第15話:色彩の解体、無機質な包囲網
第15話:色彩の解体、無機質な包囲網
三回表、二死。
聖隷高校グラウンドを支配しているのは、紅組の二番手・風間誠が作り出す「静寂」だった。
無音のリリースから放たれる130キロ台後半の直球は、打者の「色」を奪う。
白組ベンチの湊は、その異様な光景に身を乗り出していた。
(風間先輩の投球は、背景に溶け込んでいる。打者の脳が反応するための『違和感』を、技術で削ぎ落としているんだ……)
打席には、八番・捕手の佐伯誠二。
湊の「リミッター」を誰よりも理解し、その異能を支える相棒が、眼鏡の奥で思考を巡らせる。
一球目。外角低め。風間は表情ひとつ変えず、境界線の僅か数ミリ内側に撒き餌を置く。
「……ッ!」
佐伯は手を出さない。ボール一個分の微差。
続く二球目、三球目。内角を抉るシンカー、そして再び外角へのスライダー。
風間の投球は、まるで定規で線を引くように精密だ。
(……この人は、理屈で打たせようとしている。なら、その理屈の外側に答えを置く)
フルカウントからの六球目。風間の右腕が「無」を切り裂く。
佐伯はヤマを張っていた。内角高めのカットボール。
――ガギィン!
詰まりながらも、知性派捕手の意地が打球を一二塁間へと運ぶ。
山倉のダイビングキャッチも届かない。佐伯、執念のライト前ヒット。
白組に、この試合初めての「熱」が灯った。
「さーて。魔術師の次は、一発芸でも披露しようかなっと」
続く九番・望月瞬が、いたずらっぽく笑いながらバッターボックスへ向かう。
160センチ台の小柄な体躯。風間は「確実なアウト」を取りにくる。
初球。風間が投じた135キロの直球が、望月の懐を突く。
その瞬間、望月は極限まで膝を折り、バットを寝かせた。
――コツッ。
三塁線。それもマウンドの風間とサードの熊田のちょうど中間地点。
「セフティー!?」
「なに……!?」
風間が初めて顔を歪め、マウンドを駆け下りる。だが、望月の走力は小兵ゆえの瞬発力に満ちていた。
風間の送球よりも、望月の足が僅かに早くベースを叩く。
二死一、二塁。
「一条くん、野球は『間』だよっと。完璧な機械にも、油断という隙間はあるもんさ」
望月がベンチの湊へウインクを投げる。
打順はトップに返り、一番・猿渡駆。
兄である勇の指導に食らいつき、足の暴力でマウンドを蹂躙してきた韋駄天が、ギラついた瞳で構える。
(風間先輩、今のは『赤(直感)』の乱れだ。冷静な青が、僅かに濁った)
湊の視界に、風間の周囲を漂う色彩の変化が映る。
一球目。風間が焦りを隠すように投じた、高めのストレート。
猿渡駆は迷わない。最短距離でバットを振り抜いた。
――パシィィィッ!
打球は一塁手・椛島の横を抜ける鋭いライナー。
ライトの桐生が猛チャージをかけるが、二塁走者の佐伯はすでに三塁を蹴っていた。
桐生のレーザービームが本塁へ突き刺さる。
しかし、佐伯の頭からのスライディングが、黒田のミットよりも一瞬早くベースを掠めた。
「セーフッ!!」
白組、待望の1点。
3-1。点差はまだ大きい。だが、白組ベンチは沸騰した。
「……いい攻めだ。だが、お遊びはここまでだよ」
風間が初めて深く息を吐き、帽子を被り直す。
二死一、三塁。打席には二番・杉浦光希。
「動体視力の怪物」が、その瞳を凝らしてマウンドを見据えるが、風間のギアは完全に切り替わっていた。
一球目。無音のリリースから放たれたのは、この日最速の140キロ。
二球目。ブレーキの効いたチェンジアップ。
三球目。フロントドアを思わせる、内角へのシュート。
「……見えない」
杉浦のバットが空を切る。
三振。
風間は涼しい顔でマウンドを降り、白組の反撃を最小失点で食い止めた。
三回裏。
再びマウンドには望月瞬が立つ。
「一条くん。見ててごらん。どんなに技術があっても、最後にマウンドを守るのは『覚悟』なんだよっと」
望月は湊の横を通り過ぎる際、その肩をポンと叩いた。
湊は、ベンチの隅で浅倉仁衣菜が準備する氷嚢を見つめる。
「……準備を怠る者は、チャンスを失うのではない。ピンチを招いているのだ」
野村克也の魂が、湊の脳内で反響する。
望月の100キロの執念と、風間の無機質な術理。
その両方を目に焼き付けながら、湊は右手の指先を泥に埋めた。
岩のようなマメが、熱を帯びて脈打っている。
三回裏の攻撃。紅組の打順は三番・桐生政長から。
望月は「覚悟」を体現するように、地面スレスレのリリースから、さらなる遅球を投げ込む。
桐生が放った右中間への大飛球を、中堅手の柳楽人が背走しながらフェンス際で掴む。続く四番・豊田に対しても、望月は「微差」を操り、タイミングを僅かに外してどん詰まりの捕邪飛。五番・熊田には死球を与えたものの、六番・椛島を外角へのシンカーで引っかけさせ、二塁ゴロに仕留めた。
「ふぅ……。なんとか、マウンドは汚さずに済んだかなっと」
望月が滝のような汗を拭いながらベンチに戻る。三回を終えて3-1。点差は2点。
鬼塚監督が、パイプ椅子に深く腰掛けたまま口を開いた。
「四回裏からピッチャー鳴海。望月、ご苦労だった。お前の『遅滞』が、この試合にようやく野球らしいリズムを呼び込んだな」
「光栄ですよ。……さて、鳴海。お前の『剛』で、紅組の連中に冷や水を浴びせてやんなよっと」
望月の言葉に、鳴海は無言でグラブを叩いた。
鳴海聖。右投。
白組きっての武闘派だ。湊の多彩な球種を「器用貧乏」と切り捨て、力こそが正義と信じて疑わない男が、マウンドの準備のためにベンチを出ていく。
四回表。
紅組のマウンドには、依然として風間誠が君臨していた。




