成果が出ないせいか
次の日は、早めに学校に行くことにした。入部届けをカバンに潜めて。
確か、仮入部期間は二週間。でも、実質もう部員に含まれているし、了承もしてしまった。今辞めたいと言ったら、なずなはどうするのだろうか? ついそんなことを考えてしまう。
校門を抜け、駆け足気味に生徒用玄関に向かうと、女の子が物陰からこちらを窺っていた。目が合うと、ひょっこりと出てきてぎこちなく口を開いた。
「お、おはよう。比与森くん」
丘野なずなだった。彼女は今日も背が低い。
「あ、丘野さん」
「昨日はなずなって呼んでくれたのに。もう忘れちゃったとか?」
「ああ、ハイハイ。おはよう、なずな」
そう言うと彼女は涙ぐんだ。マジかよと思いつつ、知らんぷりしながら教室に足を向ける。女の子の対処法など検討もつかない。ましてや、同級生でクラスメイトで知り合ったばかり。
「ごめんなさい。昨日のことが嬉しくて……」
なずなさん、重いです……。
女子に虐められた惨めなトラウマが蘇ってくる。そう、女=メンドくさい、というのを忘れていた。春休みのせいかもしれない。あの頃の俺は水野と釣りばかりしていたから。頭使わなすぎて、馬鹿になったのかもしれない。
「わかった。だから、涙戻して? 目の淵に溜まったもの、流さないでね? 俺が虐めてるみたいじゃん」
オロオロする俺に、オドオドする彼女。彼女はハンカチで涙を拭うと泣き笑いの顔をした。その顔はお世辞にも綺麗とは形容しがたい。
「教室で、孤独だったから。不安で」
なるほど、顔見知りが来るのを待ってたのか。まあ、孤独の教室は怖いよね。疑心暗鬼になるよね。クラスメイトの会話が自分の悪口なんじゃないかって考えるもんな。そこから飛躍するとますます厄介なのを俺は知っている。
一年一組の扉を開けるとすでに10人ほどいた。そして、ある男子生徒を中心に会話を弾ませている。
確か、強面の……。目が合う。慌てて逸らす。ひえぇ、怖いよ。
「なずなの席は?」
「一番端っこ」
なるほど、窓際最後尾ですか。自分の机に鞄を置くと、なずなの元へ向かう。
「今日はポスターを貼りまわりましょう」
「作ってきたのか?」
彼女の机の上には、『文芸部員、急募』と書かれたポスターが数枚あった。
「一応、玄関には貼りました。許可はとったので」
「うん、それも重要だけど。基本方針的な? もっとも重要なこと聞いてないよね。放課後、先生に聞きに行こう。今日も午前終了だろ?」
「おはよーございます」
あくびしながら、水野がやってきた。くりんとカールした寝癖を後頭部に作っている。
「お、ポスター。奇遇です。僕も作ってきたんです」
「二人ともやる気満々だな」
「もちろんです」
水野がポスターを高々と掲げると、どんと誰かにぶつかった。
「痛っ!」
それは金髪不良ベリーショートであった。顔から血が引いていく。
「すいません。よそ見していたもので……」
水野も内心ヒヤヒヤだろう。こういうタイプは一触即発。触らぬ神に祟りなし。
「いや、あたし寝不足なんだ。少しふらついて当たちゃった。ごめんよ」
そういった彼女は、うん、確かに目の下にクマが出来ていた。目つきの悪さとクマが醸し出す相乗効果。つまり怖さ倍増である。
「ん? なにこれ……」
「……ポスターです。部紹介の」
肩をすぼませて、なずなが答える。
「文芸部? 何すんの? てか、なんで持ってんの?」
「文芸部は創作ですかね? 小説とか書いたり読んだり。ポスターの訳はただ部員がいないんです。一年生三人だけなんですよ。それであと二人勧誘しないと廃部しちゃう危機が迫ってるんです」
よく舌の回る奴だ。素直に尊敬するよ水野。対して、俺は心からのエールしか送れない。
「へぇー……」
ポスターをまじまじと眺める金髪。なんだ、こいつは。
「どらぁ! お前らぁ、座った座った! 朝のHRだ!」
いつの間にか、塩田が教室に入ってきていた。俺の席はすでに湿っているのだろう。
「面白いじゃん」
そう言い残し、彼女はひらひらと手を振りながら、自分の席に座った。
「いい匂いしましたね」
「ああ」
俺は素直に頷いた。
「あいつさ、興味あるのかな?」
「そうだね。じーっと見てたし」
放課後、俺達は文芸部室でまったりと煎茶を啜っていた。あいかわらず落ち着く。マイナスイオンとか出てるんじゃないか? あの先生が手放したくない理由がよくわかる。
「でも、悪い人じゃなさそう」
なずなはそう呟くと湯呑に息を吹きかける。猫舌らしく、飲むのに苦労している。
「夏秋奈津美。彼女はなんといってもスタイルがいいですね。こう、モデルみたいです」
水野がチョコパイを齧りながら、語る。確かに背も高いし、スラっとしている。少し不健康そうだけど、凶暴性もなさそうに見える。
「ピアス穴とか開けてるのかな? バンドとかしてそう! ギターだね。あ、ここって軽音楽部あったよね? そこに行きそうだなぁ……」
「なずなさん。先生はまだですか?」
「もうすぐ来るらしいけど……まだかなぁ」
「お待たせーー!!」
息せき切って駆けてきた免先生は昨日と同じボサボサの頭をしていた。オシャレに無頓着なのだろうか?
「さて、議題は?」
「大方の予定です。部方針とか」
「まあ、四月はグータラしてていいわ。うん、基本活動は読書とか執筆ね。五月までに短編書いてもらおうかしら? 技量を量るためにいいわね」
まともに文を書いたことないのに。そういえば、小論文も作文も、読書感想文も苦手だ。
「ポスター作りましたよ」
「助かるー! 先生、この時期忙しくってねー」
「煎茶どうぞ」
「あー小間使い役立つー」
衝撃の一言に戦慄する。この教師は部員をこき使うのかもしれない。ゲスの片鱗が垣間見えた。
「一応、冷蔵庫にチョコレートあるから。好きに食べていいわ」
飴と鞭を使いこなすのかもしれない。水野はその術中にはまり、すでにチョコを口に放り込んでいる。
互いに利用し合う。winwinと言えるのだろうか?
明らかに先生が楽してる気がするが。
そのとき、ノックの音がした。
開く扉に一同が釘付けになる。
夏秋奈津美が申し訳なさそうな表情で、立っていた。
「確保ーーっ!!」
免先生が耳をつんざくほど大きい声を響かせた。
とりあえず、俺は煎茶を差し出した。可哀想に彼女は少し怯えていた。免先生は自分がこいつを連れてきたんだ、と言いたげドヤ顔を決め込んでいる。
「ありがと……」
パイプ椅子に腰掛けた彼女は、居心地悪そうに小声で囁いた。
「で、仮入部に来たのね」
早速、本題に入るメガネ教師。
「そうっすね。あたしもそういうのに興味があって……」
「読書家なの? それともただの興味本位? どちらにしろ大歓迎よ」
「いや、本はあまり……」
夏秋はやはり気になっていたのだ。あのときの真剣な目はそれをしっかり予期させていた。そして、話し合っていた所だった。
「漫研みたいのとかないんですよね……桐ヶ原には」
想像打にしないセリフが彼女の口から飛び出す。
「漫研? うーん、ないわねー。イラスト同好会は去年なくなっちゃったしねー」
「あたし、漫画が好きなんです。だから、そういうのあるかなって淡い期待してたんですけど、やっぱなくて……。そこにこのポスター持った水野くんと話して、ここで漫画制作とかできないかなぁ……って思いまして」
どんどん小さくなっていく彼女。漫画が好きとは……。
みんな意外そうな顔でお互いの顔を見やる。風貌が似つかわしくないのでなおさらだ。いや、外見で人を判断するのはよろしくない、うん。
「ダメ、ですか?」
「ダメもなにも、文芸部だしねー。そういうのはちょっとねー……」
「そうですか。すいません、無知で……。お騒がせしまし――」
立ち上がる彼女の肩を押さえ込んだのは先生。その両腕には力が込められている。再びそのチカラで座らされた。どうしても帰したくないらしい。
意地汚い性根が見え見えな先生だ。
「ジャーン!ジャジャーン!! 特別サービスぅ! 文芸部といえど、部誌にイラスト付けたりするしぃー? 基本グータラだろうしぃー? ここにいれば、漫画のストーリーも味の濃いものになるだろうしぃー?」
「いいんですか!?」
「いいんです!」
先生は彼女を手にしたい一心で動いている。小さくガッツポーズする夏秋。あの、その、可愛いと思いました。
「実は描く場所があんまりなくて困ってたんです。明日から持ち込んでいいですか? 用具一式」
「え!? まあ、いいでしょう。先生我慢します」
めでたく部員も増え、部長の座に手が届きそうだ。
「よろしく!」
そう言って微笑んだ夏秋。その満面の屈託のない笑みに一同は動揺した。彼女の耳には心配したピアス穴など一切なかった。
人は見掛けに拠らない。今日の教訓だ。
「夏秋奈津美ですか。美味しそうな名前です。さっき食べました」
「夏秋さんもどうぞ。カシューナッツのチョコ冷蔵庫にあるよ」
先生が足で器用に冷蔵庫を開ける。その冷気が床を伝い、足元が若干冷える。
「意図して言ってるんですか? そのあだ名、かなり鬱陶しいんですけど。てか昔さんざん言われましたし」
「わざとだよ。絶対」
そう言いつつも俺は騒がしくなった部室で、少し落ち着かないでいた。
俺は女が苦手だ。なずなにさえ、近づくのが困難だ。自分から好んでそばには寄れないし、気まずい雰囲気になると吐きそうになる。
これがボッチの弊害なんだろう。少しずつ克服したいものだ。