丘野なずなの期待
わたしは高校生活でどのように変われるのだろう?
登校中のわたしの頭はそれでいっぱいだった。
信号が青になるのを横断歩道で待つ時も、歩道橋を渡ってる時も、遮断機が下りている時も。そんなだから今日は車に一度轢かれかけた。
文芸部に入ることにした。今は廃部の危機だけど、もうすぐで形になる。そもそもほんの好奇心、文芸部ってとこなら静かに過ごせるかなって思っただけだったな。
いざ、戸を叩くと、そこにはソファでだらけるメガネの女教師がいて。
わたしはおやつに釣られ、先生の操り人形にされた。でも、今ではそれで良かったかな? って思うんだ、わたし。だって、二人の友人ができたんだよ。
背の高くてクールな水野くんは話が上手くておしゃべりで優しい。
そんな彼と友達の比与森くんは、わたしにはつんとした態度だけど面倒見がいいし、時々面白い。
夏秋さんは、まだよくわからないし猫のような目がちょっぴり怖いから、一緒にポスター貼るハメにならなくて良かったって心から思う。近づくだけで心臓が破裂しそうになるし、やっぱりいじめられっ子体質だなぁ、わたし。
これから先、夏秋さんとも仲良くなれるのだろうか? できれば苦手を克服していきたいけど。
ハート型の花弁の舞い散る桜並木を歩いてると、夏秋さんが前で歩いてるのが見えた。思わず止まってしまった。バレないように他の生徒の陰に隠れる。あーあ、ダメだなぁ。
じっと観察していると、いきなり夏秋さんが走り出す。なんだろ? ああ、比与森恭平くんだ。
二人で並んで歩いてる。一方的に話しかける夏秋さんは美形だし背が高い。目つきも怖い。でも、いつかは話さなければならないし、それにクラスメイトだ。わ、わたしも混ざろうかな?
下を向いてもやもやしてる間に、二人は校舎へ入っていく。
自分の度胸のなさが身に染みる。
自分に自信がもてなくなったのはいつからだろうか? 親の転勤の多かった中学生時代? 友達がいた小学生時代?
下を向いて歩くようになったのは?今、わたしは猫背だと思う。それもいつからだろう?
教室に入ると窓際でまだ二人は話し込んでいた。わたしに気づいた比与森くんが軽く会釈した。それに気づいた夏秋さんはわたしを目で捉える。それが冷たくて背筋がゾクッとした。
「おはよう」
「お、おはよう、ございます……」
消え入りそうな声に情けなくなる。実際、教室の喧騒にかき消されてしまっている。彼女の耳に届いただろうか? パクパクと呼吸をする金魚のように見えただけなのだろうか?
俯き加減でわたしには席に着くと、鞄を置いて頬杖をついて考えてみた。わからないことが多すぎる。
放課後は、部室へと四人で向かう。その道中の渡り廊下、わたしは比与森くんのとなりに並んだ。
「夏秋さんのこと、俺、あんまり好きになれないなぁ」
「え?」
比与森くんと同感だった。
「いや嫌いじゃないよ? でも、昔のトラウマがよぎったりするんだよな。ああいう連中にいろいろされたし。……外見で判断するほど愚かなことはないよな。でもさ、今朝は話してたけど本当に気を遣った。水野みたいにいつかフツーに話したいもんだ」
仲良さげに会話していると思ったのに、その逆で彼は疲弊していた。比与森くんはそうだ、わたしと似ている。……だから、打ち明けてくれたのかな?
「わ、わたしも怖いです。身長差のせいもあって圧迫感しか感じなくて……」
「そうだな。目の高さほぼ同じだもん、俺と」
それっきりで会話は途絶えた。やっぱり話すのは苦手だ。
目の前で大げさな身振り手振りをする水野くん。それに頷いて、何かを言い返す夏秋さん。わたしもああいうふうにおしゃべりしてみたいものだなぁ、そう思ったのは今日何度目だろうか?
中庭の隅ではチューリップが仲良く並んで揺れていた。
「というわけで、ジャンケンの結果、夏秋さんとなずなさんが居残りで、僕達が外へ勧誘ついでの偵察に行ってきますね。来るもの拒まず、くれぐれも手放したりしないように手厚くもてなしてください」
「そこの腹出して寝てる女教師は毛布かけて隠しておこう。奴は見学者にマイナスイメージしか与えん」
ヨダレを垂らして眠る先生に適当に毛布を被せると、彼らは部室を後にした。
おっさんのようなイビキが静かな空間によく通る。
そんな先生に冷ややかな視線を送っていると、夏秋さんと目が合う。きりっとした目つきで、心でも読むように眺めてくる。心拍数がとたんに跳ねる。
「おいおい、緊張なんてしなくていいんだよ? とって食いやしない」
彼女は鞄からペンとノートを取り出す。開かれたページには繊細な車のイラストが描かれている。漫画が好きなんだっけ?
そこから広げられる知識をあまり持ち合わせてない自分にうんざりとする。その次のページにさらさらと描かれていく。彼女は目から描き始める。
目?
夏秋さんはわたしをじぃっと見つめる。もしや、モ、モデルではなかろうか?
「あの……夏秋さん? 何書いてるんですか?」
「人物画。あたしのことは『ナッツ』でいいよ。みんなそう言う」
「えー……」
思わず、顔を伏せてしまい机にデコをぶつける。
「あはは、ごめんよ。冗談、冗談。少し、話したくてさ……文芸部で二人だけの女子部員だからさ。何かと困ることもあるでしょ?」
「あ、あたしも話したいことあります……」
「え、なに?」
彼女は少し身を乗り出す。強調された谷間に思わず視線が食い込む。な、なんて破廉恥な体をしてるんだ……。とたんに己の胸の大人しさと言ったら……。
「ナッツさんは、その、む、胸がでかいですね」
「え?」
「ひ、秘訣とかあるのでしょうか?」
追及すると彼女は椅子に座り直して、咳払いした。顔がみるみる赤くなって……る? もしかして照れてるのかな? いや、ここはすかさず言おう!
「は、まつげが長くて、肌も綺麗で、手足が長くて、スラっとしていてお人形さんみたいで……どうしたらそうなれるんですか?」
ナッツさんは、デコを机にぶつけて左右に揺れた。
「ぎ、ギブアップ……」
顔から火が出る五秒前といった感じに顔を赤らめ、火照る顔を手で抑えながら動かなくなった。しまった、早くも彼女の弱点を知ってしまった。
褒めると、ものすごく照れるんだナッツさん。
慌てて、先生用と書かれたコーヒー牛乳をコップに注ぐ。
「ごめんなさい! あの、気に触れること言いました?」
「いや、そんなことはないよ。ただ、もうこの話題は、金輪際やめてほしい……」
彼女は苦々しげに笑うと、コーヒー牛乳を飲んだ。そうか、牛乳を飲めばいいのかもしれない。わたしは机にあるチョコレートを口の中に放り込んでまた椅子に腰掛けた。
「それよりさ、丘野さんってお菓子好きなんだね」
「うん。……他に好きなことあまりないし……」
「……そう。無理に話してごめんね」
彼女は黙々と絵に集中し始める。
どれほどの時間が経っただろう。知らないうちに、寝てしまっていた。あまりにも緩やかな時間の流れに、ウトウトしていたからだ。
ぱさ。
その音に振り返ると、毛布が落ちていた。
「その、あまりにも気持ちよさげに寝てたから、毛布かけといてやった」
目の前でナッツさんは、絵から目を離さず言った。お礼にお茶のおかわりを注ぐと彼女は頬をほころばせた。
「あたし、ここの制服は嫌いだ。スカートだし、スースーする。胸元のリボンも真っ赤で派手すぎる。こんな服装してられないよ」
「スカート苦手なの?」
「型にはまった学生っていうのが窮屈なだけ。制服なんて、集団意識を高めるだけにあるんじゃないかって思う」
「わたしは好きだけど……」
「そもそもここに来る理由も家族を見返すためだしな。学校に興味ないし、漫画描けたらそれでいい」
頬杖をついて窓の無効を眺める彼女は大人っぽかった。そんな姿に見とれながら、煎茶を啜る。
家族を見返すため? 彼女にも何か思い悩むことがあるんだろう。制服のことも、家族のことも。
話題を掘り下げるのは無粋な気がして、わたしは開けた口にチョコレートをもう一粒放り込んだ。
文芸部、続けられるような気がした。