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リミッター・ハイ  作者: あめたす


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第20話:深淵の底、微差の攻防

第20話:深淵の底、微差の攻防


「……さあ、行くぞ野郎ども! 気合入れろぉ!」


 六回表。白組ベンチの最前列で、四番・蔵敷徹が吠えた。鳴海がマウンドに残した「熱」をそのままバットに宿すように、杉材のような太い腕を振り回す。

 対するマウンド、筧翼の表情には微塵の動揺もない。

 蔵敷の背負うオーラは、煮え立つような「黄色(豪快型)」だ。当たれば粉砕される。だが、筧はその熱を吸い込むような冷徹な「濃紺」の瞳で、蔵敷の重心の僅かなブレを射抜いていた。


(……力んでいるな。外の真っ直ぐにヤマを張っている)


 筧の第一球。腕を振る。だが、放たれたのは打者の手元でブレーキが掛かるドロップカーブだ。

 空を切る蔵敷のバット。だが、蔵敷は笑った。


(誘われてたまるか。俺は『真っ直ぐ』しか打たねぇ!)


 二球目、三球目。筧は徹底して外角低めの際どいコースへ、指先一点の感覚で制御された直球を投げ込む。

 蔵敷はそれを一歩も引かずに見送った。カウント2ボール1ストライク。

 勝負の四球目。筧の腕が鋭く振られる。今日一番の、外角低め。

 蔵敷のバットがしなった。


「――っしゃあぁ!」


 強引な、それでいて確実なミート。打球は三遊間をライナーで破るレフト前ヒット。無死一塁。


「(……蔵敷さん、ナイスバッティング!)」


 ベンチで湊は小さく拳を握った。だが、マウンドの筧は眉一つ動かさない。


 筧の集中力はさらに深まっていく。

 五番・柳楽人。「青(技巧派)」のオーラを纏う彼に対し、筧は一転して「遅球」でリズムを破壊しにかかった。

 一回転、二回転。縫い目の向きを変えた二種類のカーブ。

 柳は食らいつく。ハイスピードカメラでも捉えきれないような微細な回転の違いを、柳はバットの出方でアジャストしようとする。

 しかし、五球目。筧が投じたのは、カーブと同じ腕の振りから放たれた内角高めの「吊り球」だった。

 柳のバットが詰まる。力ないセンターフライ。一死。

 続く六番・猿渡勇。「緑(神経質型)」の慎重さを見せる。

 筧はその慎重さを「逆」に取った。

 プレートの踏み位置をミリ単位で変え、角度をつける。猿渡の視界に、球筋が蛇のように歪んで見えたはずだ。最後は、ベースの角を掠めるようなドロップカーブ。


「……ストライク。アウト!」


 猿渡のバットは動かなかった。見逃し三振。二死一塁。


「(……やっぱり、筧さんは『深淵』だ。一度飲み込まれたら、理屈が通用しなくなる)」


 湊は、指先の岩のようなマメを無意識に弄っていた。筧の投球は、美術部的に見れば「完璧な構図」だ。一点の無駄もなく、打者の心理というキャンバスを自分の色で染め上げている。

 だが、その完璧な構図に「ノイズ」を走らせる男が現れた。

 七番・二塁手、乾慎太郎。

 「青(技巧派)」の中でも、相手をノイローゼに追い込む「粘りの怪物」だ。


「……一理に達すれば、万法に通ず。投げたい球は分かってるよ、筧さん」


 乾はベースの上に覆いかぶさるような構えで、筧の神経を逆撫でする。

 ファウル、ファウル、ファウル。

 内角を突けばカットされ、外角へ逃げればギリギリでバットを止められる。

 十球、十一球。

 筧の額に、初めて焦燥の汗が浮かんだ。完璧な構図が、乾というノイズによって崩れ始める。

 十二球目。外角に外れたフォーク。


「ボール、フォアボール!」


 二死一、二塁。

 打席には八番、捕手の佐伯誠二。


「(佐伯……!)」


 湊は祈るように見つめた。佐伯の「青(理論型)」の頭脳は、今、フル回転している。

 初球の入り、乾への配球の残り香。筧の指先の疲れ。

 佐伯は、筧が「最も自信を持っている球」――ドロップカーブが、この土壇場で甘く入る瞬間を待った。

 一球目。外角直球。ストライク。

 二球目。内角スライダー。ファウル。

 追い込まれた。だが、佐伯の瞳は眼鏡の奥で爛々と輝いている。


(来る。……絶対に、落としてくる!)


 筧が右足を高く上げた。今日一番の溜め。

 放たれた白球は、佐伯の目線から一気に地表へと墜落する。


 ――ガツッ!


 空振り。捕手の黒田のミットが、鋭い音を立てて白球を吸い込んだ。


「……ストライク三振! チェンジ!」


 佐伯は、呆然と突っ立っていた。

 ヤマは合っていた。軌道も見えていた。

 だが、筧のカーブは、佐伯の予想した「落下地点」のさらに数センチ下を通過したのだ。


「……微差が大差になる、か」


 ベンチに戻ってきた佐伯が、湊の横で自嘲気味に呟いた。


「……湊。筧さんのカーブは、最後の一転がりで『命』が宿ってる。理屈を超えた何かだ。……お前の球も、そうでなきゃ通用しないぞ」


「……分かってるよ」


「(……っし、佐伯! 顔上げろ!まだやれるぞ!)」


 ベンチに戻ってきた佐伯の肩を、鳴海が壊れんばかりの力で叩いた。三振のショックで青ざめていた佐伯の眼鏡が、衝撃で少しずれる。


「鳴海さん、痛いですよ……」


「痛いのは生きてる証拠だ! 見ろ、豊田さんも、あの筧さんも、お前らに打たれて汗かいてんだよ! 人間なんだよ、神様じゃねぇ!」


 鳴海がベンチの屋根を突き破らんばかりの声で吠える。沈みかけていた白組ベンチの空気が、その野性的なエネルギーで強引に攪拌されていく。

 鬼塚監督が、耳を塞ぎながらも口角を微かに上げた。


「……一条。見ておけ。あれが、技術以前の『マウンドに立つ覚悟』だ」


「……はい」


 湊は、鳴海の背中を見送った。


 六回裏。

 マウンドに上がる鳴海聖の周囲には、陽炎のような熱気が渦巻いていた。

 先ほど自ら招いたピンチを脱し、ベンチで吠え散らかしたエネルギーが、そのまま指先に凝縮されている。


「おらぁぁ!椛島さん!膝が悪くても手加減はしねぇぞ!」


 打席に入る椛島隆士は、その挑発を静かな笑みで受け流した。チーム最強の打者。膝を故障してるとはいえ、その威圧感は「黄金色(豪快型)」の輝きを放っている。


(……鳴海。お前の熱は、確かに本物だ。だが、熱すぎる火は、時に自分の形を崩すぞ)


 鳴海が大きく振りかぶる。

 一球目。今日最速の149キロ、内角を突くストレート。

 椛島の巨体がピクリとも動かない。ボール。


「……チッ、微動だに浮かねぇか」


 二球目。鳴海はギアをさらに上げた。リリース直前、全身のバネを爆発させる。


 シュパァァン!


 外角、逃げるスラッター。椛島は最短距離でバットを出したが、打球は一塁側のファウル。


「っしゃああ! 次は当たらねぇぞ!」


 三球目。鳴海の「野生」が極致に達する。

 

『「開き直り」とは、その瞬間に自己を出しきり、燃焼すること。』


 鳴海は計算を捨てた。ただ、「椛島をねじ伏せる」という意志だけで腕を振った。

 放たれたのは、ベース直前で急激に食い込むインコースのスラッター。

 椛島のバットが空を切る。三振。


「見たかぁぁ! 椛島さんから取ったぞぉ!!」


 湊の横でデータを取っている結城が呟く。


「……。鳴海くん、最後は理屈を超えた配球だった。」


 勢いに乗った鳴海は止まらない。

 続く七番・黒田一。「青(理論型)」のリードを嘲笑うように、鳴海は首を振り続け、すべてストレートで押し切った。

 最後は147キロの直球で詰まらせ、捕邪飛。二死。

 最後、八番・筧に対しては、もはや遊び球すら投げない。

 三球三振。

 圧巻の三者凡退。五回にランナーを出したのが嘘のような、完璧な「シャットアウト」だった。


「しゃぁーー! 三者凡退! 俺様、天才! 無敵!」


 マウンドから全力疾走でベンチへ戻ってくる鳴海。その姿は、大型犬が獲物を仕留めて飼い主の元へ駆けてくるかのようだ。

 鬼塚監督が、ついに諦めたように深い溜め息をつき、湊の肩を叩いた。


「……一条。見ていたか。技術がどうだ、フォームがどうだと理屈を並べる前に、あいつはマウンドを『自分の領土』にした」


「……領土」


「そうだ。マウンドに立つ人間が、一番楽しそうで、一番怖くなければならない。」


 鳴海が撒き散らした熱が、グラウンドにまだ残っていた。

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