第8話:あの日の嘘と、本当の想い(篠原美琴の視点)
「――もう、終わりにしよう」
あの言葉を言った日のことを、篠原美琴は何度思い返したか知れない。
放課後の校舎裏。
彼の表情。
呆然とした目。
言葉が追いつかないまま、ただ彼女を見ていたその姿。
(ごめんね、静馬……)
その声を、心の中で何度も繰り返す。
でも、あの日、どうしようもなかったのだ。
選んでしまったのは――当主候補という未来。
美琴は、《封霊機構》の中でも直系の家系に生まれた。
封印の始源に関わる血を継ぐ家の令嬢であり、
代々、当主はそこから選ばれてきた。
そして、数ヶ月前。
彼女はその「当主候補」に正式に指名された。
それはつまり、“未来の選択肢”が消えるということだった。
誰と付き合うか。
誰を守るか。
誰を傍に置くか――すべて、もう自分で決められない。
それでも、静馬と一緒にいたかった。
最初は、何も言わずに関係を続けようとした。
でも、「彼の名前」が組織の資料に載った瞬間、決心した。
――「これは誰だ?」
――「美琴様の恋人だが、ただの一般人だ」
――「リスクがある排除も検討すべきだ。他の候補者たちに利用されるやもしれん」
――「当主候補である美咲様の足枷にしかならん」
内部でそんな言葉が飛び交っていた。このままでは他の当主候補だけでなく身内までもが静馬に危害を加える可能性があった。
(もし、あの時――
私が当主候補に選ばれなければ。
きっと、あのまま隣で笑っていられた。
静馬は、私の家のことなんて何も知らなかった。
ただの、普通の女の子として、普通の恋をしていた私しか見ていなかった)
美琴は窓の外を見つめる。
夜の帳が降り、街の灯りがまばらに瞬いていた。
でも、その美しさすら、今の彼女にはどこか遠い。
(全部、壊したのは私。
守りたくて、突き放して、
でも――今でも、名前を呼んでほしいって願ってる。何もかも勝手すぎるのに)
だから美琴は、あの日――
“彼を傷つける”形で手放した。
護衛であったカズキに頼み仮初めの恋人役をお願いして。
別れても、学園では普通に顔を合わせて、軽く会話して、
ほんの少しだけ――昔のように笑い合える。
美琴は、そう信じていた。
だって、私たちは“幼なじみ”だったから。
恋人である前に、ずっと隣にいた存在。
雨の日も、ケンカした日も、帰り道はいつも一緒だった。
だから、あの別れも――本当は終わりじゃなかった。
“少し距離を置く”だけで、いつかまた自然に話せるようになる。
そんな風に、思っていた。
……甘かった。
静馬は、あの日から一度も学園に姿を見せない。
ほんのひとことでも、言葉を交わせたなら。
“久しぶり”って、他愛ない挨拶ひとつでもできたなら。
それだけでよかったのに。
けれど彼は、姿を消した。
まるで、美琴との“関係そのもの”を断ち切るかのように。
(……そんなはずじゃなかったのに。私はやり方を間違えたのかも)
胸の奥に沈む後悔が、日を追うごとに膨らんでいく。
それでも美琴は、誰にも言えなかった。
「やっぱり別れたくない」なんて、今さら言えるわけがない。
だってあのとき、手を振り払ったのは、自分の方だったのだから。