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第一話

――ひかりが…揺れている。


目を開けたとき、一番に感じたのは、それだった。


白でも黄色でもない、かすかな青い灯が、霧の中でほそく震えている。


 冷たい石畳の感触が、背中からじわじわとしみ込んできて、ようやく自分が地面に倒れているのだと気づいた。


「……ここは……」


ゆっくりとあたりを見渡してみたが、あたりはどこも霧に包まれていた。


 高くそびえる建物の輪郭だけが、灰色の空に溶けかけている。


路地の端々には背の低い蝋燭が並び、そのひとつひとつに、青白い火が揺れていた。


知らない場所。知らない街。

それなのに――胸の奥が、かすかに痛んだ。


(この場所を、私は知っている?)


そう考えた瞬間、頭のどこかがキリキリと音を立てて軋んだように感じた。


思い出そうとしても、水のように指の間から零れ落ちていく。


名前。過去。誰かの顔。


何も掬えない。


 ゆっくりと上体を起こしたとき、ふとどこからか聞こえてくる足音に気づいた。


こつ、こつ、と、一定のリズムを刻んで、その足音は近づいてくる。


やがてそれは姿を現した。


 背の高い人影。無地の黒いコート。

顔は――ひどく整っているのに、どこか人間離れしたように無表情。

そして胸元には、歯車と小さな宝石の埋め込まれた金属の板。

この人は自分に友好的なのだろうか。考えているとふいに上から無機質な声が降ってきた。


「……動作は正常。損傷もなし。よかった。」


まるで、壊れた道具を検分しているみたいな口調だ。


「あなたは、一体何者?」


思わず問いかける。


 男は、ほんのわずかだけ瞬きをしてから答えた。


自動人形オートマタ・ヨル。この街で、灯守ヒモリ殿の補佐をしている。


「じどう……にんぎょう………?………」


「そう、私は人の形をしているが、人間ではない」


 淡々とそういうと、ヨルはすっと右手を差し出してきた。

細く白いその手は、機械とは思えないほど暖かかった。


「君はここで倒れていた。外套も持たずに。私のデータベースにない顔だ。――名前は?」


名前…。

私がさっきから探していたもの。掬い取ろうとして取れなかったもの。


口を開こうとして、言葉が出てこない。


「……私は」


 湖の中から色のついたしずくを一滴取り出そうとするのと同じくらい難しい質問だった。でも、何か、大事な音があったはずだ。誰かが呼んでくれていた音が。


でも、その響きは湖の底へと沈んでいってしまった。


「思い出せないのか」


ヨルの声は、責めるでも、憐れむでもなく、ただ事実を確認するだけだった。

そのことに安堵しながら私はうなずく。


「そう、何も……何も思い出せない。自分のことなのに」


「そうか」


ヨルは短く答え、少しだけ視線を落とした。

その横顔に、一瞬だけ、言葉にならない影が差したように見えた。


けれど彼はすぐに顔を上げ、機械のように正確な動きで、私の手を取り、私を起こした。


「仮の身元不明者として保護する。

灯の街へようこそ。君は運がいい。霧の中で一人きりでいるには、ここは少々、危険だから」


「…危険?」


「…後で説明しよう。まずは、暖かい場所へ」


 ヨルと名乗った自動人形に手を引かれ、私はふらつく足で歩き始める。


霧の向こう、青い灯がまたひとつ、ゆらりと揺れた。


それはまるで――


(誰かが、見ている)


そんな奇妙な感覚だった。


視線を感じて振り返る。

路地の奥。古い家並みの、その一つの窓辺。


そこに、ひどく細い影が立っていた。

顔は見えない。けれど、青い灯に照らされた口元だけが残像のように脳裏に刻まれる。


ぼそり、と。


聞こえた気がした。


――「誰も、信じるな」


次の瞬間には影も、声も、霧に溶けて消えていた。


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