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第6話:裏切りの連鎖、そして新たな獲物

信長が去った後も、天守閣には久秀が一人、立ち尽くしていた。


足元に散らばる粉々になった茶器の破片は、まるで血の飛沫を浴びた骨片のように見えた。久秀は、その破片を一つずつ、裏切り者の骨でも踏み砕くかのように、靴底で踏みつけた。パリィ……と、乾いた音が不気味に響く。足の裏に、微かな痛みが走った。それは、裏切り者の牙が、俺の肉を食い破る痛みだ、と久秀は思った。口の中に広がる鉄錆の味は、裏切りの予感そのものだった。


信長という男は、俺と似ているようで、まったく違う。裏切られることを恐れぬ、最も狂った裏切り者。……いや、違う。あの男は、裏切りを恐れていないのではない。裏切りという行為そのものを、楽しんでいるのだ。俺の暴力衝動が、理性を失って、暴れ狂った姿。……ああ、そうだ。あれは、俺の鏡だ。


そう自問自答しながら、ゆっくりと天守閣を降りた。廊下を歩く足音は静かだったが、家臣たちの耳には、死神が近づいてくるような不気味な響きに聞こえた。廊下の隅から、すすり泣くような声が聞こえる。彼らは、久秀の狂乱を目の当たりにし、もはや恐怖で身動きもできないでいた。


城の廊下は、長く、薄暗い。壁に備えられた松明の炎が揺らめく。その揺らめきが、裏切りを祝う炎のように見えた。一歩進むごとに、久秀の足音に合わせて、松明の光が生み出す影が歪んでいく。廊下の壁に飾られた古い武具や、屏風に描かれた虎の模様が、久秀の目には裏切りの証として映る。そして、その影が、近藤や土方、山南の顔に、時々、重なって見えた。


家臣たちは、久秀が近づいてくる気配を察すると、一斉に顔を青ざめさせ、道を開けた。その姿を見て、久秀はにやりと笑った。


(見ろ。この怯えた目。この怯えた顔。全員、裏切りを画策している。いや、違う。全員、俺を裏切ることを、夢見ているのだ。近藤も、土方も、山南も……。そして、こいつらも、同じだ)


その時、一人の家臣が、久秀の前にひざまずいた。顔に汗をかき、その汗が、彼の頬を伝い、床に小さな水たまりを作っていた。その水たまりが、久秀の目に、裏切りの波紋を広げる湖面のように映る。その水面に映る男の顔が、芹沢鴨の記憶と重なり、何層にも歪んで見えた。男の身体から、酸っぱい汗の匂いが漂ってくる。それは、恐怖の匂い。いや、裏切りを隠し通そうとする必死さの匂いだ。


「久秀様、ご報告がございます」


声は震えていた。

久秀は、その家臣の顔をじっと見つめた。その顔は、新選組の屯所で芹沢鴨に甘い言葉を囁きながら、裏で裏切りを画策していた男たちと瓜二つだった。


家臣は、久秀が口を開くのを恐れてか、なかなか本題を切り出せない。その様子が、久秀には、近藤勇が裏切りの言葉をどう伝えるべきか逡巡していた、あの日の光景と重なって見えた。


思考の暴走の多重化


その時、久秀の意識が、一瞬、遠い過去に引き戻された。

屯所での酒宴。酒と女の匂い。仲間たちの、裏切りに満ちた笑い声が、耳に響く。


(違う。これは、俺を油断させるための、罠だ。あの時、俺は酒に酔って、背後から土方に刺された。いや、違う。あの時、俺の心を刺したのは、近藤だ。いや、山南か。いやいや、新見か。全員だ。全員が、俺を裏切るために、笑っていたのだ!)


久秀の思考は、狂ったように暴走する。


(「和睦」だと? そんな言葉を、裏切り者の口から聞かされた。和睦とは、裏切りの死装束だ。いや、違う。「和睦わぼく」は「死伏しふく」と聞こえる。裏切り者が俺の前にひざまずいて、死ぬふりをしているのだ。いや、違う。「私腹しふく」を肥やすための、嘘の言葉だ。俺を罠に嵌め、己の私腹を肥やすための。いや、違う。これは「屍服しふく」だ。俺を殺して、俺の死骸をまとって、裏切り者は喜ぶのだ。裏切り者の至福とは、屍の衣を着ることだ……)


「……筒井順慶が、再び兵を挙げ、我らが領地を侵しております」


家臣は、震える声で言葉を続けた。

久秀は、その家臣の言葉が、耳にはもう届いていなかった。


久秀は家臣の顔をまっすぐに見つめ、口角を上げた。

「……和睦を、お勧めいたしまする」

家臣はそう答えた。その声は、安堵に満ちていた。

その言葉が、久秀の耳には「裏喰い」と聞こえた。久秀は家臣の言葉を無視し、静かに呟いた。


「……裏切り者は、死すべし」


その一言が、静寂に包まれた城全体に響き渡った。

周囲に控えていた家臣たちの顔から、安堵の色が消え、再び恐怖が宿った。


久秀は、その沈黙を打ち破るように、ゆっくりと刀を手に取った。

刀を鞘からゆっくり引き抜く音が、キィ……ン、と鳴り響く。それは、まるで裏切りの鎖を断ち切る響きに聞こえた。

久秀が刀を抜く音を聞いた家臣たちは、息をのんだ。一人、また一人と、震えながら後ずさりする。


「……久秀様、いかがなされました?」

ひざまずいていた家臣の声が、かすかに震える。


久秀は、その声に耳を傾けることなく、刀をゆっくりと振り上げた。

武具の冷たさ、そして刀身から漂う血錆の匂いが、久秀の手に纏わりつく。それは、裏切り者の屍の匂いだ。


「油断せず、また叩き潰す」


久秀はそう告げると、新たな獲物を狩るべく、廊下を歩き始めた。

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