラッドの書斎だ。両側に本棚がそそり立ち、窓には地図が貼られているため、実際よりも狭苦しく感じる。ここにもシグラッドの姿はなかった。床に散らばっている紙屑やピン、模型、各国の通貨などを踏まないように気をつけて、前へすすむ。


 次の扉を開ける前に、イーズは扉に耳を張りつけた。かすかに、くぐもった声が聞こえた。何かをこらえているような、押し殺した声だ。


 扉の隙間から、おぼえのある甘ったるい香りがする。イーズはたまらず、扉を押した。


「何を……」


 部屋には、竜涎香の香りが蔓延していた。香炉を前に、シグラッドが床にうずくまってギラギラと金の目を光らせている。満身創痍の身体の中で、目だけが異様な生彩を放っていた。


「何をしているの? どうして竜涎香を」

「ソノ方ガ治りが早イ」


 今まで聞いたことがない、化け物じみた声だった。オーレックが完全に竜化した時に似た声だ。イーズは固唾をのんで、シグラッドの全身を凝視した。竜化が今までになく進んでいる。


「竜化シテ、元に戻れバ、火傷モ、骨折もほとんど戻ル」

「……やめなさい」


 イーズの声は凍えた。健康で元気な時ならまだしも、シグラッドは全身に傷を受けた後だ。弱っている。竜の血が制御できず、暴走すれば、竜の血は身体を蝕み、傷は広がるだけだ。ブレーデンのようにもとにもどれなくなる可能性だってある。


 いや、現にそうなりかけていた。一部のうろこの間から、血がにじんでいた。時折、シグラッドが身をこわばらせ、うめく。眉間に刻まれるしわは深く、痛みの程を物語っていた。


「なんて危ないことを」

「邪魔するナ!」


 イーズが香炉を遠ざけようとすると、シグラッドに手首をつかまれた。折られるかと思うほど強い力だった。


「何をそこまで」

「寝てイル暇なんてあるカ。一度でも負けタラ、弱みを見せたら、終わりダ」


 イーズは香炉を取り落した。が、足で蹴って遠くにやる。扉の前に立ちはだかると、シグラッドは苛立たしげに咆えた。


「ドケ!」


 扉が揺れた。ギギギ、と木目に深い爪痕が刻まれる。


「強ケレバ何を奪われることもナイ。失ウコトモない。負けたくナイ。負ケたくない。負ケタクナイ」


 うわごとのようにつぶやくシグラッドは、目の焦点が合っていなかった。痛みに腰を曲げ、拳を握り、それでも膝はつかない。気力が身体を支えていた。


 イーズはオーレックの自嘲を思い出した。だめだと分かっていても思い止まれない。たとえ先に破滅が待っていたとしても突き進む。それが竜だと。シグラッドの勝利への強欲、貪欲、執念。今、それを断ち切らなければ、自滅は時間の問題だ。


 イーズは服の隠しから藍色の香を取り出した。すりつぶすように手の中でもてあそぶ。体温であたためられ、かすかだが香りがたった。その手をシグラッドの顔に近づけ、やさしくささやく。


「大丈夫、大丈夫、大丈夫。あなたはオーレックを倒した。最強のニールゲンの守護竜を。だれもあなたを弱いなんて思わない。あなたの名はニールゲンの歴史に輝かしく刻まれることでしょう」


 硬い髪をなで、背をさすり、うろこにおおわれた全身を強く抱きしめる。人の肌のやわらかさを、あたたかさを伝えるように。徐々に、シグラッドの身体から力が抜けていくのが感じられた。


「眠りましょう。あなたに必要なのは、休息だわ」


 だんだんとシグラッドの身体がかたむき、膝が床につく。イーズはしっかりとその身体を抱き留め、頬を寄せた。爪を立てられても抵抗しない。自身をなげうつ気持ちで、シグラッドの中に両腕に抱いた。


「……負けたくない、か」


 竜化がおさまっていく。イーズは、赤子のように自分の膝にすがっている赤い竜の王を見下ろした。


「あなたは本当は、とても弱くて、臆病なのね」


 イーズは愛おしさをこめて、シグラッドの頬をそっとなでた。


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