第25話:要塞の眼光
第25話:要塞の眼光
聖隷高校グラウンド。七回裏の守備を終えた白組のベンチは、まるで夏の大会の決勝戦を制したかのような熱量に包まれていた。
「見たかよ、あの一球……。豊田さんがあんな風に空振りするなんて!」
「120キロなのに浮き上がる。わかっててもバットの上を通過していくんだ。あれが『2400回転』の威力か……」
杉浦が、興奮を隠せずに声を裏返す。佐伯は、泥を払う湊の隣で、相棒の火照った肩を冷たいタオルで叩いた。湊の火の玉ストレートが、絶対的な「壁」であった三年生レギュラー陣に通用した。その事実は、白組の選手たちにとって、この上ない希望の光となっていた。
一方、赤組のベンチは、重厚な静寂に支配されていた。
守備位置に就くためにグラウンドへ散る三年生たちの背中には、先程までの余裕はない。
「……ありゃあ、ただの遅いストレートじゃねえぞ」
二塁手の清田が、遊撃手の山倉へ小声で漏らす。
「球速以上の威圧感がある。バットを振った瞬間にボールが逃げていく感覚だ。」
「ああ。予測で追い切れねえ軌道だ。……だが、黒田さんはもう『ビジョン』を見ているはずだぜ」
山倉の視線の先には、プロテクターを装着しながら、微動だにせずマウンドを凝視する黒田の姿があった。
黒田は、エース豊田が三振を喫したあのパラシュートチェンジを、そして空振りを奪ったストレートを、頭の中で何度もリプレイしていた。
(脳内リミッター。122キロの制限速度。……面白い。だが所詮はただの遅い球。豊田は油断しすぎだ)
黒田の瞳は、まるで精密機器のように冷徹だった。
八回表。マウンドには赤組の守護神、不動広人が立っていた。
不動はどんなピンチでも無表情を崩さない。しかし、どこか抜けたところがある。セットポジションに入ろうとしたその時、捕手の黒田が呆れたようにタイムをかけ、マウンドへ歩み寄った。
「……不動。お前、またか」
「……? 何がだ」
黒田は無言で、不動の手首を指差した。そこには、ハンデ用の100gのリストウエイトが、しっかりと巻かれたままだった。
「……忘れてた」
不動は無表情のまま、少しだけ気まずそうにウエイトを外し、黒田に手渡した。ベンチからは「またかよ!」と野次が飛ぶ。しかし、黒田が戻り再びマスクを被った瞬間、グラウンドの空気が一変した。
不動の纏うオーラが、静かな凪から猛烈な暴風へと変貌する。
「……さあ、格の違いを教えてやるよ」
不動が振りかぶる。湊のダイナミックなフォームとは対照的な、無駄を削ぎ落とした静かなリリース。
ドォォォォン!!
凄まじいミットの音が、グラウンドの端まで響き渡った。
六番・猿渡勇。粘りの極致を誇る彼が、一歩も動けずに立ち尽くす。
「ストライク! バッターアウト!!」
枷を外した不動の球威は、140キロ後半まで跳ね上がっていた。続く七番・乾も、外角低め、地を這うような角度から急激に「落ちる」フォークに、手も足も出ない。
(……これが、本物のクローザー。)
湊はベンチの端で、その圧倒的な投球を目に焼き付けていた。
八番・佐伯も、不動の放つ剛速球の前に三球三振。わずか九球。三者連続三振という完璧な内容で、不動は八回表を締めた。
試合は八回裏へと突入する。
マウンドに向かう湊の背中に、陽葵が駆け寄り、タブレットの画面を向けた。
「湊くん、黒田さんのデータよ。彼は技巧派だけど、それ以上に直感力を隠し持っている。もう湊くんの投球を解析しきっているはず!」
「……わかっています、結城さん。でも、今の僕は独りじゃない」
湊は、仁衣菜が巻いてくれたテーピングの感触を確かめた。
「……よし。行こう、佐伯」
「ああ。聖隷の要塞を、その泥まみれの火の玉で崩してやるぞ」
八回裏。打順は、膝に不安があるが聖隷最強の打者、椛島隆士から始まる。
湊がマウンドで帽子を深く被り直した。
美術部仕込みの観察眼が、打席に立つ椛島の「紫」とも呼べる、不屈の闘志が混ざったオーラを捉える。
(……椛島さん、本当のストレートで抑えます!)
シュッッ!!
リリースと同時に、湊の視界からすべての色が消え、ただ一筋の「軌道」だけが黄金に輝いた。
122キロ。物理法則を凌駕する下克上の軌道が、今、放たれた。




