乾期は歓喜の季節㉘
3時間しかない。とミュレは言う。
実際のところ、そこまで時間がないか。と問われれば多くの人にとってはそこまで足早に動くような時間ではない。だが、ミュレは急いでいた。
ヴァルキリアズのテントへと飛び込むように戻ると、困惑と憤慨に揺れる年上の女たちの間をすり抜けながら先のボードへと向かう。
ボードにびっしりと書き記された燐光文字。その羅列。
それは、文字であり数式。この文字一つ一つが数式そのものを現している。
ミュレはメモ帳を手に取り、ペンを走らせる。誰に何を言われようとも、陰口の矛先になろうとも知ったことではない。
書く
描く
紙面の上にペンの航路が黒く表れる。
白い紙面をインクが黒く走り抜けるそのペンはさながらサーフィンの如く。
ページの海を掻き分けるかのように、忙しない動きである。
ミュレは今、マリエルとの集合知を書き記している。
メモ帳のどこまでを使うかなどわかったものではないため、ペンを走らせ、ボードを見ながらその頭の中で改めて燐光文字を試算する。
その中でいる情報、いらない情報を取捨選択していく。
オーレリウス、ないしストルムが言う「環境」と「加速要因」。
確かにミュレをはじめとして多くのスクール生徒なら学ぶことだ。それ故にマリエルが行おうとする研究には価値を生み出している。
だからこそ、オーレリウスに対して蹴りが出た。
そんなことを見落としていたのか。と言われたように感じたからだ。
生存に関する数式がすでにできているというのであれば、必要となるのは「誕生」のプロセスである。
ならどうして「環境」と「加速要因」が全く不要だと勝手に判じていたのだろうか。
生まれるための条件であるのなら、欠かすことはできないであるだろうに。
そのうえで自分の頭の中で判断できる。ないし完璧に覚えている内容の確認ではなく。
マリエルとの会話の中で精霊の誕生プロセスに関する内容をメモにまとめていく。
精霊が生まれるプロセスとして、おおざっぱにまとめると以下のようになる。
・烈魔から生じる雷が大地に降り注ぐ。
・大地よりメルカッタ全体に行きわたる途中、偏属性マナクリスタルの生成地にその力が到達した際、マナクリスタルを大きく振動させる「強振現象」が発生。
・その際、マナクリスタルより発生した各属性のエネルギーが空気中のマナ粒子と結合することでそれらが「精霊細胞」と呼ばれる精霊独自の細胞として生まれ、集合していく。
その結果、精霊が生まれる。
強振現象とは、偏属性マナクリスタルに雷属性を持つ要素が接触することで凝固していたマナ粒子が急加速する現象を指す。
この時の偏属性マナクリスタルは周囲に自らの属性に寄った膨大な属性エネルギーを発生させ、より危険になる現象でもある。
これらを数式上で纏めるとするのならば、鍵となるのは工場であるとは限らない。ミュレはそう思案していく。
あの時、そぅ。
あの時だ…猪との夜。
オーレリウスだ。
アイツの左腕より生み出された雷。
あれを生み出した際に生まれた燐光文字。
見慣れない文字ではあったが、あれ自体が「雷」を生み出す燐光文字であるのならば…。
それを、四則魔法で再現できるとは思わない。だが何かの糸口になるのは明白だ。
とはいえ、ミュレは今それ以外にも忙しい。
耳を澄まし、陰口を躱し、その奥に聞き耳を立てる。
マリエルと、ヴァルキリアズの会議は幸運なことにまだ続いている。
ヴァルキリアズとともに、飛竜兵の上級生たちも参加し当日の調査に関する調整が続いている。
今この瞬間において、工場の具体的な場所を知るのは彼女たちである。
ミュレは燐光文字を書き記しながら、メモ帳の全く別のページにおおざっぱな情報を描きまとめていく。
現在野営地を設置している場所はテレズレム領とミュドランダ領の境界に広がる森林地帯を見下ろす山の中腹である。
「では、会議終了後各陣営へ電信を飛ばし一時戦闘中止を通達します」
「飛竜兵の方の準備はどこまで進んでいるのかしら?」
「報告によりますと、現段階で80%程進行中。試運転も行うことを考慮に入れますと…」
「それではヴァルキリアズのメンバーを2分し、防衛チームと調査補助チームを編成します。調査補助チームは工場内部における飛竜兵の防衛も担う。これでよろしいですか?」
「了解しました。改めて最終確認を取ります」
ミュレは一度燐光文字を描く手を止め、メモ帳をめくる。
「工場の場所はここ。主戦場である平野部を進んだ先、東黒羊海に面する海岸にあります。明後日以降、調査終了までの間ミュドランダ及びテレズレム軍双方へ戦闘中止命令を通達します。違反した場合スクール、ギルド、七大連合への反逆行為とみなされる旨を伝えます。続きまして、ヴァルキリアズ側の編成メンバーの確認を行います…」
工場は戦場の奥。海岸線に面している。
その中に何があるのか具体的なことは不明。それに関してはこれから調査を行うのだから仕方がない。
取り敢えずおおよその場所が分かっただけでも十分な収穫である。
ミュレはこの場所を離れ、皆に気取られない程度の早歩きで移動を行う。
先の話にあった飛竜兵側の準備。
それを行っている場所に向かう。
そこではトラックの中に押し込めるように積み込まれた物資を確認していたりそれぞれのテント内へ運んでいる飛竜兵たちの姿があった。
ミュレはそれを手伝うといい木箱を一つテントの中へと運びこむ。
その中である探し物をしている。
あれがあれば…もしかしたら役に立つかもしれない。
ミュレの中でそう思うような、代物がここにあると踏んだからである。
そして日が沈みかけたころ。ミュレはコッソリと行動を開始する。
最終点呼に参加し、炊き出しを受け取ったのちミュレはその場所から離れるように移動を開始した。
しばし移動をし、森の中へと向かうミュレ。
その奥で、こちらを見る瞳がある。
赤い四つ目髑髏がこちらを見ている。
亡霊が、ミュレを見ている。
「遅刻だぞ」
短く、オーレリウスが言う。
「最終点呼には出ないと怪しまれるでしょ?一晩でやるのなら早朝の点呼までには戻らないといけない」
幸か不幸か、杖が使えなくなったミュレのことを飛竜兵とみなすものがいないためか荷物持ち係として周りの輪から完全に隔絶されている。皮肉なことに、このことでミュレが点呼の後どこかへ居なくなったとしても誰も気にすることはなかった。
今唯一ミュレを飛竜兵とみなすものが点呼であった。これが終わればミュレは幽霊と一緒の扱いであった。
マスクの奥で、そんなミュレに対し鼻で笑うオーレリウス。
「で?場所は」
そう問われたミュレは早速メモ帳を開く。
今晩は三日月ということもあり、月明りも乏しい中でメモ帳を照らすのはオーレリウスの手に握られている小型着火機のわずかな灯りであった。
「海岸か」
奇しくも、オーレリウスが目指す最終目標に通じている。だがそう考えた次には首を横に振る。
ストルムもこれには賛同するようで、流石にミュレを置いて冬支度に行くわけにはいかない。ということになった。
オーレリウスはダンダリアンとレイジ・オブ・ハートの最終確認を行う。
それぞれを確認すると、ダンダリアンを右側ホルスターに収納し、レイジ・オブ・ハートを肩に担ぐ。そうして走り出そうとしたとき、何かを思い出したように頭を掻く。
「どうしたの?」とミュレが尋ねた時。
オーレリウスはくるりとその身を翻し、ミュレへと近づく。
急にどうしたんだとミュレが考える間にその体はオーレリウスの腕の中にすっぽりと収まっていた。
所謂、お姫様抱っこ。というやつだ。
自分が何をされたのかを理解すると怒りと恥ずかしさで体中の血液が沸騰していくのを感じる。
「何してんの、変態!」
オーレリウスの腕の中で暴れ狂うミュレ。
さながら鮮魚か注射を拒否する犬のようである。
「お前…軽いな」
「いいから、下ろしなさい!」
そういい上下に揺さぶるオーレリウスに対しその細腕がお見舞いされる。だがオーレリウスのマスクに当たったところでミュレの拳のほうが悲鳴を上げる。
がなり立てる様に叫ぶミュレに対し、オーレリウスは淡々と声をかける。
「お前が魔法を使えるんならそうしてやるよ」
「ならせめて背負って!」
「俺の背中には、愛すべき相棒がもう二人陣取っていてな?こっちしか空きがないんだわ」
ミュレは、そういう場合ではないとわかっていながらも、スクールの制服がスカートではないことに心底感謝した。
「どのみち、走って戻るにしても100m走の速度でマラソンやるような行為だ。ズルの一つや二つしないと身が持たねぇよ」
オーレリウスの左腕から発せられる燐光文字。
―疾風―
―俊足―
―夜目―
―付与:拝瞳―
オーレリウスの脚が僅かながらに変化を始める。
足元に風が纏い、僅かに体を浮かせていく。その浮遊感に思わずミュレはオーレリウスの服を掴む。
フヒル村で見せた、あの魔法であろうか。とミュレが考えているうちに彼女は風になった。
肌、もとい体中に吹き付ける風の勢いはそのままオーレリウスの移動速度を現している。
「ストルムの奴に乗れればすぐなんだが、そうもいかねぇんでな」
山を滑るように降りていく。そのまま平野部を駆け抜ける。
僅かながらに月夜が映す闇の濃淡は、そのまま塹壕の有無を示している。
風のように、闇の合間をくぐる。
ミュレが何かを喋ろうとすると、オーレリウスは口元に人差し指を当て静寂に努めるように伝える。
現在の位置は、テレズレム陣営の前衛付近に延伸している塹壕のすぐそばである。その塹壕の前を添うように走り抜ける。あの闇の奥では、鱗肌属の兵士たちがいるだろう。
一陣の風が吹くが、それを確認する者はいない。
サーチライトが向いたその時には、その姿はすでに闇に溶けてしまっている。
そのまま、海岸線に出る。
岸壁の下に広がるのは深淵。その奥から聞こえるさざ波の音がなければそれが海だとは知ることはできないだろう。
オーレリウスはためらわず岸壁より飛び降りる。
闇の奥へ、ミュレを抱きながら二人で落ちていく。
思わず目を瞑ったミュレが次に感じたのは、揺れる感覚。
ゆっくりを広がる視界の先には闇の奥でこれまた見慣れたスカイブルーの瞳がこちらを見ている。
『顔付き合わせて話すのは久しぶりだな?ミュレの嬢ちゃん。タクシー代は俺持ちだからゆっくりしてけや』
そう声を発する黒竜、ストルムの背に乗ったことを確認したミュレの体から緊張と共に力が抜けていくのだった。
闇夜の奥で、岸壁より竜を見やる者たちがいる。
それらは皆一様に闇と同じ色をしている。これが保護色になることはないが、彼らはそれぞれの意味で、黒を享受している。
「アイツら、ナイトデートは結構だが…スポット選びが最悪だろ」
そうぼやくアルハンブラの後ろに、グドレ姉妹とヨルがいる。
アルハンブラは非常に夜目が効く。オーレリウスのように一々魔法を使用せずともそれと同等の視界を与えてくれるのだ。
「だが、ま。出羽亀するわけじゃねぇんだ。そうだろ?」
そういうアルハンブラの後ろで、グドレ姉妹が皆頷く。
夜が深くなっていく。
その闇の奥で、蠢く者がいる。
思惑がある。
そんなことは、この世界にとっては当たり前の出来事。
だから当たり前のように、こういうことをするのだ。
夜は、まだこれからである。




