表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リミッター・ハイ  作者: あめたす


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/34

第29話:念ずれば花開く

第29話:念ずれば花開く


 グラウンドを包むのは、夕闇と、そして重い静寂だった。

 紅白戦終了の合図が響いた後、選手たちは誰一人として声を上げない。

 スコアボードに刻まれた「4-3」の数字。

 九回裏、二死一三塁。一条湊が投じた渾身の「火の玉」が、エース豊田のバットに弾き返され、マウンドで膝を突いた湊の姿。

 その光景が、全員の脳裏に焼き付いていた。


「……集合だ」


 鬼塚監督の声が、湿り気を帯びた空気を切り裂く。

 ホームベース付近に、泥にまみれた24名の部員たちが並んだ。

 湊の隣では、相棒の佐伯が悔しさに奥歯を噛み締め、マネージャーの仁衣菜が震える手でアイシング用の氷嚢を握りしめている。

 鬼塚は、結城陽葵から手渡された一冊のレポートに目を落とした。

 それは、聖隷高校野球部が抱える「弱点」と「希望」を、陽葵が緻密なデータ解析で洗い出した魂の記録だ。


「いいか。今回の紅白戦、俺が見たのは単なる勝敗じゃない。お前たちの『覚悟』だ」


 鬼塚の視線が、まずは三年生たちを射抜く。 


「豊田。お前の厳しさがこのチームを研いだ。お前から発せられる言葉はどれも、誰よりもマウンドを聖域と考えている証だ。お前に、背番号1を託す。聖隷のエースとして、その矜持を見せろ」


「はいっ!」


 豊田の太い声が響く。続いて黒田に2番、鉄壁の守備陣に次々と番号が配られていく。

 だが、その輪の中に、未だ番号を呼ばれず、唇を噛む二年生たちがいた。


「鳴海。……評価は『うるさいからC』だそうだ」


 鬼塚が陽葵のレポートを読み上げると、わずかに緊張が緩む。


「だがな、お前のその無根拠な自信が、追い詰められたチームの救いになることもある。背番号18。ベンチで誰よりも吠えろ。それがお前の戦いだ。」


 そして。

 最後に残った一枚の布を手に、鬼塚は湊の前に立った。

 湊は、泥だらけの顔を上げられない。サヨナラ打を浴びた瞬間の、グラブを弾かれたあの重い衝撃が、まだ右手に残っている。


「一条湊」


 名前を呼ばれ、湊の肩がびくりと跳ねた。


「お前は、この紅白戦で負けた。エースの壁に跳ね返され、泥の中に沈んだ。……だがな、一条。お前の120キロの球には、150キロの投手には一生かかっても手に入れられない『狂気』が宿っている」


 鬼塚は、湊の泥だらけの手を、力強く握りしめた。


「『念ずれば花開く』。お前の10年間の狂気と葛藤、その孤独な反復が、ようやく一つの形になろうとしている。準備を怠る者はピンチを招く、お前は地獄のような準備を乗り越えてここに立っている。しかし、まだまだ足りないものだらけだ。……この夏、全て乗り越え聖隷の歴史を、お前のスピンで塗り替えてみせろ」


 差し出された白い布。

 そこには、太く「20」の数字が踊っていた。


「……あ、ありがとうございます……っ!」


 湊の目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。

 10年間。誰にも認められず、暗闇で壁に向かって投げ続けた日々。


 「才能がない」と断じられ、そして一度肩を壊し、脳にリミッターという枷をはめられた少年が、ついに「野球部員」として、一人の「投手」として肯定された瞬間だった。


 傍らで、仁衣菜が声を殺して泣いていた。

 

 鬼塚は、手元に残った最後の一枚、背番号「20」を一条湊に渡した後、その視線をまだ背番号を受け取っていない選手たちへと向けた。

 そこには、一年の氷室、杉浦、片山、そして猿渡駆の姿があった。

 鬼塚は、彼らの前に一歩踏み出し、あえて全員の目を見るようにして深く息を吐いた。


「……そして、氷室、杉浦、片山、猿渡。お前たち4人だが…」


 監督の苦渋に満ちた表情に、4人の身体が強張る。


「正直に言う。この20枠の中に、お前たちを入れられなかったことが、監督としてこれほど悔しく、申し訳ないと思ったことはない。お前たちは、今の聖隷にとって間違いなく必要な『武器』だ」


 鬼塚は、まず左腕をぶら下げた氷室の前に立った。


「氷室。お前の真っ直ぐは、うちの財産だ。今回は一条を選んだが、お前が腐らずにその球を磨き続ければ、秋には間違いなく主役になれる。俺に『選ばなかったのは間違いだった』と後悔させるほどに化けてみせろ」


 次に、唇を噛み締め悔しさを滲ませる杉浦と、巨体を小さくしている片山を見る。


「杉浦、お前の『眼』は本物だ。片山、お前のパワーは県内でも五本の指に入る。お前たち2人には、データ班と協力して、対戦相手の癖を抜く『分析の目』と、選手たちのトレーニングの管理を、結城と一緒に徹底してほしい。ベンチには入れなくても、お前たちの声と脳は、グラウンドで戦う9人と共にある」


 最後に、泥だらけの猿渡駆へ視線を送った。


「駆。お前の足は、聖隷の戦術を根底から変える可能性を秘めている。兄の勇を追い越す準備を止めるな。……お前たち4人には、この夏、スタンドからの『最強のバックアップ』

を頼みたい。お前たちが外から試合をどう見るか。それが夏の勝敗を左右する」


 鬼塚は、一人ひとりの肩を強く叩いた。


「『未熟者にスランプはない。失敗と書いて、せいちょう(成長)と読む』。野村さんの言葉だ。今の悔しさを、成長という名のガソリンに変えろ。お前たちがスタンドから送る声援と分析が、一条の『20』を、豊田の『1』を支えるんだ。いいか、全員で戦うぞ」


「……はいっ!!」


 4人の咆哮が、夕闇のグラウンドに響き渡った。悔し涙を拭うその瞳には、すでに次の戦いを見据えた鋭い光が宿っている。

 鬼塚は、陽葵が作ったレポートをぎゅっと握りしめた。

 尖った才能を持つ24名。選ばれた20名と、その背中を支える4名。

 

「よし、解散! 夏の予選まで、あと一歩の努力を惜しむな!」


鬼塚の号令で、選手たちが動き出す。

 背番号を手にした者たちが、次々と湊の肩を叩いていく。

 

「湊、アイシング始めるわよ。あんたの腕、ちゃんと労りなさい」


 仁衣菜がいつものツンとした態度で、けれどこれまでで一番優しい手つきで湊の右腕を包み込む。

 夜の帳が下りたグラウンド。

 湊は、手の中の「20」をじっと見つめていた。

 

(野村さん。本当の強さは、どん底を見て、そこから這い上がってきた人間が持っているもの……そうですよね?)


 リミッターはまだ、脳の奥深くで重く沈んでいる。

 けれど、湊の心には、2400rpmの回転にも負けない、熱い「火」が静かに、そして激しく灯っていた。

 泥の中で咲く花は、どこよりも強く、美しい。

 聖隷高校野球部、背番号20。

 一条湊の、本当の夏が、今ここから始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ