表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リミッター・ハイ  作者: あめたす


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/25

第16話:言霊のアーチ

第16話:言霊のアーチ


 四回表。マウンドの風間誠が放つ「静寂」の包囲網に、白組の打線が再び挑む。

 先頭打者は三番、一塁手の片山鉄男。ベンチプレス200キロの怪力を誇る男が、地響きを立てるような足取りで打席に入る。


(……一発だ。一発で、この嫌な空気を叩き潰す)


 片山の思考は極めて単純だった。打者分類における「黄(パワー型)」。その純粋な破壊衝動に対し、風間は無機質な視線を向ける。

 一球目。内角を抉るシュート。片山の巨体が僅かにのけぞる。

 二球目。外角低め、糸を引くような138キロの直球。

 

 風間のリリースには、やはり「色」がない。打者が踏み込むためのきっかけを、その無音の動作が奪い去る。

 三球目。逃げていくスライダーに片山のバットが空を切った。

 

「――っらあ!」


 吠えながら振り抜いたスイングは、風間の術理にコンマ数秒、正確に遅らされていた。どん詰まりの三塁ゴロ。

 一死。

 風間の「無色透明」なピッチングは、依然として白組の主砲たちを無力化し続けていた。


 次打者の四番・蔵敷徹。

 「念ずれば花開く」――。その言葉を部室に貼った張本人が、泥だらけのユニフォームで打席に立つ。


(風間、お前の投球は確かに凄い。だがな、理屈だけで野球ができると思うなよ!)


 蔵敷は、風間の「無音」を自らの「咆哮」で上書きするように、打席で激しく足場を固める。

 初球、空振り。二球目、ファウル。三球目、外角の際どい球を見送る。

 風間が眉一つ動かさず、境界線の一ミリ外側に「撒き餌」を置くが、蔵敷は食らいついた。

 

 四球、五球、六球。

 すべてファウル。

 蔵敷の泥臭い執念が、風間の精密なプログラムに微かな「熱」を帯びさせていく。


(……しつこいな。なら、これで終わりだ)


 七球目。風間が「完璧な正解」として選択した、内閣低めへのフォークボール。

 だが、その一球。

 粘りに粘った蔵敷の「気」が、風間の指先に僅かな狂いを生じさせたのか。

 

 白球が、意図したよりも僅かに、指一本分だけ高く浮いた。


 ――ガギィィィン!!


 乾いた破裂音がグラウンドに響き渡る。

 蔵敷のフルスイングが、風間の「無」を力で捻じ伏せた。

 打球は高々と舞い上がり、美しい放物線を描いてレフトフェンスを越えていく。


「しゃあぁぁぁ!!」


 ダイヤモンドを一周する蔵敷の咆哮が、沈滞していた白組ベンチを爆発させた。

 3対2。

 点差は1点。そして、それ以上の「何か」が、今この瞬間に動いた。


(……色彩が、戻ってきた)


 湊はベンチの最前列で息を呑む。

 風間の周囲を包んでいた無機質なグレーが剥がれ落ち、蔵敷の情熱が撒き散らした鮮やかな「赤」がグラウンドを浸食していく。


 「不器用な人間は、器用な人間が気づかない細部に命を宿す」。


 蔵敷の泥臭い粘りが、精密機械の歯車を一瞬だけ狂わせたのだ。

 風間は帽子を深く被り直し、一度だけ大きく息を吐いた。

 その目は、まだ死んでいない。

 五番・柳楽人に対し、風間は再び「静寂」を取り戻すべく腕を振る。

 柳もまた、蔵敷の作った流れに乗ろうと食らいつくが、立て直した風間のスライダーの前に中飛に倒れた。二死。

 だが、白組の攻勢は止まらない。

 六番・猿渡勇。湊の守備の師匠であり、地味な反復練習を愛する職人が、風間の「無音のリリース」をじっと見据える。


(……指先だ。指先が離れる瞬間だけ、僅かに空気が震える)


 職人の眼が、魔術の種を見抜く。

 勇は初球、風間のシュートを逆らわずに右方向へ流し打った。

 山倉の横を抜けるライト前ヒット。二死一塁。

 続く七番・乾慎太郎。

 「粘りの極致」を信条とする乾に対し、風間はこれ以上の失点を拒むように、この日最速の142キロをインコースに突き刺した。

 乾、見逃し三振。

 

 さらに追加点こそならなかったが、白組は確実に「王者」の喉元に手をかけていた。

 

「……よし、行くぞ。鳴海、準備はいいな」


 鬼塚監督の鋭い声が飛ぶ。

 白組のマウンドに向かうのは、武闘派・鳴海聖。

 

「風間。お上品なピッチングじゃ、こいつらの熱は抑えきれなかったな。」


 鳴海はそのまま、マウンドへと駆け上がっていく。

 白組ベンチには、先ほどまでの絶望感はない。

 「勝てる」――。

 根拠のない予感が、確信へと変わりつつあった。

 湊は、その盛り上がるベンチの熱狂の端で、静かに右手の感覚を確かめていた。

  喧騒が、熱気が、白組ベンチを完全に支配していた。

 蔵敷の放った一撃は、単なる2点差への追撃ではない。無敵の術理を誇る風間の「静寂」を、白組の誰もが「理屈の外側」で破壊できると証明してしまったのだ。

 その熱狂の渦中で、湊だけが冷たい汗を感じていた。

 右手の指先。岩のように硬いマメが、泥にまみれたグラブの中で脈打っている。

 

(勝てる……? 本当に……?)


 これまでの自分なら、まず抱くことのない傲慢な予感。だが、それが現実味を帯びるほどに、心臓の鼓動は早まり、喉の奥がカラカラに乾いていく。


 「無視、賞賛、非難」。


 野村克也の言葉が、湊の脳裏をよぎる。中学時代、誰からも期待されず、美術部の隅で石膏像を見つめていた自分。もし、ここで本当に逆転の筋書きが用意されているのだとしたら、その幕引きを演じるのは、自分という「異能の不器用」なのだろうか。

 耐えきれず、湊はベンチのパイプ椅子に腰掛ける鬼塚監督のもとへ歩み寄った。


「……監督」


「なんだ、一条。鳴海の気迫に気圧されたか?」


 鬼塚は、マウンドで咆哮を上げる鳴海から目を離さずに言った。

 湊は、震える声を必死に抑えて問いかける。


「どうして、僕が最後なんですか。……氷室も望月さんも、そして鳴海も、みんな僕よりずっと『実績』がある。僕みたいな、120キロそこそこしか出ない未完成品を、一番最後に持ってくるのは……」


 それは、湊の本心だった。

 自分はまだ、泥の中にいる。磨ききれていない。150キロの腕の振りから122キロしか出せないこの歪な体は、あまりにも不安定だ。

 鬼塚が初めて、湊の方を向いた。

 サングラスの奥、鋭い眼光が和らぎ、唇の端がニヤリと釣り上がる。


「お前、自分の球をなんだと思っている」 


「……リミッターのかかった、呪われた球です」


「バカ言え」


 鬼塚は、まるで最高の宝物を見せつけるような、悪戯っ子のような笑顔を浮かべた。


「『火の玉ストレート』は、 ――抑えしかないだろ。九回、あるいは絶体絶命の窮地。相手が一番焦り、一番の勝負どころに、お前のあの浮き上がる異形をぶち込んでやるんだ。公式戦でもないのに怖じ気づいたか?……打者の脳がショートする瞬間を、特等席で見せてくれよ」


「っ……!」


 湊の思考が真っ白に染まる。

 呪縛だと思っていた自分の武器を、監督は「火の玉」と呼んだ。かつての名投手が背負った、あの聖域の名前を。

 動揺で指先が震える。誇らしさと、それ以上の重圧が湊を襲った。


「さあ、見ろ。お前にバトンを繋ぐために、猛獣が牙を剥いているぞ」


 視線をグラウンドに戻せば、マウンドの鳴海聖が凄まじい殺気を放っていた。

 

 鳴海は構わず、全身のバネを爆発させるように大きく振りかぶった。

 

「一条! 見てろ! これが『力』だあぁぁ!!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ