乾期は歓喜の季節㉕
アルハンブラに声をかけられたオーレリウスは彼の傍へと近寄る。
その背には積み上げられた物々がゆらゆらと揺れながら歩く巨人の様相であった。
まっすぐと前を向いたまま声を発する。
「ミュレ…ちゃんだっけ?なんだか最近怖ぇんだけど」
オーレリウスは信じられないようなものを見るような眼でアルハンブラを見る。
「あんたにも怖いものがあるなんてな?国営日報の一面記事を飾れるぞ」
⦅豪傑アルハンブラ。彼が恐れるものとは…!?。ってな具合か?⦆
念話の内容を察したのか知らずか呆れ返ったといった様子のアルハンブラが続ける。
「おちょくるのも大概にしやがれ。後ろの光景を見てそんな減らず口を叩けるから聞いてるんだよ」
さてオーレリウスも見やると、明らかにそっちのほうを見ないように心がける炉の女たち事グドレ姉妹のさらに後ろ。
眼の下に深みを増した隈を作り、真っ赤に充血しきった状態で
何かをぶつぶつ唱えている。
そんなうら若き乙女…の面を被った呪詛そのもののというか、怨霊のようなミュレがいた。
オーレリウスはあくびを噛み殺しながら上官へ意見を述べる。
「受験勉強でも控えてるんじゃねぇの?」
これまで再三伝えている通り、この二人の階級は中尉と特務付きとはいえ上等兵である。
もっと言えばアルハンブラのほうが年上でもある。
オフで無礼講だとしてもこうラフな会話をできるような関係ではないことは明白だが、当のアルハンブラもすでに慣れ切った様子で
「その内、問題集に釘でも打ち込みそうな顔してるぞ…一夜漬けどころか浅漬けレベルでここ最近碌に寝てねぇんじゃないのか?」
オーレリウスは改めて一瞥し
「若いっていいもんですねぇ?気合があればまだ体が付いてくるんだから」
「お前が身体年齢を語るのかよ」
オーレリウスの発言を鼻で笑いながらアルハンブラが続ける。
「何はともあれ、アイツに助け舟を出したのはお前だ。当然中途半端にはしねぇよな?」
アルハンブラが睨みを効かせたところで当人はどこ吹く風である。
「俺がアイツに子守唄でも謡って寝かしつけろっていうのかよ?ベビーシッター代は誰に請求すればいい?」
「あの子の未来とかどうだ?」
アルハンブラの言葉に対するオーレリウスの表情は、実に嫌そうなものであった。それこそアルハンブラをして、ここまで豊かな「嫌そうな顔」ができるやつだとは思わなかったと考えせるほどには。
「冗談でも言っていいことと、悪いことってのがあるぞ?笑えるものと笑えないものがあるのと同じように」
「で、俺の冗談はどうだ?」アルハンブラは微笑みながら問いかける。
オーレリウスの返答は、突き立てられた中指であった。
炊き出しを両手に持ち、スプーンでくるくると廻しながら何かを永遠と唱え続けているミュレの傍に近づきたいと思うものはいなかった。
荷物運び組であるアルハンブラとグドレ姉妹、何なら獣擬きのヨルにさえ気味悪がられる程何かにミュレは集中している。
そうなると自然とオーレリウスにお鉢が回ってくるもので、オーレリウスはミュレの隣に座り、ただ黙ってミュレの呪詛を聞いていた。
別段興味がなかったオーレリウスではあったが、嫌でも耳に届く呪詛というものは自然と頭にこびりつくものだ。
だが、その内容の一部に意外なヤツが反応する。ストルムだ。
⦅燐光文字?それも火に関する内容のものだ⦆
(ミュレがセンチャイルド教にでも入ったと思うか?)
⦅だったらもう既に連日の食事のせいで、ポテトの香りがする焼死体が一人分出来上がってる。それにセンチャイルドの連中にとっちゃ燐光文字も悪魔の印だろ⦆
(だとして、ミュレはスクールだぞ?火に関する燐光文字の一つや二つ唱える事なんておかしなことじゃねぇだろ)
⦅それはそうなんだが、アイツの普段使う魔法が用いる燐光文字にはあまり使われないスペルが出ている⦆
ストルム曰く、ミュレ達が使う杖には持ち手のところから先端まで濃縮マナ・プール液を吸い上げておき杖を振るうことで対応した燐光文字が意味する魔法を行使する。という方法をとっているらしい。
表面に刻まれた幾何学模様こそ文章化された燐光文字であり、あれ自体がある種の百科事典であり万能ツールでもある。
オーレリウスを例にすれば左腕が杖であり、燐光文字を宙に描くなどする際にオーレリウスの体内から「マナ」が消費され左腕を伝って発揮される。
という感覚に近い。
話を戻すと、ミュレ達が使用する○○旋律という魔法。例えば火炎旋律であれば「火」を意味する燐光文字を杖を振るい描き、それへ「連結」させる形で文章、ないし数式化させることで燐光文字を追加する事で様々な状態、形質、威力へと変換させることができる。
この際に、ストルムが見てきた魔法の中ではこれまで使用されていない燐光文字が出てきたというのだ。
(で?それはなんて文字だよ)
オーレリウスは、その言葉を聞いたときに何かが繋がってしまったように感じた。
今日も夜が来た。
皆が寝静まる中、ミュレは石をもってヴァルキリアズのテント前まで来る。
今再び知識を得るためのミュレの戦いが始まる。
木箱に傷をつけ、時間と巡回を確認したのち今晩もまたランタンの灯りの持ちで本を開く。
このような生活を始めて早3日目。
実際のところ、サラマンドラを生成する魔法そのものに関しておおよその知識は体得したと自信を持って言える。
あとは知見と立証を行う段階に入ったと思っている。だが、それでもミュレはここにきてしまう。
否
来ざるを得ないのだ。
それはなぜか?解らないからだ。
先に言ったことと矛盾するように聞こえるかもしれないが、実際ミュレは解っていない。
実はミュレはここで読み解いた内容をほぼ一晩掛けて頭の中で数式を組み立てその整合性を立証していたのだ。
それを丸2日行う事で亡霊もかくやなほどに憔悴仕切ってしまっている。
明日になれば、工場付近の野営地へと到着してしまう。そうなればこのような機会が再び舞い込むのかは不明だ。一日寝込んでしまったのが痛い。
つまり、今晩が勝負。
そのうえで、解らない。
何百と組み立て
何千と解を紐解いてきたが
解らない。
それによる気持ち悪さがミュレを襲っていたのだ。
数式に過不足は見当たらない。本に書かれた情報を紐解けば、条件を満たせばサラマンドラの生成は行えるはずなのだ。
それでも、解らない。なぜならミュレは直感している。
このままでは、サラマンドラの生成は不可能だと。
その何かが見出せない。
土、水、風の精霊たちもそうだが、それぞれに対応した方法と魔法式をあてがって頭の中で試算していると中から
これではできない。
と直感してしまっている。
だからミュレは今、読み流してしまったところをはじめとして再び本を片っ端から見開いて確認をしている。
何か見逃していないか
何か抜けていないか。
いくらマリエルの資料を読み込み、実際に行っていないとはいえ理論値を出すことはできる。
いつの間にか、持っていた石で地面に数式を描いている。
これが、自身の新しい力となりえるのなら、努力を惜しむつもりはない。
だが肝心の資料をどのような角度から紐解き、読み込んでも
それが自分の力となりえるヴィジョンというものが全く浮かび上がってこない。
ミュレは自身の指の爪を噛む。親指の爪が割れる痛みで眠気をごまかす。
だがこの方法もそう長くはもたない。
視界の端から、ふわふわとした感覚に襲われているのだ。
流石に2徹越えはやりすぎた。
早く、引き上げなければ…そういい、立ち上がった時だ。
ぐらり
視界が歪む。
世界が渦を巻くように脳を揺らし始め、見えていたランタンが踊っているように揺れていく。
「あぁ…しまった…」
やりすぎてしまった。
そう後悔したのちには、ミュレの視界が黒く染まって行く。
きっとこれが最後の安眠となるのかもしれない。
ミュレは薄れゆく意識の中でぼんやりとそう考えていた。
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「なにやってんだ。こいつは」
ヴァルキリアズのテント内に姿を見せたオーレリウスは、呆れた顔でミュレを見降ろしていた。
すやすやと寝息を立てているその表情はあどけなさをまだ残している。
あぁ、まだ女にすらなっていないのだなとオーレリウスでさえ気が付くほどに、ミュレはまだ少女であった。
⦅取り敢えず、この姉ぇちゃんズに絡まれると厄介極まりねぇ。とっととずらかろうぜ。相棒⦆
ストルムの意見に大いに賛成したオーレリウスはミュレの軽い体を抱えるとその場を後にするべく静かに歩き始めた。
そんなオーレリウスへ、「まって」と声が掛かった時
背中を汗が一筋、流れていくのを感じた。
恐る恐る振り返ると、ミュレが地面に石で書いた数式を指でなぞる女がいた。
確か…
「マリエルさん…だっけ?悪いが今回の一件は…」
オーレリウスがそう言い切る前に、マリエルが口をはさむ。
「申し訳ないけど、明日ミュレちゃんをここに連れてきて。起きてからでいいから」
出発時の慌てふためいた様子はどこへやら。
その冷静な瞳は今も数式にのみ向けられていた。
⦅終わったな…⦆
(これ、俺も来なきゃいけねぇパターンだったりする?)
⦅管理不行き届きで同罪案件だろこれ⦆
(こうなるなら肉喰っとけばよかった)
などと後悔しながらも、一旦その場を後にしようとしたオーレリウスの眼前にはもうその姿があった。
何人かの杖を手に持ったヴァルキリアズのメンバーによって
今度はオーレリウスが一晩眠れぬ夜を明かす羽目になったのだった。
日は明け、顔面蒼白の様子で起床したミュレに声をかけるオーレリウス。
「処刑台に立つ気分はどうだ、クソガキ。こうなるなら蹴り入れてでもあのトラックにお前を突っ込んどくんだったよ」
明後日のほうを見ながらミュレをなじるオーレリウスではあったが、二言目には
「体調は落ち着いたか?死人みたいによく寝てた様子だったからな」
という声がかかる。奴なりに気をかけてくれているのだろうか。とミュレは思ったがだとしてこいつの前で弱気になるのは癪に障る。
なので声を震わせながらミュレは反論する。
「おかげさまでいい気分だわ。あんたを道連れにできるなんて名誉の戦死ってものよ」
オーレリウスがそんなミュレを長し目で見る。
冷たい、紫の瞳が突き刺さる。
「本気で、言ってるのか?」
こんな状況に陥らせたのは間違いなく自分のせいだ。そう思えば多少はミュレにも思うところはある。
首を横に振り
「そんなわけないでしょ。疫病神」
と静かに声に出す。
「それはこっちのセリフだ。ここまで関わると碌な目に合わないのはウェンリー以外じゃお前くらいだ」
とオーレリウスが言い放ったところで、ヴァルキリアズのメンバーの間を縫ってマリエルが現れる。
その様子は、ミュレを静かに見降ろしていた。
きっとこっちがマリエル・ラダメリエヌの本性。というやつなのだろうか。とオーレリウスが考えていると。
「ミュレ・アンダーソンさん。よね?」
とマリエルがミュレに尋ねる。
それに頷いて答えると、続けて質問が投げかけられる。
「あなたは、これを見てどう思った」
そういい、あるページが開かれた本がミュレに渡される。
昨日ミュレが文字通り血眼になって何かを調べていた本であった。オーレリウスは傍目にそれが何かを知ることとなる。
(ストルム。こいつは)
⦅あぁ、きっとミュレの嬢ちゃんはこいつがずっと引っかかってるせいであんな状態になっちまってたんだろうな⦆
そう勝手に結論をつけた元帝国軍兵士たちを尻目に、ミュレが静かに口を開く。
さっきまでの顔面蒼白のまま震える声で強がっていた少女ではなく
一人の聡明たる飛竜兵、ミュレ・アンダーソンがそこにはいた。
「どこが、どうと言われれば分りません。ですが、この方法では」
―きっと、精霊を生成させることは出来ないと私は結論を出せます―
そのミュレの声に、マリエルが返答を下す。
「…やっぱりそうおもうよねええええぇぇぇ!?」
という悲鳴にも似た声を挙げながら行われた包容をもってミュレ達は許されたのだった。




