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乾期は歓喜の季節⑩

 周囲の人々は、その音に驚きを隠せなかった。

 閑静であった家々に明かりが灯り、窓を開け周囲を確認する。だが闇の奥を見渡せるような瞳を持たぬ者たちにその正体を知る権利は与えられていなかった。


 やがて何事もなかったかのように再び町は静寂を取り戻していった。

 だが不思議なことに、その音を聞いたものはみな恐怖していた。

 何気なく、無意識に。


 皆、自分の尻を抑えるように手をあてがっていたのであった。



 そして、そのように尻に手をあてがうものが闇の奥でもう三人いた。


 ネ・グドレとミ・グドレはそのおぞましさすら感じる光景に恐怖し、自らの尻を守るように手を添えていた。


 視線の先にあるのは、手を叩き埃を払うような動作を取る男と

 

 地面に突っ伏すような形で尻を抑える哀れなる長姉の姿であった。

 ダ・グドレは尻を突き出すように地面に倒れたまま微動だにしない…訳ではなく僅かに動いている。というより、揺れているとか、蠢いている。もしくは震えているという表現を使うほうが的確だろうか。


 スキニーなズボンの奥できっと見事なモミジの葉が出来ているだろうと思わせられるほどの衝撃音と、揺れる尻。


 アルハンブラは一瞬で彼女の背後取ると、その振り上げた右手を大きく開いた。

 そのままの勢いでダ・グドレの右臀部へと空を切るように唸る鞭の如く叩きこんだのだ。


 結果として、この始末。というわけだ。


 ダ・グドレは呻くような声を上げ続けている。腸がねじ切られるような腹痛や頭蓋骨を突き破って沸騰した脳みそが溢れんほどに響く頭痛。骨が軋むような筋肉痛を経験したものならわからない感情ではない。人間というか、動物の多くはその体に受けた痛みの情報が脳の処理を超えるような状況に陥ると大抵呻く以外の発声をしなくなる。


 動くことすらままならず、闇の中でこのような珍妙と言わざるを得ない光景が広がっていた。


 アルハンブラはネ・グドレのほうを見る。

 彼女はその視線に思わず恐怖を覚える。それはミ・グドレも同じであった。

 ダ・グドレは姫、というよりこの3人の中では最も「強い」存在であったのだ。

 それをこうもあっさりと。子供の狼藉を一喝するかの如く締め上げてしまうようなことをできる人間はそう多くはない。というよりもこれまで見たことがない。


 視線の意味を理解したのか、頭を覆うフードと口元を隠すバンダナを外し声をかけるアルハンブラ。

 

 その顔を見た時ネ・グドレは納得と安堵の息を漏らした。



 「つまり、お前らだったのか。シルバー等級持ちを襲うっていう連中は」


 といい、ダ・グドレの尻をもう一発叩くアルハンブラ。変な声を上げるダ・グドレをよそに、ネ・グドレは会話を続ける。

 

 「えっと。はい…そうです」


 物静かな雰囲気を漂わせるネ・グドレだが、その肢体はダ・グドレを雌獅子とするならば雌豹という雰囲気だ。しなやかさと強さを兼ね備えている。

 ミ・グドレは言ってしまえば端正な猫。とでもいうのだろうか。


 だが残念な話、眼前に佇む暴力の化身(アルハンブラ)を前にすれば…一様に大きさが違うだけの雌猫へ成り果ててしまう。


 アルハンブラはため息を漏らす。その意図の通り彼にとってこの姉妹は知らない仲ではない。それ故に雰囲気などで察しては欲しかったとも思う。であれば少なくともダ・グドレが無残に尻をしばかれることにはならずに済んだのだから。

 「なんというか、最初灰かぶりちゃんから話を聞いた時は驚いたぜ。お前らがわざわざ矢面に立つなんて気になるなんてよ…それはそうと」


 アルハンブラはやっと起き上がれる程度には回復をしたダ・グドレを見やる。

 ネ・グドレに比べ、圧倒的な筋肉質の体が漆黒の肌で覆われている。

 そのくせ、女の武器にはしっかりと脂肪がのっておりダ・グドレもまた女なのだと認識させる。


 「なんでもっと早く気が付かねぇんだよ、ダ・グドレ。突撃志向なのも全く変わってねぇし」

 

 その問いに、ダ・グドレは努めて凛として佇もうとするがいまだ尻を襲う激痛によりわずかに足が震えている。


 「いや、その通りだ…というとでも思ったか!」

 言葉に続くようにアルハンブラ目掛け廻し蹴りを撃ち込む。

 見事にアルハンブラの腰へと直撃したものの、当の本人は何一つ変わっていない。

 動きも、表情も。


 そして眉を顰める。


 「蹴りは悪くないな。さっきのといいマッサージくらいにはなるだろうさ」

 そういわれ、悔しそうに顔をしかめるダ・グドレ。


 「というか、あの時の一撃は確かにお前のイチモツを潰したはずなんだが?」


 アルハンブラが頭の上で腕を組みながらどこかへと歩き始める。

 「姫たるものがイチモツなんて言葉使うんじゃねぇよ。それに、俺のは特別性だ。隕石だって貫いてやるよ」


 ダ・グドレは呆れた表情を浮かべる。実際のところ、この男からやりかねない。


 アルハンブラとこの姫たちは過去に出会っている。その時彼女たちはここよりもはるか南方の土地で、獣に怯えているところを見つけたのが始まりだ。今よりずっと幼い彼女たちがアルハンブラの思い出としてよみがえる。

  

 これも何かの縁と思い…それ以上は深く考えることもなくアルハンブラは彼女たちを育て、鍛え上げた。


 数年後にヨルと出会ったことで、彼女たちと別れる道を選んだのだ。それが5年前。

 オーレリウスに冒険者へと誘われたのは、この後となる。


 「ヨルの奴は?ここにいないってなると大方…アイツのところか」


 そういうアルハンブラへ返答するのはミ・グドレである。

 

 「アルオジの知り合いに用があるってどっか行っちゃったよぉ?」

 

 アルハンブラは舌打ちをする。

 「やっぱりか。おまえら朝のあれ見てたんだな」


 あれ、とはオーレリウスが引き起こした一連の暴力沙汰のことである。

 頷く三姉妹を確認するとアルハンブラは動き始める。


 「これが終わったら全部話してもらうからな!」と言い残し、夜の街を駆けだしていった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 夜の森の奥で、オーレリウスは一人だった。


 はたから見ればいつも一人ではあるのだが、その実念話という形でストルムといろいろ話をしていることが多い。

 

 だが、今は真の意味で一人であった。


 ―あのやり方はいただけねぇ、俺好みじゃない。頭がイカレた相棒のやることとはいえだ。暫く一人にしてやるからよく考えるといい。秋の風はいい塩梅に頭を冷やしてくれるだろうさ―


 そういい、念話にすら反応をしない。

 こうなるとストルムの奴は満足するまで出てくることはない。酷い時は数年ほどだんまりを決め込まれたこともある。


 オーレリウスは静かに、考えている。


 何がいけなかったのかではなく。

 自分は、どうしたかったのかと。


 方法に関しては何もかもよろしくない。それはオーレリウスにも解っている。

 こういう時は大抵、自分の中で起こっている何かが問題なのだ。

 方法論ではなく、感情論による問題が原因であることが多い。


 それ自体は、すぐに判明する。


 灰かぶりは、獣か人か。

 どちらかであるか…そこであろう。


 オーレリウスは、獣だと判断している。

 だが、アルハンブラは人間だという。

 彼女たちを差別していたあの船頭たちも、獣かといわれれば「違う」と答えるかもしれない。何の根拠もないが。


 だがそれは、多くの場所で

 多くの街の隅で

 多くの場合、隠れて住む彼女たちを見る人々の眼を見れば分かる。

 

 見下す瞳ではあるが、それは嘲笑と侮蔑であり恐怖や忌避ではない。

 それは暗に「自分たちよりも弱いもの」を見る目であった。

 自分たちよりも下にいる人間を見る目とよく似ていた。

 メルカッタの人々が、間違っても禍つ獣を見下すことはない。それは見下しているように見えてその実恐怖を隠すための虚勢の類である。


 その目だ。

 その目だから、オーレリウスは迷ったのだ。

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 獣を恐れる心を隠すものではなく

 人を嘲け、虐げることを良しとするものであった。

 

 だから、オーレリウスは迷った。

 自分だけが、灰かぶりを違う目で見ている。そう感じてしまったのだ。

 灰かぶりたちと目が合った時、その瞳に映る他の人間が見やっていた眼の色がオーレリウスの意思を揺るがせてしまった。


 その瞳が何を指している色なのか。

 オーレリウス自身もよく、知っている瞳であった。



 暫くそうやって考える。やはり、認めるしかないのだろうか。

 灰かぶりは、人間の側であると。


 グワナデルの百足を殺したあの日以降、禍つ獣はその生態系を多く変化させつつあった。


 というよりも、適者生存といったほうが正しいかもしれない。

 以前、戦ったイノシシや「ヒュンドラの蝙蝠」などの人とは相容れない姿を持ち、己のあるがまま生きるタイプの獣が減少傾向にあるのだ。この十数年の話でだ。

 当然、完全に全滅したわけではない。現にまだメルカッタでは大小さまざまな禍つ獣の姿を今も見つけることがある。

 以前ほどではなくなってきている。という話である。


 その代わり、もう一つの形が生まれた。

 グワナデルの百足のように、人を寄生先として生きるもの。

 外見上は、人の似姿を持つもの。


 そして灰かぶりのように、種族的な特性以外全くの人間と瓜二つといっても差し支えのないもの。


 人と獣の境界線が、崩壊を始めている。

 獣と人が、混ざり合っている。


 そうならないように、これまで戦ってきたはずである。

 それとは対照的に、人は獣の体を使い文明を発展させてきた。

 間違いとはいえる立場にはない。かつて帝国もそのようなことをしていたからだ。

 だがあの時と今では全く状況が異なっている。


 人と獣の境界線の崩壊は、それすなわちオーレリウス自身の人間性の崩壊を意味する。

 

 現に、人と区別のつかない獣であろう存在を前にオーレリウスの嗅覚が鈍ってしまった。

 時代は変わってしまった。人も獣も、おそらく知らないうちに自分自身も。


 槍を掲げたあの日の誓い…もっとも、その日はそれらが悉く叩き折られてしまったがゆえにオーレリウスだけ長めの木の棒で代用していたのだが。

 暫くは「棒の誓い」と仲間からも揶揄されていた。

 ともあれ、その誓いが大きく揺らいでしまっている。それは同時に、オーレリウスの心を大きく揺るがしている。

 オーレリウスという人間が揺らいでいた。ただの棒であるからであろうか。と内心冷笑していた。


 暗闇の中で、火をともすことなく秋の夜風を浴び続けるオーレリウスは思わず身震いをする。

 流石に、体が冷えてしまった。


 なんせ金貨袋ごと全部くれてやったのだ。閑古鳥がコーラスをしてくれるほどに無一文なこの冒険者にとって明日の仕事が命と相棒の期限を繋ぐ。

 反省も大事だが、まずは明後日の日の光を拝めるよう懐を温めておく必要もある。


 そうして、ゆらりと立ち上がるとテントへと向かう。

 

 人影を見た。

 闇夜の奥に、人を見た。


 オーレリウスはじっとそれを見る。

 それはこちらへとやってくる。

 静かに、だが迷うことなくまっすぐこちらへとやってくる。


 その身にまとう気配を、見間違うことはない。

 その身が放つ臭いを、間違うことはない。

 

 あれは、間違いなく。獣である。


 

 オーレリウスの心の奥で、再び血潮がめぐり

 内臓が体を火照らせる。

 

 あぁ、そうだ。

 オーレリウスは、笑う。

 

 結局、これでいいのだ。

 これくらい、シンプルなほうが…分かりやすくていい。


 オーレリウスは迫る人を見た。


 殺意と獣臭を纏う、人型の物体を見た。


 獣の襲来を、見た。

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