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黒き竜は空を舞い  作者: サモト
黒き竜は空を舞い
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9.

 ティルギスの大使館には、ティルギスの料理が数々用意されていた。羊肉や馬肉の料理、蒸して作られたパンや麺の料理、チーズなど、大使の細君が腕をふるい、大量の料理が供された。


 豪勢な食事がならべられている理由は、やつれて出てきたイーズをいたわってのことだ。皇帝と別れたことを、大使もティルギスの外交官たちも責めなかった。それどころかイーズをねぎらい、すすんで酒を注いだ。


「何はともあれ、君は任務を遂行したんだ。責められるわけはないさ」

「遂行、ですか? 別れたのに」


「君の役目は、ティルギスとニールゲンの関係をよりよくすることだったろう。君がこの国へ来てから、ティルギスとニールゲンの関係は極めて良好だった。

 シグラッド様からは多大な温情を賜り、イルハラント制圧のための援助まで受けた。つづくレギン様とも、君はうまくやって、国交は保たれた。さらには、君はニールゲンからまんまと人質を取りもどした」


 人質本人――イーズは目をしばたかせた。この数か月で、大使の言い分ががらりと変わっている。他の外交官たちまで、大使の言葉にうなずいていた。


「ちょうどよかったんですよ。ほら、ティルギスとニールゲンの親密すぎる仲を、批判されていたでしょう? 皇帝と別れれば、アデカ王も、ニールゲンとの同盟に反発する同志たちに申し訳が立ちますから」


 別れてむしろ安心している一同に、イーズの方が心配になった。ちらりと横を見やれば、バルクがティルギスの外交官たちと肩を組み、酒を飲み交わしていた。イーズも大使もシャールもいない間に、バルクはしっかり外交官たちを抱きこんだらしい。


「本当に長い間、お疲れさまでした。しばらくゆっくりご静養をくださいませ」


 シャールがイーズの取り皿に、料理を取り分ける。首に、鎖に通した指輪がかかっていた。婚約の証だ。


「式はいつなの?」

「竜王祭の前です。向こうのご親戚が王都に集まりますから、ちょうどいいということで。アルカ様も――」


 シャールはそこで言葉を呑みこんだ。本当は花婿花嫁、双方の主人にもそろって祝って欲しいと願っているのだろう。


 だが、皇帝と別れた今、ニールゲン人が多く集う場に出ることははばかられた。イーズは出席の返事はにごした。


「ずっとシャールの婚礼衣装、作ってたんだ。後で見てくれる? 気に入ってもらえるといいんだけど……」

「もちろん、着させていただきます。アルカ様は刺繍がお上手ですから、楽しみです。私のためになど、本当にもったいない」


「やめてよ、様、なんて。私はもう、シャールの主人でもなんでもないんだから」

「いえ、アルカ様は……その」


「シャールはこれから、どうするの? エイデさんと結婚するってことは、剣士も外交官もやめるの?」

「そうですね、一応。表向きは。でも、諜報員の一人みたいなものですから、ティルギスの一員であることは変わりませんよ」


 シャールの言いように、イーズはとまどった。よく分からないでいると、バルクがずばり解説する。


「外交上、相手国の伴侶がいると、何かと便利ですからネ。しかも、相手は皇帝陛下お気に入り部下。より正確な情報が入ってくるっしょ?」

「……シャール、そんなことでよかったの?」

「いいんです。これが私の生き方です。私はティルギスに一生を捧げていますから」


 シャールは澄ました顔でカップを口に運んだ。バルクがまたもずばり明かす。


「なーんていって。そんなあなただから好きなんですっていったエイデさんに、結局、負けたんでショ?」

「あ。そうなの?」


「いやー、すごいっすよ、エイデさん。実は、姫サンの名前で解雇通告出しても、なかなか姉サン、ヘーカに謝んないでいたんだヨ。

 そしたら、エイデさん、いきなりヘーカに向かって『陛下、お願いです、どうか私の愛しき人を牢から出してください。でなくば、私も――』なんていって剣に目をやってネ」

「ええ!? シャールのために、シグに喧嘩を?」


「ウン。ヘーカはもちろん『よしわかった、二人仲良く牢にぶち込んでやる! しばらく出てくるな!』って怒ったよ」

「……」


 たぶん、正しくその時のシグラッドを形容すなら、嬉々としてだろう。シグラッドは二人をくっつけたがっていたのだから。


「で、シャール、謝ったんだね……」

「あの二人、打ち合わせていましたよ、絶対!」


 くやしがるシャールのため、イーズは酒壺を取った。だが、あやうく取り落しかける。気づけば、戸口に黒く大きな影があった。


「ああ、これはこれは」


 大使が立ち上がった。イーズは酒を注ぐことも忘れ、食い入るように男を凝視した。黒いうろこのついた仮面をかぶった男を。


「ようこそ。後でご挨拶におうかがいしようと思っておりましたのに、わざわざありがとうございます、ダルダロス様」

「いえ、結果をこの目で確かめたかったものですから」


 仮面の下から、くぐもった、抑揚に欠ける低い声が発せられる。のっぺりとした黒い面をむけられ、イーズは身構えた。落とさないよう気をつけて酒壺を卓上へもどし、背筋を正す。


「アルカ、紹介しよう。こちらはダルダロス様。アスラインの宗主ブレーデン様の教育係だ。ダルダロス様、これが我が国の王女、アルカ=アルマンザ=ティルギス。ご挨拶を」


「こんばんは、ダルダロス様。アルカ=アルマンザ=ティルギスです」

「こんばんは、アルカ王女。ダルダロスという」


 大使に促されるがまま、二人はあいさつをかわした。どちらも、申し合わせたように、はじめまして、とはいわなかった。


「ダルダロス様、少し失礼いたします。――アルカ、説明が遅れたが、君が陛下と別れるために、アスラインにも協力していただいたんだ。バルクがダルダロス様と話をつけてきてな」


「皇妃の座を退く代わりに、これからティルギスがニールゲンに対して払う協力金を払ってくれるよう、取引したんだヨ。アスラインはご自分のところのお嬢様を皇妃にしたかったようだカラ」


「アスラインのご令嬢――」


 イーズの頭の中で、点と点だった情報がようやく結びついた。大使は何ともいい難い顔をし、バルクは肩をすくめる。


「レノーラ=デュレ=パルマン嬢。姫サンの後任として、これ以上の適任はいないでショ?」

「道理で……」


 レノーラが縁談を受けることを理由に、アスラインの宗主の座をあきらめるわけだった。


 イーズは妙案に感心し、バルクを称賛しかけたが、思いとどまった。これはきっと、バルクが発案したわけではない。すべては今、自分の背後にいる男、ダルダロスの業なのだ。


「助かりましたよ。レノーラお嬢様を皇妃にしようと思うと、一番の障害はアルカ王女でしたから。バルク殿から提案を受けたときには、大変おどろきましたが」


 ダルダロスの淡々とした話しぶりが、ぬけぬけと不敵な話しぶりに感じられて、イーズは警戒を強めた。小声でバルクにたずねる。


「本当はダルダロスさんの発案なんでしょう?」


「もち。一粒で三度おいしい案デショ? アスラインの家臣さんたちには、皇妃になるのに一番の障害を取り除いた功労者として信頼されて。一方で、姫サンとヘーカが別れるための費用を捻出できて。ブレーデン皇子が宗主の座を継ぐのに邪魔なおじょーさんも排除できる」


「むだがないね。頭いい」


 イーズは無意識に杖頭を握った。おそろしい、と思った。あまりに知恵が回りすぎて、賞賛よりも恐怖が先立った。だれもかれも、知らぬ間にからめとられ、駒にされている。ダルダロスという男が用意した盤上の駒に。


「ダルダロス様、どうぞお席に。いらしたついでです、お口に合うかどうか分かりませんが、ぜひティルギスの料理を召し上がっていってください」

「ありがたい。できれば、アルカ王女と話させていただけると、うれしいのですが」

「アルカと?」

「今後のために、あの皇帝陛下を骨抜きにした技を習いたいと思いましてね」

「はは。国家機密なのですがね」


 大使は笑って、ダルダロスに空のカップを一つ渡し、イーズには新しい酒壺を渡した。


「ニールゲン本国と親密になりすぎるのは反発を買うが、属国のアスラインなら、まだいいだろう。これから手を組んでいくのに、ちょうどよい。失礼のないようにな」


 大使の言葉に、イーズはぎこちなくうなずいた。これで、パズルのピースが全部はまった。イーズがシグラッドと別れるためには、ティルギスにも何らかの利益が必要だったのだが、その利益とはこのことだったのだ。


「この場はずいぶんにぎやかだ。少し静かに話したいな」

「じゃ、ダルダロス様。ドーゾあちらへ」


 バルクが料理を抱え、イーズたちを隣室へ案内した。宴会をしているのは、大勢を招いた時に使っている広間で、隣室は休憩所のような小さい静かな部屋だ。


「私の前では、足の悪いふりをする必要はないよ」

「……お気遣い、ありがとうございます」


 イーズが座るのにもたついていると、ダルダロスがいった。足のことも、バルクから聞いているらしい。ティルギスの面々にも知らせていないことを知られていることは、いっそうイーズの緊張をあおった。かたい動作で、カップに酒壺をかたむける。


「結構だ。今日は呑まない」

「私の前では仮面を取って呑めない、ということですか?」

「なにせ狙われることの多い顔でね。知られたくない」


 ダルダロスはカップをバルクに回した。バルクが持ってきた料理もイーズの方へおいやり、自分はただ椅子に深々と腰かける。


 さすがに今日は外套を脱いでいるため、ダルダロスの外見がよく分かった。髪は黒く、肌は白い。大陸でこの身体的な特徴を持つのは、ティルギスなど東方の人種が多い。しかし、どこの国の人間かを特定することは難しかった。混血はよくある。顔立ちを見れば地方ということが分かるかもしれないが、仮面で隠れて分からない。


 背格好も、どこの者かを特定するにはあいまいすぎた。高すぎも低すぎもしない。やせすぎても太りすぎてもいない。年齢はバルクより上だろうが、それ以上ははかりかねた。


 着ているものに至っては、判断にまるで役に立たなかった。上から下まで完全にニールゲン風の型だ。黒一色の服は、ちがう素材やちがう織りの生地を組み合わせて変化を出しており、派手すぎも地味すぎもしない。良くも悪くもなかった。


 仮面という異様な付属物をのぞいてしまえば、ダルダロスの外見は、これといった特徴がないことが特徴、という表現がぴったりだろう。


「ニールゲンに私怨がおありだとか。顔をさらせないのは、そのせいですか?」

「私の正体が知られたならば、私も、私の身内も多大な迷惑をこうむる。ニールゲンは私たちを生かしてはおかない。だから、邪魔なのだ。この国は。これ以上は目障りだ」


 淡々としながら、きっぱりとして強い言葉だった。大国を向こうに回していながら、いいようはまるで通るのに邪魔な石をどけるような気軽さだ。


「いったい、あなたは」

「さっさと用件を済ませよう。これに署名を」


 ダルダロスはつっけんどんに紙を差し出した。まったく何も書かれていない白紙を。


「君はこの後、ティルギスの全権大使としての任を辞し、アルカであることもやめ、ここを去って、ただの人として生きていくつもりなのだろう?」


 いわずとも、ダルダロスはイーズのすべてを見通していた。バルクにペンをおかせ、イーズの方へさらに紙を押し出す。


「すべてを忘れ、すべてを捨てる前に、ティルギスの全権大使として、ここに署名をしてもらいたい。それで君の仕事は終わる。後は自由にすればいい」

「……内容も分からないのに署名をしろと? 今度は何をする気なんです?」

「君は何も知らなくていい」


 高圧的な態度だった。イーズは広間を一瞥した。今、隣室にはティルギスの全員がそろっている。この危険な相手をどうにかするには十分な数だと思われた。


「親愛なるティルギスの人々には、できれば危害を加えたくないのだがね」


 イーズの考えを見透かして、ダルダロスが嗤う。腰に剣も下げていないが、悠然たる態度だ。


「動じないのですね。たったお二人なのに」

「たいした手間ではないのでね」


 ダルダロスは料理の皿から、羊肉に刺さっている鉄串を取った。かるいしぐさで、それを机に貫通させる。人差し指の中ほどまで厚みのある木の机だが、粘土に刺すようにあっさり通った。


「姫サーン、やめといた方がいいですヨ。この人の手にかかったら、なんでも武器になる。濡れた布一つでも十分。マジで強いカラ。大使館が壊れちゃうヨ」

「おとなしく署名した方が賢明だ。おまえがアルカをやめたとしても、ティルギスが嘘をついていたという事実は消えない。事実が暴露されれば、二国の間には不信の種が残る。私に永遠に黙っていてほしければ、いうことを訊け」


 イーズは怒りと悔しさをこらえて、ペンを握った。何一つ。何一つとして、ダルダロスに逆らうことができない。黒い仮面の二つの穴からのぞく、闇のように暗い目が、つめたくイーズを捕えて離さない。


「――どうぞ。私の最後の署名です」

「たしかに」


 紙を懐にしまうと、ダルダロスはさっさと席を立った。緊張の糸が切れ、人形のように呆けて座っているイーズに、ふっと笑う。


「お疲れさま、イーズ=ダイル=ハルミット。とんだ任務だったな」

「……本当に。私には、荷が重すぎた」


 ダルダロスからねぎらわれるのは奇妙で、イーズは半笑いになった。


「黒竜オーレックももうすぐもどってくる。そうしたなら、彼女とどこへでも行くといい。彼女は君をのせて、どこでも好きなところへ飛んでくれるだろうよ」

「ああ……オーレック。そういえば、あなたとオーレックは、いったいどんな関係だったんです? どうして彼女はあなたに協力を?」

「愛し愛される関係だといっておこう」


 イーズはもう笑う気力も起きなかった。のろのろと見送りのために立ち上がり、お辞儀をする。意識せずとも完璧な、優雅で、作法の手本のような礼に、かわいた拍手があった。


「君は完璧だった」

「ご冗談を。私はまるで、つたない猿芝居を愛想で褒める拍手に聞こえました」

「君の第二の人生が輝かしいものであることを祈っているよ、イーズ」


 黒い仮面の男の拍手が、イーズのアルカ=アルマンザ=ティルギスとしての人生に終止符を打った。


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