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リミッター・ハイ  作者: あめたす


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第13話:泥中の狼煙、プレイボールの咆哮

第13話:泥中の狼煙、プレイボールの咆哮


 梅雨明けの神奈川。

 聖隷高校グラウンドの空気は、熱気と湿度が混じり合い、肌にべったりとまとわりつく。

 だが、その不快感をかき消すほどの「殺気」が、ベンチ前を支配していた。

 今日は夏の県大会ベンチ入り20枠を懸けた、最終選考紅白戦。

 これまで「奇行」と蔑まれてきた一条湊の、そして燻り続けてきた若手たちの、運命を分ける合戦場だ。


「全員、集まれ」


 鬼塚監督の低く、重い声が響く。

 選手たちが円陣を組む。その中心で、鬼塚はサングラス越しに一人ひとりの顔を射抜くように見つめた。


「今日の紅白戦は特別だ。全員を起用する。控え組だの、新入生だのといった言い訳は一切認めん。実力がある奴がベンチに入る。ただ、それだけだ」


 監督の言葉に、エース豊田零司が不敵に口角を上げた。その瞳には「格の違いを見せつけてやる」という傲岸な色が宿っている。


「紅組(レギュラー・二年生主力+風間)の先発は豊田。白組(若手・控え)の先発は氷室。……いいか、『準備を怠る者は、チャンスを失うのではない。ピンチを招いているんだ』。準備ができていない奴から、このグラウンドを去れ」


 円陣が解ける。

 湊は白組ベンチの隅で、泥だらけの『レッドスター』の紐を、千切れんばかりの力で締め直していた。

 視界はまだ、緊張で少し霞んでいる。モノクロの景色の中で、リミッターという鎖が脳の奥で冷たく音を立てていた。


「……一条、手が震えてるぞ」


 相棒の佐伯誠二が、プロテクターを装着しながら隣に座った。


「震えてるんじゃないよ、佐伯。……高ぶってるんだ」


 湊は、岩のように硬くなった自分の指先を見つめた。

 十年前、父に「センスがない」と切り捨てられたあの日から。

 壁にボールをぶつけ続け、指先から血を流し、孤独の中でスピンだけを磨き続けた。

 その全てを、今日、このマウンドで証明しなければならない。


「無視され、非難され、ようやくここまで来た。……次は、称賛を奪いに行く」


 湊の言葉に、佐伯がニヤリと笑う。


「強気だな。その意気だ。お前の物理法則を無視した球、俺が全部止めてやるよ」

 

 グラウンドを包む空気の密度が一段と増した。

 先攻、紅組。後攻、白組。

 一回裏、マウンドに立った豊田零司の姿は、まるでそこに巨大な火柱が立っているかのような威圧感を放っていた。


「一回裏、白組の攻撃。一番、右翼手、猿渡 駆」


 白組の先頭、俊足の猿渡 駆が打席に入る。湊の守備の師である兄、勇とは対照的に、駆は獲物を狙う野犬のような鋭さを秘めている。だが、その駆の足を持ってしても、豊田の「剛」の前では無力に等しかった。


 ――ドォォン!!


 一球目。内角を抉る151キロの直球。

 駆のバットが空を切るどころか、その風圧に身体がのけぞる。ミットを叩く爆音は、一塁側ベンチまで地響きのように伝わってきた。


(……これが、聖隷の『絶対正義』か)


 湊はベンチの最前列で、その投球を食い入るように見つめた。

 二球目、外角低めに沈む高速スプリット。駆の腰が引け、バットは空を泳ぐ。

 そして三球目。再び150キロの火力が外角の境界線を焼き切った。見逃し三振。

駆は一歩も動けず、悔しげに砂を蹴ってベンチへ戻る。


 続く二番、三塁手の杉浦光希。

「動体視力の怪物」である彼は、唯一豊田の球を捉えるかと思われたが、豊田はその選球眼すらも嘲笑った。

 初球のカットボールで芯を外させファウルを稼ぐと、最後は杉浦が最も得意とするコースへ、152キロの直球を「力」でねじ込んだ。バットが力負けし、捕手・黒田のミットへ吸い込まれるポップフライ。


 三番、一塁手の片山鉄男。

 ベンチプレス200kgの怪力を持つ「扇風機」に対し、豊田は一切の逃げを見せない。三球すべてが内角高めの直球。


「打てるもんなら、打ってみろ」


 その意思が、剛球となって片山のバットを押し負かした。ボテボテの投ゴロ。

 わずか8球。一人の走者も許さない、暴力的なまでの完全投球だ。


技術を超えた「覚悟」の塊だった。

 二回表、今度は白組の氷室零がマウンドへ向かう。

 白組ベンチからの「氷室、落ち着け!」「打たせていけ!」という声が飛ぶ。

 氷室は大きく深呼吸をし、紅組の一番・山倉に向き合った。

 氷室の145キロが唸りを上げる。

 一球目、外角高めの直球。山倉のバットが空を切る。


「……いける」


 氷室の瞳に希望が宿る。二球目、変化の小さいスライダーでカウントを追い込むと、三球目。内角を突く渾身のストレート。山倉のバットは詰まり、遊撃への平凡なゴロに打ち取った。

 続く二番、二塁手の清田。

 粘りの天才に対し、氷室は冷静だった。低めを集め、最後は清田がバントの構えからヒッティングに切り替えた瞬間、フォークでタイミングを外す。投ゴロ。

 二死。ここまでは完璧な立ち上がりだった。


 だが、そこからが「地獄」の始まりだった。


 三番、右翼手の桐生。

 氷室の直球が、わずか数センチ中へ入った。その微差を、聖隷の太陽は見逃さない。


 ――パコォォォン!!


 乾いた音とともに、打球は右中間を真っ二つに裂いた。スピンの効いていない氷室の145キロは、桐生にとって「一番打ちやすい速度」でしかなかった。

 

 四番、エース豊田。

 氷室の顔から血の気が引く。力で抑え込もうと腕を振るが、球は無情にも高めに浮いた。


 ――ドガッ!!


 左翼席へ飛び込むかという強烈な二塁打。二者連続の長打。桐生がホームベースを踏み先制する。氷室の「棒球」が、レギュラー陣の餌食となっていく。

 五番、三塁手の熊田。

 氷室の制球が乱れ始める。四球。

 六番、一塁手の椛島。

 怪我で走れないはずの「不屈の強打者」が、代打ではなくスタメンとして打席に立つ。その威圧感に、氷室の脳内リミッターが恐怖という悲鳴を上げた。


 ――ガツッ!!

 レフト前へのクリーンヒット。さらに連打が続き、紅組に2点が刻まれる。

 氷室はマウンド上で膝をついた。球速はある。気合もある。だが、打者を封じ込める「理」が欠けていた。


「ピッチャー、交代だ」


 鬼塚監督の冷徹な声。まだ一回が終わっていない。

 氷室は無言でマウンドを降りる。その肩は小さく震えていた。


「……いけ。望月。」

 監督が指名したのは、アンダーハンドの望月瞬だった。

 球速100キロの「遅球」の使い手。


「一条くん、見ててよ。速いだけがピッチャーじゃないってことをさ」


 望月が、眼鏡をクイと押し上げながら不敵に笑う。

 湊は、その小さな背中を見送った。

 モノクロだった視界に、望月が放つ独特の「緑色」のオーラが混ざり始める。

「……失敗と書いて、『せいちょう(成長)』と読む」


 湊は、氷室の背中と、マウンドへ向かう望月を交互に見つめ、自分の中に渦巻く「獣のような覚悟」を研ぎ澄ませた。

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