第4話:管理者たちの侵入
静馬が違和感に気づいたのは、テントでラーメンを温めていた時だった。
風が、吹いていた。
この地下空間に、風などあるはずがない。
だが確かに、彼の髪をかすめた風は、外の匂いを連れてきていた。
「ラウラ」
「気づいた?」
ラウラはすでに立ち上がっていた。
普段は気怠げな目も、今は真っ直ぐに“敵”の方向を向いている。
「来たわね。封印の痕跡を追って、彼らが」
「“彼ら”って……誰だ」
「――私のような存在を監視する管理者たちよ」
封印空間の空気が、瞬間的に裂けた。
亀裂の向こうから現れたのは、6人の黒衣の集団。
全員が銀の狐面をつけ、その顔には感情が読み取れない。
ただただ無機質な動きと、統制された気配。
「封印対象を確認。回収を開始する」
その言葉に、ラウラの顔が一瞬だけ曇った。
「来たわね。……やっぱり、まだ見逃してくれるほど甘くなかった」
「何者だ?」
静馬の問いに、ラウラは息を吐くように答える。
「封霊機構》。
私をこの地下に押し込めた連中。……あなたを鍛えるためにちょっと力を開放しすぎたわね。私の封印が弱まっていることに気付かれたみたい」
狐面の一人が前に出た。
だがその瞬間、列の中で一人の仮面の男が、静馬を見て明らかに動揺した。
「……っ……!」
(なんだ……こいつ……?)
静馬はその反応に違和感を覚えた。
ほかの誰よりも早く彼の顔を見たその男は、一歩、前に出ると、抑えた声で言った。
「お前……名前は」
「……三神、静馬だ」
その言葉を聞いた途端、男の姿勢が微かに崩れた。
仮面越しでも、息を呑む音が聞こえた気がした。
(やっぱりか……お嬢さんの元カレ……何でこんな所に?)
しかし男はすぐに仮面の裏の表情を押し殺し、低く言い放った。
「……ここは危険だ。お前は早くこの場を離れろ」
「……は?」
「理由は聞くな。お前は……何も知らなくていい。
このまま関われば、お前は戻れなくなる」
静馬は一歩踏み出した。
「お前、誰だ。俺のことを知ってるのか?」
「……返答はしない。早く立ち去れ」
言葉の続きはなかった。
ラウラが静かに、だがはっきりと割って入る。
「……静馬。私のことはもういい。ここから立ち去りなさい」
「そんなことできるかよ。俺だけ逃げられるか」
「……お願い、逃げて」
ラウラが珍しく、必死な声で言った。
「たぶん、今ならまだ見逃してくれる。
でも、ここで抗えば――君まで、巻き込まれる……!」
静馬は彼女の前に出る。
「でも逃げたら、お前が連れて行かれるんだろ?」
「それでも、生きてくれれば……!」
ラウラが叫んだ。
だが静馬は、真っ直ぐに前を見たままだった。
「無理だ。
逃げて、あとでお前がいないって分かるくらいなら
ここで、一緒に戦う方がいい」
狐面の者たちが一斉に魔術式を展開し、空間が歪む。
ラウラを回収するための封鎖術式――だが、静馬はすでに飛び出していた。
「静馬、待って――!」
ラウラの声も届かない。
彼の身体は地を蹴り猛スピードで床を駆ける。
一人目の仮面の腕を掴む。
返しの一撃で腹を突こうとする拳を肘で受け、体重を乗せて回し投げる。
二人目が背後から構えた瞬間、静馬は素早くかがみ、膝で顎を打ち上げた。
「……嘘、でしょ……」
ラウラが呆然と呟く。
人間が到達するにはあまりにも非現実的な、反射と筋力と精密な動作。
“肉体だけで異能を押し返している”。
「なんだよ、動き、読めるじゃねえか……!」
静馬は叫びながら拳を振るう。
その拳は、まるで自分がずっと昔から戦っていたかのように迷いがなかった。
だが。
それを見ていた仮面の一人が、慌てて胸元から銀の銃を取り出し
引き金を引いた。
「――静馬!!」
パンッ、と乾いた破裂音が響く。
次の瞬間、静馬の肩口が爆ぜた。
視界が赤く染まり、身体がぐらりと傾く。
「が……はっ……!」
彼は膝をついた。
「銃とかありかよ……」
それでも、静馬の声は笑っているように聞こえた。
悔しさと驚きと――ほんの少しの、諦め。
「馬鹿野郎! 何で撃った!! 一般人だぞ!」
仮面の集団の中で、一人の男が怒鳴った。
だが発砲した隊員は混乱したように答える。
「す……すいません。人間離れした動きだったのでつい……」
「“つい”で撃つな! 一般人を殺したら機構にどんな迷惑がかかるか分かってるのか!?」
「いえ……でも、あの動きは確かに……人間とは……」
罵声と怒号の飛び交う中、静馬は、地面に手をついたまま顔を上げた。
世界がぐらついている。視界が歪む。
肩から流れる血が、石の床をじわじわと染めていく。
(あー……あったけぇ……地面って、こんな温かかったのか……)
そのまま静馬の意識は闇へと落ちて行った