第8話:狂気の連鎖、新たな裏切り者
多聞山城の天守閣に、久秀は一人、立っていた。
窓の外は、すでに夕闇に沈みかけていた。空は、鉛色から、不穏な赤色へとその色を変え、まるで血潮が滲んだように見えた。その下に広がる大和の平野は、影が長く伸び、まるで無数の死者が横たわっているかのように見えた。遠くで聞こえる風の音は、久秀には、裏切り者が集まって悪口を囁いているように聞こえた。天守閣の床に敷かれた畳は、冷たく、そして湿っていた。その冷たさが、足の裏からじわりと這い上がり、久秀の狂気をさらに研ぎ澄ませていく。
(ああ、そうだ。あの夜も、こうして雨が降っていた。京都の町を、血で染めた、あの夜だ。近藤と土方は、笑っていた。俺が死ねば、喜ぶのだろう。そうだ。あの男たちは、俺の死を望んでいた。この男たちも、同じだ。全員、俺が死ねば、喜ぶのだ。……ならば、俺は、お前たちを、死ぬまで油断させない)
久秀の思考は、狂ったように暴走する。
久秀の隣には、松永内記が立っていた。内記の顔には、久秀への畏敬と、微かな恐怖が混じり合っていた。その内記の背後には、二人の家臣、右田兵助と左近が控えている。彼らの顔は、久秀と同じように、影に覆われており、その表情を読み取ることはできなかった。
「久秀様、ご気分は如何に」
内記が、恐る恐る声をかけた。その声は、震えており、喉がひりつくような感触が、久秀には鮮明に伝わってきた。天守閣の広さに、その声は反響し、幾重にも重なって、久秀の耳に届く。その声が、久秀には、裏切りを隠すための、嘘の言葉に聞こえた。
久秀は、自分の刀の柄に手をかけた。その柄の冷たさが、久秀の指先に、まるで警告のように張り付く。久秀の背後では、右田兵助が、恐怖を隠そうと、静かに唾を飲み込んだ。その小さな音が、天守閣の静寂を破り、久秀の耳には、まるで雷鳴のように響いた。久秀は、その音に、さらに狂気を増していく。
久秀は、内記の顔をじっと見つめた。その顔が、徐々に歪んでいく。久秀の目に映る内記の顔は、新選組の屯所で、裏切りを画策していた、近藤勇の顔と重なっていた。
(近藤勇……。ああ、そうだ。お前は、俺に裏切りの酒を飲ませた。あの酒の味は、忘れられん。……お前は、俺を殺そうとした。だが、俺は、お前には負けん)
久秀の思考は、さらに暴走する。
内記の顔は、近藤から、土方歳三、そして山南敬助へと、次々と重なっていく。
久秀は、内記の顔をまっすぐに見つめ、にやりと口角を上げた。その顔は、間違いなく芹沢鴨の、豪放で、獰猛な笑みだった。内記は、その笑みに、これまで見たこともないほどの狂気を感じ、思わず息をのんだ。
内記の言葉が、久秀の耳には、歪んで聞こえる。
「……滅相もございません。私は、久秀様に忠誠を誓っております」
「忠誠」という言葉が、久秀の耳には、「中性」と聞こえ、「裏喰い」と聞こえ、そして「屍服」と聞こえた。久秀は、その言葉を無視し、静かに呟いた。
「……裏切り者は、死すべし」
その一言が、静寂に包まれた天守閣に響き渡った。
内記に続き、右田兵助が、久秀の前に進み出た。兵助の顔は、青ざめており、額には、冷たい汗が滲んでいた。彼は、久秀の狂気に、震える声で言葉を続けた。
「久秀様、ご命令を……」
その言葉が、久秀には、「ご冥利を」と聞こえた。
久秀は、兵助の顔をじっと見つめた。その顔は、新選組の屯所で、芹沢鴨を裏切ろうと画策していた、あの男たちと瓜二つだった。
(ああ、そうだ。この男も、俺を裏切るつもりだ。顔に書いてある。裏切りの言葉が、その顔に書いてある。この男は、俺が死ぬのを待っている。……だが、俺は、お前には負けん)
久秀の思考は、さらに暴走する。
久秀は、兵助の顔をまっすぐに見つめ、にやりと口角を上げた。その顔は、間違いなく芹沢鴨の、豪放で、獰猛な笑みだった。兵助は、その笑みに、これまで見たこともないほどの狂気を感じ、思わず息をのんだ。
久秀は、兵助の言葉を無視し、静かに呟いた。
「……裏切り者は、死すべし」
その一言が、静寂に包まれた天守閣に響き渡った。
最後に、左近が、久秀の前に進み出た。左近の顔は、恐怖で歪んでおり、その手は、震えていた。彼は、久秀の狂気に、震える声で言葉を続けた。
「久秀様、ご命令を……」
その言葉が、久秀には、「ご冥利を」と聞こえた。
久秀は、左近の顔をじっと見つめた。その顔は、新選組の屯所で、芹沢鴨を裏切ろうと画策していた、あの男たちと瓜二つだった。
(ああ、そうだ。この男も、俺を裏切るつもりだ。顔に書いてある。裏切りの言葉が、その顔に書いてある。この男は、俺が死ぬのを待っている。……だが、俺は、お前には負けん)
久秀の思考は、さらに暴走する。
天守閣の空間が、久秀の狂気によって、徐々に歪んでいく。
壁に飾られた、虎の屏風が、久秀には、裏切り者の顔に見えた。虎の目が、ギラギラと光り、久秀の動きを、じっと見つめている。虎の牙は、久秀の喉笛に突き立てられるのを、今か今かと待ち構えているように見えた。
床に敷かれた畳は、血で染まったように見えた。畳の目から、血が滲み出し、久秀の足元を、じわりと濡らしていく。その血の匂いが、久秀の鼻腔をくすぐる。それは、芹沢鴨を裏切った夜に嗅いだ、血の匂いだった。
刀掛けに置かれた、久秀の愛刀、倶利伽羅丸が、久秀には、裏切り者の首を刈るための、死神の鎌に見えた。その刀身が、月明かりを反射し、冷たい光を放っていた。
天守閣の灯火が、ゆらゆらと揺れる。その光は、久秀には、裏切り者の魂を、燃やす炎に見えた。炎が、ゆらゆらと揺れ、久秀の顔を、不気味に照らし出す。その炎の熱さが、久秀の頬を、じわりと焼いていく。
久秀は、内記、兵助、左近の顔を、じっと見つめた。
「……裏切り者は、死すべし」
その一言が、静寂に包まれた天守閣に響き渡った。
その瞬間、天守閣全体が、「時間が止まったかのように」静まる。
風の音も、障子のきしみ音も、久秀の狂気の前には、無意味だった。
久秀の耳には、もはや、何も聞こえない。
内記の心臓の鼓動が、久秀の耳には、裏切りの太鼓のように響き、兵助の呼吸が、久秀の耳には、裏切りの笛の音のように響いた。左近が、恐怖で刀を握りしめた。その刀が震える音が、久秀の耳には、裏切りの歌のように聞こえた。
久秀の周りに、血の華が咲き乱れる。
ピチャ、ピチャと、鮮血が地面に滴り落ちる音が、やけに鮮明に聞こえた。
やがて、久秀の周囲には、誰も立っていなかった。
長刀の刃先から、どす黒い血が滴り落ちる。
彼は、その刀身をじっと見つめ、静かに呟いた。
「……裏切りは、まだ終わらない。近藤、土方……そして、この世界のすべての裏切り者たちよ。俺は、お前たちを皆殺しにするまで、この刀を振るい続ける」
久秀は、勝利に酔いしれることもなく、ただ静かに、次の裏切り者を探し求めていた。




