第12話:裏切りの共闘、顕如との密談
久秀は、信長の命令を無視することを決意した。彼の思考は、すでに本願寺に向かっていた。だが、それは信長の命令に従うためではない。それは、信長を裏切るために、本願寺という新たな「裏切り者」と手を組むための、旅の始まりだった。
久秀は、わずかな手勢を率い、石山本願寺へ向かった。道中は、常に油断ならなかった。いつ、信長の放った刺客に襲われるかわからない。いつ、家臣たちが裏切って、自分の首を狙ってくるかわからない。彼の五感は、極限まで研ぎ澄まされていた。風の音、鳥の声、草木のざわめき。すべてが、久秀には、裏切りの囁きに聞こえた。本願寺に近づくにつれ、遠くから聞こえてくる鐘の音が、久秀の耳には、裏切り者が勝利を祝う、狂った笑い声に聞こえた。
やがて、久秀の目に、石山本願寺の巨大な寺院が見えてきた。その寺院は、まるで要塞のようにそびえ立ち、その威容は、久秀の心を、わずかに揺さぶった。久秀は、寺院の門をくぐり、広大な境内へと足を踏み入れた。境内には、多くの信徒たちがいた。彼らは、久秀の異様な気配に気づき、一斉に顔を青ざめさせ、道を開けた。久秀は、彼らの手に握られた数珠が、カチリ、カチリと音を立てるのを耳にした。それは、久秀には、まるで裏切りの鎖が、自分の身体に巻きつけられる音のように聞こえた。
(見ろ。こいつらも、俺を裏切ることを、夢見ているのだ。信長も、土方も、山南も……。そして、こいつらも、同じだ)
久秀の思考は、狂ったように暴走する。
久秀は、本願寺の主、顕如との対面を許された。顕如は、厳粛な雰囲気をまとい、その顔には、深い慈悲と、鋼のような意志が宿っていた。だが、久秀の目には、その厳粛な雰囲気が、裏切りを隠すための仮面に見えた。顕如の背後には、多くの僧侶たちが控えていた。彼らの目は、久秀をじっと見つめており、その視線は、久秀には、裏切りを画策する者たちの冷たい視線に感じられた。
広間に立ち込める香炉の香りが、久秀の鼻腔をくすぐる。それは、甘く、どこか腐敗したような匂い。その匂いが、久秀の身体の内側からじわりと滲み出してくる、血と泥が混じり合った死の匂いと混ざり合い、彼の嗅覚を歪ませた。
「……久秀殿、いかなる御用で、ここへ?」
顕如の声は、穏やかだった。だが、その声は、久秀の耳には、裏切りを隠すための嘘の言葉に聞こえた。久秀は、顕如の言葉を無視し、彼の顔をじっと見つめた。その顔が、徐々に歪んでいく。久秀の目に映る顕如の顔は、新選組の屯所で、芹沢鴨を裏切ろうと画策していた、近藤勇の顔と重なっていた。
(近藤勇……。貴様は、俺を裏切るために、こんな仮面を被っていたのか。慈悲深いふりをして、俺の油断を誘うつもりか)
久秀の思考は、さらに暴走する。
「……顕如殿。信長を、裏切りませんか」
久秀の声は、静かだった。顕如は、その言葉に、わずかに眉をひそめた。その横で、一人の僧侶が、思わず眉をひそめた。別の僧侶は、手に持った数珠を握りしめ、静かに念仏を唱える。その念仏が、久秀の耳には、裏切り者の呪文のように聞こえた。
「久秀殿は、信長様と和睦を結んだはず。それを、裏切ると申されるか」
顕如の言葉が、久秀の耳には「裏切りの誓い」と聞こえた。久秀は、にやりと笑い、ゆっくりと懐から小刀を取り出した。
「裏切り者は、死すべし」
久秀は、そう呟くと、顕如の喉元に、ゆっくりと小刀を突きつけた。顕如は、動じなかった。ただ、静かに久秀の目を見つめている。その目に、久秀は、自分の狂気が、顕如に伝染していないことに気づいた。
顕如の目は、久秀には、土方歳三の冷たい眼差しのように見えた。だが、その中には、土方にはなかった、確固たる意志の光があった。それは、久秀の狂気を、ただ静かに見つめる、山南敬助の目のようでもあった。だが、山南が恐怖を隠していたのに対し、顕如は裏切りを恐れていない。裏切りを、正義の戦いと信じている。その思想は、久秀の「裏切りへの恐怖」とは、まったく違うものだった。
久秀は、顕如を裏切り者と認識することができなかった。だが、そのことが、久秀の狂気をさらに研ぎ澄ませた。
(この男は、俺と違う。俺は、裏切られることを恐れて裏切る。だが、この男は、裏切りを恐れない。この男は、信長と同じだ。裏切りを、ただの遊び道具としか思っていない……)
久秀は、そう確信すると、静かに小刀を下ろした。
「……顕如殿。俺は、貴殿を裏切らない。そして、貴殿も、俺を裏切らない。我らは、信長を裏切るために、手を結びましょう」
久秀は、そう告げると、顕如に手を差し出した。顕如は、その手を取り、久秀の狂気に満ちた瞳を、静かに見つめていた。その瞳には、久秀の狂気と、そして、それに共鳴する、新たな狂気が宿っていた。




