14.
オーレックがおとなしくなると、シグラッドたちは退出し、イーズの銀竜としての生活は続行された。オーレックはなんてことだと右往左往していたが、イーズは落ち着き払っていた。居住まいを正し、オーレックに向き直る。
「それで、オーレック」
「なんだい、私のかわいい娘」
オーレックの表情が引きつった。イーズの声はいつもより低く、温かみがない。
「本当に私よりかわいい息子の頼みで、シグとレギンを仲たがいさせるのに協力したの?」
イーズが核心に切り込むと、オーレックは言葉に詰まった。明らかに狼狽する。
「どうして知った? まさかダルダロスのやつがばらすはずはないし」
「シグを襲った犯人については、自分で気づいたんだよ。ダルダロスさんとオーレックが親子だっていうのは、本人から聞いた」
尋問するにつれ、イーズはだんだんと辛くなってきた。目に涙がこみ上げてくる。
「いったい私、オーレックにとってなんだったの? 私がシグとレギンに争って欲しくないって思っていたこと、オーレックは分かっていたでしょ? なのに二人を争わせて……私のことが大事? 嘘ばっかり」
「嘘じゃない。あの二人が争えば、どさくさに紛れておまえの身を自由にするチャンスができると思ったんだ。おまえのことも大事だからこそ、やったんだよ。
それに――私がいっても卑怯な言い分にしか聞こえないだろうけれど――私たちがけしかけなくても、あの二人が争うのは時間の問題だった。
レギンは和合の道を探していたが、エロジジイたちにその気はなかったし、赤竜の方も妥協策に限界を感じていた。
遅かれ早かれ起こること。なら、早く起こしまえと思った。自由を謳歌する時間は、長い方がいいからね」
「ニールゲンのことは、国のことは考えなかったの? ダルダロスさんはシグとレギンを争わせて、ニールゲンを乱す気でいるんだよ。オーレックはそれでいいの? 自分が守ってきた国じゃないの?」
「あいつ、そこまで考えていたのか? 私に頼みに来たときは、まあちょっと嫌がらせしてやりましょう的なノリだったんだけどな」
「知らなかったの!? このままいったら、ニールゲンはダルダロスさんに分割されてバラバラになっちゃうんだから!」
「ははは、あいつなら確かにやりかねん」
「笑いごとじゃないよ。子供が悪いことしようとしているとき、止めるのは親の役目でしょ? 何とか説得してよ、オーレック」
イーズは詰め寄ったが、オーレックはうーんとうなり、気乗りしない様子だった。気弱な表情をする。
「分かってるんだけどなー。生まれた時から私のせいで苦労させているから、強気な態度に出られなくてなー」
「オーレック、いくらかわいくたって、いうときはいわないとダメだよ」
イーズに叱られ、オーレックはしゅんとうなだれた。御年六十幾つの貫録も、最強竜の威厳もどこへやらだ。いじいじと指先をこねまわす。
「オーレック、説得できないなら、私、今までのこと全部、シグたちに話すよ。オーレックが帰ってくる直前、話そうとしていたくらいなんだから」
「う……。わ、分かったよ。そんなことなら、一度説得してみるから。黙っていてくれ。私はおまえやダルダロスと一緒に暮らせたら満足なんだ。ニールゲンをどうこうしようとは思っていないよ」
オーレックはイーズを抱きしめ、頭のてっぺんにキスを落とした。何度も何度も。イーズが身じろぎしても構わない。
「ああ、幸せだな。こうやって明るい日の下で、堂々、会いたい相手と会えるなんて。夢のようだ。私の念願がようやく叶った」
「オーレックの念願って、そんなことだったの?」
「そんなことってなんだ。大事なことだぞ」
「ごめんなさい。でも、オーレックぐらい強いなら、もっとすごいことを願えそうなものだから」
「はは、確かに昔はそうだったよ。若いころ、私は勝利を、血肉を、命を求めた。数多の男を抱き、町を破壊し、財宝を略奪した。いつも何か物足りなくて、骨の髄までしびれるほどの刺激が欲しかった。食べても満たされない腹を抱えているようだった。
でも、禁を犯して子供を孕んだ時、私は初めて満たされた。母性というのは恐ろしいな。私はやがて自分が今までしてきたことの無意味を悟った。
私にはもう、血も闘争も男も財宝も必要なくなったんだ。一生、自分の愛した男と子供を守って生きていこうと落ち着いた。人の一生に必要なものはそう多くない」
オーレックは最後にイーズの頬に音を立ててキスをして、名残惜しそうにはなした。窓を開け、翼をひろげる。
「では、おまえの言いつけを果たしに行くとしよう。またね――イーズ。おまえをこの名で呼べる日が来て、本当にうれしいよ、イーズ。私がいない間、赤竜にいじめられないかが心配だ」
「じゃあ、いじめられないよう、早くもどってきて」
「努力するよ」
黒竜と皇帝の争いは、宮廷の話題にのぼったようだった。混乱を避けるために、銀の竜を捕まえたことは秘密にされていた。しかし、この騒ぎのせいで一気にひろまってしまった。そのため、イーズの監禁されている部屋の近くを、かわるがわる人がやってきては、銀の竜を一目見ようとうろうろするようになった。
ゼレイアは見張りを増やしたが、隠されるとよけいに知りたくなるものだ、やってくる人の数は変わらなかった。次第に酒や食べ物や花など、捧げものを持ってくるものが出る始末で、銀竜を毛嫌いしている皇帝の柳眉をひそめさせた。
「なんか私が食べているものより、いいもの食べてないか? こいつ」
「そんなことは。皆、陛下のお食事にはこれ以上のものをご用意しておりますとも」
「そういうおまえも何もってんだ、ゼレイア」
「は。私の屋敷で採れました野菜です。最近、土いじりに凝っておりまして。はじめたばかりの素人で、お粗末ですが、今回、自分としては納得のゆくものができましたので、銀竜様にも召し上がっていただこうかと思いまして……」
「ある意味私の食事以上に凝ってるだろ」
シグラッドはかごから一つ野菜をつかむと、バリボリとかじった。にっくき相手をにらむ眼光はいまだ衰えない。一日一度はかならずイーズをにらみに来る。
「ちょっとした騒ぎになっているんですね。すみません」
「謝るな。自慢に聞こえて腹が立つ」
「……」
イーズは黙って、酒やパンや料理を提供した。ともかく、相手の怒りが収まるまで待つしかない。シグラッドはここのところ、とみに機嫌が悪い。情勢が不安定な上、竜王祭が近づいてきて多忙であるため、苛々している。
「何か私にできること、あります?」
「おまえ、この中でどれがいいと思う」
シグラッドは何枚にもわたる名簿をイーズに押し付けてきた。すべて女性の名前だ。
「次の皇妃候補のリストだ。今度の竜王祭のとき、私の隣が空席ではかっこうがつかないから選ぶという話になったんだが、正直、どれも一緒だ。おまえ、適当にだれか決めろ」
「適当にって……」
イーズは途方に暮れる気持ちで、紙をめくった。由緒正しい家柄で、皇妃になるのに問題ない淑女の名が連ねられているが、どれもこれも甲乙つけがたい。言い換えてしまえば、シグラッドのいう通り、どれも一緒だ。
「どうして私に任せるんです?」
「あっちを立てれば、こっちが立たず。だれかを選べば、その他からは必ず不満が出る。ただ、銀竜様のご託宣で決まったといえば、私たちに対しては、不満は出ないと思って」
シグラッドは涼しい顔で厄介ごとを銀竜様に押し付けた。酒を一気に飲み干し、またなみなみと注ぐ。
「どいつもこいつも。私が人らしい感情がないと勘違いしているんじゃないのか? 別れた途端、すぐさま縁談押し付けてきやがって」
「陛下が職務に忠実なお方だと信頼しているからこそですよ。必要とあれば、私情を切り離して行動なさる方だとね」
ゼレイアはさりげなく酒瓶を主人から遠ざけたが、すぐに取り返された。彼の主人はかなりすさんでいた。
「この方は、いかがですか?」
イーズは名簿の中の、一人の名を指差した。すぐにシグラッドが、ああ、とうなずく。
「レノーラか。妥当な線だな。側近たちも一番に推した」
「お家柄もご器量も才知も申し分ないお方ですからね。陛下とのご相性も……悪くはないでしょう?」
「悪くは、な」
ゼレイアの慎重な物言いを、シグラッドは揶揄するように繰り返した。
「レノーラと私は似た者同士だ。目立ちたがり屋で野心家で負けず嫌いで。だからお互い、相手が何を考えているか、何が欲しいか、何を目的としているか分かる。だからこそ、衝突することもあるし、許せなくなることもあるわけだが」
イーズのことで言い争ったことを思い出してだろう、シグラッドは渋い顔をする。
「でも、話していて楽しいのは、レギン並みだ。アルカと会っていなかったら、真っ先に皇妃に選んでいただろうな。頭脳も度胸も容姿もやる気も申し分ない」
シグラッドの表情は素直で、取り繕ったところがなかった。心からレノーラをそう評しているらしい。
自ら勧めたのだが、そうなると、イーズはしょんぼり落ち込んだ。自分がシグラッドから、レノーラのような評価を受けることは絶対にない。シグラッドが当初、レノーラのような気が強くて打たれ強い相手を望んでいたと心得ているだけに、なおさら堪えた。自分がシグラッドのそばにいられたのは、シグラッドの温情と、母国ティルギスの価値によるものだったと強調されたようなものだ。
「じゃ、じゃあ……いいですね。決まりましたね、竜王祭で隣に座っていただく方」
「いいと思うか?」
「私に聞くんですか? あなたが」
その昔、銀の竜に自分の運命は自分で決めると啖呵を切っているシグラッドは、ふん、と鼻を鳴らした。
「分からないやつだな。だれかの絶対的な言いつけでなければ納得できないくらい、本当は嫌だってことだ」
シグラッドは乱暴に目録をゼレイアに投げつけ、また酒杯をあおった。酔いのあまり、自分の心が誤ってくれることを望んでいるような飲み方だ。
「おまえが悪いんだぞ、銀竜」
「私が悪いんですか?」
「そうだ。全部おまえが悪い。結局、取り上げるくらいなら、どうして私をアルカに引き合わせたりしたんだ」
いいがかりである。八つ当たりである。しかし仕方ない。なにせシグラッドはめずらしく酔っていた。
「ずっと大事に守ってきたのに。なんで」
片手で目元を覆い、だれに聞かせるでもなく弱音を漏らす。
「いっそ何も知らない方が良かった。一人でいればよかった。二人でいる楽しさを知らなければ、今、こんなに苦しまずに済んだのに」
シグラッドの手から、酒杯が落ちた。
イーズは思わず手を伸ばしたが、肩にふれる前に、シグラッドは顔を上げた。表情はいつも通り、冷静だった。為政者として冷静な判断を下す。
「空席でいくか。だれかに決めれば、他から不満が出るのは必死だ。レギンにつこうか、私につこうか貴族どもが迷っている状態で、だれかを特別引き立てるのは危うい」
「……陛下、私、よいことを思いつきました」
「なんだ、ゼレイア」
「いっそのこと、銀竜様にお相手をお願いしては? 今度の竜王祭で、銀竜様に陛下の皇妃として出ていただくのです。そうすれば、だれも文句の言いようがございませんし、だれもが誇らしく思うことでしょうから」
シグラッドがあんぐりと口を開けた。とんでもないと、思い切り顔をゆがめる。
「絶対嫌だ。こいつが一生隣に座るくらいなら、案山子を置いておいた方がましだ」
「何も一生とは申しておりませんよ。今度の竜王祭で、一度だけ、特別に、銀竜様に役を務めていただくのです。あくまで役、ということで」
ゼレイアはまあまあと、いきり立つ主人をなだめる。
「銀竜様が陛下のお隣にいらっしゃれば、世間は自然、陛下こそ真の王だと思うことでしょう。三日の我慢です」
計算高いシグラッドは、表情を改めはじめた。顎に手をあて、考えはじめる。もう一押しと、ゼレイアは言葉を重ねた。
「中身は銀竜様でも、外見は完璧なアルカ様。さぞお似合いになることでしょうね、アルカ様のためにご用意していたあの婚礼衣装は」
「……。まあ、一度、ためしに」
「そうですとも。まずは試しにお着せしてみましょう。きっと三日間、我慢できる気がしてきますよ。
いかがでしょうか? 銀竜様の方は。ご協力いただけませんか?」
「えっ……と、そうですね」
まさかの展開に、イーズは返答につかえた。できれば、公の場に出ることは遠慮したい。だが、役に立つと約束した以上、あからさまに断るのは気が引けた。頭を一ひねりする。
「お役に立てるのなら立ちたいのですが、じつは私、雄なんです。それでもかまわなければ、になりますけれど」
「なんだと? 早くそれをいえ」
予想通り、シグラッドはまた顔をしかめた。
「そうですよね。やっぱりそれだと嫌ですよね――って、え? あの、なんで手枷?」
「当たり前だろう! ベタベタベタベタ、おまえがアルカの身体に触って楽しんでいるかと思うと虫唾が走る」
「論点ずれてません!?」
「ついでに目隠しもしてやる、このエロ竜! 着替えのときとか、湯あみのときとか……何見ているんだ変態が!」
「見て喜んだりしてませんけど!?」
「信用できるか。男なんて全員ケダモノだ!」
シグラッドは抵抗するイーズを床に抑えこんだ。
そのとき、窓から、オーレックが飛び込んできた。イーズに呼びかけようとした口の形のまま、固まる。足枷だけでなくなぜか手枷までされ、目隠しまでされ、床に押し倒されている愛娘の姿に唖然とする。
「黒蜥蜴、誤解するな。ちがう」
シグラッドがはなれたが、もう遅い。オーレックは怒りを爆発させた。
「――このド変態ケダモノがあああああああ! 二度と不埒な真似ができないよう去勢した上で八つ裂きにして灰にして海に撒いてやる!」




