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おひとり様好き自称病弱・伯爵令嬢には重大な秘密がある

作者: 真央幸枝
掲載日:2026/05/04

ポップなラブコメです。

ゆるふわ異世界設定。

※屁やおなら、屁をこく、などのワードが連発します。

苦手な方はお避けください。

少し汗ばむくらいの初夏の昼下がり。

伯爵邸のプレジャーガーデンで、オールドローズの香りに包まれながら、ひとりティータイムを楽しんでいるのは、この邸の令嬢・スカーレットである。


「書類仕事の後のティータイムは格別ね・・・」


ひとりうっとりと呟く。

後ろに侍女が控えてはいるが、こくりと頷くだけで、声には出さない。話かけられたわけではないし、そもそもスカーレットは独り言が多い令嬢なのだ。


シーズン終わりのバラを、名残惜しそうに薄茶色の瞳で眺めていると、この場にはそぐわないバタバタとした足音が響いてきた。


「まぁ、何かしら・・この雑音」


スカーレットはこの完璧な雰囲気を台無しにする騒音にちょっと眉をひそめる。


「ス、スカーレットっ!お前に縁だ・・・」


「イヤです」


この邸の主・スカッシー・ヘデルナイト伯爵の言葉を遮る形で、ピシャリと言い放つ。


「・・・さ、最後まで言ってないのだが・・・?」


額に脂汗を浮かばせて、伯爵がスカーレットににじり寄ってきた。


「わたくしは病弱なため、いかなる縁談も受け付けませんわ。以上です」


ああ・・・お父様のせいで、紅茶がぬるくなってしまったわ。淹れ直してちょうだい、などと侍女に命じるスカーレットを、肩で息をする伯爵は唖然と見つめる。


「・・・お前は健康体そのものなんだが・・・?」


「イヤですわ。お忘れになりましたの?」


スカーレットは息の荒い父親を不快そうに見つめ、優雅な所作で扇をパラっと広げ、口元を隠した。

この国の()()は、お喋りの際、相手に口元を大っぴらに見せないのである。


「病弱なわたくしは、デビュタントも欠席。夜会やお茶会も欠席。

そんなわたくしが誰かの妻になるなどと、大それた勤めは果たせそうにはございません。

ただ・・・領地の片隅とはいえ、伯爵家で生涯世話になる身としましては、単なる穀潰しに成り下がるわけには参りませんので、お父様やお兄様に代わって書類仕事を誠心誠意請け負っているのでございます」


淀みなく一気にしゃべる娘に、伯爵はため息をついた。


「・・・貴族の義務を放棄した、単なる怠け病だろう」


「んまあ。なんと失礼な」


父の言葉に、スカーレットは表情を全く変えずに、


「人酔い、人見知り、慢性の気怠さは立派な病いですわ。

無理やり公衆の面前に立たせて、失神しろとでもおっしゃるのですか?」


「・・・見合いや夜会に一度も行ったことがないのに、失神するかどうかは分からないだろう」


「絶対に失神しますわ。汗とタバコとアルコールと下品な香水の臭いで頭痛、めまい、吐き気、倦怠感、冷や汗、震えは必至でございます」


「・・・先日、木の上で怯えていたノラ猫を、木に登って助けた令嬢はどこの誰だったか・・・」


娘の言い草に呆れ返りつつ、伯爵は聞き返す。


「わたくしでございますわ」


「・・・領内の湖の水面(みなも)から女神が現れたそうだが、その正体は・・・」


「わたくしでございますわ」


ピシリ、と背中を伸ばしてスカーレットがキッパリと言った。


「まさかあの薮をかき分けて、乱入してくる不届き者の存在は想定外でしたが、女神のふりして水中に潜ったところ、アッサリと信じたので良かったですわ」


スカーレットはふっと目を細めて、


「その女神伝説のおかげで、領内を訪れる貴族が増えたと伺っておりますが・・・?」


暗に観光収入が増えただろう、と仄めかす。


「・・・たっ、確かに収益は増えたが、今回の縁談は断れん。なんせ公爵家からの縁談なのだからな」


狼狽えつつも伯爵が語気を強める。


「王家だろうと、公爵家だろうと今まで、病弱で断ってきたはずですが、なぜ今回は断れないとおっしゃるのですか?」


スカーレットは不審な眼差しを父に向けた。伯爵の顔中、汗が吹き出している。


「・・・へだ」


伯爵の苦し気な声に、スカーレットは小首を傾げた。


「へだ、とは?」


「・・・公爵閣下の謁見で、屁をこいてしまったんだ・・・!」


悲痛な叫び声を上げて、伯爵は芝生にへたり込んでしまった。


「へ!なんと・・・!」


父の衝撃の告白に、スカーレットは思わず扇を落としそうになり、指に思い切り力を込めた。


屁。おなら。たかがガス。されどガス。


上位貴族令嬢だというのに、平気で木登りをし、湖を泳ぐスカーレットの内心では、屁ぐらい思う存分こかしてやってよ、生理現象じゃないの、と思うものの、この国では屁に対するマナーがやたらと厳しい。


特に上流社会では、屁は害悪なのだ。


夜会、茶会、結婚式、葬儀、外交等、公式の場での放屁は処罰の対象となる。主に罰金刑だが。

それ以上に社交界にしばし悪評が付きまとう。

しかもたまに放屁が原因で、決闘が起こったりもする。

どうやら目前で屁をこかれると、侮辱されたと解釈する血気盛んな殿方が一定数存在するようなのだ。


馬鹿馬鹿しい話だが、事実なのである。


「だから日々、豆スープを食べ過ぎるなと申しているではないですか」


屁を促す食材を好んで食する伯爵を、スカーレットは軽蔑するかのようにじっとりと見つめた。


「・・・そもそも女神伝説に興味を持った公爵が謁見の場を設けたのだ」


伯爵は芝生でうなだれたまま、縋るようにスカーレットを見上げた。


「・・・見合いに応じれば、今回の放屁については不問にすると仰せなのだ」


「まぁまぁまぁ・・・!」


スカーレットは美しく澄んだ薄茶色の瞳を丸くした。


「それは脅迫ではありませんか!どこぞの公爵家が見合いを申し込んだと言うのです?」


「・・・トロンベ公爵家の嫡男との見合いだ」


「トロンベ公爵家!あの色情狂と噂の」


もう一度、扇を取り落としそうになったスカーレットは、ぎゅっと手に力を入れた。


アンフィデル・トロンベ公爵令息。17歳。

稀代の美男子だが、浮き名も立っている。

父の公爵は現王太子の兄上で、王位継承第一位だったにも関わらず、女性スキャンダルのせいでその継承権を剥奪された過去を持つ。


要は父子揃って、女にだらしがない。


「つまりは建前上、お飾りの妻をご所望ということですのね?」


スカーレットが冷ややかに問うと、伯爵はノロノロと立ち上がった。


「・・・父子揃って、金遣いもだいぶ荒いようだ。裕福な妻を娶り、持参金や資金援助を当てにしているのだろう。

女神伝説で注目された我が伯爵家に白羽の矢が立ったのだ」


「屁さえ、こかなければ」


「お前が湖で泳がなければ」


「「公爵家に目をつけられなかったのに」」


スカーレットと伯爵が同時に言って、互いに盛大なため息をついたのであった。



※※※



そうして公爵家での見合いの日を迎えた。


病弱で表舞台に姿を見せた事がない伯爵令嬢を一目見ようと、公爵の実弟・王太子殿下とその妻の王太子妃、王太子の姉・公爵にとっては妹が降嫁した侯爵家の一家全員までもが、トロンベ公爵家に集結した。

見目麗しき王太子兄弟の勢揃いである。


「伯爵家ご夫妻とご令嬢がお入りになります」


筆頭執事が恭しく頭を下げると、重厚な応接間の扉が開き、伯爵夫妻が入室して、その後から噂の病弱令嬢がしずしずと現れた。


「「「!!!」」」


伯爵令嬢の姿に一同が息を飲み、絶句する。


重苦しい空気を打ち破るべく、一番に金切り声を上げたのは、見合いの相手、アンフィデル公爵令息だった。


「なっ、なんだ!この醜女はっ!!!」


あまりのスカーレットの醜さに、アンフィデルは悪態を吐きつける。


「お、おいっ!いくらなんでも失礼だ!」


父のトロンベ公爵が慌てて遮るが、アンフィデルは不愉快そうな態度を隠そうともしなかった。


「・・・そうなのです。ヘデルナイト伯爵家の我が娘、スカーレットはこの通りの風貌と、病弱であるがゆえ、今まで邸で療養生活を送っていた次第であります」


「「「・・・・・」」」


公爵家親族全員、すっかり口をつぐんでしまったが、その中のひとり、王太子の実姉の嫡男シャルマン・リッチモンド侯爵令息は、スカーレットの姿を食い入るように見つめていた。


その視線に気づいたスカーレットが扇を広げて、顔を隠すようにする。


「と、ところで、ず、随分と変わったドレスをお召しなのね」


すっかり動転した公爵一家の面々を庇うかのように、王太子妃が言葉を絞り出した。


「スカーレット嬢。発言を許可しますわ。お答えになって」


「はい・・・王太子妃殿下・・・こちらはゼーブラ柄と申します」


しっかりと聞き耳を立てないと、聞こえない程のか細い声でスカーレットが応じた。


「ぜ、ゼーブラ柄?とは?」


今度は王太子が問う。


「はい・・・王太子殿下。ゼーブラと言うのは、南国に存在する白と黒のしましま模様の馬でございます・・・」


スカーレットの細々とした返答に、ヘデルナイト伯爵は、盛大に冷や汗を背中でかいていた。

でも今日は屁は絶対にこくまい。

スカッシー・ヘデルナイト伯爵のこかん・・・いや、沽券にかけても。


「白と黒のしましまの馬・・・」


アンフィデル公爵令息が鼻を鳴らして繰り返した。


「いくら何でも見合いの席に、白と黒のしま模様のドレスなんぞ着てくるとは悪趣味も甚だしいな」


「療養生活で・・・社交界の流行には疎いのでございます・・・」


消え入りそうなスカーレットの声に、アンフィデルはさらに苛立った。


「しかも顔色は悪く、眉はげじげじと毛深く、鼻の穴はイノシシのようにやたら黒くて大きく、おまけに顔中ソバカスだらけ!こんな醜い貴族令嬢は見た事がないっ!」


「お目汚し、申し訳ございません!

それでもわたくし共にとっては可愛い娘でございますので・・・」


公爵令息のあんまりな言い草であったものの、母の伯爵夫人が初めて言葉を発して、深く頭を下げた。


「ひどいですわ・・・病体にムチ打って馳せ参じましたのに・・・」


スカーレットがよよ、と涙をひと筋流したけれど、その涙は黒くて、一同、悲鳴を上げそうになった。


「やめだ!やめだ!いくらお飾りの妻だろうと、持参金目当てだろうと、こんな不細工な女、俺のプライドが許さない!この縁談はなかったことにしてくれっ!」


アンフィデルの失礼極まりない叫び声に、公爵は青ざめ、伯爵夫妻がちょっとむっとなった。


すっかり興奮してしまったアンフィデルを宥めようと、従兄弟のシャルマンが腕を引く。


「いくらなんでも言い過ぎですよ。従兄弟殿」


「イヤなものはイヤだ!こんな醜女、とっとと失せろ!」


その後、多少は揉めたものの、見合いはなかったことになった。

公爵令息の失言暴言も、伯爵の放屁も無罪放免。ケンカ両成敗という体で落ち着いた。

今後、両家が関わることも、歪み合うこともない。


スカーレット伯爵令嬢が応接間を出る間際、アンフィデルを見つめ、


「ご縁がなかったこと・・・残念に思いますわ・・・」


と弱々しく言いつつもニヤリと笑い、扇を少しずらして歯を見せたが、その歯もなんとゼーブラ柄だった。

あまりの気持ち悪さに、アンフィデルは震え慄き、倒れそうになった。咄嗟に従兄弟のシャルマンが支える。


シャルマンはスカーレットのまだらお歯黒に、思わず吹き出しそうになったが、スカーレットはシャルマンのそんな様子にはつゆとも気付かなかった。



※※※



「はぁーやっぱり水浴びは最高ね」


領内の池で、スカーレットは肌着姿で仰向けになり、パシャパシャと浮いていた。

父親には全貌を明かしてはいないが、スカーレットはしばしば護衛や侍女の監視の目をかい潜っては、森の奥の湖で、全裸で湖水浴に興じていた。

しかし前回の目撃事件に懲りて、全裸で泳ぐことはやめたものの、遊泳自体はやめられず、女神伝説で有名になってしまった湖とは別の池で泳いでいる。


「やはり病弱と言うのは嘘だったんだな」


池のほとりから突然声がしたので、スカーレットはすいーっと泳いで戻り、慌てて池から上がった。


「何てことでしょう。()()貴方ですのね。一体、どうやってここに辿り着いたのですか?

地元民でも立ち入らない場所ですのよ?」


池から上がったスカーレットは、敷物の上に畳んでおいた大判の手拭いを身体に巻きながら、つっけんどんに言う。


「それにわたくしは、身体を鍛えるために水浴びをしているのですわよ?」


「そういう事にしておこうか。女神殿」


リッチモンド侯爵家令息のシャルマンは、スカーレットの質問には答えずに言った。

王太子殿下を叔父とし、そして件の見合い相手・アンフィデルとは従兄弟同士。

彼はその王族特有の美しいエメラルドグリーンの瞳を細めた。


スカーレットが手早くワンピースに着替える間、背を向けるシャルマンに、大げさにため息をつく。


「地べたに座るのが抵抗なければどうぞお座りになって」


先に敷物の上に座っていたスカーレットは、籐籠から少々ぬるくなった紅茶の入ったティーポットを、ポットカバーから手際良く外し、さらに茶菓子を取り出して並べている。

シャルマンはじゃあ遠慮なく、と座った。


ひとり分しか用意してないのに・・・などとブツクサ呟きながらも、紅茶と茶菓子をシャルマンに差し出すスカーレット。


シャルマンは品の良い所作で、冷めた紅茶を口にしながら、スカーレットをまじまじと見た。


「わたくしの顔に何かついております?」


「いや、えらい美人さんだな、と思って」


シャルマンが焼き菓子を口に含む。そんな彼こそ美男子なのだが。


「逆によくもあそこまで醜女に化けたものだな」


「アンフィデル様のお好みに叶わず残念でございますわ」


スカーレットがしれっと宣ったので、シャルマンは呆れ返って、


「またまた!よく言うご令嬢だ。アンフィデルに嫌われようとあんなバケモノ化粧をしたんだろう。詐欺じゃないか」


「まぁまぁまぁ・・・!心外ですわ」


今日のスカーレットは扇で口元を隠すことはしなかった。先日のお歯黒効果なのか、やたらと真っ白く輝いた歯が覗いている。


「素顔を見て、オマエ誰?と問うほど美しく化けることは咎められないのに、()()()()お化粧に失敗したら詐欺だと責められるとは。女性の敵もいいとこですわよ」


か細い声はどこへやら。一気に言いながら、濡れたハニーブラウンの髪をかきあげるスカーレットの仕草に、シャルマンはドキドキと動揺が隠せない。


そう・・・いつかの湖でもそうだった。


シャルマンは侯爵家令息、そして王太子殿下の甥という立場から、幼き頃より縁談が殺到していた。

ハニートラップに見舞われる事も多々あり、打算的な貴族令嬢に辟易していた。


そんな中、年頃の令嬢がいるにも関わらず、一切の接触がなかったのが、このヘデルナイト伯爵家である。


媚びてこない。

接近してこない。

むしろ社交界を避けている。


令嬢の病弱が理由だったが、なぜかシャルマンは興味がわいた。

幾度か伯爵領を訪れ、伯爵令嬢の情報を得ようとするものの、邸で療養している以外は何も分からない。


何度目かの訪領で、シャルマンはふとあるところで薮が踏みつけられている跡を見つけた。

人がひとり通れる幅。

しかも傍らの木々によって、不自然に隠されている。

この先に何があるのだろう。

護衛に待機を命じ、腰に携帯していた短剣を、念の為に抜くと、邪魔な草枝を切りながら、好奇心に駆られるがまま、ひとりきりで歩を進めた。


すると突然視界か開けて、美しい湖が現れたのだ。


シャルマンがぼんやりと湖面を眺めていると、突如水中から全裸の若い女性が出現した。


互いが互いの存在に言葉を失う。


「き、君はっ・・・!」


ようやくシャルマンが声を上げると、全裸の女性がしーっと、唇に指を立ててから、静かに微笑んだ。


「わたくしはこの湖の女神。

わたくしのことは他言無用です。よろしいですね?」


そこまで大きくはないが、形の整った色白肌の乳房から目を離せずに、シャルマンはコクコクと頷く。


「よろしい。貴殿に幸あらんことを」


くるりと背を向け、美尻を晒しながら、バシャン!と再び水中に潜っていく。


「あっ、あのっ・・・!」


シャルマンが急いで手を伸ばす。

予想外のハプニングに呆然となりながら、しばらく佇んでいたが、己れの鼻から血が垂れてきて、慌てて元来た道を引き返した。


一方の湖の女神こと、スカーレットは潜水しながら、木の影に身を寄せて、シャルマンが去るのを待っていたのである。


シャツを鼻血で染めたシャルマンが、熱に浮かされたように『湖で女神に出会ってしまった!』と侯爵夫妻に訴えてしまったのだ。


「他言無用と申したはずでしたが?」


ひとつしかないカップをシャルマンから差し出されたスカーレットは、少し迷って残った紅茶を口に含み、抗議した。


「すまない。あんまり君の裸体が神々しすぎて、興奮して鼻血を出してしまったんだ。血で汚れたシャツに両親が心配したので、つい、ポロッと・・・」


「つい、ポロッと、ですか・・・」


スカーレットが焼き菓子をかじる。その仕草にもシャルマンは再び鼻血が出そうになった。

仕方がない。シャルマンは遊び人の従兄弟・アンフィデルとは違い、純でウブな15歳なのだから。


「で、でもそのおかげで領地おこしが出来ただろう?」


「それもそうですわね」


シャルマンの弁解に、スカーレットはあっさりと頷いた。


「ところで君はいくつなんだい?」


「公爵家で釣書はご覧になりませんでした?16歳ですわ」


「僕のひとつ上か・・・」


じっとスカーレットを見つめるシャルマンに、訝しげに聞いた。


「何でございましょう?」


「僕と結婚しないか?」


「!?」


突然の求婚に、スカーレットの口がポカンと開いたので、慌てて手で口を覆う。


「なにを藪から棒に・・・

わたくしは、先日、公爵令息に振られた傷モノ醜女病弱令嬢ですわよ?」


「もういいから。その設定」


シャルマンはウンザリ気味に首を振った。


「僕にとって君は湖から現れた美しい女神だよ」


「女体に見惚れただけでしょう」


「否定はできない」


素直に頷くシャルマンをスカーレットは軽く睨んだ。


「いやらしいですわ」


「事実だからしょうがない。でも君は存分に面白い。そしてかなり危険でもある。目が離せない」


「面白い?」


「ああ。貴族令嬢なのに裸で泳いだり、珍妙なドレスを着たり、鼻の穴を化粧でイノシシみたいに大きくみせたり、気味悪いお歯黒をしたり」


思い出したのだろうか、シャルマンが肩を震わせる。


「でもお願いだから、侍女や護衛を撒いてまで、ひとりで泳ぎに来ないで欲しい。溺れたら大事だろう?

護衛や侍女の落ち度とされ、最悪の場合は、伯爵家の名誉にも関わる」


「病弱なわたくしが元気になるためですわ。護衛を撒いて来るのは、単に見られたくないから。侍女はわたくしの速度について来られないだけですわ。

()()()()買収はしていますので、ご心配にはおよびません」


つんとするスカーレットに、シャルマンは苦笑いを浮かべた。

どこが病弱なんだか。

お転婆なだけではないか。


「わたくしが侯爵家と縁を結ぶなどと、そのような大それたことは出来かねますので、今日のお話はなかったことにしてくださいませね」


「イヤだ。僕は諦めない」


頑と言い張るシャルマンに、スカーレットは迷惑そうにちょっと肩をすくめて見せた。



※※※



ある日、スカーレットの侍女が、珍しく文を手にやって来た。

スカーレットは今日もガーデンでひとりティータイムに興じている。


「リッチモンド侯爵家から文でございます」


「侯爵家から?」


面倒くさそうに文を開くと、その瞳がゆらりと揺れた。


「どうなさいました?お嬢様?」


「シャルマン・リッチモンド侯爵令息が自領の湖で溺れたそうですわ。すぐに護衛に助けられたようですが。

うわ言でわたくしの名前を呼んだとか。

療養中で申し訳ないけれど、可能ならばお見舞いに来て欲しいと仰せですの」


くだらない。

自業自得よ。

無茶した結果よ。


ぶつぶつ独り言を呟きつつも、


「侯爵領の湖・・・」


寄せる興味に促され、スカーレットは侯爵家へお見舞いに行くことを決めた。


スカーレットの報告に、伯爵家の両親とふたつ年上の兄が仰天する。


「「ス、スカーレットが自ら他人と交流をはかるだと!?」」



※※※



一方、侯爵家を訪れたスカーレットの姿に、侯爵家は騒然となった。


「あの醜女は誰だったの!?」


王太子殿下の実姉の侯爵夫人が驚嘆する。


「こんなに美しいご令嬢だったなんて・・・!」


「どうぞお察し下さいませ。浮気性の殿方に好んで嫁ぐなどと酔狂な趣味はあいにくと持ち合わせていないのでございます」


あんまりハッキリ言いのけるスカーレットに、侯爵夫人は驚きが倍増して、目をパチクリさせた。


「ところでシャルマン様はどちらに?」


「自室のベッドにいるわ」


侯爵夫人と侍女らと共に、スカーレットがシャルマンの部屋に入ると、シャルマンは目玉が飛び出るのではないかというくらいに、目を見開いて驚きの声を上げた。


「夢か?真か?天国か?女神が僕の部屋に舞い降りた!」


普段は女性を寄せつけないきらいがあるクールな息子が、狼狽え、豹変する姿に、侯爵夫人が真顔で心配する。


「シャルマン、あなた大丈夫?

溺れた際に病原菌でも飲んでしまったのかしら?」


「ボクは元気です!」


「・・・・・・」


ハイッ!と挙手する息子に侯爵夫人はますます心配になった。


大体、この国では水泳の習慣がない。

地下水ならともかく、そもそも水は病気の源とされ、敬遠されているのだ。


とりわけ生活排水を垂れ流す川に、貴族は滅多に近寄らない。

それが何を血迷ったか、嫡男たる息子が自領の湖に入水し、溺れたなんて。

そこまで湖の女神とやらに心を奪われてしまったのだろうか。


侯爵夫人の心配をよそに、後ろで控えていたスカーレットから長いため息が漏れた。


「女神殿?」


シャルマンの呼びかけに、スカーレットは首を振る。


「あのですね?物事には全て順序というものがございますの」


扇で目元から下を隠したスカーレットが、シャルマンに促されるまま、ベッドの傍らの椅子に座った。


「この国では湖水浴、海水浴の習慣はございませんが、外国では鍛錬のため、健康長寿のために泳ぐ習慣がございます。

水圧で身体に負荷が掛かりますが、負担はそれほどないそうで、老若男女が水泳を楽しまれるとか。

ですが、何より最初に水質の確認をしなければなりません。

降雨の翌日は水泳を控えるのはもちろんのこと、汚れ、濁り、異物等の有無を目視した後、手を入れて、水温を計らなければなりません。

あまりに冷たいと、入った途端に心の臓が止まりますから。

水質水温に問題がなければ、しっかりと準備体操を行い、いよいよ入水するのでございます」


淡々と、しかし厳しい口調で諭すスカーレットに、シャルマン始め、侯爵夫人と侍女らもポカンとスカーレットを眺めている。

何事かと、侯爵家の使用人までもが集まり出した。


「泳ぐことは有益ですが、命にも関わることですのよ」


「伯爵領の湖の女神・・・君に近づきたくて、つい、ポチャン、と・・・」


シャルマンのどこかで聞いたことがある言い訳に、スカーレットの扇を持つ指がゆれた。


「つい、ポチャン、とですか・・・」


「侯爵領には美しい湖や、水が湧く泉がいくつかあるんだ。ぜひ君を連れて行きたいと、できれば一緒に楽しみたいと、そんな思いに駆られてしまったんだ・・・」


シャルマンがしゅんとなって、ボソリと呟いた途端、スカーレットの薄茶色の瞳がキラリと光る。


「美しい湖や水の湧き出る泉ですって・・・?」


よだれを垂さんばかりのスカーレットは、扇で顔をしっかりと隠した。

ここで飛びつくなんてはしたないですわ。と己に言い聞かせる。


「そ、そうさ!侯爵領は遊泳可能になりそうな水辺に恵まれている。

どうだろう?僕に水泳を指南してもらえないだろうか?

それから二人で領内中を散策し、水辺探索と洒落込もうではないか」


そうしてゆくゆくは妻に・・・と、言いそうになったのを堪えた。


こうして、変わった求愛を果たした侯爵令息と、これまた変わった趣味を持つ伯爵令嬢の、変わった交流が開始されたのである。



※※※



「まぁまぁまぁ・・・!水が湧き出るこの泉の清らかで美しきこと!」


夏の終わりの晴天のある日。

侯爵領の山を登ること2時間近く。

目にした泉の美しさにスカーレットは我を忘れて歓喜した。


「そうだろう?なかなか見事な泉だろう?」


シャルマンが誇らしげに胸を張る。


「ええ、本当に。この透明感たるや。

あなたが溺れた湖も美しいですが、こちらの泉の透明度は比ではありませんわ」


付近一帯に点在する大小の泉に、スカーレットは感嘆し、一瞬にしてその魅力の虜になった。

侍女や護衛の目も憚らず、そそくさと乗馬服を脱ぎ出すスカーレット。


「お、おい!人前だぞ!」


シャルマンが慌てて、両手を広げてガードしつつ、


「皆の者!目を閉じよ!」


と叫ぶ。


「ご心配には及びませんわ。

わたくし、王太子妃殿下がプロデュースした水泳着を着用しておりますのよ」


そうして長袖膝下までのウールの青色のロンパース姿になる。

それでも身体にフィットしているので、身体のラインが伺えるスカーレットにシャルマンは動揺した。

しかしスカーレットは素知らぬ様子で、


ここだけ遊泳専用ね。

他は環境保全よ。

ここは飲用専用泉ね。

火を起こしてちょうだい。


ぶつぶつ独り言を呟いているかと思えば、従者に火起こしを言いつけている。



あれから、万全の監視体制の下、スカーレットは軽いドレス着姿のまま、シャルマンに泳ぎを教え、公爵家を除く王族たちに、水泳の効果効能を海外の論文や書物を紹介しながら説くという名目で、交流をし続けている。

スカーレットの珍妙だが、決してブレない信念と、聡明さに強く惹かれたのは、シャルマンだけではなく、王太子妃殿下も同様であった。それはスカーレットのために水泳着をデザインするほどに。

しかも王太子妃は今後、この王国で湖水浴が流行することを確信しているのである。


シャルマンが十分泳げるようになり、親族家門、しっかりと外堀も埋められ、公私共に万事整った本日、とっておきの泉のほとりで、プロポーズをする算段となっていた。

リベンジ求婚を感じ取っていたスカーレットといえば、すでにシャルマンの熱意と熱愛に絆されてしまっている。


ふたりで思う存分遊泳した後、火を囲んだティータイム。


「これからもふたりで泳いで、ティータイムをしようではないか。どうか僕の妻になって欲しい」


そんなシャルマンの求婚に、スカーレットは冷えた手を重ねて、はいと頷いたのである。


「散々、裸に近い状態で接触していたのですから、今さらですよね・・・」


控えていた侯爵家の使用人たちと、伯爵家の侍女たちがコソコソ言い合っていたが、ふたりは聞こえないふりをした。



※※※



そして王都の教会での婚約式。

侯爵家と伯爵家一同が集う式に、なぜかトロンベ公爵家の父子が乱入して来た。


「おい!スカーレット・ヘデルナイト!

貴様、わざと醜女に化けて、俺を欺いたな!」


アンフィデルが怒号を張り上げる。


「まぁまぁまぁ・・・!心外ですわ。

貴殿がわたくしの上っ面しか見なかったのでございます」


「普通は綺麗に着飾ることはしても、醜くすることはないだろうが!」


スカーレットの反論に、アンフィデルはさらに怒鳴った。


「ですが、シャルマン様はわたくしの内面を見て、その大きな愛で病弱克服に尽力してくださいましたわ・・・」


婚約式に望むスカーレットはあまりにも美しく、眩かった。

サラサラとなびくハニーブラウンのストレートヘア。

どんなに美しい王族のブロンドヘアでも、ここまでのサラサラ感は出せる者がいない。

くりくりとした穢れのない薄茶色の瞳。

水泳によって出来上がったメリハリのある身体つき。

脂肪の固まりだけの豊満な肉体を、コルセットでごまかす貴族令嬢とは全く違う肉体美がそこにあった。


アンフィデルが思わず舌舐めずりをした途端、ぶう!と大きな屁の音が教会中に響いた。


侯爵家と伯爵家の面々がざわめく。


屁をこいたのは、またもやスカーレットの父、スカッシー・ヘデルナイト伯爵である。


「き、貴様っ!我らの目前で、一度ならずとも二度までも屁をこくとは!

侮辱だ!不敬だ!こんな屈辱は耐え難い!

ええい!表へ出ろ!決闘だっ!」


「無論だ。決闘の申し込み、謹んで受けて立とう。

本来ならば、あの謁見の日に決闘をすべきだったのだ。

我輩は、領地の財産も愛しい娘も、軽薄な輩にやすやす渡す気など毛頭ないのだ」


トロンベ父子とスカッシー・ヘデルナイト伯爵との、二対一の前代未聞の決闘が、聖なる教会の庭園で、突如行なわれることになったのである。


三人に手渡されたのは、強靭な木刀。


この国の決闘では、剣を使用することは禁じられている。

さらに決闘のルールは相手が降参するまで。

もちろん殺害してはならない。


「お父様・・・」


スカーレットの呟きに、父が力強く頷いた。


「案ずるな娘よ。神聖なる婚約式をぶち壊す愚かな者共を、父は決して許さない」


「屁をこいた時点で、充分ぶち壊しましたけどね・・・」


シャルマンがもっともなツッコミを入れた。


「しかしいくら何でもニ対一だ。あまりに分が悪いのではないか?」


こっそりとスカーレットに耳打ちしたシャルマンに、スカーレットは軽く頭を振った。


「どうぞ安心してご覧になって。

スカッシー・ヘデルナイト伯爵は、その名において、

屁のコントロールと、決闘センスは右に出る者がおりませんから」


スカーレットの言う通り、スカッシー伯爵はあっという間に、トロンベ父子を木刀でボコボコにした。


おまけに決闘の噂を聞きつけた野次馬たちが、ここぞとばかりに伯爵を応援するではないか。


普段から女遊びに余念がなく、素行の悪いふたりの味方などほとんどいない。

飽きた途端に捨てられた王都の女たちの恨みの念はすさまじいものがあり、


「決闘に身分はなし!この際、公爵令息の顔が潰れるまで殴りつけてやれ!」


「金的をメッタ打ちにして、不能にしろ!」


破廉恥で容赦のないヤジが教会の庭園に響いたのである。



決闘の後の婚約式が、盛大な式に変わったのはいうまでもない。

飛び入り参加した民たちの祝福を受け、結婚式ではないのですがね?とスカーレットが戸惑うありさま。


「いやだわ。貴族の腹の探り合い、蹴落とし合いがイヤすぎて、社交から遠ざかっていたのに、すっかり面が割れてしまいましたわ」


スカーレットがため息をつく。


「そういえば、何がきっかけで社交から離れていたんだい?」


シャルマンが尋ねた。


「あれは5歳でお母様と参加したお茶会でしたわ・・・

()()()()()ご令嬢が緊張のあまり、おならをしてしまいましたの。

そうしましたら、他家のご令嬢たちが汚らわしいだの、近寄るなだのと散々意地悪を言った挙句、令息たちも調子に乗って、うんちも漏れたのでないか、などと言いがかりをつけまして・・・

意地悪はヒートアップするばかりだし、そのご令嬢は泣きに泣くし、それは残酷で悲惨な光景でしたわ。

それ以降、わたくしはほとほと社交界がイヤになってしまったのですわ」


「5歳にして達観してしまったのだな」


「そうですのよ。ですから、シャルマン様。お約束通り、社交は必要最低限しかこなしませんから。

わたくしにとって、くだらない社交ほど、無益で時間とお金のムダなものはありませんわ」


シャルマンはスカーレットを抱き寄せ、頷いた。


「約束は守るとも。嫌いな社交を頑張った後には、とっておきの遊泳タイムとティータイムを用意するからね」


「承知いたしましたわ」


「その()()()()()ご令嬢も、立ち直って、幸せになっていると良いんだが」


「そのご令嬢、これまではおひとり様ティータイムをそれはそれは楽しんでおりましたわ。

でもとても誠意ある殿方と出会い、ふたりでのティータイムの歓びを知ったようですわよ」


輝かんばかりの婚約者の笑顔に、シャルマンは切なげに呻き、抱きしめた手に力を込める。


「はぁ・・・君の裸体を知っているだけに、初夜まで手が出せないのが辛すぎる・・・」


「ふふ・・・結婚式までしばらくの辛抱ですわ」


「結婚式や祝宴で君の父上が屁をこかない事を祈るよ」


決闘応援者に囲まれて、上機嫌な義父を恨めしそうに見つめるシャルマンの横顔を、これまた女神のような微笑みで見つめるスカーレットであった。





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