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リミッター・ハイ  作者: あめたす


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第10話:谷間の世代と、見えない火花

第10話:谷間の世代と、見えない火花


 翌日。聖隷高校のグラウンドを包む空気は、昨日までとは明らかに違っていた。

 夏の県予選まで一ヶ月を切った。その緊張感が、進学校特有の静かな熱を帯びて部員たちを急かしている。


「おい、一年。いつまでチンタラ歩いてんだ。マウンド汚した自覚、まだ残ってるか?」


 鋭い声の主は、二塁手の乾慎太郎だった。

 二年生。現レギュラー。

 一打席で20球近くファウルを打つ「粘りの極致」を体現する男だ。乾は湊がバント処理の練習を始めようとした足元へ、わざとらしく砂を蹴り上げた。


「……おはようございます。乾先輩」


 湊は立ち止まり、深く頭を下げる。

 乾の視線は、湊が履いている真っ黒なスパイク『レッドスター』に注がれていた。


「いい靴履いてんなあ、おい。赤星モデルか? 道具に頼る前に、そのひょろい脚どうにかしろ。お前、昨日の居残りで脚ガタついてんだろ。俺の練習に一時間付き合え。一歩も動けなくしてやる」


 乾の言葉は棘だらけだったが、それは湊の「限界」を測ろうとする彼なりの検品作業のようにも聞こえた。


 練習が始まる。

 二年生は「谷間の世代」と呼ばれていた。圧倒的な「武」を誇る三年生と、湊たち異能の一年生に挟まれ、最も焦燥を抱えている世代だ。

 サブグラウンドの端。乾のノックを受け続ける湊を、遠くから見つめる影があった。

 中堅手の控え、柳楽人だ。

 彼は湊と同じ『レッドスター』を愛用し、走塁技術においてはチームで一、二を争う。


「……一条。乾さんのノックは性格が出るぞ。捕りやすい球は一球も来ない」


 柳が近づき、湊にペットボトルを差し出した。乾が一度ノックバットを置いて、ベンチへ戻った隙だった。


「柳先輩……。乾さんは、僕を試してるんでしょうか」


「試してるんじゃない。削ってるんだ」


 柳は短く答えた。


「俺たちは、三年生みたいに天才じゃない。お前みたいに尖った何かを持ってるわけでもない。だから、泥臭く相手を削るしかないんだ。乾さんは、お前がその『削り合い』に耐えられる駒かどうかを見てる」


 柳の言葉通り、二年生のスタンスは徹底して実利的だった。

 そこへ、部室から野太い声が響く。


「おいおい! 暗い顔すんな! そんなもん筋トレで上書きしろッ!」


 控え一塁手の蔵敷徹だ。

 精神論の塊のような男で、部室に野村名言『念ずれば花開く』を貼った張本人でもある。彼は湊の背中を、骨が鳴るほどの強さで叩いた。


「一条! お前の壁当て、近所の田尾さんが褒めてたぞ。正しい努力をしてるってな。俺と一緒にベンチプレスやるか? 筋肉は嘘をつかねえ!」


「……いえ、今は守備のステップを固めたいので」


「ははは! 断りやがった! いいねえ、頑固な奴は嫌いじゃない!」


 蔵敷が豪快に笑い飛ばす一方で、ケージの中でバッティング練習をしている大島大夢の空気は、それとは真逆の拒絶に満ちていた。

 レギュラー左翼手。地面スレスレの球をスタンドへ運ぶ「悪球打ち」の天才。


「チッ……理屈っぽくて吐き気がするな」


 大島は湊の姿を視界に入れることすら嫌うように、鋭い打球を放った。


「データの数値だか、観察眼だか知らねえが。バットに当たれば飛ぶ。野球はそれだけだ。120キロの球なんか、どこを通っても俺の射程圏内だよ、一条」


 二年生たちの多様な視線が、湊に突き刺さる。

 中立の柳、試す乾、熱い蔵敷、そして否定の大島。

 三年生のような絶対的な「壁」ではなく、同じ生き残りを懸けて戦う「隣人」としての重圧。

 練習の合間、湊はふと鬼塚監督から渡された『異能プログラム』の続きを思い出していた。

 

 ――「リミッターを外すな。その『枷』を、相手を欺くための『扉』に変えろ」。


 湊は、乾が戻ってくるマウンド寄りの守備位置へ再び立った。

 乾の色彩は「青」。理論的で、相手の隙を突くことに命を懸けるタイプ。

 

(乾先輩……。あなたが僕を削るなら、僕はあなたの「粘り」を利用して、一歩も動けないピッチングをデザインしてみせる)


 湊は、乾の色彩をじっと見つめる。

 乾の重心、スパイクの踏み込み、バットを持つ指の力み。

 美術部で培った観察眼が、モノクロのグラウンドに少しずつ「意味」という色を塗っていく。


「一条、行くぞ! 次は20本連続、左右への振り回しだ!」


 乾が不敵に笑い、バットを振り抜く。

 湊は昨日、暗闇の河川敷で駆に叩き込まれたステップを思い出した。

 

(微差。あと一歩。動作スピードの変動……)


 湊は、わざと一瞬だけ反応を遅らせた。

 乾が「捕れない」と確信した瞬間、リミッターによる制御を解き放つのではなく、制御されたままの筋力を「最短距離」へ凝縮させる。


 ――パンッ!


 乾の放った三遊間への鋭い当たりを、湊が横っ飛びで掴む。

 

「……へぇ…」


 乾が足を止めた。

 隣で見ていた柳が、目を見開く。

 

「今、わざと一歩目を遅らせたか? 相手のタイミングを測るために……」


「……いえ。身体が勝手に」


 湊は短く答え、ボールを乾へ投げ返した。

 

 二年生たちの間に、奇妙な静寂が広がる。

 それは、彼らが初めて一条湊という存在を「ただの一年生」ではなく、「同じマウンドを狙う競争相手」として認識した瞬間だった。


「……面白いサンプルだね」


 ベンチの陰で、右投サイドハンドの風間誠が、無表情にノートを閉じた。

 湊とは逆に、力を入れていないように見えて球が走る「無音のリリース」を持つ男。

 

 聖隷高校野球部。

 三年生の圧倒的な武。

 二年生の執拗な粘り。

 そして、一年生の狂気。

 それらが、予選前のグラウンドで激しく火花を散らし始めていた。

 湊は、泥だらけのユニフォームの裾を強く上げた。赤星憲広への憧れを込めたオールドスタイル。

 

「人間は、恥ずかしさという思いに比例して進歩するものだ」


 昨日の敗北。椛島に浴びせられた言葉。エース豊田の嘲笑。

 それら全てを、今、この二年生たちの荒っぽい洗礼の中に溶かし込んでいく。


「乾先輩、次の20本。お願いします」


 湊の瞳に、静かな火が灯った。

 

 その光景を、マネージャーの陽葵はハイスピードカメラに収めながら、小さく独り言を漏らした。


「湊くん……。あなたの描く『野球』は、きっと、この部の形を根底から変えてしまう」


 夕暮れのグラウンド。

 122キロの制限リミッターの裏側で、一条湊の魂が、確実にその殻を破ろうとしていた。

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