第26話:火の使徒ヴァルス
封霊機構本部、作戦会議室
戦術担当官が手早く指示を出していた。
「対象の使徒をヴァルスと断定。現在座標を確認。まっすぐ向かってきます」
「周辺に展開済みの式神がすでに3体焼失。接近戦は不可能と判断されます」
その報告を受け、当主・御門錬司が低く指示を下す。
「……やはり、奴らと正面から衝突するのは愚策か」
彼は冷徹な視線で続ける。
「当主候補三名――篠原美琴、朝霧蘭、秋津晶。各人に迎撃を委ねる」
「やっと出番ね」
蘭が短く笑いながら腰の呪符を締め直す。
「向こうはこちらを狩る気満々なんでしょ。だったら先に狩ってやるわ」
「……油断しないで。使徒の目的は戦いじゃない。氣を集めて主を目覚めさせること。それが進んでいるなら、少しでも足止めを」
美琴が静かに言うと、晶が一歩前に出る。
「それぞれ、違う地点に散って迎撃体制を」
御門が頷いた。
「霊氣の濃度を高めた土地を囮に奴らを誘導する。同時に貴様ら三人が迎撃に就け」
「つまり、撒き餌に食らいついた災厄を、私たちで仕留めろというわけね」
美琴はその言葉にわずかに眉をひそめながらも、静かに頷く。
「了解」
その背には、決意の炎が宿っていた。
一方――
使徒・ヴァルスは、確実にその餌場へと引き寄せられつつあった。
彼の足取りは遅くとも確実であり、霊障をその身の周囲に従えていた。
それはまるで封印を破られた災厄の主の復活を告げる、静かなる行軍のように。
そして、封霊機構はそれを阻むための最大戦力を、慎重に、しかし着実に配置しようとしていた。
薄曇りの空の下、山間部の結界地にたどり着いた静馬は、息を殺しながら茂みに身を潜めた。風の匂いが違う。焦げたような、鉄を溶かしたような、霊氣の焼けた匂い。
ラウラが静かに囁いた。
「見て……あそこ。結界が張られている。機構の人間が先に到着してるわ」
遠く、岩肌の裂け目を挟んだ広場に数名の術師が布陣していた。全員、封霊機構の戦装束を纏っている。
静馬は視線を走らせる。その中に――いた。
「……美琴」
黒髪が風に舞う。凛とした佇まいで、結界の中心に立つ彼女。緊張感が肌を刺すように伝わってくる。
静馬は思わず一歩踏み出そうとして、ラウラに肩を押さえられた。
「待ちなさい。まだ敵が現れてない。もしあなたが出ていって、機構側に勘違いされたら――」
「……わかってるよ」
静馬は奥歯を噛みしめた。
(でも、美琴が確かにいる……本当に機構側の人間だったのか。どうやって会えばいいんだろうな?)
その時だった。
地鳴り。
風が巻き上がり、熱気が空間を歪ませた。
黒い衣の男、ヴァルスが、地平の向こうから悠然と現れる。結界に仕掛けられた結晶がひとつ、鈍く警鐘を鳴らした。
「……これが使徒……!」
静馬の手が、無意識に拳を握っていた。
ラウラが短く呟く。
「まずは機構のお手並みを拝見しましょう」
次の瞬間、結界内にいた術師の一人が立ち上がり、詠唱を始めた。迎撃の構え。
静馬は歯を食いしばる。
(今は美琴を見失わないこと。黙って見ているしかない)
風が轟き、戦いの火蓋が切られようとしていた。
結界陣の中心に立つ美琴が、静かに口を開いた。
「第一封陣、展開。霊呪縛起動」
彼女の足元で符が輝き、瞬く間に空間が歪む。結界の内側にいる術師たちが一斉に印を切り、張り巡らせた結界に霊力を流し込んでいく。
「目標は災厄・火の使徒。対災厄戦術式、起動」
「全員、私の術式に同調して!他の当主候補の到着まで耐えて!!」
ヴァルスは、地を焦がしながら悠然と歩みを進めてくる。周囲の樹木が黒煙に包まれ、風そのものが焼き尽くされるような錯覚すら起こる。
「……小娘が一人前の顔をして」
低く、地の底から響くような声が降り注ぐ。
「貴様らのような、名ばかりの術者に何ができる?」
次の瞬間――
轟音と共に、炎の奔流が襲いかかる。ヴァルスが左腕を振り抜いた軌跡から、灼熱の火矢が乱れ飛んだ。
「来る……!」
美琴が叫ぶ。
「今ッ!!」
五名の術師が一斉に結界の内側から呪文を唱え、結界を強化するように重ね張りする。結界が紫色の輝きを放ち、炎の奔流を弾いた。
だが――ヴァルスの力は、それだけで終わらない。
「……くだらん」
その言葉とともに、ヴァルスの全身が赤熱し、黒い火柱が天を貫くように噴き出した。炎の衝撃波が地を抉り、結界の一角が崩れ落ちる。
「結界が……破られる!」
術師のひとりが叫んだ瞬間――
「間に合ったわよ!」
鋭い声とともに、突風のような氣が巻き起こる。崩れかけた結界の隙間に、一陣の影が滑り込んできた。
朝霧蘭。
赤い呪符を両腕に巻きつけ、舞うように地を駆ける。彼女が地面に打ち込んだ瞬間、足元に陣が展開され、結界が一時的に再構築される。
「立て直すから、少しだけ耐えてて!」
続けて――
「第二封陣、起動。術式・氷結陣、展開!」
凛とした声とともに、冷気が奔る。山道の岩壁の陰から現れたのは秋津晶。両手に白銀の符を掲げ、氷霊を呼び寄せるように空間を歪ませていた。
「火の使徒には、氷の束縛が効果的。任せるわよ!」
「任された!」
二人の当主候補が前線に揃ったその瞬間、戦局が一変した。
蘭が手を掲げ、爆符を次々に展開していく。
「《連符・閃爆華》!」
火花のような霊光が空を裂き、ヴァルスの周囲に降り注ぐ。爆発の連鎖が生まれ、土煙と炎が交錯する。
「ふむ……」
ヴァルスがわずかに立ち止まる。その隙を見逃さず、晶が詠唱を続ける。
「《霊氷槍》――穿て!」
地から生じた六本の氷槍が音を立てて飛翔し、ヴァルスの四肢と胴を貫こうと襲いかかる。炎と氷が衝突し、空間が一瞬だけ白く染まる。
ラウラが呟いた。
「……今の一撃、通ったわね。少しだけだけど」
静馬も目を見開く。
「すごいな!いけるんじゃないか!?」
煙の中から姿を見せたヴァルス。
その左肩はわずかに白く凍りついていた。
「ほう……面白い。少しは骨のある奴がいたか」
ヴァルスの声が低く響く。
「ならば、少しだけ遊んでやろう」
赤熱した氣が、再び彼の全身を包む。炎の大蛇のような氣配が地を這う。
それでも三人の当主候補は、一歩も退かなかった。




