乾期は歓喜の季節㉖
その日の夜。煤けた香りが鼻孔をくすぐる場所へとやってきた。
オーレリウスとアルハンブラは、溜息とともに顔をしかめる。彼らにとって良く嗅ぎ慣れた、懐かしくも思い出したくもない過去が脳裏をよぎる。
あの時の敗走
とある日のわずかな勝利。
誰かが静かに歌う軍歌とともに撤退を続けた時の臭いであった。
そういう類の、思い出であった。
ついに、到着したのだ。
荷物を下ろしたアルハンブラ達を尻目に、オーレリウスはミュレのもとへと向かう。
その手には2包みのクォーツ貨を詰めた金貨袋。それぞれに入っている20枚の擦れる音が仕事の達成を祝っているように感じた。
だが残念なことに、オーレリウスはこれからただ働きの時間である。
とあるテントの中へと向かうと、その奥でマリエルとミュレが何かを話し続けている。
戦況を書き記し、作戦を練るために使うであろうボードの一つを占拠しつらつらと燐光文字による数式を書き連ねている。
そのやり取りはここが戦場でなければスクールの校内での出来事とも思えるが、オーレリウスにとってスクールの思い出は大昔通った軍学校と、以前収監されたとに見た箇所くらいなものだ。実際の教室の様子などは見る由もない。
「でも、ここの式は間違っていないと思うのよねぇ」
「マリエルさん。そう考えるのも分かりますけども、やはりこの式を代入したほうがより精度が上がるのでは?」
「ミュレちゃん。精度を上げにはその通りだけど、この文字はちょっと安全性に難があると思うわ。火を風で煽ったらどうなるかくらいわかるでしょ?」
「であるのなら、こちらの式をここに組み込むことで指向性を操作できるのでは?」
「…それだとかなり膨大な変換が要求されてしまうわ、ミュレちゃん。私が最初に使用したものをできればそのまま使いたい。なるべくシンプルな式を使用することで多くの飛竜兵にも使ってもらえるようになるはずよ」
やいのやいのと、マリエルとミュレが精霊の召喚に関してやり取りを続けている。
オーレリウスは周囲を取り囲むヴァルキリアズのメンバーが向けてくる視線を背後に感じつつ、ミュレに声をかける。
「お二人さんや、講義は結構だがお開きの時間にしねぇとな?マリエル…さんをそろそろ開放してやっちゃくれねぇか、ミュレ。彼女はお前と違って仕事があるんだよ」
そういわれたミュレはむっとした表情でオーレリウスにチョークを向ける。
「これだって立派な仕事だと思わないかしら?」
言葉にはしないものの、マリエルの「そうだ、そうだ」という眼を見た時オーレリウスは深いため息をつく。
マリエルは、精霊召喚の方法を見つけることはできた。数式もくみ上げあとは実際に償還を執り行うところまで来ていたのだが、それができなかったというのだ。思考を単純化すればマリエルのこれまでの研究のどこかに「穴」があったという訳なのだがそれがどこかまるで分らない。
ミュレが夜な夜な忍び込んでまで読んでいたあの本に何の情報保護の手段がなかったのも、そもそもそれがまだ未完成であるがゆえに知られたところで何の問題もなかったからであり、本が失われたとしてもそれら情報はすべてマリエルの頭の中に記憶されているためいくらでも写生が可能である。という何とも言えないオチであった。
そんな中、ミュレがマリエルの手法に存在する「穴」を3晩程で見出したのだから、マリエルにとっては是が非とも確保したい逸材に映っているようだ。
現にその目は「研究させろ」という意思が伝わってくる。
オーレリウスを間に挟むように、それぞれの視線が向けられている。
頭が痛くなってきそうだ。
「そうはいってもな?マリエル……さん、はヴァルキリアズの紡ぎ手だ。やらなきゃいけない仕事は数式いじりばっかりとはいかねぇんだよ」
「…あんた。敬語使い慣れなさすぎじゃない?」
ミュレの皮肉に、肩をすくめて返答するとしぶしぶ納得した様子でマリエルがヴァルキリアズのメンバーへと合流する。
その様子をミュレが頬を膨らませながらオーレリウスを睨みつけるが、当の本人はどこ吹く風である。
声を潜めて、オーレリウスは口を開く。
「…で?出来としちゃどんなもんなんだ」
ミュレは口を尖らせてそっぽを向く。どうやら答えるつもりはないらしい。
⦅ならしょうがねぇ。竜の知恵袋が年寄り何人分か見せてやろうじゃねぇか⦆
(お前が勤勉だった所を見たことはねぇんだが?)
そういわれたストルムが鼻息でオーレリウスの言い分を一蹴する。
⦅俺は一々あらゆることに爪牙を突き立てるようなことはしねぇんだよ。何事もクールにこなさねぇとな⦆
(…あっそ)
オーレリウスはボードに描かれた数式をストルムに共有する。
啖呵を切っただけのことはある。
粗忽者、と揶揄されていた黒竜からは想像もつかない単語が次から次へと出てくる。その様子をオーレリウスは腕を組んで感心する。
(お前今度、スクールの教壇に立つことをお勧めするよ。いい給料もらえそうだな)
⦅そりゃぁいい。手始めに招炎の授業で校舎を焼き払って名誉の懲戒免職を受けてやるよ⦆
(この世でケツに火を点けちゃいけねぇ類の連中相手によくやるわ…ミュレには?)
ストルムは迷うことなく
⦅どうぞ?ただあの嬢ちゃん、悔しがるだろうなぁ⦆
と答える。
オーレリウスはミュレに指で耳を貸すよう合図する。
ミュレがその通りにすると、耳打ちされた内容を聞き。
目が丸く見開かれ
驚いた表情となり
顔がみるみる赤くなり
最後には涙目になって
オーレリウスを割と強めに蹴りつけてきた。
(俺ばっかり損じゃねぇかこれ!)
⦅発見には犠牲が付きものなんだぜ?お前の脛に青あざができるくらいなら安い、安い⦆
脛を蹴られながら、オーレリウスは自分なりに情報を整理する。
とどのつまり、これは数式であると同時に
「精霊が生まれるプロセス」を示す必要があるというものだ。
では、精霊が生まれるには何が必要か?
特定の属性に偏ったマナクリスタルと濃縮マナ・プール液。
これ以外に必要が要素が2つあり、それらは「環境」と「加速要因」である。
生物の生存は結果論における収束。という言葉が帝国にはあった。
特定の生物が生き残るためにある一定の方向性を持つように変化ないし、進化を行って来たとするのならば、「結果として環境に合わせた構造を持つ個体」が生き残ったという結果論の連続ということができる。という話だ。
精霊もまた、生物という括りにあるのならばその要素を見やることができる。
精霊は基本自身の属性と同じ偏属性マナクリスタルの周辺に発生していることが多く、これはつまり「一定以上の偏属性マナを有している空間」が必要。と考えられる。
マリエルの式にはこの環境要因に関する項目とそれに該当する燐光文字がない。
南国にのみ生息する生物がそのままの形で北方には居ないというのと同じで、精霊もまた自身が生息するのに適した環境が必要なのである。
もちろん、これだけではなく必要なのは「加速要因」…「雷」の力である。
雷の力とは、オーレリウスが使用する「招雷」をはじめとする電撃の力である。
これは「根源3元素」、つまり「虚無」「マナ」「雷」に表される元素の一つとして存在しており、それが持つ特性は「加速」。つまり物資が持つ要素を加速させる特徴がある。
急激に加速した物質はその威力、要素、成長速度を爆発的に早める一方で物質そのものを加速させ切るという形で急速な劣化・崩壊を引き起こす。
精霊は周囲の環境により発生する雷の力、その多くは「烈魔」と呼ばれる全長1kmを超える巨大なエイが特定の季節ごとに上空を「跳んだ」際に発生する雷のエネルギーをもって発生するものである。
つまり、精霊を生み出すということは自然のバランスと「烈魔」が地上へと降り注がせる雷のエネルギーが必要不可欠であり、四則魔法を使うのが精々のスクールではそもそも生み出せない。ということなのだ。
仮に生み出すとするのならかなり大きな装置と魔法式が必要となってくる。それで生み出せるのが8分しか生きれないサラマンドラ一匹では採算に合わないだろう。
その現実をたたきつけられたためか、ミュレはオーレリウスを蹴ったのだ。
…だが、次にミュレの口から出てきた言葉は
「そんなこと、わかっている」というものだ。
今度はストルムが呆気にとられる番であった。
ミュレ曰く、だからこそマリエルの召喚方法は研究する価値があるのだというのだ。
元来、精霊は上記方法でのみ生まれることはスクールの間では常識である。それ故に精霊を使役したければわざわざ偏属性マナクリスタルが生育している場所まで出向く必要がある。これには多大な危険が付きまとうこともあるのだが、マリエルの魔法式が完成した暁にはいつどのような状況であっても即座に精霊を使役することができる。
そしてマリエルが研究を続けた結果、「生存」そのものに必要な要素が2つにまで絞ることができた。ということこそが大きな発見なのだ。
あとは「誕生」に関するプロセスに該当する魔法式を作り上げることができればいい。そのために必要な燐光文字を見つけることができればいい。
そういう段階まで既に詰められていた。というわけだ。
昨日意気揚々とオーレリウスの念話にて
「雷の燐光文字が足りないんじゃねぇの?」と語ったストルムと、それに納得したオーレリウスは時代の流れというものを痛感せざるを得なかった。精霊の誕生プロセスに関しては帝国の時代において最先端の研究項目であった。それ故に知るものは少なくオーレリウスたちもトーマスを経由して知ったものである。
かつての最先端が、今では少女たちの必修科目にまでなっていた。
(なんか、時代だな)
裏側の世界にてすっかりへそを曲げてしまった相棒を宥めるように、オーレリウスは声をかけるしかなかったのだった。
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マリエルは作戦会議を行っている途中、何度かミュレのほうを見ていた。
付き人の男に何か熱心に伝えているようだが、彼もこちら側の人間なのだろうか?
などと考えていたが、つむじに飛んできた拳骨で本来の仕事へと意識を戻される。
元々マリエル自身、紡ぎ手という役職に向いていると思っていない。ヴァルキリアズに所属した理由も自身の研究を続けるのに都合がよかったことと、友人に誘われたことがきっかけだ。
個人で研究を進めようにも、資金が足りない。
スクールで教鞭を振るうのは自信がない。
それであればと加入したのち、どういう訳か前任者の意向により自分自身が紡ぎ手となってしまったのだ。
不平不満は大いにあるものの、皆の助力で何とか今日まで紡ぎ手という役職をこなしてはきたが、内心限界に近いと感じている。
今回の研究でゴールド等級になることが出来れば、有事以外は研究に打ち込めると考えていたが、多分現実はそこまで甘くない。
マリエルは小さくため息をつく。
向いてないと思う仕事をこなすときほど、憂鬱な気持ちになることはないとつい考えてしまうのだった。




