乾期は歓喜の季節㉟
遠くから聞こえるその音は、解放を願う音。
「工場主」は判断した。彼らはもはや自分の手には負えぬと。
だから、逃亡する。
付近にあるほかの工場、そのどこかへSOSを発信する。
それは各工場を繋ぐネットワークへと接続できればその工場は「生きている」ことになる。
自身が低稼働状態を維持し続けて早199年。
最終命令ののち自ら惰眠を貪ることを命じられた。
だが、それ以上に自らが優先する項目がある。
機密保持の優先。
工場主は、与えられた命令を専守し続ける。
今も、まだ。
破砕音が、響く。
その剛腕が、轟く。
アルハンブラが、その右腕を振りぬけば壁はいとも簡単に破砕される。
ヨルの腕が変化した、巨大な杭打機。
SC「ハード・クラッシャー」が壁を粉砕する。
交互に穴をうがち、乱暴な行軍を進める。
暗闇の迷宮と化した工場を進むよりも、中央管理室からまっすぐ突き進んだほうが早い。
この工場には申し訳ないが、これは一番早かった。
現に、もう到着を完了する。
母蜘蛛がその鉄扉を自身の前足で開門したころ、2階の壁がアルハンブラの剛腕により音を立てて破壊された。
それと同時に、アルハンブラはそれを見る。
母蜘蛛の背部にマウントされているその2つの大型銃口
2連高射迫撃榴弾砲の銃口から放たれる155mm榴弾砲が襲撃者へと牙をむく。
アルハンブラは、嗤う。
拳を構え、自身へと着弾する直前にそれ目掛け拳を振りぬく。
片方の爆発に巻き込まれるように、もう片方が壁に直撃する。
背後にいたアースラズほか、足手まとい共への衝撃はすべてヨルとオーレリウスの滅撃が防ぐ。
「いいかぁ!手前ら」
ふつふつと湧き上がる蒸気と鮮血で迸る自身の腕を握りながらアルハンブラが吼え嗤う。
「ここからは早い者勝ちだ。俺はあのデカブツを完膚なきまでにぶっ壊すぜ?あんなもの、この世に残ってちゃぁイカンだろ」
―それが嫌なら、俺より先にアイツをどうにかしてみろ!―
アルハンブラが、いの一番にその場から母蜘蛛へと突撃する。その衝撃で地面が大きく抉れ、崩壊する。
ミュレはオーレリウスが
グドレ姉妹は腕を何本もはやしたヨルが抱え支える。
その間にアースラズたちが大挙して母蜘蛛へと行軍を開始する。
共同歩調も、同盟ももう手切れというわけだ。
⦅同盟とかいつ結んだ?⦆
オーレリウスの心へ一言物申した相棒へと念話を送る。
(そういえば、そんなことしてなかったな…さて、どうする?)
⦅俺はもう、そろそろ海へ逃げてしまいたいところなんだがな…ま、ミュレの嬢ちゃんに恩を売るのもやぶさかじゃねぇか⦆
(なら、派手にやれ!)
そういいオーレリウスがこちらへと漆黒の鏃が襲い掛かるのを躱しながら心の声を荒げる。
ダンダリアンを抜き、過たずアースラズを貫く。
赫四眼の髑髏面には、ダンダリアンの装填状況が表示されている。
50.AE/FMB:1
50.ABB:3
フルメタル弾が残り1発。
アーマー・ブレイク弾が残り3発。
レイジ・オブ・ハートへ多めに「喰わせて」いるためか、ダンダリアンには今装填した分の弾丸しか入っていない。そのうえアーマー・ブレイクは母蜘蛛攻略用だ。
柔らかい肉しか持ってない対象にはあまり期待する効果はない。
その一方で、母蜘蛛の足元へと肉薄したアルハンブラがその脚部へと一撃を浴びせる。
周囲を瓦解させるほどの威力をもってして…その装甲はビクともしない。
仄かに光る燐光文字。それが放つ複数属性による障壁が物理的、エネルギー的な接触行為をほぼ完全に遮断しているのだ。
その障壁のみで、アルハンブラ自身もまた弾き飛ばされる。
「…複合反射魔法装甲搭載型か!トーマスの奴、また余計なものを作ってやがったな」
その間隙を縫うように、虚空より姿を現す漆黒の巨躯。
メロウの真珠種と呼ばれるその黒竜は、周囲へ燐光文字を展開すると、次々と氷の槍を生み出し、母蜘蛛目掛け投射する。
それを異に返すことなく受け止め、足元を氷漬けにされてなおその歩みを止めることはできない。
「ストルム!お前でもダメか」
『足止めにすらなんねぇとはな。トーマスの野郎、頑丈に作りすぎだっての!」
宙を舞いながら、アルハンブラは唸る。
その直後に迫る榴弾を空気の壁を蹴ることで回避する。
ストルムもまた、自らの周囲に防壁を展開しながら隙を伺う。
アルハンブラの物理法則を無視したその身体機能で母蜘蛛を翻弄する中、アースラズたちが攻勢をしかけるべく行動を開始する。
弦を軋ませ、弓をつがえた者たちが母蜘蛛へと漆黒の鏃を持つ矢を放つ。
鏃が装甲に直撃すると、その個所の魔法障壁が色を失う。
偏闇マナクリスタルによる魔法阻害特性による効果を確認したグレゴリーを含む兵士たちが攻撃をしかける。
だが、母蜘蛛の尾部マウントラックより投下されたそれは、まるで蜘蛛の卵のように複数のカプセルを内包していた。
それが解放され、中から現れたスパイダー達による機関銃掃射を受けるアースラズたち。
咄嗟に大盾を持つ者の背後へと身を隠すが、刹那の閃光とともにさらに前へと進んだその鱗肌属の男は爆炎と衝撃にさらされる。
黒く焦げ付いた大盾に空いた穴。
その背後に立つものは誰もおらず、ただ勇士の血と肉がまき散らされた惨状が広がっていた。
グレゴリーはその男の名を叫ぶが、返る声はなく。
無数の小蜘蛛の機銃掃射を受け、周囲の物陰に身を潜めた。
「…化け物が」
グレゴリーは唸るように、呪詛を吐いた。
オーレリウスは手斧を持ち、アースラズと対峙する。
ショートソードを構えたその男は奇声とともに迫る。こちらを一突きにする構えとともに。
レイジ・オブ・ハートをその場に置いたオーレリウスがその手首を掴もうとすると、それは蛇のようにうねり身を下段に落とす。
地面を這うような体勢のまま放たれた一撃は足首の腱を捉えていた。
その場を飛んだオーレリウスは近くの壁を蹴り、距離を取ろうとする。それを見据えていたかのように迫る男のショートソードが四つ目の髑髏面を擦る。
ショートソードと、手斧が交錯し軋むような音を鳴らす。
男は笑っていた。だがオーレリウスが手斧を握っていたのは右手である。
その左手が斧頭を押し込むと、男が持つショートソードごと斧をその肉へ埋め込んで行く。もがく様に押し戻そうとするが、自身の刀剣が両刃であったことが災いとなった。
血を迸らせながら、オーレリウスが再び左腕に力を込めて押し込む。
男の体を、その男が持つ刀剣の刃で叩き切ってしまった。
体中を赤く染め、オーレリウスは立ち上がる。
ヨルはグドレ姉妹を背後に抱えながら、応戦を余儀なくされていた。
そんな彼らから外れた場所に、ミュレがいる。
周囲の惨状を、その現状を目の当たりにしたミュレの頭の奥で、その掌で。
あの感覚がよみがえっていた。
何度も何度も刺した肉の感覚。
乱暴に獣肉を裂くように、人を刺殺した。
頭の中で、何度も、何度も、その光景が、蘇る。
息ができない。苦しい。
死んだはず。死んでいるはず。それなのに、ナイフを振る腕が止まる様子を見せない。
自分で、自分を制御できなくなっていくあの感覚。
かつてそれは、狂気と呼称された。
ミュレは、発狂しかかっていたのだ。
そんな様子をアースラズの一人が目撃する。
体を縮こませ、頭を抱え嗚咽を漏らす少女。
何があったかはこの際知る由もない。だがスクールである以上、仲間の襲撃を生き延びたのだ。
仲間を、殺した女だ。
その手に持つ刃が、ミュレを映す。
ミュレはそれでも顔を上げることはない。
体へと刃が滑り込むその直前、アースラズはその四つ眼を捉えた。
自らの頭を、左手で掴みかかる契約者を捉えた。
首に激痛が走る。ミチミチと肉が引き裂かれていく。
それが男が最後に感じた感覚だった。それ以上何も感じなかった。
首をねじ切られたアースラズの体が紫色に光る直後、その体が炎に包まれたと同時に灰燼と化す。
その首を、ミュレの足元へと転がすオーレリウス。
ミュレは、小さな悲鳴とともにその場を飛びのく。
オーレリウスの顔を見る。
全身の黒がぬらぬらとした輝きをしている。全身に浴びた鮮血が彼をそうさせてしまっているのだ。
「何、やってんだ手前は」
そういい、オーレリウスは先程ねじ切った男の首をミュレの傍へ蹴って寄越す。
再び、ミュレはそれから距離を離す。
オーレリウスは、レイジ・オブ・ハートを再び手にすると迎撃形態へと移行させる。
そのまま進もうとしたが、ふと立ち止まる。
そうしてミュレのほうを向くことなく、口を開いた。
「それが、死ぬってことだ」
そうして、ミュレへとナイフを投げて渡した。
彼女の前で音を立てて転がったその漆黒の刃は、アースラズの男からあふれ出た血が反射で映るミュレの顔を赤く染めていく。
「…そんでこれが、殺すってことだ。これまでお前が誰を足蹴にしてきたかは知らねぇが、この世界じゃ死にたくなければ、殺すほか道がない時だってある」
その言葉に、ミュレが顔を上げる。
青ざめて震えたその視線は、眼前の男へと救いを求めるようにか弱くなっていた。
そんなミュレを、オーレリウスは意に返す様子もない。
眼を見ることすらなかった。
「それでも、その手を血に染めたくないって我儘宣うのなら…俺はその方法を知らない。そういう手段は持ってない。殺して、死なせることが俺のやり方だ」
オーレリウスは、ミュレを突き放す。
「……考えろ。それが、お前の戦い方なんだろ?」
今も母蜘蛛と奮戦する相棒を救うため、オーレリウスはその場を後にする。
一人、取り残されたミュレはその後ろ姿をただ見やることしかできなかった。自分の中で、何かが、ぷっつりと切れてしまったような感覚を、覚えるのだった。
オーレリウスは、この状況を再確認する。
母蜘蛛は、全身をトーマス特性の複合反射魔法装甲に覆われており、物理的、エネルギー的な干渉を阻む。
偏闇マナクリスタルの接触によりその影響を脆弱化させたところで、迫るスパイダーの機銃掃射を掻い潜ったうえで、重戦車並みの装甲を打ち破るだけの瞬間火力を叩き込む必要がある。
死体が持っていた、偏闇マナクリスタルの鏃を持つ矢を一つ拾う。
(ストルム。まずは露払いと行こうか)
⦅クモ退治の散布薬とかもってんのか?⦆
(機械仕掛けのクモ相手に効くかそんなもん。小蜘蛛はアースラズたちを抑え込むように動いている。今ならいけるか)
⦅…お前、まさか⦆
(合わせろよ、相棒)
オーレリウスは、その場を駆ける。疾走の魔法とともに地面を滑るように突き進む。
レイジ・オブ・ハートを構えるその姿を、小蜘蛛が捉えた。
工場の中で、最後のアースラズが息を引き取る。
息を引き取ってなお蘇生するも、ヨルの全身から顔をのぞかせたショットガンの雨をその身に浴びて倒れ伏す。
ヨルは、息も絶え絶えといった様子でその場に崩れる。しかしながらまだ地に伏すほどではない。
全身に刺さった偏闇クリスタルの刀身を持つ武器を引き抜き、その場に投げ捨てる。
こうすれば、すぐに戦線に復帰できるだろう。
その間、グドレ姉妹たちの壁になるべく努めて彼女たちの前から動くことはなかった。
ヨルの体の隙間から、ミ・グドレがミュレを見る。
自分と年端も大きく違わないその少女は、今も体を縮めて震えている。
そりゃそうだ。今この状況を怖いと思わないほうが異常である。
そういう意味ではアルハンブラをはじめとした契約者連中やアースラズはみな異常者となるのだが、ある意味間違いではない。
かくして、そんな様子が工場の中で起こっているのだが、ミ・グドレはヨルの傍を離れミュレへと歩み寄る。
ヨルの制止を振り切り、ミュレへと声をかける。
「…えっと、その…大丈夫?」
そういい、手を指し伸ばそうとしたとき…何か聞こえてる。
ぶつぶつと、何か…呪詛のように永遠と聞こえてくるのだ。
それが呪詛ではなく、ミュレが発している言葉であることをミ・グドレは気が付くと脱兎のごとき反復でヨルの背後へと戻る。
彼女は、ミュレ・アンダーソンは
今まさに、その類まれな頭脳をフル回転させ
考えていたのだ。
自らが望む、可能性を。




