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推しと世間話

 千里の逮捕に端を発した一連の事件が終息し、期末テストを迎え――そして、その最後の教科が終わった。教室内に安堵の空気が漂うなか、大翔は一人急いで文芸部室に来ていた。理由は不明だが、アイノから『試験が終わり次第、急ぎ来るように』と言われていたのだ。それだけでなく、橘花と永遠からも『絶対に来い』と念押しされていた。

 文芸部室に足を踏み入れた瞬間――永遠が早口で話しながら、やけに俊敏な動作で歩み寄ってきた。


「おおっ! お久しぶりです先輩、ちょっと遅く無かったっスか? HR長い感じの先生なんスか? 私体感一時間ぐらい待ってたんスけど」

「確かに久しぶりだなこの感じ。とりあえず一旦落ち着け」


 永遠を手で制しつつ、大翔は奥側の椅子に座るアイノを見た。彼女は微笑みと共に右手を挙げつつ、立ち上がった。


「やあ、漆原クン。一週間の休暇は楽しめたようだね」

「どうも……停学の事休暇って言う人初めて見ましたよ」

「お疲れタイショー。アンタ、テストどうだった?」

「まあ、普通に対策はしてたし、可もなく不可もなくだな」


 いつも通りの雑談を仕掛けた橘花に、大翔もいつもの調子で返した。

 既にこの場に、文芸部の面々が全員揃っていた。彼女らの間に深刻な空気は無く、至って平常運転だ。


「さて、早速だが本題に入ろう。……掛けたまえ、漆原クン」


 アイノは左奥――彼女が座っていた正面の椅子を引き、大翔を案内した。促されるままに大翔が座ると、三人も各々着席した。アイノは両手を組んで顎を乗せると、何の感情も乗せていない顔で尋ねた。


「漆原クン……ワタシ、御幣島アイノは美女だ。違うかね?」

「いや……その通りだと思いますけど……」

「そう、ワタシは白人とのハーフで、自他共に認める美女だ。ワタシが声を掛ければ、男は鼻の下を伸ばし、女は羨む。特に白人への憧れが強い者ほど、ね」


 突然何の話をし始めたのか。

アイノの考えが読めず――彼女の言動が奇怪なのはいつもの事だが――大翔はただ眉を顰めつつ、続きを待った。アイノは、無表情のまま変わらない。


「要するに、ワタシの外見にはパワーがある。これは自惚れだが、経験に基づく事実でもある。……だからこそ、ワタシは出来るならそれに頼らず生きたい。『白人ハーフの美女』というフィルターで、『御幣島アイノ』という人間を霞ませたくないのさ」


 アイノの言いたい事が、大翔には分かった。アイノは白人ハーフ美女という『世間のイメージ』で、自分を飾りたくないのだ。美醜の基準が少なからず白人に合わせられている日本では、彼女の美貌は武器であり、凶器だ。外見という他人からすぐに分かる部分で『みんなと違う』彼女は、それだけで世間から特殊な存在と見做されるのだ。それを思えば、彼女の奇妙な振る舞いは、『ステレオタイプ』に対する彼女なりの反抗なのかもしれない。いつか大翔が言った、『外見というものは、最もひどい虚飾』というのは、思いの外アイノにも刺さる言葉だったのだろう。

そこまで語ったアイノは、『ところが』と、驚く程低い声を出した。大翔だけでなく、永遠と橘花も息を吞んだ。


「つい一週間前……ワタシはやむを得ず、この美貌をフルに使わなければならなかった。不本意だったが、ワタシは『フィンランドと日本のハーフ』という立場から、ある人を説得した。ワタシの可愛い後輩二人の、大切な友人の為に……ね。漆原クン……心当たりはあるかい?」


 大翔はアイノの眼光に、一週間前の記憶を呼び起こされた。

 実家に連れ戻そうとしていた父が、突然一人暮らしを続けていい、と掌を返した事。その理由が、母の意見だったこと。そしてその意見とは――『フィンランドの親は最後まで子供の味方をする』から。

 大翔はようやく、事の真相を理解した。


「御幣島センパイだったんですね、ウチの母親を説得したのは」


 アイノは険しい顔のまま頷いた。彼女は大翔に『この行動が心底不本意だった』と、身体言語全てで伝えている。

 そうなれば、大翔の中に別の疑問が浮かんでくる。


「それだけ嫌なら、どうして母親と話そうなんて思ったんですか? 放っておいても、別に俺が退学になる訳でもないですし」

「さっきも言ったろう? 部長として、後輩二人の友人に手を差し伸べ――」


 言いかけて、アイノが言葉を切った。隣の橘花とその正面の永遠が、呆れた顔をしていたからだろう。


「まあ、それはただの建前さ。本当のことを言うとね、漆原クン……。ワタシは、キミが欲しいのさ」

「……文芸部員として、でしょう?」

「その通りだけれど、もう少し動揺するぐらいして欲しかったなぁ」


 アイノが肩を竦めた。不機嫌な態度は雲散霧消している。不機嫌だったのは振りでないにしろ、簡単にコントロール出来るぐらいに落ち着いているらしかった。


「キミにただ『一緒に活動したい』と言っても靡かないのは知っている。だからワタシは、漆原クンに恩を売りたかったのさ。キミは浮世離れを気取っているが、その実非常に律儀で、借りや恩は返さずにいられない。違うかな?」

「そう思うなら思っていればいいです」

「それから一つ言っておく。ワタシは『文章が書けるなら誰でもいい』などとは考えていないよ。ワタシが欲しいのは『部員』という単語ではなく――漆原大翔という『個人』だ。そしてこれは――」

「ここにいる文芸部員三人、全員の意見だぜ」

「一緒に青春しましょうよ、先輩!」


 アイノ、橘花、そして永遠。文芸部員三人が、大翔に笑顔を向けていた。『大翔を部員にしたい』というのは、三人全員の総意。

 恐らく――アイノは創作者としてのシンパシーで。橘花は、古い友達として。永遠は――言うまでもない。全員が個々の意思で、『漆原大翔』個人の存在を必要としていた。


「……仕方ないですね」


 大翔は机の入部届に、ゆっくりと名前を書いた。それを確認した瞬間――女子三人は、一斉にいそいそと動き出した。


「よ~~し、それじゃあ始めようか! 橘花クン永遠クン、お菓子とジュースの準備は?」

「お菓子なら此処に」

「ジュースは先生に冷やして貰ってましたっス! 有り難い話っスね!」

「は……? 一体何を……?」


 彼女たちの行動に、大翔は困惑して立ち尽くす。瞬く間に四つ合わさった机に、様々な菓子やジュース類が置かれていく。そして、机がそれらで満たされたとき――三人は、一斉に大翔へ、満面の笑みを向けた。


「「「ようこそ、文芸部へ!」」」



「いや~~楽しかったっスね~~先輩」

「俺は少し気分が悪いがな……」

「あらら、甘い物得意じゃないのに食べ過ぎっスよ」

「誰のせいだと思ってんだ……」


 部室での歓迎会を終え、大翔と永遠は共に通学路を歩いていた。熱烈な歓迎を受けた大翔は、三人のテンションに押される形で大量の菓子とジュースを摂取し、満腹感で満たされていた。一方で、大翔と大差ない程飲み食いした筈の永遠は、何事も無いように笑っている。


「俺からすれば、お前が何故そうも元気なのかが分からん」

「フフフ、知ってますか先輩? 女子は厚切りハニトーだのパンケーキだの、デカいスイーツをシェアし合うので、甘味耐性がついてるんスよ。先輩も付けましょう、甘味耐性」

「いや、俺には必要ない」

「ええ~~先輩だって、一応クラスに友達いるでしょう? 身に着けといたら、何処かで役に立つんじゃないっスか?」

「世間の人と合わせやすいからか? 言っておくが、世間アイツらと足並み揃えるのはご免だってのは変わらないぞ」

「アレ~~? それはおかしいっスねぇ~~」


 それまで大翔の半歩後ろを歩いていた永遠が、いきなり前へと躍り出た。彼女はニヤニヤと笑いながら、大翔の進路を塞いでズイッと近づいた。


「この前言ってたっスよね? 『私の為なら書ける』って」

「っ……覚えてやがったか」

「忘れる訳ないじゃないっスか~~先輩からあんな事言われて」


 バツの悪さに目をそらす大翔の視線を読むように、永遠はぴょこぴょこと飛び跳ね、彼の視界に入っていく。


「それなら私という人間を理解する為に、多少は世間という物を知っておいた方が良いんじゃないっスか?」

「お前が世間様に諂う俺を見たいなら考えてやるが」

「私が見たい先輩の姿なんて――とっくに分かってるんじゃないっスか?」

「……クソッ」


 永遠が何を聞きたいか分かってしまい、思わず大翔は悪態を吐いた。永遠は気を悪くした様子も無く、大翔の言葉を待ち続ける。

 大翔は観念して、言葉を紡いだ。


「お前が世間の連中を喜ばせる俺を見たいのなら――お前のために、世間が喜ぶものを出してもいい。だがやっぱり俺は、アイツらに『従って』生きるのは真っ平だ。それにお前も、それで俺が有名になっても、満足しないだろ。お前が推しているのは、今の俺だから」


 大翔の世間への嫌悪と永遠の願い。この二つは事実上、相反するものだ。

 何故なら、前者を優先すれば大翔は今のまま変わる事がない。しかし後者を徹底すれば、行き着くのは世間受け――流行の後追いになる。永遠が『推し』と定めたのは、そんな作家ではない。

 だから大翔が定めた未来の自分は、そんな優しく、楽な道では無い。


「俺が世間アイツらに合わせるんじゃない。世間むこうが俺に、『書いてくれ』と頭を下げるような、圧倒的な作家になってやる」


これが大翔の選んだ、『世間』との向き合い方。『合わせる』のではなく、『追従させる』。

 大翔の出した答えに、永遠は立ち止まって目を丸くした。永遠にとって不本意な答えではないと思った大翔だったが、この表情の前には若干の不安が過る。


「先輩……もしかしたらそれ、合わせるよりずっと難しいかもしれないっスよ? それに、結局それじゃあ前と同じじゃ――」

「いや、違う。前の俺は、『従いたくない』だけだった。だからそもそも知る気が無かった。今はそれだけじゃなく、アイツらに俺という作家の『世界』を叩きつけたい。だからその為には……」


 大翔は永遠――の後ろに目線を合わせながら、手を差し出した。


「その為には……知る必要がある。世間というのがどういう連中で、どういう生き方をしているのか。そもそも……俺の知る世間が、世間の全てなのか。だからこそ――渡辺。お前の力が欲しい」

「……つまりそれって?」

「……また俺に教えてくれ。世間の中で生きてきた、お前の知恵と技術を」


 世間とは、傲慢である。従わないものを嫌い、従わせようとしたり、排除しようとする。そういう圧力を家族という最小の世間の中で浴び続けたのが、漆原大翔という男だ。だが永遠と会って、それが世間の全てというものではない事を知った。少なくとも、今大翔の近くにいる人たちは、彼が想像する程悪意を抱えた集団では無い。だからこそ、知ろうと思えた。

 大翔の差し出した手を前に、永遠は暫くフリーズしていた。実際のところ、大翔の方から永遠を頼りにしたのは、これが初めてだ。彼女からすれば、自分の知る大翔と一致しない行動だったのだろう。

 しかし、そこは橘花曰く『心臓が毛むくじゃら』の永遠。心の底から生まれたような笑顔と共に、両手で大翔の手を取った。大翔の身体が、ピクリと小さく震えた。彼女の手が、思いの外小さかったからだ。

 きっと大翔は、永遠の事すらまだ全然知らない。だがそれもまた、一緒に知ればいい。


「お任せください! 私に掛かれば友達百人――いや、千人作れるようになれます! 先輩でも!」

「最後の一言いるか?」


 コイツは本当に世渡りが上手いのか。大翔は若干ながら不安になった。

 永遠は手を離すと、身を翻して上機嫌に歩いて行く。


「それじゃあ先輩、早速一つご指導します! まずはメリーゲートに行きましょうか!」

「そうか、それなら俺も、この前の作品について指導しないとな」

「あっ、色々あってすっかり忘れてましたね。どうでした? 先輩の心を溶かした珠玉の名作は――」

「図に乗るな。言うべき所なんざアホらしい程あるぞ」

「アレぇ!? 一応先輩の心を動かしたという事実があるワケですし、もう少し手心とかないんスか!?」

「そんなモノが欲しいのか? 俺はお前が、とりあえずの賞賛で満足する安い奴だとは思わないんだけどな」


 大翔が何気なく口にした言葉だが、永遠はそれを聞いて民家の塀に額をぶつけていた。


「……何やってんだお前」

「こっちのセリフっスよ……なんでいきなりそんなストレートに信頼をぶつけるんスか」

「学校に来なくなっても、空先輩に頼んでまで、俺に作品を見せに来ただろ。傷心しても、読んで感想が欲しいって意志がある奴なら信じられる」

「先輩、なんかキャラが違いません?」

「お前は俺をなんだと思ってんだ」

「誰より尊敬してる、大切な推しで先輩ですけど?」

「この質問にマジで返されるとは思わなかった……」

「おおっ、照れてます? ちょっと、顔見せてもらっていいッスか……!?」

「うるせぇ」


 大翔と永遠は、歩きながら軽い会話の応酬をした。クラスの人が見れば『やっぱり付き合ってるじゃないか』などと言いそうな会話だ。それを楽しんでいる自分がいる事に気付き、大翔は気付いて小さく笑った。


「行くぞ」

「はい!」


 大翔は急ぎ足でメリーゲートへ向かって行った。永遠もまた、幸福に満ちた笑みと足取りで続いた。



「あれ、永遠のノートじゃん。なんで……?」


 橘花が自宅で鞄を開けると、中から永遠の創作ノートが出てきた。何処かで紛れ込んだらしいそれを、橘花は再び鞄に戻――さず、後ろからページをめくっていった。


「最新の一ページだけならいいよな……」


 ここにいない後輩に言い訳しつつ、橘花はノートをめくった。大翔が思った通り、彼女には倫理感が幾らか欠如していた。

最新のページに辿り着いた瞬間、彼女は『ほお~~』という声と共に、頬をふにゃふにゃに蕩けさせた。

 そこには没になった新作のアイデアが、一言だけ書かれていた。


『主人公→推しにガチ恋』


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