乾期は歓喜の季節⑬
ヨルの体が、ぐらりと崩れる。
ずるりとオーレリウスの首に突き刺さっていたダガーが抜けていく。
そのたび血が溢れだし、オーレリウスの旅装を赤く染め上げていく。
オーレリウスは左手を首に当て、治癒加速を行う。
じわじわとその肉が血を止め、組織を元通りにくみ上げていく。
オーレリウスの瞳が、開かれる。
静かに、その紫水晶の瞳をヨルへと向ける。
眼前にいる、獣を見る。
この獣は、妙であった。怒りを覚えこちらを殺すところまではよく知っている。
そういうやつは多く出会い、殺してきた。
そういうものだと思っていた。
しかし、この獣は違う。帝国製の大型重火器を手足のように振るうかと思えば、自らの体より生命を分離させる。怪力を持つ強敵。
そのくせ、オーレリウスの喉へダガーを突き立てた際に憐憫を見せたのだ。
獣に殺されかけたことは大いにあれど、慰みを言われるのは初めてであった。
オーレリウスは、気が付いていないが…この時になって始めて眼前の獣を見ていた。
ヨルを、見ていた。
ふらつきながらも、構えを取るヨル。
まさか、あの状況から一発ぶち込むつもりだったとは思わなかった。確実に殺したと思った。
あの男の、何がそこまで生かそうとする?
獣を殺すという、自身の役割を果たすことへの執念じみた感情だけとは到底思えなかった。
もっと、別の何か。
ヨル自身が知りえていない何かが、あの相対する契約者を生かそうとしている。
なんにせよ。今になって怒りのままにこの男を殺しに来た自分の浅ましさを恨んだ。
相手は契約者。そのうえ数百年単位で禍つ獣と戦い続けたような男だ。
体が痙攣している。先ほどの雷撃のダメージがまだ抜けきっていない。
それでも、姫や妹たちを守るためにはこの男は排除をしなければならない。
イカレた殺戮者であったとしても、あれはあれなりに本気で人類を守ろうと戦い続けているのだ。その人間に唾棄される扱いを受け、人の手に捕まれば殺されると知っているうえでなお。
それでも、この男は人を守り続けたのだ。
今や奴だけのものと化している「ルール」をもって、自分たちを殺しに来る。
「全く、どっちが化け物だよ」
ヨルが恨めしそうにぼやくと、その声にオーレリウスが反応する。
「頭がまだ痺れているのかよ。どっちが、じゃねぇだよ」
そういい、右手を開くとその内に収まるように先ほど弾かれた斧が飛来する。その手にしっかりと握りなおされた斧の背を自分のおでこへとあてがう。
その行為は何かの儀式だろうか?ヨルが訝しんでいると。
「どっちも、人からすれば十分化け物だ」
そういわれ、呆気にとられる。
一つは、確かにその通りだという納得から。
そして、もう一つは
「やっと、俺を見たな?クソ野郎」
紫水晶の瞳が、ヨル自身へと初めて向いたからだ。
オーレリウスは唾とともに体に蓄積された虚無を吐き出すと、改めてヨルを見やる。
「こっからが第2ラウンドだ」
そういい、斧を中段に構える。
オーレリウスは右足を前に、左足を後ろに下げ相手を横から見やるような姿勢に転じる。
左腕は腰に当て、指を動かしていくつかの燐光文字を生み出す。
「それが、あんた本来のファイティング・スタイルってわけかい?」
ヨルもまた、構えを取る。
静かに脱力した躰をそのままに、腕はだらんと落とし相手を正面から見やる姿勢だ。
「200年ぶりにする構えだからな。精々がっかりはしないでくれよ?」
オーレリウスが言い放つと、それを聞いたヨルは鼻で笑い返答する。
「別にいいぜ?どうやってでもお前を殺せればこっちは万々歳だ」
静かに、時間が経過する。
オーレリウスと、ヨルがともに駆ける。
ヨルの両腕が隆起し、指をまっすぐに伸ばした手がそのまま肉厚の刃へと転じる。
下段から、それを振り上げる。
刃をオーレリウスの斧がはじいた瞬間。それは瞬く間にただの腕へと戻される。
ヨルはためらわず、オーレリウスへ攻撃を続ける。
弾かれた際に翻ったローブの内側より広がる黒い光景。その奥から無数の手が伸びオーレリウスへと迫る。
それを暴風により一瞬阻んだところへ火球が放たれる。
風の中で炎が荒れ狂い、火柱となってヨルを襲う。
後ろへと飛んだヨルをオーレリウスによって投げつけられた斧が追う。
火柱を回り込むようにヨルへと迫る来る斧を掴む。その瞬間一瞬だけ力が抜ける。
斧を手放すことですぐさま体に力が戻る。その隙をまるで斧自身が見逃さないかのように、弾き飛ばされるように上に飛び上がる斧の切っ先を寸前のところで躱すヨル。
オーレリウスはその間に斧とは反対側よりヨルへと迫る。
その手に斧が戻ると、両手で握り込む。
左から右へ、丸太へと打ち込むようにヨルの体へ斧を振りぬく。
ヨルはその体を霧散させ回避する。
闇の中へ、炎に照らされてなお周囲に点在する夜の闇へ紛れるようにその姿を消したかと思うと、オーレリウスの背後より迫る。
飛び上がった状態でその背中目掛け貫手を放つ。
これを察知したのか、即座に振り返ったオーレリウスに斬り払われる。
ヨルの右腕がさっくりと裂けている。右手中指と人差し指の間から前腕の半分まで割断されてしまっている。
これを即座に再生し、ヨルは沈みこむように体を低くしたままオーレリウスへと迫る。
その右フックを右に躱す。
続けて左の拳を振り下ろされるが、これは異化した左腕により弾かれる。
後ろに下がったところへオーレリウスの斧が迫る。
上段から振り下ろされるその切っ先が炎に照らされ黒く光る。
ヨルはその斧を両手で挟むようにして抑える。
僅かな脱力感を覚えるものの、それを右に倒しオーレリウスの体勢を崩す。
地面をすべるような廻し蹴りでヨルは打ち据えようとする。
オーレリウスは斧を手放しそのまま転がるように距離を取って躱す。
再び立ち上がり、相対する二人。
ヨルは力の限り斧を明後日の方向へ投げ飛ばす。
まだ燃えていない木へ深々と突き刺さった斧がもがくように動いている。
「これで、俺の邪魔はもうできねぇな」
そういい、ヨルの片腕が変化する。
その手に握られたオートマチック・ピストル、EW-SC「ビギニング」の銃口はまっすぐオーレリウスへと向けられている。
「それとも、さっきみたいに俺の目の前に跳んできて見せるか?さぁどうする。クソ野郎」
オーレリウスはそれには答えず、静かに手を動かす。
そして、自らの眉間に指をあてる。
まるで、「ここを狙え」とでも言いたげなように。
炎が周囲を飲み込まんと燃え盛る中。
その炎が闇を食らい、光を生み出す中。
二人の間に、静寂が流れた。
ヨルが引き金を引く。それが挑発だとしても望み通りその眉間へと弾丸を撃ち込まんと引き金を引く。
先ほどのように、もし接近して来ようものならばもう片腕に仕込んでいるダガーがアイツの体へと突き刺さるだろう。
ゆっくりと時間が経過しているように感じた。時間が死にゆくような、感覚がした。
その弾丸が、迷わずオーレリウスへと迫る。
そして、ヨルは見た。
オーレリウスがこちらへと走り出している。
僅かに身を逸らし、その弾丸を躱すその光景を。
その刹那、時間が息を吹き返す。
オーレリウスを突き刺すべくダガーを突き立てる。
ヨルの手が相手の右手で阻まれる。
そして左手が、契約者の腕が地面へと触れた瞬間。
ヨルの足元より生み出された無数の棘がヨルを捉える。
体中をその棘が貫く。
体を霧散させようとした直後、眼前より光の線が伸びる。それが斧だとわかった瞬間には、その体へ深々と斧が付きたてられた。
動くこともまままらず、そのままの姿勢で固定される。
オーレリウスは、眉間に伸びる傷より滴る血を拭うこともなくヨルを見据える。
「ビギニングが使用する35口径フルメタル弾の速度と、マズルフラッシュのタイミング。それと自分との距離を計算に入れたうえで、弾道を予測できればこれくらいはできるんだぜ?武器をよく知る帝国軍人であればな」
ヨルがもがく。
そのたびに棘がより深く食い込んでいく。
「お前のその…武器を生み出すのは魔法によるものか?であればその斧が天敵なのは頷ける。そいつは、長い間瘴気地帯に留まり続けた鉱物を使用して作られている。その結果対象の魔法的効果を阻害するだけじゃなく、禍つ獣の持つ魔法刻印すら断ち切れるって代物だからな」
ヨルは、ここにきてようやく合点がいった。
だが、もう遅かった。
「お前の名前…ヨル。だったな」
そういい、左腕を雷光が迸る。2つの魔法陣が招雷を準備していく。
「いい名前だな。お前の主人はセンスがある」
オーレリウスの言葉に、諦観の笑いを浮かべる。
「だろ?」
そう返すことで、精いっぱいだった。
「安心しろ。次はそいつだ」
獣は殺す。
少なくとも人の側に入った獣は可及的速やかに、そして例外なく。
人と、獣を分かつため。相容れさせないため。
境界線を、保つために。
それが、結局自分の在り様なのだから。
「すぐに会わせてやる。さよならは、いらねぇな?」
そういい放つとともに、ヨルへと向けられる招雷
その顔が竜へと染まりつつあるのを、ヨルは見た。
雷光の奥で、人を捨てていく契約者を見た。
相手も、限界だった。おそらくこの一撃で相手も人を捨ててしまうかもしれない。それほどの覚悟で、戦っていた。
殺意などでは到底届かないほどの、覚悟をもって戦っていた。
それが、この男の心の奥で滞留し続ける闇の深さを物語っていた。
ヨルは、その顔を落とさなかった。
届かなかったとしても、ここで死んでしまうとしても。
せめて最後の瞬間まで、良き従者であり続けようとした。臆するのではなく、立ち向かい続けたのだと誇れるために。
雷光が、撃ち込まれる。
周囲を光が再度包み、雷鳴が轟く。
ヨルはその時に見た。
自分とオーレリウスの間に割って入る、その背中を見た。
懐かしい、ものを見た。
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アルハンブラは、森を駆け抜けていた。
夜も深まったこの森は、今や轟々と燃える炎によって怪しく照らされている。先ほど迸った雷光は、オーレリウスの招雷であろう。
「アイツら…派手にやりあってやがる」
そういい、大地を踏みしめる。
踏み込んだ大地を抉るほどの脚力で、走り抜ける。
ヨルは、アルハンブラにとってある意味弟分にも似た存在である。
事情を知らぬとはいえ、オーレリウスに殺させるわけにはいかない。
例え獣であっても。人の世で生きようとしているものであるのならば。
人として生きようと戦う者たちを、獣と断じるのはあまりに不条理だ。
人が自分らしくあろうと生きるように、灰かぶりたちもまた自分らしく…人として生きる限り、それは人の摂理ではないのか?
人間なのでは、ないのか?
アルハンブラの声は、オーレリウスには届かなかった。
今もアイツの心には、帝国が残っている。
過去が、オーレリウスを未だ離していない。
なら、止めるのは同じ過去の存在の責務だ。
アルハンブラにとって、それは自らが望んで行う行為であった。
その覚悟が戦場へと飛び込み、オーレリウスの招雷を片手で受け止める。体中を迸る雷撃を受け止める。
光が収まり、周囲の色が炎によって照らされる頃、オーレリウスは眼前に現れたアルハンブラを見た。
「どうして、ここに来た」
オーレリウスは、問う。彼にとっては当然の疑問。
アルハンブラにとっては子供の問いのように思えた。
オーレリウスの、傷ついた体をアルハンブラは思い切り抱き留める。
「どうしてもこうしてもねぇよ、馬鹿野郎。いい加減前を見ろ」
オーレリウスは、その腕の中で前を見た。
そこに、ヨルと名乗る獣がいた。
人の形をした、獣がいた。
だが、そこに違和感があった。
違和感を、感じた。
オーレリウスはそのまま、力なく崩れ落ちる。
それを抱きとめるアルハンブラ。
ヨルは、何が起こったのか理解できずにその状況を飲み込もうと必死であった。
「死んだのか?」
そう、問うのが精いっぱいであった。
「んな訳ねぇだろ…やっと止まったんだよ。今だけな」
そういい、斧を抜く。
ヨルの体が一度霧散し再び体を形成する。そうしたのち、膝をついた。
「お前も、相当痛めつけられたみたいだな。オーレリウスのやつ…銃器も使わずによくもまぁ」
そういい、手を伸ばすアルハンブラを掴み立ち上がるヨル。
「オーレリウス…」
ヨルはアルハンブラの腕の中で崩れ落ちている男の名をつぶやく。
「オーレリウス・ベルベット特務上等狙撃兵。帝国軍竜騎兵大隊 第6小隊「ロンギヌス」、別名「贖罪の竜騎兵部隊」所属。こいつの本分は狙撃であって、蛮族よろしく斧を振り回すのが本職じゃねぇんだよ」
そういい、言葉を続ける。
「そして俺たちの中で、唯一未だに帝国との誓いの中で生きているであろう男さ。腐って錆びついた、槍の誓いを300年以上立て続けている」
アルハンブラは、笑った。
静かに、悲しそうに笑う。
「…本物の、大馬鹿野郎さ」そう、静かに語った。




