初めてのダンジョン・中
陽炎を通過する三人を不思議なあたたかさが包む。次の瞬間には周囲の景色は一変していた。
むき出しの石造りで出来た通路。塗装すらされていないそれは灰一色となっている。壁から壁まで五メートルほどだろうか。天井から釣り下がっているランプのおかげで何も見えないということはない。
それでも真っ直ぐ伸びる通路の先は薄暗く、どうなっているのか分からない。ひんやりとした空気と相まってまさに『迷宮』然とした雰囲気がある。
ユーガたちが物珍しそうに壁や天井を見回していると、背後で妙な音が響く。振り返ればダンジョンの入り口である陽炎が螺旋を描きながら縮小していた。
「……消えちゃったね」
「そう、ですね」
幾分不安を混じらせたルカとチヤの呟きに、ユーガが口を挟む。
「……先に飲んだ起爆剤でいつでも戻れるらしいから、そう心配することもないだろう。俺が先行する。ライドウはヒナモリの援護に回ってくれ」
言い終わるとユーガは大剣を担ぎなおし、歩き出す。チヤとルカもお互い目を合わせて一つ頷き、後を追った。
長く歩き続けとも、特に変化は無く。ただ歩くだけの時間に比例してチヤの口数は多くなってきた。
「何もでないねー」
「そうですね……先生のお話だと障害となる機械人形が設置されているようですが……」
今のところそれらしいものは出てきていない。
「……せめて、ただの直線でなければいいんだがな」
ユーガの呟きに少女二人は思わず目を見開かせる。まさか少年が会話に入ってくるとは思ってなかったからだ。それだけお互いに刺激を欲しているということだろう。
すかさずチヤが声を投げ返す。
「ねー。ずっと真っ直ぐだと飽きちゃうよね。風景も全然かわんないし」
「あぁ。もし敵を発見した場合、不意をつくことも出来ん。それに、戦闘後、前後不覚に陥る可能性がある。まぁ、今の状況だと敵が来るのは前方のみだろうから、こちらも奇襲される心配はないのが救いだな」
お互い違う方向で会話をするユーガとチヤ。そんな二人を見て、ルカは小さくため息をついた。
「そういえば、サカタキくん、服脱がないの?」
「なっ、ラ、ライドウさん!? いったいなにを……!」
チヤの発言にうろたえたのは無論、ユーガではなくルカのほうである。顔を赤くさせて杖を両手で握り締めていた。
尋ねられた本人であるユーガは顔を前に向けたまま、特に気にした様子も無く返す。
「何故だ? 特に脱ぐ理由がないが」
「え? でも、肉体変化系だよね? 支給された防護服破れちゃうんじゃないの?」
「……あ、あぁ……そういうことですか……」
胸を撫で下ろすルカをチヤが不思議そうに見上げるが、ルカが「何でもありません」と言うと、再度ユーガに視線を移す。
「……防護服は破れん」
「そんな強いの、この服?」
「いや……俺が能力を使わないからだ」
返ってきた言葉に二人の少女は首をかしげた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「いや……俺が能力を使わないからだ」
ユーガがチヤにした返事はそれだった。ルカはその意味が分からなかった。
彼の能力は戦闘に適したものだ。なのに、実戦的な授業……つまり戦闘のあるダンジョンでそれを使わないという。
もしかしたら先週の『能力実習』の時に見せた、あの嫌そうな顔をした理由が分かるかもしれない。
「……理由を聞いても、よろしいですか?」
「…………」
しかし、今度の彼はすぐに返事をしてくれなかった。しばらく、自分たちの歩く足音だけがダンジョン内に響く。
「それは……」
声を出したのはそこまでで、ユーガは突然足を止め振り返った。少し肩を震わせながらも同じく立ち止まる。チヤもぴたりと歩みを止めていた。
「……俺も二人に聞きたいことがある」
はぐらかされた感が否めないが、先ほどまではずっとチヤから質問をしていて、自分もそれを聞いていたのだし一つ二つなら答えてもいい。
チヤと共に了承の意を向ける。ユーガは一瞬だけ目を背け、また口を開いた。
「ここ最近、二人は俺を見てなかったか?」
胸を鈍器で殴られたかと思った。混乱まではしなかったのは、彼の言った『二人』という単語のおかげだろう。
今この場には三人しか居ない。つまり、隣に立つチヤも、自分と同じようにユーガに視線を向けていたということ。
チラと見下ろせば、彼女も同じく見上げてきている。こちらと同じことを考えたのだろうか。
とりあえず誤魔化さないと。
「いえ、見ていませんが」
「ボ、ボクも見てないけどー……て、ていうか、なんでボクたちだって、思ったの?」
今分かったことがある。彼女は嘘をつけない部類の人間のようだ。口調からして怪しさが爆発している。
「……ここ一週間、誰かの視線を感じていた。このダンジョンに入っても同じ視線を感じたから、ヒナモリとライドウかと思った」
言いながらまた一瞬だけ視線をそむけた。もしや、あれは目が泳いでいるのだろうか。そむけた先の視線も鋭すぎて動揺や自信の無さが全く感じられないのだが。
とにかく、もしかしたら彼も確信を持って自分たちが見ていたと言っているわけではなさそうだ。たたみ込めるはず。
「確かに今はサカタキくんがわたくしたちの前にいますので、自然とお背中を見ているかもしれませんが、普段は特に注視していませんよ?」
「う、うんうん! そうだよ! それにほら、視線だけで人物を特定なんて出来るわけないよねっ?」
「……確かに、俺はまだ視線で誰かは特定できん。鍛練が足りんからな」
……そういう問題なんでしょうか。見られただけでどこの誰か分かるのはもう能力の粋な気もする。
「すまない。俺の勘違いだったようだ」
ユーガは軽く頭を下げて振り返り、再度歩き出す。
それにしても、まさか視線を特定できるとは驚きだ。自分も視線に込められた『意』なら分かるが、同じ視線か違う視線かなんて分かるはずがない。
「ね、ねぇねぇ、その視線を送ってる人が分かったらどうするの?」
「どうする? どういう意味だ?」
「えっと、だから、そのー、見てることに関して、怒るとか……」
「何故怒る必要がある。……だが、そうだな。二つの内一つのは俺に対して敵意が含まれているからな。それの理由が聞きたい」
ギクリ。
「敵意? ど、どうして?」
チヤはユーガに聞いているのだろうが、ルカは何故か自分にも問いかけられている気がした。
「それが分からないから困っている。もし俺が何か気に触るようなことをしたのなら、謝りたいと思っているんだが……」
今は様子見だ、と付け加えるユーガ。まさかそんな風に思っていたなんて。
ユーガを知れば知るほど、あの時の『無視』が幻覚だったように思えてくる。否、違う。絶対に無視した。それだけは許せない。いっそのこと彼を呼び出して謝罪を要求してみようか。彼も謝りたいと言っている事だし、うん、悪くない。
「じゃ、じゃあ、もう一つの視線は?」
そう聞くチヤの表情は真剣だ。そっちが本題だというのがありありと分かる。これは彼女がもう一つの視線で確定だろう。
しかし、チヤがユーガを見ている理由は分からない。彼の話を聞くに、自分のように敵意を持ってるわけではなさそうだが……。
「そっちもある意味困っているな」
「えぇ!?」
途端にチヤの顔が青ざめる。
「何か言いたい事があるなら話しに来て欲しいんだが……」
「で、でも、その子、もしかしたらなんて声をかけたらいいのか分からないだけかも!」
「む、そうか。そういうこともあるのか。俺としてはどんなことでも話しかけられれば嬉しいもんだがな」
「嬉しいの?」
「あぁ。俺なんかでよければ、その子も話しかけてくれると嬉しいんだが……」
今度はチヤの顔がぱぁっと明るくなった。表情がころころ変わるのも、彼女の魅力の一つだと思う。
というか、実は気づいてるんじゃないでしょうか。
ユーガが今どんな表情をしているかは分からない。大剣を肩に乗せ、ゆっくりとした速度で前を歩いている。
と、突然彼が足を止めた。
「どうかしましたか?」
「……見ろ、やっとお出ましだぞ」
チヤと二人で彼の前方を見るように覗き込む。視界に入ったのは、妙な動きでこちらに近づいてくる四体の等身大の人形だった。
人形と言っても、子供に上げるような可愛らしいものではない。一言で言うならば木偶人形か。
細い四肢は球体を間に挟んでくっついていて、頭と胴体が同じ形をしている。ガッチャガッチャと音をならし、操り人形ように歩いてくる姿は、かなり怖い。
「あ、ボク知ってるよ。ああいうのって、球体関節人形っていうんだよー」
手甲をつけた右腕を伸ばし、指差して笑うチヤ。中々博識だと思うと同時に、あんな不気味なものにも物怖じしない彼女に感心する。
「突っ込む。ライドウは取りこぼしがヒナモリに行かないよう動いてくれ。ヒナモリ、魔術での援護、任せたぞ」
言い終わるより先に、ユーガが走り出す。
「あ、ずるいー! ボクもやるのー!」
それを追うようにチヤも走り出した。普通は相手の出方を伺うなりするのではないだろうか。
まぁいいです。とりあえず言われたとおり、援護を……。
そこまで考え、眉間を狭める。
「なんでわたしがあの人の言うことを聞かないといけないんですか……」
少々の苛立ちを感じつつ、能力を発現させた。同時に炎と狼を形象。自分の能力はつくづく魔術向きだと思う。詠唱せずとも魔術エネルギーが放出される上、創られた魔力体も『擬似意思』ではあるがある程度自立するのだから。
「おいで、エンロウ!」
すぐ傍で炎が生み出される。それは即座に狼の形を取り、こちらを見上げてきた。その頭を撫でてやる。本来であれば自らで生み出した魔術であっても術者自身を傷つけてしまうが、エンロウは賢い。
触れた炎はふわりと柔らかく体温より少しあったかいくらいだった。
「エンロウ、二人の援護をお願い。燃やして良いのはあの人形たちだけよ」
炎の狼が吼え、そして疾走する。奔った軌跡には火の粉が残っていた。
このまま他の魔術を行使してルカ自身も援護に回れないこともないのだが、それだとエンロウに注いでいる魔術エネルギーが少なくなってしまう。それに、いくらエンロウが自分の形象をある程度サポートしてくれているとはいえ、こちらの形象が薄くなれば実体を維持できなくなる。
エンロウを放った今、自分に出来るのは見守ることと、エンロウを維持し続けることだけだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
疾い。チヤはユーガを追いかけながら思った。あれだけの大剣を背負いながらも、彼は流れるように走っている。先生たちが作ったという機械人形まで、もう目と鼻の先だ。
「おおおっ!」
ユーガが気合を発し、大剣を振り下ろす。地面が砕け、轟音が響いた。が、彼が狙っただろう人形たちは四散することでそれを避けている。
歩き方は操り人形のようであったのに、何とも俊敏か。右に避けた二体がユーガに襲い掛かり、残りの二体はこちらに向けて走ってきた。
「ライドウ、その二体を頼む」
金属がぶつかり合う音と共にユーガの低い声が聞こえる。
「うんっ!」
一応返事はしたが、聞こえていないかもしれない。甲高い金属音と何かを殴る音だけが戻ってきた。
足を止めて向かってくる二体を見据える。複数同時に相手をするのは初めてだが、機械人形なら中等部でも何度か戦ったことがある。もっとも、見た目はもうちょっとソフトだったが。
前に出てきた一体が右腕を振り下ろしてきた。
「『左腕強化』!」
無属性魔術を発動。左腕の筋力を強化し、それを受け止める。同時に中腰になりつつ右腕を引く。狙いは人形の胸。
「『右腕強化』ぁっ!」
直撃。そして能力発動。
衝撃を『倍加』させる――!
「ふっとんじゃえええ!」
打ち上げるようになったチヤの拳打を受け、人形が重力を振り切って飛び上がり、天井に激突する。そのまま重力と再会を果たした人形はゆっくりと落ち、ぐしゃりと音を立てて動かなくなった。
ふんーっと鼻息を荒くさせ、思い通りの結果に少し嬉しくなる。だが、勝利の余韻に浸っている場合じゃない。
もう一体が文字通り飛び掛ってきたからだ。
「君もふっとばすからねっ!」
もう一度右腕を引く。左手を前に出し、ちょっとした照準あわせの気分。気合と共に右拳を突き出そうとして……出来なかった。
炎の塊が視界の端から飛び出してくる。真っ赤に燃え上がるそれは大型犬の形をしていて、人形に噛み付くとそのまま地面に叩きつけた。
「ウウウ……ウオオオオン!!」
耳を劈くような雄叫びを上げ、炎がさらに猛々しく暴れる。炎に圧し掛かられた人形は一瞬で巻き込まれた。
「あっ、あつっ、あつい!」
少し離れたこちらにまで炎の熱が伝わってくる。思わず手甲で顔をかばう。
遠吠えにあわせて炎は体を大きくしていき、やがて元の大型犬ほどに戻っていった。真っ黒になった人形はかろうじて人の形をしていると分かる。
「わぁー……すごーい」
「…………」
突然炎がチヤに顔を向けた。そういえば嫌われたんだったと思い出し、軽く後ずさり。
「良くやったわ、エンロウ」
飛び掛ってくるのかと戦々恐々としていたところに、ルカが炎に歩み寄った。ほっと肩から力が抜ける。
炎――エンロウがそんな自分を見て、フンと鼻を鳴らした。
……もしかして鼻で笑われた……? なんだか馬鹿にされたような気分になりつつ、まだ二体残っていることを思い出す。
「あっ、サカタキくん!」
自分の声に、ズドンという大きな音が重なった。慌ててユーガに視線を向け、また彼に驚かされる。
ユーガはその大きな剣で人形を貫き壁に串刺しにして、もう一体は足で踏みながら左手で頭っぽい所を引きちぎっている所だった。
彼はそのまま大剣を引き抜き、もう一体を踏んでいた足で刺さっている人形を蹴り飛ばしながら、左手に握る頭っぽいものを握り砕く。
「ひゃっ」
思いのほか大きかったその音に口から声が出てしまった。
口を押さえようとして、また声が飛び出る。ユーガが勢い良く振り向いたからだ。視界の端でルカも軽く後ずさっているのが見える。
「…………驚かせるな。怪我をしたのかと思ったぞ」
「そ、それはこっちのセリフ! 急に振り向くからびっくりしちゃった」
「そうか。すまない、悲鳴が聞こえたから何かあったのかと」
どうやら心配してくれたようだ。しかし、まるで狂戦士が戦った後みたいな姿で鋭い瞳のまま見ないで欲しい。襲われるかと思ってしまった。
そんな自分たちの心境を……多分知らないと思うが、ユーガは大剣を担ぎなおし、また進みだす。
「先に進もう。入る前にバラキン教師から制限時間がどれくらいか聞くのを忘れたからな」
「あ、そういえば」
「そうでしたね……エンロウ、ありがとう。休んでいて」
ルカに頭を撫でられたエンロウが霧散するのを見つつ、ユーガの後に続いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
たどり着いた大きな部屋を見回しながら、ユーガは内心ため息をついた。正確には心中の不満が出た。
その不満はもちろん、今回のダンジョンにある。ここに至るまで、この試験回廊は本当に一本道だったからだ。
途中、機械人形と何度か遭遇したものの全く手応えのないものだった。しかも、ルカとチヤ二人の戦闘力の高さも相まって、見事に障害とならなかった。
まるで散歩でもするかのような気楽さで最奥にたどり着いてしまった。
「わーっ、広いねー!」
「ライドウさん、あまり離れると危ないですよ」
チヤが初めて合ったダンジョンの変化に喜ぶ。広い部屋の中を走り回る姿は犬のようだ。となれば、小走りで追いかけるルカは飼い主といったところか。
そんなことを考えつつ、大広間を横断する。歩く先には大きな箱が鎮座していた。左右対称の妙な模様が描かれている銅製の箱だ。
「……これか?」
「かもしれません。ここに来るまでにそれらしい箱はありませんでしたし」
「ぜったいそうだよ! ほら、いかにも宝箱ですって感じだし!」
左右でルカとチヤの同意の声が上がる。気配で傍まで来ていたのは分かっていた。
二人の言う通り、今回の目的である『箱』らしきものは今見つけたこれしかないし、途中道が分かれていたわけでもないので、目の前の……チヤの言葉を借りるなら、いかにも宝箱ですという箱が目的のものだろう。
バラキン教師が言うには、この箱の中に入っている物を持ってくればいいらしいが。
「ねぇねぇ、ボクが開けて良い?」
防護服の下部分を軽く引っ張られる。見下ろせばチヤがキラキラと瞳を輝かせていた。
うなずくと嬉しそうな声を上げて箱に駆け寄る。身長の低いチヤと並ぶと、箱の大きさがよく分かった。
「大丈夫なんでしょうか……開けたら何か飛び出しそうですけれど」
「それはそれで面白そうだよ。んふふー、ルカちゃんは期待させるのが上手だね!」
チヤが箱に手をつき、ルカが心配そうに後から覗き込む。なんだか楽しそうな二人を後ろから見つつ、ユーガは振り返って部屋の入り口に目を向けた。ここに来るまでに機械人形は全て倒したと思うが、念のためだ。
振り返っても案の定、というか、当然というか、ただ薄暗い廊下が見えるだけだった。
「むぅ、これ開かないよ」
「鍵はついてなさそうですけど……」
どうやら開けるのに手こずっているようだ。二人にまかせっきりというわけにもいかないので手伝おうと振り返る、より前に。
――タ ――
声が、聞こえた気がした。
「…………?」
薄暗い廊下を再度見やる。視界に入ったのは今先ほど歩いた長い廊下だけ。
気のせいか……?
怪訝に思いながらも四苦八苦している二人に目を移そうとした。瞬間。瞳に映る風景が流れる線に変わる前に、視界の右端に真っ白な何かが写る。
それは瞬きするより短い刹那で、薄暗い廊下が死角になるまさにその時だった。しかし、確かに見えた。
反射的に視線を戻すが、見えるのはやはり、薄暗い廊下だけ。何もない。
じっと凝視する。何もない空間を。だが、それは突如として現れた。
亀裂が走った。壁にではない。床にではない。天井にではない。何もない空間に、ビシリと音を立てて亀裂が走ったのだ。
その亀裂はガラスに走るそれよりゆっくりと上へ下へ伸びていく。
「サカタキくん? 今の音な、ってなにっ、あれ!?」
「な、んですか、あれは……」
「……二人とも気をつけろ。嫌な気配がする」
地面に向けていた相棒を正面に構える。同時に、亀裂の中から何かが突き出た。縦に十本並ぶ棒のような物が。
十本の棒は外向きに曲がり、亀裂を広げるかのように左右に広がっていく。ビキビキと音を鳴らし、亀裂が徐々に広がっていく。
十分に広がって、分かった。縦に並ぶ十本の棒のような物は、巨大な人間の手だと言うことが。
亀裂の中に何かが居る。さらに亀裂を押し広げるように、中に居た何かが這い出てきた。
正確には、それは巨大な人間ではなかった。完全に亀裂の中から外に出たソレは、一見して人のようにも見える。
体があり、右腕があり、左腕があり、右足があり、左足があり……。
しかし、決定的に人間ではない部分。それは頭。
巨大な角を頭の左右から頂点に伸ばした、牛の頭だった。
筋骨隆々とした赤黒い巨躯は長身のユーガより一回り高く、人の形に見えた足は先に真黒い蹄が地面を踏みしめていて、チヤの体より太い右腕には巨大な両刃の戦斧が握られている。時たま牛頭の背後で蠢いているのは、恐らく奴の尻尾だろう。
「まさ、か……ミノタウロス……?」
後ろでルカが震える声を漏らす。ユーガもその名前には聞き覚えもとい見覚えがあった。人ならざる者、人外、魔獣、モンスター……こいつは、否、こいつらは様々な総称で呼ばれている。
つまり、人類の敵だ。