ユーくん尾行大作戦・開始
「……どう計算しても足りんな……」
目の前の小さなテーブル代わりの箱の上に集まる全財産を見て肩を落とす。
元々物置に使われていたこの部屋はかなり狭く、テーブル代わりの箱はかなりのスペースを取っていた。金も足りなければ広さも足りない。
しかし、目下問題とすべきは部屋の広さではなく、支払うべき学費と寮費だ。
一応計算はしていたのだが、まさかチヤに朝昼晩と食事について言及されるとは思わなかった。しっかり食べると意外に金がかかるものだ。とはいえ、彼女は彼女で自分のことを心配してのことだから、無下に断ることも出来なかったのだが。
両親が遺してくれた金はあるにはあるが、それは今、亡き母の妹の夫妻が預かってくれてる。
自分の「せめて高等部を卒業するまでは両親の金は使いたくない」なんていう甘えた考えを尊重してくれた叔母夫妻。まぁ、結局その考えは叔母夫妻に迷惑をかけるのとどっちがいいかという天秤であっさり捨て、中等部のある時期までは両親が遺してくれた金で生活していたのだが。
とりあえず、今必要なのは金だ。過去の思い出ではない。
「……よし、またあの人のところで使ってもらおう」
ある時期からお金に困った時は必ず行くようになった場所。そして、あの男の所。
「あの人も十六になったら何時でも使ってやると言っていたし……それに、もう年齢をダシにされることもない」
ユーガは全財産を財布に突っ込むと、普段つける黒の長袖に着替えて部屋を出た。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ふやー、お腹一杯だねー」
「ふふ、そうですね」
隣のチヤがお腹をさする。今しがた二人で校舎の食堂で朝食を食べてきたところだ。
いつもなら自分たちで作るのだが、今日は学校が休みなのだ。一週間に一度の休日。休みというのはゆっくりしてしまう日だ。そう、つまり、朝もゆっくり起きるのが正しい。
別に寝坊をしたわけではない。
「今日はルカちゃんなにするのー?」
「うーん……特に予定はないですが」
というより、休日にすることはいつも決まっている。午前中は全ての時間を勉強、予習復習をし、昼は朝食をかねて料理の練習、その後は幼い頃からの習慣でピアノやバイオリンのレッスン、茶道と華道、舞の稽古もしている。もちろん、全部を一度にではなく、ローテーションを組んでだが。
バイオリンと茶道、華道と舞の道具は自前のだが、さすがにピアノは部屋に入らないので音楽室のを借りている。あまり期待していなかったので、グランドピアノとアップライトピアノ、スピネットピアノも揃っていたのは嬉しかった。
あとは茶室もあったのが驚いた。幼い頃、両親と他都市に行った時に様々な茶室をみてきたが、やはりエンヨウが一番綺麗だと思う。
これだけ色々揃っているとなると、部活の数も相当だろうが……今のところ新入生が勧誘されたというのは聞いていない。
というか、部活について何も説明されてないのだが、高等部では部活はないのだろうか。中等部の頃は「様々なものを発散するのは何かに集中するのが大事だ」ということで沢山の部を兼部したが。
先生たちに聞いても慌てるなの一点張りなので、恐らく、何かと強調される『二学期』から何かあるのだと考えている。
「じゃあじゃあ、どっかでかけようよ!」
出掛ける。それもいいかもしれない。折角高等部になったのだから、『完封具』無しで街を歩くのはとても楽しいはずだ。
しかし、まだ一ヶ月程度の付き合いだが、ルカは彼女が次に何を言うのか分かっている。
「ユーくんも誘っていこっ。きっとお部屋でぼんやりしてるとおもうし!」
やはり来た。何故チヤが彼にそこまで懐いているのか分からない。どう見ても彼のことが好きだとおもうのだが、彼女に聞いたとき返ってきた返事は
「うん、好きだよ。だって、友達だもん!」
だ。そのあとすぐに「もちろんルカちゃんだって大好きだよ!」といってくれた。自分のほうに『大』がついているということは、ユーガに対する思いは彼女自身友達に送るそれなのだろう。
それに、ユーガもユーガだ。もう少し困った感じを出せばいいのに、全く微塵も動揺せずこれっぽっちも表情を変えないで「どうした、チヤ」なのだ。もしかして女に興味が無いのだろうか。
「あれ?」
「どうかしま、あら?」
急に立ち止まったチヤに聞こうとして、その理由を見つけた。噂をすれば何とやら。ユーガだ。
彼は校門の前を通り過ぎて真っ直ぐ女子寮のほうへ向かっていく。
「おかしいなぁ、ユーくん休日は部屋に引きこもってるのに」
「……当たってますけれど、なんだかその言い方は誤解されますね。彼が」
どうしてユーガの休日の過ごし方を知っているかというと、それはチヤと二人で彼を部屋まで呼びに行ったことがあるからだ。主に昼食や夕食のお誘いということで。
チヤが妙な使命感に燃えているせいで、少し前まで休日なのに何故かお弁当を作って彼と食堂で食事をしていた。あの戦闘技術実習の日からチヤも雰囲気に気づいたのか彼の部屋まで行くことはしなくなったが。というか、女子寮は男子禁制なのに、男子寮は女子禁制じゃないのはどういうことなのだろうか。
とにもかくにも、彼が休日に男子寮の敷地から出て、なおかつ校舎を素通りするというのは珍しいのだ。それも、向かっている先は女子寮。……女子寮?
「まさか……いつも誘ってもらって悪いからと、ユーガはわたくしたちを誘うつもりで女子寮に向かっているんじゃ……」
「え!?」
チヤが目を見開かせる。それだとまずい。非常にまずい。何がまずいって、寮監は女子寮だけでなく、その敷地内も男子禁制を布いているのだ。敷かれているのは人工芝だけで十分だというのに。
彼がもし敷地内に入れば……寮監は魔術を行使するかもしれない。無論、都市法違反だ。
「お、おいかけなきゃ!」
「止めないと!」
チヤと一緒に駆け出し、校門を飛び出す。大声でユーガを呼ぼうとして、やめた。
「……通り過ぎてるね」
「……通り過ぎてますね」
彼は女子寮の門も通過し、そのまま歩いていく。どこへいくのだろう。真っ直ぐ行けばそこは商店街しかないが……。
「よしっ、尾行ようっ」
「そうですね。……ええ!?」
突然のチヤの言葉。いきなりすぎて思わず頷いてしまった。
「ど、どうしてですか?」
「だって、どこに行くのか気になるもん」
「気になるって……声をかけて一緒に行けばいいんじゃないですか?」
「そうだけど、それじゃだめなのっ」
「駄目なんですか?」
「うん。ボクたちが一緒に行ったらいつもと変わらないもん。ボクはユーくんがこういうとき一人で何するのか知りたいのっ。だって、ユーくん、自分のことあんまり話してくれないもん!」
「でも、だからって、尾行するのは……」
「…………じー」
「いえ、あの、そんな目で見られても」
「……………………じー」
「あう、分かりました……」
そんな子犬がおねだりする様な目で見上げられたら、自分のイメージ関係なく首を縦に振るしかない。
思いっきり破顔するチヤ。そのままぐっと両手を握り、ユーガの背中を鋭い笑みで見据えた。
「よーしっ、『ユーくん尾行大作戦』開始だよっ!」
作戦名の時点で情報戦では完敗だろう。気づかれないように小さくため息をつき、走り出したチヤを追った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
どこかのお店の立て看板に隠れる。目標はおよそ五十メートル先。これくらい離れないとユーガが感づいて振り返ってしまう。
背後からルカの息遣いが聞こえてくる。なんだかんだいってお願いを聞いてくれるからルカは優しい。
現在展開中の『ユーくん尾行大作戦』の主な目的は、この商店街で彼が何をするつもりなのかを確認することだ。
それにしても、街というのはいつきても楽しい。目移りしてユーガを見失ってしまいそうだ。
一応中等部でも五年生――つまり最上級生――になれば外出許可をもらえるが、門限は六時でしかもあの嫌な腕輪をつけないといけない。あんなのをつけてたら見る景色は全部色あせ、周りから聞こえてくる楽しげな声や、どこかから漂ってくる良い匂いも、興味が沸かなくなってしまう。
本当に、嫌な腕輪だ。
「……いつきても、楽しいですね」
「うん」
ルカもきっとそう思ってる。だから、目の前の何でもない立て看板も、自分たちにとってはいつまで見てても飽きないものだ。中等部の頃にも見たことはあったが、ケチャップの絵はこんなに綺麗な赤色じゃなかったし、パンに挟まれたウィンナーもこんなにおいしそうには見えなかった。
「またユーガに野良犬が近づいてますよ、チヤちゃん」
「え? ほんと?」
見れば、確かに野良犬がユーガの足に擦り寄っている。首輪が無いから野良犬だとは思うが、それでもわんちゃんはわんちゃん。是非とも撫でに行きたい。
しかし、当の野良犬は飼い主に甘えるようにユーガの足を頭で擦っている。彼は降参とばかりに立ち止まり、しゃがんで頭を撫でてあげた。羨ましい。
どこかで見たと思ったら、あのわんちゃんはさっきもユーガに擦り寄ってきたわんちゃんじゃないだろうか。もしかして追ってきたのか?
それにしても。
「……微笑ましい光景だとは、思うんですけれど」
「うん……ユーくん、ちょっとは笑おうよ……」
何故ああも真剣な表情で撫でるのか。もうちょっとこう、微笑んだりしたらいいのに。まぁ、いつもより瞳が穏やかだが。
チヤはあのわんちゃんを撫でに飛び出したいのを我慢して、じっとユーガを観察した。
そして、このあと、驚くべき光景を目にするのだった。
「あれは何ですか?」
「ユーくんと……いっぱいのねこちゃんといっぱいのわんちゃんといっぱいの……とりちゃん、かな?」
いつの間にかユーガはここからじゃ確認できないほどの犬、猫、果ては鳥に囲まれていた。全部野良とは言わない。何故なら散歩途中の犬ですら彼に飛びつこうとしたのだから。
「いったいどれだけ動物に好かれてるんですか」
「いいなぁ……」
「わたくしはなんだか、彼に腹が立ちます」
「え?」
「あ、いえ、うらやましいですよね」
今何か不穏な言葉が聞こえたような気もするが、気にしないでおこう。
再度ユーガを見る。さすがにしゃがんでいると犬に圧し掛かられて大変なのか、立ち上がっていた。一通り動物たちを撫でると、歩き出す。それについていく動物たち。左右の肩に乗る数羽の鳥たちがものすごく可愛い。
数歩歩いてもついてくる動物たちに、ユーガは振り返って一言二言何かを話した。動物たちが悲しげな声を上げる。しかし、もう一度ユーガが何かを言うと、動物たちは見た目からしてとてつもなくしゅんとした様子で離れていった。
「……彼は動物と話せるんでしょうか」
「それも良いなぁ。でも、なんであんなにユーくんの周りにあつまったんだろ?」
「うーん……あ、動物を引き寄せるフェロモンでも出してるんじゃないでしょうか」
「フェロモン? ってなぁに?」
「えー、つまり、ユーガから良い匂いが出てるかもってことですよ」
「? ユーくんはいつも良い匂いだよ?」
「え?」
肩に置かれたルカの手が離れる。振り向けば彼女はちょっとだけ驚いた顔をしていた。
何をそんなにおどろいてるんだろ?
「良い匂いって……もしかして、だからいつもユーガにくっついてるのですか?」
「うんっ。ルカちゃんもユーくん良い匂いっておもうでしょ?」
「え、あ、その、わたくしは……」
顔を赤くして黙ってしまった。ルカも気づいていたわけじゃなかったのだろうか。
自分も最近気づいたことだが、彼に飛びついて鼻を埋めたくなるのは彼から良い匂いがするからなのだ。なんといったらいいのだろう。甘いような香ばしいような……そういうのとはまた違う。汗の匂いがいいのだろうか。それも違う気がする。
こう、安心できるというか。
「むぅ、むずかしいなぁ」
「あっ、チヤちゃんっ。ユーガがいません!」
「ほえ!? ああっ、ほんとだ!? ルカちゃんいそご!」
考え込んでいる間にユーガは遠く行ってしまったようだ。それにしても、ルカまでも彼を見ていないとは。何か考えていたのだろうか。
ユーガはすぐに見つけることが出来た。彼がまた立ち止まっていたからだ。でも。
「あの子、誰かな」
「……わたくしたちと同じ一年生……では、なさそうですけれど。みたことありませんし」
ルカから返事が返ってくる。どうやら口に出していたみたいだ。
ユーガが誰か知らない子と話している。女の子だ。
彼と同じ真っ黒で長くて、風にさらさらと揺れる髪をした、真っ赤な瞳の女の子。五十メートル近く離れているこちらからでも、とても可愛い子だと分かる。離れすぎて良く見えないけど。
背はルカと同じくらいで、ユーガを見上げて笑顔で何か言っている。
ユーガみたいな黒の長袖に、同じく真っ黒だけどフリルがふんだんに使われたロングスカートという格好でお人形さんっぽい。頭の上に乗せているこれまた黒いヘアバンドが、さらにその雰囲気を際立たせていた。
中等部でもあんな女の子は見たことなかったが、彼女が中等部の生徒であるのは間違いない。その証拠に彼女の右手にあの嫌な腕輪がはめられていたからだ。
後輩ということになるが、驚きだ。あれをつけたまま、あんなに笑ったりすることが出来るなんて。でも、それだと本当にユーガとあの少女の関係が分からない。小さい頃の幼馴染だろうか?
考えようとしたけど、正直、そんなことどうでもよかった。
ユーガが、その女の子に小さく微笑んだからだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「また寮を脱走したのか」
ユーガが目の前の子に目を向ける。少し呆れを含ませたが、全くの無意味だった。
「ふふ、違うよ、先輩。今日はちゃんと外出許可を貰っているからね」
そう言って右手にはめた腕輪を見せてくる。
「む、そうか。疑って悪かったな」
「本当にね。私はとてもとても傷ついたよ、先輩。これはもう、先輩に癒してもらうしかない」
「……あまり聞きたくないが、具体的には?」
「ふふ、やっぱり先輩は優しい人だね。そうだな、なら、私の言うことを一つだけ、何でも聞くというのはどうだい?」
「何でも、というのが怪しいな。疑ったのは悪いと思うが、何でも言うことは聞けん」
もうこの子とは何度もここで会っている。その度にこの子はいつも意味の分からないお願いをしてきた。
だが、今回はこいつに握らせた手札がまずかったかもしれない。
「そんな……私の心は深く、先輩に疑われたことに深く深く傷ついているというのに、先輩は可愛い後輩の頼み一つすら聞いてやれないというんだね。あぁ、私はこの心の傷をこのまま永久に持ったまま辛く辛く生きていくんだ、きっと……うっ、うっ、ぐすっ」
いつものことながら、よくそんなにスラスラと言えるものだと感心する。しかも随分前から泣き真似にも凝りだしているし。
こうなったら、自分は周囲の人間から冷たい目で見られるのだ。まぁ、傍目から見れば泣かせているようにしか見えないのだろうから、仕方ないと言えば仕方ないが。そして、やはりこいつのお願いを聞いてしまうのも、もう仕方の無いことだ。
「……ふぅ、分かった。一つだけだぞ」
「本当かい? 嬉しいね。だから先輩のことは大好きだよ」
「俺はお前に『お願い』される度に、お前からの好意を素直に受け取れなくなってきているんだが」
「ふふ、そんなこといって。私のような可愛い子から言われるのは満更でもないのだろう?」
「別にお前が可愛くなくとも、好意を向けられれば嬉しいぞ」
「…………」
黙ってしまった。この子は何故か会話の途中で俯いて黙るクセがある。そして決まって今までの強気が嘘のようにお願いをしてくるのだ。本当に、こいつの考えていることは分からない。
「じゃあ、お願いしても、いいかな」
「あぁ。ただし、出来る範囲で頼むぞ」
「……私の名前を呼びつつ、微笑みながら頭を撫でてくれないかい?」
「ちょっと待て。さりげなく三つにするな」
こんなことを言ってもきっと無駄だろう。ほら、もう伺うようにこちらを見上げてきているのだから。
全く、本当に仕方の無い。
「レイ」
名前を呼び、微笑む。しっかり出来ているかどうかは分からないが、気にせずにレイの頭に手を乗せた。相変わらず指に絡まらない髪だ。自分のとは大分違う。同じなのにこれほど違うのは素直にすごいと思う。
ゆっくり撫でるとレイは気持ち良さそうに頬を緩める。これほど喜んでくれるならずっとしていてあげたいが、今日も目的地がある。ゆっくりはしていられない。
「あ……もう終わりかい?」
「あぁ。急がないと時間になる」
「うん、分かった」
「ん? なんだ、今日は素直だな。いつもなら俺の服を引っ張るくせに」
珍しい。こいつは会って別れようとするときに決まって駄々をこねていたが。
レイは小さく笑うと少々釣り目の真っ赤な瞳をさらに鋭くさせた。
「ふふ、私はもう先輩を引き止めないよ。もうすぐそんな必要もなくなるからね」
「どういう意味だ?」
「つまり、しばらくは先輩を困らせないってことだよ。私は少しだけ先輩の言うことを聞く良い子になるのさ。ちょっとの間だけだけどね」
レイの言っていることはユーガにはよく分からなかったが、ひとまず頷いてもう一度頭を撫でる。
「そうか。良い子だな」
「……くぅ、先輩は、本当に、ずるい人だね」
「なんだ、困らせない代わりに文句を言うのか?」
「そんなことをいう先輩はさっさと行ったら良いよ。もう私は毎日ここで先輩を待つことは出来なくなるから、しばらく会えなくなるかも知れないけどね。それじゃ」
驚いた。どうやらレイは毎日ここに来て、自分を待っていたらしい。
ユーガはそのことに呆れと、少しの怒りを持った。
「おい、お前、あんなことがあったのに一人でここで待っていたのか?」
「おっと、しまった。しばらく会えない寂しさのあまり、言わないつもりだったのに言ってしまった」
「レイ、この」
「ふふっ、叱られて別れるのは嫌だよ。心配しなくても、先輩が怖くてもう私に何かしようっていう馬鹿は居ないさ。それじゃ、先輩。また会う日まで。私のことを毎日思い出してくれ。私も毎日先輩のことを想うよ!」
レイが手を振ってユーガの隣を走り抜ける。捕まえて説教をしようと思ったが、まぁ、何もなかったのなら良いと思いなおし、軽く手を振り返した。
「それは『お願い』か、レイ」
「もちろん!」
レイは一度も振り返ることはなかった。