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リミッター・ハイ  作者: あめたす


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第1話:120キロの火の玉

第1話:120キロの火の玉


「プロは技術的な限界を感じてから、本当の戦いが始まるのだ」


かつて、球界の知将と呼ばれた男はそう言った。

だが、その手前にある「身体的な限界」という絶望に、一条湊いちじょう みなとは10歳の頃から立ち尽くしていた。


4月の午後。北関東に位置する私立聖隷高校。

部員数70名を超える野球部のグラウンドは、独特の活気と、砂埃が混じった熱気に包まれている。


「……美術部、だったんだってな」


「ああ。中学3年間、一度も白球を握ってないらしい。なのに、なんでいきなりマウンドに立たせてんだ? 監督は」


バックネット裏で控え部員たちがヒソヒソと囁き合う。

その視線の先。マウンドには、少し風変わりな風貌の少年が立っていた。


一条湊。

身長180センチ。線の細い、しなやかな身体つきをしている。

藤川球児への憧れからだろうか、帽子のツバを少し深めに被り、ユニフォームの裾を膝下まで引き上げた「オールドスタイル」で立っている。その足元には、真っ黒な輝きを放つ赤星憲広モデルのスパイク――通称『レッドスター』。


マウンド上の湊は、一つ大きく息を吐いた。 視界の隅に、ベンチで腕を組む鬼塚監督の姿が見える。さらにスタンドの端には、偶然通りかかったのか、あの「偉大な父」である一条健造の面影があった。


(センスがない、か……)


脳裏をかすめる冷たい言葉を、湊は首を振って打ち消した。

打席には、野球部主将の蔵敷徹。高校通算20本塁打を超える、このチーム最大の壁だ。


「おい、1年坊主。美術部で絵筆を握ってた手が、どこまで通用するか試してやる。遠慮せず放ってこい」


蔵敷が威圧感たっぷりにバットを構える。

キャッチャーの佐伯誠二がミットを構えた。中学からの腐れ縁であり、湊の「正体」を誰よりも知る男だ。


(湊、分かってるな。お前の『リミッター』……隠す必要はない。全部ぶつけろ)


佐伯が頷く。

湊の指先が、ボールの縫い目に深く、強くかけられた。

瞬間、空気が変わった。

 

湊のフォームは、かつてのメジャーリーガー、ティム・リンスカムを彷彿とさせる、あまりにダイナミックで狂気的なものだった。

大きく左足を跳ね上げ、重心を極限まで沈み込ませる。身体をムチのようにしならせ、長い右腕が、遅れて、しかし猛烈な勢いで旋回してくる。

バッターボックスの蔵敷は、戦慄した。


(なんだ、この腕の振りは……150キロ、いや、それ以上の出力だ!)


蔵敷の脳が、経験則から「150キロのストレート」が来るタイミングを算出し、筋肉に始動の合図を送る。

湊の腕が最高速で振り抜かれ、シュッ!というムチを振ったような鋭い破裂音が響く。

だが。


「……あ?」


放たれた白球は、蔵敷の予想を遥かに下回る、緩やかな速度で空間を漂った。

あまりのギャップに、蔵敷のトップは崩れ、身体が泳ぐ。


(遅い! チェンジアップか!?)


蔵敷はスイングを途中で修正し、待ち構えて叩こうとした。

通常なら、高校球児なら誰でもスタンドへ運べる棒球…。


しかし。


「なっ……!?」


ミットの手前。

失速し、落ちてくるはずの白球が、そこから「加速」したように見えた。

重力に逆らうようにホップし、蔵敷のバットの遥か上を通過する。


パァァァン!!


乾いた、鼓膜を突き刺すような鋭い破裂音がグラウンドに響き渡った。


「ストライク!」


審判のコールが遅れて聞こえる。

蔵敷は空振りをした姿勢のまま、固まっていた。


「……今のは、なんだ」


バックネット裏のスピードガンが、その「正体」を無慈悲に映し出す。


 ――121km/h。


「嘘だろ……。あの腕の振りで、たったの120キロ? だけど今のホップ、ありえないだろ……」


部員たちの間に動揺が走る。

湊は、深く被った帽子の下で、静かに自分の右手を見つめていた。

脳が、身体を守るためにかけている強烈な呪い。

投球動作中どれだけ全身を駆動させても、肩だけは「一定以上の力」を出せないようにリミッターがかけられてしまっている。そのせいで、彼の球速はどれだけ鍛えても120キロ台で頭打ちになる。

だが、そのリミッターの「余剰エネルギー」は、全て指先の回転へと注ぎ込まれていた。

手首と指先だけには、リミッターがかかっていない。

全身からの150キロ級のエネルギーが、120キロの球速に「回転数」として圧縮される。

ラプソードが弾き出した湊のストレートの回転数は、2400rpm。

それは、プロ野球の平均を優に超え、かつての憧れ、藤川球児が放った「火の玉」に限りなく近い質。


(腕の振りは新幹線、来る球は自転車……。だがな、蔵敷さん)


湊は2球目のサインに頷く。

2球目。湊は再び、あの爆発的なフォームから腕を振る。

蔵敷は今度こそタイミングを合わせようと、わざと1テンポ遅らせて始動した。

だが、今度はボールが手元で不自然に沈んだ。


「ッ!?」


ツーシーム。


120キロという「遅さ」があるからこそ、打者はボールの変化を詳細に捉えてしまう。そして、捉えてしまうからこそ、脳はわずかな変化を「巨大なズレ」として認識し、バットを修正不能な場所へと導く。

空振り。


3球目。湊は今度は、さらに腕を強く振った。

今日一番の全力。しかし、身体の奥底でガチリと「錠」がかかる音がする。脳が命じている。「これ以上出すな。壊れるぞ」と。


(分かってるよ。俺は、この制限の中で戦うって決めたんだ)


球が中指と薬指に撫でられるように抜ける。いわゆるサークルチェンジだ。弧を描きその球はホームベースの直前でシンカーの軌道で落下してくる。

蔵敷のバットが、空を切り裂く。

3球三振。


静まり返るグラウンド。

湊は、呆然とする主将に一礼し、マウンドを降りようとした。

その時、ベンチの鬼塚監督が不敵な笑みを浮かべて呟く。 


「……未熟者に、スランプはない、か」

野村克也の名言。湊が座右の銘としている言葉だ。


湊の足元、真っ黒な『レッドスター』が砂を噛む。

身体能力の限界を脳が決めつけるなら、その限界の中で「最強」を構築すればいい。

 

一条湊。

異質な球速120キロ。

センスがないと断じられた少年の、狂気的な反撃がここから始まる。


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