日常と実習授業・と彼と彼女と
「……忘れ物をしてしまったようです」
日が落ち、大結界を通り過ぎた橙色の光がグラウンドを照らす。下校中の集団の中で、一人の少女が立ち止まった。
「う? じゃあ、一緒にとりにいこっ」
集団の中で一番背が小さく、一番この場に不似合いな見た目の少女が言う。
しかし、少女は横に首を振った。普段は金色に輝く長髪は今は夕日の光が当たって真っ赤になっている。
「いえ、皆様は先に。忘れ物と言っても技術書ですから」
言い終わると同時に少女は振り返って校舎に駆け戻った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
パタパタと廊下に自分の足跡が響く。いつもなら廊下を走るなどしないが、今日の夕ご飯はチヤと一緒に作る約束だ。食材も買いに行かないといけない。
この時間になるとさすがに誰もいませんね。
明るい時間とは全く違う雰囲気に、自然と足も速くなった。目的地にたどり着き、少し息を整えてドアをスライドさせる。
そして、思わず息を呑んだ。
「……ん? 帰ったんじゃなかったのか?」
ユーガが椅子に座って、教室に残っている。机の上には分厚い本とノートが広げられていて、彼の手にはペンが握られていた。
「そ……っちこそ、なんで残ってるんですか?」
「あぁ、今日の実習での……まぁ、まとめだな。女子の訓練にも学べるものがあったし、忘れないうちに書きとめておきたくてな」
視線を戻しながら答え、またペンを走らせている。そのまま彼はこちらを見ずに尋ねてきた。
「ルカは?」
「わ、たしは……その、忘れ物を取りに……」
「そうか」
声が上手く出せない。夕日を受けるユーガの姿が、なんだか現実味を帯びていない。
沈黙が訪れる。
「……どうした、忘れ物を取るんじゃなかったのか?」
その声に我に返り、慌てて自分の席に向かう。机の中に目当ての技術書があった。
ちらりとユーガに視線を向ける。同時に、彼が立ち上がった。本を閉じ、ノートを鞄に仕舞うとそのまま教室から出て行こうと歩く。
普段なら、彼らしい行動と言えた。特に何も言わず……帰るかとも誘わず、出て行こうとする。
「ま、まってください!」
つい、引き止めてしまった。俯く。
「……なんだ?」
彼の顔が見えないせいで、その声がとても不機嫌なものに聞こえた。
「そ、その……一緒に帰ろう、とか……言わないんですか?」
言ってしまって顔が熱を帯びてきた。自分は何を言っているんだろう。すぐに顔を上げて、冗談とかいって、笑わないと。
顔を上げるまでは出来た。だが、返ってきた彼の言葉で呼吸も止まった。
「……何故だ?」
ユーガが眉をひそめて首をかしげる。
何故? どうして? わたしが一緒に帰ろうと言ってるのに。理由が分からない? わたしも分からない。なんでこんなことを言ったんですか。だって彼はわたしをなんともおもってない。そうだ、だから無視したんですよね。彼はわたしを好きじゃない。好きの反対は嫌い? 違いました、無関心でしたね。無関心。そうです、彼はわたしになんの関心もないんですね。興味がない。つまりそういうことです。興味がないってことは、わたしに期待してないってことですね。期待してないのは失望している? まさか。だってわたしは彼にそんなことを思われることなんて。ああ、じゃあやっぱり嫌われてるんですね。きたいにこたえてないからですね。なんでこんなにかなしいんでしょう。わたしはわるいこかな。なんでこうなったのかな。
あ、そっか。
彼がわたしを無視したせいだ。
「……謝ってください」
「なに?」
彼があの時、自分を無視しなければ、こんなにかき乱されることは無かった。
「わたしにあやまってください!」
「……いきなり何を言ってるんだ。俺はルカに謝らなければならないようなことをしたのか?」
ユーガの表情が険しくなる。そんな顔をしても、駄目です。
「しました。したんですから、あやまってください」
「なら、理由を教えてくれ」
信じられない。
「理由? はなさないとわからないんですか! あなたがわるいんです! だからあやまらないといけないんです!」
自分の声が教室中に響く。
「…………理由を話す気がないなら、俺も謝ることは出来んな。話がそれだけならもう行くぞ」
聞いたことがないほど、冷たい声だった。目が熱くなってくる。胸が痛い。
「ま、って……まってくださいぃ……」
声の出し方を忘れたかもしれない。きっと、今の自分の顔はひどいことになってる。見られたくない。
俯いても、彼が立ち止まってくれたのは分かった。
「だって、わたしのこと、無視したじゃないですかぁ……どうして、どうしてわたしをみてくれないんですかぁ」
「……は? 少し、待ってくれ。お前を見てない? どういう意味だ? その前に、俺はお前を無視したことはないぞ?」
目の代わりに頭が一気に熱くなった。思い切り顔を上げて、怒鳴る。あぁ、声はこうやって出すんだった。
「したことない!? したことないっていいましたか! 入学式の次の日! 窓からあなたが見下ろしてる時に! わたしが微笑んだのに! このわたしがですよ!! なのに、ユーガは無視したじゃないですかあっ!」
これだけ言えばさすがにしらばっくれることはないはず。息を荒くしてユーガを睨む。だが、彼はキョトンと、本当にキョトンとした表情で「あぁ」と口にした。
「あれは俺にだったのか」
「なっ、あ、当たり前です!! しっかり目もあってたです!!」
なんという白々しさ。信じられません!
ユーガが頬をかき、少し申し訳なさそうな顔になる。なんですか、そんな顔しても駄目ですよ。
「いや、あの時は俺はルカと会話すらしたこと無かったからな……それに、後ろで他の生徒が自分に微笑みかけたと言っていたから、俺なわけがないと思ってだな」
愕然とした。
「そうか。俺にだったのか。すまなかった。許してくれ」
そしてあっさりと頭を下げる。
ありえない。本当の、本当に、勘違い、だった?
顔が一気に熱くなる。顔だけじゃない。もう全身熱くてむず痒くて、今すぐユーガを鈍器のような何かで殴打して記憶を消し去り、そのまま教室から飛び出して行きたいくらいだ。
ユーガが顔を上げてまだ申し訳なさそうな表情をしている。普段からそういう力強さを薄れさせた瞳ならもうちょっと接しやすいものを。
というか、自分がこれだけ恥ずかしい思いをしているのに、彼に何も無いのが悔しい。
「……じゃあ、今わたしに微笑んでください」
「は?」
「あのとき! 無視したですから、今無視しないでわたしに微笑みかけるです!」
もう自分で何を言っているのか分からないが、これはきっと恥ずかしいだろう。何せ誰かに凝視されながら微笑めと言われているのだから。
目を丸くさせてユーガが固まった。と思ったら、急に俯いて震えだす。
「……な、なんですか?」
もしや怒ったのだろうか。少し不安に思う。
ユーガが右手を顔に持っていく。まさか泣いているのだろうか。
「……く、くく……」
笑っていた。許さない。
「なんで笑ってるですか!!」
「いや……くっ、ははっ」
ユーガが顔を上げた。微笑んだまま、ルカを真っ直ぐ見ている。
「変な奴だな、お前は」
これ以上熱くならないと思っていたのに、顔面に炎をぶつけられたような気がした。
「へ、へんなやつってっ、失礼です! やっぱりユーガは失礼な人です! バカ!」
「ははは、いや、うん。すまん」
ユーガは謝ってくるが、微笑みは消えず、力強い瞳は柔らかく崩れていて。
そんな風に謝られても、悔しいだけだ。こんな人が友達だなんて、もう嫌だ。
「もう! そんな失礼な人とは絶交ですから!!」
あぁ、本当に自分は何を言っているんだろう。彼の顔はもう見ることは出来ない。思いっきり振り返った。
「そうか」
でも、それだけの返事に、また振り返って怒鳴ろうと思った。だけど、出来なかった。
「絶交されるのは、悲しいな」
「もう決めました。もうユーガは……サカタキくんは友達じゃありませんっ」
真剣に言うなら取り消してあげようかとも思ったが、その声に笑いが込められているからもう絶対に許さない。
「そうか」
またそれだけ。今度こそ振り返る。思いつく限りの罵声を浴びせようと決心して。
ユーガはまだ微笑んだまま、こちらが口を開くより早く、言った。
「ルカ、俺の友人になってくれないか?」
自分は今何を言おうとしていたか忘れてしまった。
「ど、どうしても、っていうなら、なってあげないこともないです」
窓を見ながら答えて上げる。橙色の光が見えた。
「どうしても、友達になって欲しい」
「…………そこまでいうなら、まぁ、なってあげます」
「そうか、ありがとう」
一言、追加されている。だけど、今も微笑んでいるかは分からない。
ルカはどうしても彼の顔を見ることが出来なかった。
『日常と実習授業・終』
読んでいただきありがとうございます!
さーて、相変わらずまた長かったですねぇ。こう…やっぱり視点をちょいちょい変えてやると長くなりますね。
駄菓子菓子、今後構成を変えるつもりはないでござる!働きたくないでござ
えーというわけで、今回はユーガくんが頑張ってルカちゃんも頑張りました。チヤちゃんはまぁ、出番少なかったですが、今後あるかと。きっと。
では、今後とも彼ら彼女らをよろしくおねがいします!
また次回!