13.
本宮で人通りの少ない一室に、イーズは入れられた。鎖の先は壁に固定されたものの、扱いは丁寧だった。ゼレイアのおかげだ。
傍若無人な皇帝とちがい、将軍は銀の竜に対して畏敬の念を持ち合わせていた。日に三度食事を出し、クッションをいくつも敷いて即席ながら寝床を用意し、まめまめしく様子をうかがいに参上した。
「そのお姿になられたからには、ご存知かとは思いますが、陛下は妃殿下と離縁なされたばかりでご傷心なのです。
このような、銀竜様をも畏れぬふる舞いも自棄になってのことだと思います。どうか寛大なお心でもってお許しください」
ゼレイアは果物ののった金の器を捧げ持ち、平に平に謝罪する。
「早く陛下に運命の赤い糸、いえ、鎖でがっちり結ばれているような相手が見つかればよいのですが……」
「……」
イーズは鎖つきの足かせを、そっとみやった。しゃれにならない。
「またこんなところで油を売っているのか、ゼレイア」
ノックもなしに皇帝が入ってきたので、ゼレイアはあわてた。金の器から果物が転がり落ち、シグラッドの足先にあたる。主人ににらまれると、ゼレイアはしどろもどろに弁明した。
「いくら銀竜様といえど、食事をなさらなければ弱ってしまいますから。致し方なく……」
「ふん、餌か。おまえ、銀竜がこんなものが好きだとでも思っているのか?」
「陛下は銀竜様の好物をご存じなので?」
「もちろん」
シグラッドは尾っぽをつまんで、ネズミを差し出した。
「もとは竜だからなあ。こういう生き餌の方がいいだろう? それともこっちのトカゲの方が好みか? どっちも取りたて新鮮産地直送だ、感謝しろ銀竜。ほーらほーら」
「陛下、お止めください。そのような無体は」
イーズがネズミとトカゲで両頬をビンタされていると、小さな影が飛び出てきて、二つともさらっていった。地下にいた子竜だ。知らぬ間に一匹だけついてきており、イーズのそばをちょろちょろしている。
シグラッドは子竜を足先ではじくと、クッションをいくつも奪って、その上に座った。銀竜様のためにと用意された食事を食べだす。憎き敵の糧食を奪おうという魂胆らしい。子供じみた嫌がらせだが、少しでもやり返さなければ気が済まないという気概が見えた。
「べつに、あなたが憎くて邪魔をしたわけではないのですよ」
イーズは困り顔で、シグラッドの銀杯に酒を注いだ。
「私は私なりのやり方で、ニールゲンのためになることをしたかった。その方法が、結果として、あなたと敵対することになってしまっただけで」
「どうだか。夢の中で、わざわざ私は死ぬ運命にあるなんていってきたくせに」
「あれは――そういえば、負けず嫌いのあなたなら、きっとやる気を出すと思ったから。これから死ぬ人にそんなこと、わざわざいいません」
真実はどうか知らないが、イーズは懸命に弁明した。シグラッドはむっつり口をへの字に曲げ、注がれた酒をあおる。
「……まあ、楽しみにしていろ。おまえにはしっかり私の役に立ってもらうからな」
「私のすること、決まりました?」
「どんな無理難題を押し付けてやろうか、考え中だ」
シグラッドは愉しげに、意地の悪い笑みを浮かべた。そうそう積年の恨みは晴れないようだ。イーズはダルダロスについて話すことをためらった。
「そんなに意地悪なさらないで、放して差し上げればよろしいのに」
戦々恐々とするイーズの前に、女神があらわれた。レノーラだ。ひだをたっぷりと取った裾が、イーズの前でゆれる。
「自由に世界を旅する銀竜様を地につなぎとめては、おかわいそうですわ」
「なんだ、レノーラ。おまえも銀竜派か」
「陛下ほど信頼しているお方はおりませんわよ。銀竜様へは人並みに」
言葉は好意的だったが、レノーラの視線は冷たかった。疑いと敵意に満ちた視線がぐさぐさと突き刺さってくる。銀竜に対してシグラッドよりも冷静なレノーラは、正体を疑っているようだった。
「他のお姿には、なれませんの?」
「なぜです?」
「陛下がご不快がっておいでですもの。なにもそのお姿でなくともよいと思いますけれど?」
じりじりと身を焦がしそうなほど強い視線だった。銀竜ではないとばれたが最後、レノーラに即座に抹殺されることだろう。イーズは内心、冷や汗をかいていたが、素知らぬ顔でにこりと笑った。笑顔という名の無表情だ。ダルダロスに対して憤りを募らせているであろうレノーラなら、シグラッドよりも簡単にイーズの話を信頼してくれそうだ。
「パルマン嬢、あなたに知らせしたいことが――」
「失礼いたします、陛下。黒竜があらわれました!」
側近の一人が、早足に入室してきた。イーズの発言は自然、なかったことにされた。全員の注意がそちらへむく。
「黒竜は、陛下からの赦免状を受け取った、条件を呑んでレギン様の手伝いはやめるといって、陛下との面会を求めております。いかがなされますか?」
「今更だな。黒蜥蜴め、何か月に条件を出したと思ってる。今頃来たのは、奇襲のためじゃないのか?」
「害意は一切ないとのことですが――あ」
話の途中で、本人が扉を蹴ってあらわれた。近衛兵を尾の一振りで外へ追いやり、シグラッドたちに気さくにあいさつする。
「久しぶりだな、赤竜。なんだ、そんなに睨むなよ。もう敵じゃないんだから。おまえの赦免状は受け取ったぞ。もうおまえらの争いに手出しはしないから。安心しろ」
「よくもまあ、いけしゃあしゃあと。おまえに赦免を与えたのは、何か月前の話だと思っているんだ?」
「あちこちへレギンの伝令役として飛び回っていたものでな。あの子が私にその赦免状を届けてくれようとしていたのを知らなかったんだ。悪かったな」
「嘘つけ。私とレギンの争いを大きくしたくて、わざと無視したんだろう。去り際に後ろ足で砂をかけるような真似をしやがって」
「ひどいいいがかりだな。そんなことして、私にどんな得があるんだ。人を疑うのもほどほどにしろよ?」
オーレックはやれやれと肩をすくめ、あげていた尻尾をおろした。殺気も何も感じられない、鷹揚な構えになる。シグラッドたちとは争う気がないという態度を全身に表わす。
「レギンからもおまえからも、赦免状をもらえてよかったよ。この先、どちらが王になっても、私は自由の身だ。どこへ行くのも自由だろう?」
「どこへ行ってもかまわないが、俗世に影響を及ぼすようなことはするな、怪物。何かしたら、こいつの身が危ないと心得ておけ」
シグラッドは足枷の鎖を引っ張った。新しい生活を夢見てうっとりしていたオーレックが、鎖の先にあるものを見て、目を点にする。
「……おい、赤竜?」
「なんだ」
「おまえ、あの子と別れたんだよな?」
「別れたぞ。おまえの願い通りにな」
わなわな震えるオーレックとは対照的に、シグラッドは淡々と答える。それが返って火に油を注いだ。オーレックが感情を爆発させる。
「じゃあ、なんだそれは!? 今、おまえの隣にあるのは! 別れたら赤の他人だから、あの子を盾に取るだと!? 見損なったぞ!」
「おい、落ち着け。これはアルカじゃない。銀竜だ」
「は?」
「だから、銀竜。先日、地下で見つけた。おまえが地下にかくまっていたんだろう」
事の成り行きを全く知らないオーレックは、トンチンカンな答えに目を白黒させた。ぽかんと口を開ける。
「なにをいっているんだ、赤竜。頭おかしくなったか? どうみてもそれはアルカだろう。アルカ以外にないだろう」
「ちがう。アルカは歩けなかったが、こいつはちゃんと歩けるんだ。銀竜がアルカに化けたんだ。見つけたときは、この、あの時着ていた外套も身につけていたし、仮面もかぶっていたし」
シグラッドが証拠品を提示すると、オーレックはおぼろげながら事情を察した。何かの事情で、火鼠の外套と仮面を身につけ、たまたま地下にいたイーズが、運悪くシグラッドに見つかったのだと。なんともいえない悲壮な表情でイーズを見やる。
「腹の立つ奴だ。私が手出しできないよう、こんな姿になって」
「……ちょ、ちょっと待て待て待て待て、赤竜。マジか。マジでそう思ってるのか。ええ?」
「惑わせようとしてもむだだ。いくら姿かっこうは似ていても、別人だ。においが違うしな。こいつには私の邪魔をした償いをさせてやるつもりだ。おまえの分も。後悔しろ」
小さな果物用のナイフが、イーズの首筋にあたる。オーレックは思い切り動揺した。神経を逆なでしないよう、ひとまずシグラッドの勘違いに合わせる。
「おおおおおまえ、なんてことを。銀竜様に対して!」
「あいにく私は銀竜に対する信心なんてもちあわせていないからなあ。むしろ竜王より尊い存在なんていらない。邪魔だ」
「これだから最近の若い奴は……無礼千万、傲岸不遜、悪逆無道! 万死に値する行いだぞ!」
「ふーん。おまえ、頭まで筋肉そうなのに。意外と単語知っていたんだな」
「まだ知ってるぞ。喧嘩上等だ!」
オーレックは深紅の瞳を燃え立たせた。周りの空気が熱気をはらんで膨れ上がる。人々が身構える中、イーズはため息をついた。
「オーレック、やめて。暴れないで」
「そんなこといったって」
「まだ私を大事だと思ってくれているんだね」
「当たり前じゃないか」
「なら、暴れないで。ゆっくり話を聞かせて。一から十まで、全部」
含みのある言い方に、オーレックはうろたえた。イーズが自分たちの裏切りに気づいたと悟ったらしい。急におどおどして、シグラッドの攻撃どころではなくなる。
「お、怒ってるか? やっぱり」
「ちゃんと事情を聴くまでは、怒らないつもり」
「頼む、捨てないでくれ。したこともやったことも何一つ後悔してないけど、おまえに嫌われるのはイヤだ!」
世界一わがままな言い分を吐き、オーレックは全面降伏した。熱気も殺気も消して、がっくりうなだれる。
すっかりやる気を喪失したことを確認すると、シグラッドもナイフをおろした。少し不安そうに、仇敵の顔を見下ろす。
「……アルカじゃないんだよな?」
「も、もちろん! ちがいます!」
少なくとも本名はちがう、とイーズは心の中で言い訳しながら、何度もうなずいた。




