【第4話:優しさと町の小さな反応】
工房では今日も作業が続く。
油果油は瓶に詰められ、簡易パンも焼きあがった。
孤児たちは汗を流しながら、協力して作業を進めている。
しかし、昼食の時間になると、小さな騒動が起きた。
「……あれ? パンが一つ、足りない……」
アヤネが気づく。
周りの子どもたちは顔を見合わせ、誰も答えられない。
その時、小柄な少年がうつむきながらパンのかけらを手に握っていた。
孤児たちの中で、彼はいつも控えめで、食べ物を分けてもらえないときも我慢していた子だった。
「……ごめんなさい……お腹が空きすぎて、つい」
周囲はざわつく。怒鳴る者もいるかもしれない、工房をめちゃくちゃにするかもしれない――そんな瞬間、アヤネは静かにその少年に近づいた。
「……あなた、お腹が空いていたのね」
優しく、しかし確かな声で言う。
「う、うん……ごめんなさい」
アヤネは微笑みながら、手を差し伸べる。
「怒らないわ。だけど、次からは一緒に食べましょう。工房で働く人には、ちゃんと食べ物を分ける方法があるの。あなたもその一員だから」
少年は驚き、目に涙を浮かべた。
「……はい……」
ガランもそっと肩に手を置き、言った。
「お前も仲間だ。みんなで分け合えばいい」
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その日から、孤児たちは食べ物を勝手に取らず、協力して食卓を囲むようになった。
パンや油の分け方も工夫され、作業中の休憩時間にはみんなで小さな食事を楽しむ。
アヤネは内心ほっとしながらも、思った。
(優しさだけでなく、ルールも必要ね。けれど、怒鳴ったり罰を与えなくても、人は変われる)
工房には、今日も小さな笑い声が響く。
砂漠の廃墟ザルクに、希望の芽が確かに育ち始めていた。
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砂漠の太陽がザルクの街角を照らす中、工房の扉は朝から勢いよく開け放たれていた。
昨日までは小さな手作業だった搾油も、今では孤児たちの手際が格段に上がり、アヤネの指示ひとつで効率よく作業が進む。
「よし、今日も油果を100個集めましょう。手分けしてね」
アヤネが声をかけると、孤児たちはそれぞれの班に散っていく。
採集班は砂漠の外れまで出かけ、太陽を浴びながら実を摘む。
割る班は石で実を慎重に砕き、油を損なわないよう布で濾す。
瓶詰め班は透明な油を小瓶に注ぎ、整然と棚に並べる。
食材加工班は、乾燥させた果肉を簡易パンや煮込みにする。
ガランは相変わらず、力仕事を中心に子どもたちの安全確認や荷運びも担当する。だが最近は、孤児たちの作業の段取りや力加減も自然と指導するようになっていた。
「こうやって持てば砂に埋まらないぞ」
孤児たちは頷き、作業の効率が格段に上がる。
ある日、乾果を集める班の一人が、うっかり袋を倒して果実を砂まみれにしてしまった。
「きゃー! 全部だめだ!」
子どもは泣きそうになるが、アヤネは優しく声をかける。
「大丈夫、全部無駄にはならないわ。砂はふるいにかけて取り除けば、まだ使える」
そして、自分の手で丁寧に実を選り分け、子どもに手順を見せた。
「こうやるのよ。失敗しても、工夫すれば取り戻せる」
小さな手が油まみれになりながらも、子どもは夢中で作業を覚えた。
その横で、ガランは肩越しに見守りながら、少し照れた笑顔を浮かべた。
「……この子たち、強くなったな」
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数週間が経ち、工房は生産量が安定し、油も食べ物も十分に作れるようになった。
孤児たちは作業の手順を完璧に覚え、互いに助け合う姿が日常となっている。
そんなある日、廃墟の町の入口から、かすかに人影が見えた。
ザルクに残る数少ない住民――初老の男が、遠巻きに工房の様子を覗いていたのだ。
「……まさか……子どもたちが働いてるのか?」
アヤネは気づき、手を振る。
「こんにちは! 興味があれば見学していってください」
男は最初ためらったが、ガランが肩を貸して一歩前に誘う。
「怖がることはない。見ればわかるさ、あの子のやり方を」
男は慎重に近づき、棚に並ぶ油と乾果、簡易パンを見て目を見張った。
「……こんなに作れるのか……子どもたちで……」
アヤネは微笑む。
「ええ、小さな力でも集まれば、大きな力になるんです。ここから、ザルクを少しずつでも取り戻したい」
男は深く頷き、ぽつりと呟いた。
「……なら、手伝おうかな」
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夕陽が工房の窓から差し込み、棚の瓶や食べ物がきらきらと光る。
孤児たちは疲れた顔を見せつつも、笑顔でテーブルを囲む。
ガランは隣で手を拭きながら、静かにアヤネを見守る。
「お前の考えは……すごいな」
「ええ、みんなの力があるからできるのよ」
ランプに灯がともされ、砂漠の廃墟ザルクに、ようやく小さな生活のリズムが戻り始めていた。
そして、町の人々が少しずつ関わり始めることで、希望は確実に広がりつつあった。
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