乾期は歓喜の季節㉑
それらは、駆ける。
闇をかき分け、駆ける。
大義のため、同胞のため、命を捨てる。
体も、意志も、心さえ。
思い出も、何もかも捧げてもいい。
ただ、果たせればそれでよい。
アースラズだった者たちが、トラック目掛け迫り来る。
先ほども相当の脚力ではあったが、今はそれ以上。
己の肉体の制限など考慮しない、魍魎の群れが如き進攻。アルハンブラは拳を握り締める。
侮っていたわけではない。だが想像以上であった。
それほどまでに、彼らは本気だったのだ。
譲れない何かを、成すために。
何もかも捨て去ってでも、さらなる力を得た。
おそらくそれは、意識を手放した際に発動する条件発動型の魔法。
対象の身体を魔法により完全に操作する。代償はおそらく、自身の自我の喪失当たりであろうか。
これにより、人の限界を超えた行動を可能とする一方、その身体にかかる負荷は尋常ならざる程になるだろう。
自我を失うことは、ある意味救いともなり得るのかもしれない。
そうしてまで、彼らは何を成したかったのだろうか。アルハンブラは問いかけたくて仕方がなかった。
推測ではなく、彼らの口から聞きたかった。
それが叶うことは、もうなかった。
迫り来るアースラズだった者たちの一撃をアルハンブラは受け止める。
その一撃を、まるで悲しむような瞳で見つめる。
ギリギリと己の身体を震わせる膂力を発揮するそれに対し、アルハンブラは涙を流しかねなかった。
アルハンブラが体を左に捻る。それにつられアースラズだった者の体も大きく傾く。
そこに叩き込まれる右肘の一撃が頭を粉砕する。
ふらふらと、後ろへとよろめく…だが既に脳も心臓もその役割を失ったただの肉と化している者たちにとってそれが致命傷にはなりえない。
再び迫り来る。
眼がなくとも、その剣筋ははっきりとアルハンブラを捉えている。
相対する男は、息を整える。
僅かに、息を吐く。
前へ踏み込んだ右足が大地を抉る。そのまま、その四肢へと貫手を刺し込む。
瞬きする間にその五体が分断される。それでもまだ、殺意を発する胴体が蠢く。
まだ、戦えると。もがき続けている。
アルハンブラはそれを無視し、次の対象へと足を進めた。
飛竜兵たちは各々が領域魔法を展開しその攻撃を防いでいる。
トラックの中にいた者たちも悲鳴のような叫び声をあげながら杖を振るう。
狂乱の中、振るい方を誤るものもいる。
ミュレはその中で、再び心臓が張り裂けそうであった。
自身も杖を持ち、手放せないナイフを握る手に力がこもる。
トラックの外の地獄絵図。いつ自分のもとへと迫るかもしれない恐怖と
自分の後ろトラックの奥で震えている仲間の視線が背中に刺さる。
逃げてしまいたい恐怖と逃げるわけにはいかないという恐怖。
哀れなことに、今ミュレをこの場に縛り付けているのはそのどちらもが恐怖である。
いっそ気を失ったほうが楽になれたかもしれない。
だが己の何かがそれを許さない。
ナイフを握る手が、白くなる。
痛いほどに、それを握りこんでいた。
先頭のトラックへと迫るアースラズだった者。
その内の一体が雄たけびを上げながらトラックのドアへとへばりつく。
運転手の少女が悲鳴を上げる。
ガンガンと、ドアを叩くそのたびに窓にひびが入る。魔法刻印により強化されたはずの窓が、崩れ去ろうとしている。
恐怖がハンドル捌きを鈍らせる。曲がり角に差し掛かってもなお、運転手の少女は襲い掛かる脅威から目を離すことができない。
だが直後、背中から何かの衝撃を受けたかのようにドアへたたきつけられたアースラズだった者がそのままドアから剥がれ落ちていく。
恐怖から解放された少女を襲うのは、またもや恐怖である。
急ハンドルを切ったことでトラックが横転してしまう。
車両から放り出されたミュレ。
幸いなことにトラックは森へ落下することなく道の端で何とか踏みとどまっていた。
そうしてみた。ミュレはその光景を目の当たりにする。
先ほどドアに張り付いていたであろうアースラズだった者の胴体が、内側から破裂してしまったのを。
それは、明らかに第三のものがここに関わっている証拠であった。しかし今のミュレに、それを認識できる余裕はなかった。
再びの、恐怖が彼女を襲う。
距離にして600m。
その遠方から放たれた弾丸に施された招風:圧縮弾頭により高密度に封じられた風が対象の胴体内部で炸裂、破壊したのを確認するオーレリウス。
ボルトハンドルを引き、排莢を行うと再度弾丸を薬室へと装填するためボルトを挿入する。
無機質な金属音が僅かに響く。
それを確認するとオーレリウスは再び構えを取る。
残り、3発。
助けられる命には限りがある。
人は殺さないようにしている。もう十分殺してきたからだ。だが、この状況において
既に人ならざる者へと、禍つ獣へとなり果てたアースラズ達がこれ以上誰かを殺さないようにするためには、殺すしかない。
輪廻魔法により、自らを蘇生させる。一見するとただの治癒効果の上位版ともとれるが、その本質は違う。
輪廻魔法は、他魔法と決定的に異なる点として「虚無へ干渉する」事があげられる。
虚無は、マナを何らかの用途として発揮した際に発生する残滓であり、それ自体生物の生命を脅かし、魔法の効果を阻害する。
虚無が相当量集積した結果、虚無の怪物へとなり果てるといえばその恐ろしさが垣間見えるだろう。
だが輪廻魔法は敢えてその虚無へとアプローチを試みる魔法。
その結果、どうなるかというと。見ての通りだ。
人の姿をした禍つ獣。
虚無の怪物となり果てた人間となる。
ああなってしまえば、もはや殺すことしかできない存在になり果てる。
生物を殺し、喰らうはずの虚無の生物とは異なり。
殺すだけ殺して、喰らうこともしない半端な怪物。
そうなってでも、救いたいものがいたということだろう。
気持ちは痛いほど理解できる。
だが、やらせるわけにはいかない。
その先にある街の、多くの人間にとってその殺意を向けられる謂れなどないのだから。
七大連合により、亜人種族への差別感情を育まれている。というのは事実だ。
だが、だからこそ彼らに向けられる刃ではない。
結局は彼らもそういう認識を持たせられた被害者ともとれるが故だ。
往々にして、結局多くのなんてことはない人々に罪はない。
どれだけ差別感情を持っていたとして、それはそれを植え付けたものが与えた精神的負荷に過ぎない。
大衆が罪を助長することはあっても、大衆が持つ認識そのものが罪足りえるわけではないのだ。
アルハンブラや、オーレリウスが人にとって亡霊呼ばれる存在になり、恐怖と忌避の念で疎まれ、蔑まれたとしても
それでも人の傍にあり続けるささやかな理由の、一つである。
拝瞳と夜目により、赫四眼の髑髏面が赤く映し出すその光景の先で、一人のアースラズだった者に狙いを定める。
引き金を引く。
ボルトハンドルを引く。
排莢を確認したのち、再びボルトを刺し込み薬室へと装填する。
オーレリウスは、僅かに視界がにじむのを感じる。
頭が痛い。
目に浮かぶ涙がマスクの中を流れる。
それと半比例するように、その瞳は冷たく、また確固たる意志が宿っていた。
再び、レイジ・オブ・ハートの引き金を引く。
そのたびに、オーレリウスは涙を流す。警鐘のように頭蓋を響かせる頭痛とともに。
アルハンブラが、アースラズだった者の一人を踏み抜く。
引きつぶされた肉と血が、脚にべったりとこびりつく。
まだこの戦況が終わる様子は見えない。
オーレリウスが倒した後衛の7人もまた魍魎となり果ててこちらへと進行を始めているだろう。
急がなければならない。
アルハンブラは横転したトラックへと駆けよる。
途中、その場にへたり込んでいる少女を見かけた。
そのエメラルドグリーンの瞳が恐怖と涙で歪んでいる。
「おい」
アルハンブラの声にびくりと反応したミュレが現実へと引き戻される。
「あ…はい」
自分でもわかるほどに弱弱しい声を上げてしまう。
「少し離れていろ」アルハンブラにそう言われ少し距離を取る。
アルハンブラはトラックの運転席側まで移動すると、それに手を掛ける。
大地を踏みしめる。
全身の筋肉が軋みを上げるように隆起し、血管が浮かび上がる。
僅かに持ち上がったトラックを上に掲げると、肩に乗せて腕の位置を変える。
押し込むように力を籠める。
肩から離れていくトラックは、徐々に体制を持ち直す。
その間に、トラックの上から迫るアースラズだった者がまたもや途中から力なくその場に倒れ伏し、胴体を破裂させる。
重量物が大地を踏みしめるような鈍い音とともに、トラックが再び持ち直す。
4つのタイヤが地面に接し、まっすぐに道を見据えていた。
そうしたのち、ミュレへ言葉をかけるアルハンブラ。
「運転できるやつを呼んで来い。俺は、アイツらを抑える」
そういわれ、ミュレが行動を始めようとしたときその背後から迫る2体のアースラズだった者。
アルハンブラがすぐに行動を開始する。
一体の動きを抑え、その大槌を両腕で防ぐ。
滑り込むようにアルハンブラを横切るもう一体が、ミュレへと迫る。
咄嗟に杖を構えたミュレの前で、それは倒れる。
地面をのた打ち回るに転がり、森の中へと落ちていく中で破裂音が響く。
思考が状況に追いつき始めたミュレに最初に届いたのは、アルハンブラの声である。
「そっちに、もう一体行ったぞ!」
その声に反応し、振り向いたときにはすでに眼前にまで迫るアースラズだった者。
ミュレが咄嗟に領域魔法を発動しようと杖を振るう。
しかし、それが振りぬいた剣を躱そうとした際に、杖が真っ二つに切り落とされてしまう。
「しまっ…」
ミュレはそのままアースラズだった者に突き飛ばされる。
再び立ち上がる時、それを見てしまった。
白目を剥き、涎を垂らすそのアースラズだったものの胸からあふれる鮮血。
それが誰なのかを察してしまった時、ミュレは動くことができくなった。
アースラズだった者が迫る。
再び剣が降りぬかれる。
ミュレは息が上がり、咄嗟に持っていたナイフでその剣をいなすが重みで僅かに吹き飛ぶ。
よろよろと立ち上がるミュレに再び迫る剣の一振り。
ミュレは、叫んだ。
恐怖で頭の中がぐちゃぐちゃになりながら、それでもミュレを動かす本能が、ミュレに命令を下す。
剣をナイフの柄で弾くと、あらん限りの力で突進する。
死したためか、体の軸が安定しないアースラズだった者がその場に崩れ落ちる。
ミュレは突き立てた、持っていたナイフで何度も、何度も。
何度も突き立てた。
悲鳴にも似た叫び声をあげながら、アースラズだった者の肉を裂き続けた。
ただの肉となった後も、ミュレは半狂乱になりながら相手を突き刺し続ける。
もはや、時間の流れすら混然としていた。
そんなミュレの肩を、強く叩く者がいる。
何度も、何度も叩く。
声をかけ続ける。最初は遠いやまびこの様であった声が、だんだんと耳元で叫ばれていたのだという認識する。
はっとしたミュレが、声をかけられたほうを見る。
そこにいたのは、一人の女性であった。
ミュレがその女性をヴァルキリアズのメンバーであることを認識するのに、僅かに時間がかかる。
「…終わったぞ。新兵」
周囲を見渡す。
炎に包まれ、灰燼となっているもの。
切り刻まれたもの。
地面より生えた棘に全身を貫かれたもの。
誰一人、もう動く気配はなかった。




