雪女とかき氷
5月、ゴールデンウィークも終わりそろそろ蒸し暑くなってきた日の深夜。
残業が終わり終電に何とか駆け込んだ私はコンビニで氷とビールを買い家路を急いでいた。
夕飯は適当に買っていた冷食を食べて、キンキンに冷やしたグラスに氷とビールを注いで飲んだらそのまま眠りにつこう。
明日は久しぶりの休みだから、目覚まし時計もかけずに済む。なんと幸福なことだろうか。
ツラツラとそんなことを考えていたからだろうか、後ろから近づく気配には全く気付けなかった。
「……氷」
足元からそんな声が聞こえてきたと思ったら手に持ったビニール袋が一気に重くなる。
何事かとあわてて視線を向けると、街頭に照らされて輝く白い和服を着た少女が私のビニール袋にしかと抱きついていた。
「……え?」
深夜、真っ暗な道の途中、近くにあるのは電気の落ちた住宅のみというこの場所にいるにはいささか場違いとしか言えない彼女は私の戸惑った様子に注意を払わずになおも袋に抱きついたまま離す気配がない。
「暑い……」
そう一言呟いてさらに強く握ったのか、袋の中で氷が動く音がする。
「氷、下さい……」
そう呟いて彼女はその場に倒れこむ。
突然の出来事で動けなかった私は道路につく前に彼女を支えることなどできるわけもなく。少々痛そうな音がして彼女はうめいた。
「え、えっと……氷?」
冷静に考えれば氷を渡す前に救急車を呼ぶべきなのだろうが、そんなことまで頭が回らず。生まれてきてから37年、初めて目の前で人が倒れる瞬間を見てしまいパニックになった私はコンビニの袋から氷の入った袋を取り出し、封を開けて躊躇せずに逆さにした。
当然、少女の体に大量の氷が勢いよく降り注ぐ。
「う……痛い」
うめき声でそう言われて軽率すぎたと慌てて様子を窺うと彼女はゆっくりと自分の周囲にある氷をつかみ口の中に放り込んだ。
「え、ちょっと地面に落ちたやつは汚いですよ……!」
自分で地面に落としたことは棚に上げてそう注意し、二つ目の氷を持っている左手をつかもうとしたら右手で私の腕がつかまれる。
「絶対に、呪ってやる……」
おどろおどろしい声でそう言いながら彼女は氷を口に入れる。
見た目以上に力があるのか、なかなかその腕を振りほどけず四苦八苦しているうちに次々と氷を口にしていく。
それにつれて彼女の指先が凍えるように冷たくなっていくのを感じさすがにこれ以上は衛生面云々の前にやばいだろうと思い
「こ、これ以上食べたら体が冷えすぎて体調崩しちゃいますよ」
と声をかけるが、彼女はこれを鼻で笑う。
「雪女なんだから体が冷えてないとむしろ体調を崩すんだけど」
「……え?」
「あー、涼しくなってきたー。この箱は素晴らしいわね、彰吾」
涼しい場所に連れて行け、と言うのでとりあえず一番近い自分の家に連れてきてエアコンをつけた。その後冷やしていたグラスを出そうと冷蔵庫を開けたところ彼女にその前を陣取られてしまい現在この状況だ。
「あの、そこに居座られると中身が傷んだりして困るんですけど……」
そう言いながらさりげなくなるように注意を払いながら彼女の場所を移動させる。
家への道中に私の情報は根掘り葉掘り聞かれていつの間にか呼び捨てが定着してしまっていることにも文句を言いたくもあるが、状況判断の方が先だろう。
「もう少ししたらあの上にある箱が涼しい空気を吐き出すからそれまで氷でも食べながら我慢しといて下さいよ」
そう言うと彼女はいぶかしげにエアコンを眺める。
「えー、あの箱が? なんかただ空気を吐き出してるようにしか見えないけど……」
半信半疑、どころではない様子だ。
「それで、君はさっき雪女って言ってたけど本当に……?」
疑いを持っているのはこっちも同じことだ、とそう言ってみると彼女はムッとしながら胸を張る。
「私はちゃんと名付けも受けた一人前の雪女のセツよ! 信じられないっていうなら証拠を見せてあげるわ!」
そういって彼女は両手を広げると室内の気温が一気に下がる。
「さっき氷を貰って力は少し回復したからちょっとおまけをつけてあげるわ」
ふふん、と言いそうな表情でスッと右手を机の上にある缶ビールにかざす。
すると一瞬のうちに缶の周囲は氷で覆われてしまう。
「どうよ、私が雪女って信じてくれた?」
「さすがにここまでされたら信じますけど……こんなことできるなら自分で氷作って食べたらよかったんじゃないですか?」
あまりにも寒すぎてエアコンを切りながらそう聞くと彼女は言葉に詰まってうつむいてします。
そしてしばらく逡巡してから顔をわずかに赤らめてぽつりとつぶやく。
「長期間暖かいところにいると力の補充ができなくなってこういうことをするのも無理になるのよ……、だから普段から山に住んで夏場も涼しい場所に群れで住んでるのよ」
「えっと、なんかすみません。……じゃ、じゃあなんで暖かいのに山から下りてきたんですか?」
非常に気まずい雰囲気でなんとか流れを変えようと話を振るとよくぞ聞いてくれたといわんばかりに食いついてくる。
「そう、私はかき氷がどうしても食べたいの! ねぇ彰吾、かき氷ってどこにあるの!?」
「え、かき氷って夏場以外にも売ってるんですか?」
質問に質問で返すと彼女はその場に座り込み、まるで灰になったかのようだ。
とりあえず寒さが和らがないので窓を開けたところ「暑い!」と怒られたので生きてはいるようだ。
「じゃあ今日も夜には帰ってくるから、大人しく待っているように。テレビやブルーレイは好きに見ていいし食べたかったら冷凍庫に大量に氷を入れてるからそれを食べてもいいけど、冷蔵庫や冷凍庫を開けっ放しにするのだけはしないで下さい、中身が腐ります」
昨夜一晩かけてテレビに驚き、ブルーレイに興奮し、隙あらば冷蔵庫を開けようとしていたセツにそう言い聞かせながら私は玄関の扉を開ける。
冷房をつけて20℃に保っている室内に外から暖かい空気が流れ入る。
ホッとしながらコートとマフラーと手袋をはずしている私に彼女はムッとしながら言う。
「さ、流石にもう開けっ放しになんかしないわよ!」
「あ、無暗矢鱈に開けるのもやめてください。というか氷以外に用はないですよね? 冷蔵庫を開けるのは禁止でお願いします」
私がそう告げるとセツは驚いた表情をして何か言おうとするも、その言葉を聞く前に外に出て扉を閉める。しばらく居るつもりなら我が家での決まり事をもう少しきっちりと決めるべきかもしれない、同居人ができるのは初めてのころなのでどうしたらいいのか、今一分からない。
「あ、おはようございます」
隣の家族の娘さんが制服に身を包んで笑顔で挨拶をしてくれる。私は会釈を返しながら、今日家に帰る時にどれだけの氷を買えばいいのかを考える。昨日の夜中にもう一度コンビニに行って買ってきたふた袋分の氷で足りてくれたら助かるのだが。
「かき氷っていつ頃どこで売ってるのかなー……」
色々と言い聞かせてたせいでいつもより少し遅くなってしまった。足早に駅へと向かいながら私は溜息をついた。
「ただいまー」
セツが家に来てから1ヶ月、梅雨もそろそろ明け待望の夏が近づいてきた。
いつもよりも少し早目に帰宅した私をセツはソファーの上で寝転がりながらアイスを頬張りつつ出迎える。
「あ、おかえりー」
当たり前のようなその光景に溜息をつく気もとっくに無くした私はテーブルの上に荷物を置き冷凍庫の中にどれだけの氷やアイスが残っているかを確認する。
彼女が家に来てから二日間はコンビニで氷を買ってきていたが、あまりの消費量にそれ以降は自宅で作る方法に切り替えた。
製氷機さえ大量に買っていたらセツは自分で水を張り冷凍庫に入れるくらいは率先してするので水道代が少し上がった程度で済んでいたのだが、一度アイスを食べさせてみると病み付きになったらしく自分で食べようと残していたアイスも食べつくされたのには呆れてしまった。
「やっぱり今日も最後の一本まで食べてますし……」
これは今日のお土産を渡した時の反応が恐ろしいな、と思いながら製氷機から氷を外す。
「あれ、彰吾。この大きい箱はなに?」
目ざとくお土産の存在に気づいたらしいセツはススス、と近づいてくる。
「あぁ、これを使って手動でかき氷を作れるんですよ。店とかでかき氷を出してる所もそろそろ出てきたんですけど、セツにはそこまで行くのも命の危険がありそうです、し……セツ?」
たまたま帰りに店先で見かけたこの機械を箱から取り出しながらそう言っていると、セツの反応がおかしいことに気づく。
満面の笑みでお礼を言ってほしい、とまではいかないが念願のかき氷を食べれるのだから少しは喜べると思ったのだがまるで思わぬことを告げられたかのようにショックを受けている様子のセツの姿は想像してはいなかった。
「えっと、もしかしてかき氷食べたくなくなったとかですか? テレビで何か見ました?」
流石にこんな反応をされては無視をしてかき氷作成、とはいかずに視線を合わせるようにしゃがみながらそう尋ねるもフルフルと首を横に振って答えない。
「うーん、まぁ食べたくないなら無理に食べなくてもいいですよ。とりあえず使えるようにだけしとくんで気が向いたときにでも自分で作って食べてもらえたら。シロップも一緒に買ってきたからいつでも食べたくなったら食べれますし」
言いたくないことを無理やり話させるのは酷かと考えてそう告げて話を打ち切ってからかき氷機の組み立てを始める。
無事滞りなく機械の組み立ても終わり、後はお皿をセットして氷を入れて回すだけという状態になったことを確認してからふと足元を見ると未だにセツはそこにいてモジモジと何かを言おうとしては諦め、というのを繰り返している。
「セツ? 何か言いたいことがあったら言った方がいいですよ」
なるべく優しい声で言いながらまたしゃがむと彼女はためらうように二、三度口の開閉を繰り返してから弱々しい声で尋ねてくる。
「あ、あの。私もう出ていった方が良いのかな……?」
「え、セツどこか行きたいところあるんですか? 流石に夏の間は外に出るの控えた方がいいかと思うんですが……」
その言葉を聞いて眉を寄せながらそう答えると思ってもいない答えだったのか、ポカンと口を開けたまま私の顔を見つめてくる。
「え、えっとその出かけるとかじゃなくて。元々私はかき氷を食べるために山を降りてきて今ここでかき氷を食べれる状態になったんだよね? だから、そろそろ帰った方が良いのかなって」
私の言葉の意味を理解して何かを悟ったのか大きく溜息をついてゆっくりと噛み砕くようにそう説明してくる彼女にようやく出ていく、という言葉の意味に私は気づく。
「あ、あぁなるほど。セツは山に帰りたいんですか? どっちにしろせめて夏を越して涼しくなってからの方が良いと思うんですが……。今すぐ帰りたいってことなら明日は休みですし車で送ることもできはしますが、外暑いですよ?」
1ヶ月で20℃の室温で過ごすことに慣れてしまいまだ夏も始まってない現状ですらうんざりしている私は真剣にそう言うと彼女は頭を抱えてしまう。
「あれ、セツ? 体調が悪いんですか、大丈夫です?」
「いや、もうなんか良いや。今放り出されても群れには帰れないからどうしようとか考えてたのが馬鹿らしくなってきた」
そう呟いてからきっと私の方を睨むように見てくる。
「かき氷食べたいから作って!」
何が心境の変化をもたらしたのか、全く分からないが食べるというのならまぁ作ろうと冷凍庫へと歩いていく。
「私が居ない間でも作れるように作り方教えるんで覚えてくださいね」
そう言いながら氷をセットしている私の手元を彼女は食い入るように見つめてくる。
「じゃあまずはここの線まで氷を入れて……」
結局何を悩んでいたのかは分からないが、吹っ切れたらしいし良しとしよう。
今はこれからどれくらいのシロップを買ってくればいいのか、ということに頭を悩ませることにする。