12.刃花弁
貫かれた潮湖の額から、ペールブルーの液体スパークが迸る。
それは澂の服に付着していた砂糖香のコーヒーの染みに重なり、さらに不可解で冒涜的な模様を描き出した。
潮湖の倒れ方は、マフィア映画で撃たれた端役のようにあっけないものだった。彼女が崩れ落ちると同時に、手から離れたチェーンソー傘がプールサイドのタイルに落下する。
だが、エンジンは死んでいなかった。
主を失った凶器は、釣り上げられたばかりの筋肉質な巨大魚のようにタイルの上を猛烈に跳ね回った。回転する刃花弁があちこちに接触し、激しい火花を撒き散らす。それは澂の周囲で、局所的で暴力的な花火大会が開催されているかのようだった。
しかし、澂にとっては救いだった。頭上の脅威が去り、再びダイヤモンドの雨が彼のボディに降り注いだのだ。
窒息寸前で酸素マスクを当てられたように、あるいはバッテリー残量が0.00000000000000001%を切った土壇場で充電プラグが差し込まれたように、劇的な蘇生感が彼を満たした。
苦痛が潮が引くように消え去り、周囲の状況がクリアに見えてくる。
潮湖は、先に倒れた砂糖香の上に重なり、さながら廃棄処分のBLTサンドウィッチのようになっていた。チェーンソー傘は相変わらず水に戻れない魚のようにタイルの上で暴れ回っている。
そして、変死体。
澂の懐に抱きついていた彼女の瞳から、不気味な光は消えていた。代わりに浮かんでいるのは、底知れぬ失望の色だった。
彼女は澂の懐からゆっくりと身を解き、重なり合っていた体を離した。そして、澂の上から退くと、デッキチェアの傍らに立ち上がった。
死んでいるはずなのに、その立ち姿は生き生きとしている。
そして、その死んだはずの瞳が、どんな最新型ヒューマノイドよりも人間らしい感情――特に「幻滅」や「失望」といった負の感情を完璧に模倣して、澂を見下ろしていた。もし原始人類がこの視線を浴びたなら、脳の大脳辺縁系が即座に反応し、コルチゾールなどのストレスホルモンが過剰分泌されて精神的ダメージを負ったに違いない。
「何か言いたいことでもあるのか?」
澂は、ダイヤモンドの雨を浴びること以外には興味がない、品性の欠落した富豪というロールプレイを貫くことにする。
冷徹な軽蔑を湛えた目で彼を見下ろしていた変死体は、何も答えなかった。代わりに、彼女は足元で相変わらず猛烈に跳ね回っているチェーンソー傘へと近づいた。
彼女がそれを拾い上げようとした、その瞬間。
チェーンソーの動きはカオスそのものだった。予測不可能な軌道で跳ね上がり、回転する刃が彼女の足首を捉えた。
回避は不可能だった。
高速回転する鋸刃が肉(に見せかけた素材)に食い込み、骨(に見せかけたフレーム)を断ち切る。
彼女の美しい素足首が、切断される。
澂は顔をしかめたが、声は上げなかった。
もはや彼女への恐怖はダイヤモンドの雨に溶け、完全に霧散している。心配するフリをして恐怖を和らげる必要性も、論理回路(CPU)から完全に消去されている。今の彼の精神状態は、あくまで冷静な計算機意外何物でもなくなっていた。
切断された足首は、美しい弧を描いて飛んでいった。
向かう先は、プール。
かつて彼女が唐突に浮かび上がった、生産源であり母親の羊水でもあるかのような、あの青い水面。
片足だけが、その「故郷」へと帰還する。
ドボン。
水飛沫を上げ、足首がプールに飲み込まれる。
水と出会った瞬間、その素足はまるでストレッチをするようにアクチュエーターの可動域を最大限に広げ、足指をヒレのように巧みに駆使し始めた。
そして、グロテスクなほど滑らかな動きで、プールの底へ――深海魚の如く潜っていった。
変死体が、消失した自らの足先があった場所を呆然と見つめる。
だが、すぐに気を取り直したようだ。彼女は残された一本の足を引きずり、切断面からペールブルーの液体スパークを派手に噴出させながら、暴れるチェーンソー傘ににじり寄った。
地面で跳ね回る魚を抑え込もうとする漁師のように――あるいは、初めて釣った魚を逃がすまいと必死になる子供のような無表情で、彼女はその柄を掴み取った。
制御に成功した瞬間、彼女の表情が緩む。
獲物を両手で掲げ、無垢で歓喜に満ちた笑顔を、澂の方へと向ける。
澂は、長い睫毛に留まるダイヤモンドの雫越しに、雨粒のレンズ効果で歪曲され、肥大化した彼女の笑顔を半眼で眺めた。
ふと、感想が口をついて出る。
「花のように咲いているね、君」
だが、その声はチェーンソーの轟音と彼女の歓喜にかき消され、届くことはない。
澂は発声ユニットを諦め、彼女の周波数にチューニングを合わせると、直接脳内へテレパシーを送信した。
『刃花弁、見事に咲かせたね。次は、何が死体?』




