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乾期は歓喜の季節⑨

 船を降りたオーレリウスへ、迫りくるのはアルハンブラの右ストレートであった。

 左手でそれを受け止めると、鬼神のごとき形相の中尉殿を見る。


 アルハンブラの眉間には青筋が浮いており分かりやすい。

 相当、お怒りだ。


 「何してんだ…ややこしくしやがって!」


 アルハンブラは左腕でオーレリウスの胸ぐらをつかむ。

 だがそれでも顔色一つ変える様子もない。


 「これで何か間違いが起こったとすれば、俺が手を下す必要も省けるってもんだが…多分あの船頭はそこまで度胸はないだろうな。あの外見で子ネズミのような慎重さを持ってる」

 静かに告げるオーレリウスへ怒号が飛ぶ。

 

 「ふざけるな!」と。


 アルハンブラのむき出しになった左頬から漏れる吐息が、白く吐き出される。


 「彼女たちは人間だ。人間なんだぞ!お前の頭の中にこびりついた有象無象(ケモノ)とはまるで違う。それはお前も分かるだろうが!」

 その怒りを、冷ややかに見やるオーレリウスの紫色の瞳は、どこか沈んでいる色をしていた。


 「あんたの怒りはごもっともだ。もはや感服するしかねぇな」

 そういわれたアルハンブラが、オーレリウスを殴り飛ばす。


 石を敷き詰められた道の上を、ゴロゴロと転がるオーレリウス。

 空を見やるような格好になった時、懐から煙草を一本取りだし火を点ける。

 そして、アルハンブラへ反論する。


 「仮に、灰かぶりを人間だとして…同じ人間とみていないのがいまのここ(メルカッタ)さ」


 オーレリウスが吐き出す煙草の紫煙がアルハンブラの目の前を登っていく。

 「結局、ラベルを張られた地点でそういうものなんだよ。そういうものとして扱うし、そういうものでなくては困る。そういうものがいるからこそ、この世界の人間は自分たちの扱いに必要以上の不満を抱かなくなる」

 

 唾棄すべき存在。自分たちよりも下にいる存在。

 種族単位として、見下していい者たちがいるという意味。

 それは、安堵。

 反作用的に、人間の心へ「ああならなくてよかった」という安堵を無意識にもたらす存在。

 

 人が人を支配する世界において、こういう存在は必要である。

 特に、メルカッタという場所では。貴族たち上流階級への不満を和らげる効果を発揮している。

 

 「じゃぁなんだ?だからビビらせたってのかよ」


 アルハンブラの怒りはまだ収まっている様子はないが、話を聞いてくれる程度にはオーレリウスの行動を飲み込もうと努力をしている様子だ。


 「そういう訳ではないが、結果としてそうはなったな」

 静かにオーレリウスは紫煙を吸う。

 

 煙を吐くと、続けた。

 「お前がどれだけ人間だと(わめ)こうが、お前以外の連中は、最小の単位としてあの船に乗っている船員共は「同じ人間」としては見てないさ。猿が人と近い種族だとして、猿を人と同じように扱う人間を見たことがあるか?少なくとも俺はない。結局、あの灰かぶりどもはお前がいくら渡そうとも糸くず一つ残すことなく全部奪われたろうさ。もっと言えば、その程度で済めば安いもの。そのうえで船からたたき出される可能性だってあった。問題なのは、そういう扱いをしてもいいって腹の底から思ってるような人間がいるってことだ。知らないとはいわせねぇよ」



 そこまで聞いたとき、アルハンブラの顔から怒りの色が消えていった。

 納得するように

 

 「クソが」


 とだけ吐き捨てる。


 「船という案は竜の背に乗せる以外では、この町における最速の移動手段ではあろうがよ。結局こういう目にあうのなら時間をかけてでも、どれだけ譲歩しても馬車。理想は徒歩で移動を行うべきだったかもな…それであっても、夜の闇の奥で何がいるかわからないがね」


 灰かぶりは、人からは人として扱ってもらえず

 それであり、獣からは獣として扱ってもらえない。


 中途半端であるがゆえに、自分たちしか味方がいないのだ。

 

 「結局…リスクを負うことでしか、リターンを得る機会はない。結果として彼女たちは賭けに勝ったともいえる。船に乗るという賭けにはな」


 そのあとどうなるか、それは次の賭けになる。


 「じゃぁ、最後に何でこんな馬鹿な真似をしたかだけ教えろ」

 アルハンブラは静かに告げた。


 「それで許してくれるのか?」と問うオーレリウスに。

 

 「あと何発殴ってやろうか決めてやる」と答えたアルハンブラ。


 

 オーレリウスの答えはシンプルであった。

 「船出を滅茶苦茶にするつもり」と静かに告げた。


 あの時船頭を痛めつけ、船員もろとも意識を沈めてやることで彼女たちへの心象の悪化を誘い、船出を遠ざけるつもりだった。

 そうすれば、否が応でも別の手段で移動を考えるか諦めるはずだ。

 あとは、夜の闇とともに狩ればいい。そう思っていた。


 だが、ふと灰かぶりを見たその時。

 人の顔をした獣か、獣の血を持つだけの人か。そのどちらでもありどちらでもない。

 顔を見てしまったその時。

 よく、似ていたのだ。

 オーレリウスの脳裏によぎった光景がある。


 雪が降りしきる中、血を流して倒れている少女。その頭はダンダリアンの50口径弾により半分吹き飛んでいるが、中からあふれるのは鮮血と無数の小さな白い百足の卵。一つ一つすべてが禍つ獣へと成りえる可能性を内包しているのである。

 

 獣である少女。

 そのような光景。

 入れ替わるかの様に、それが血と脳漿(のうしょう)であったように思えてしまう。


 人か、獣か。



 灰かぶりは、あいまいな立ち位置にあった。

 獣ではあるはずだ。

 だが同時に、()()()()()()()。この土壇場で迷ってしまった。その一瞬の迷いが殺意を鈍らせる。


 境界が曖昧になった。オーレリウスはその銃を向ける相手が今や何なのかわからなくなる時が多くなってきた。


 一瞬の間に、獣と人の亡骸が交錯する。それは一つの同じ形であったがオーレリウスにとってそのどちらであったかが非常に大きな意味を持っている。

 そうして、「船頭たちに、間違いを起こさせる」という結果に結びついてしまった。

 赤の他人に、彼女たちの命運を渡した。

 結果として、よりよくない方向に向かわせたまま船出をさせてしまった。

 そう、オーレリウスは静かに懺悔をした。



 話を聞く中でアルハンブラも煙草を吸っていた。そうして二人そろって静かに紫煙を吐く。


 次に口を開いたのは、アルハンブラであった。

 「つまりお前は…迷っては、くれたんだな」


 オーレリウスは左腕で目を覆い、静かに頷く。

 「禍つ獣は、どんどん人との境界を狭めている。目の前にいるそいつが獣か、人なのか…判別がつかないようになってきている。俺たちがかつて戦ったような…ただ純粋に人を滅ぼさんとするような…象徴足るもの(シュンボルム)はもう、ほとんど出てきていない。ここしばらくはずっと迷ってばかりさ」


 あの船乗り達に命運を預けるのであるなら、船に乗ってもらう必要がある。


 だから誓わせたのだ。灰かぶりを船へ乗せろと。

 だから祈ったのだ。間違いが起こるようにと。


 迷ってしまった。

 自分の手で殺せなかった。


 今オーレリウスはそんな自分に、怒りを抱かずにはいられない様子であった。

 狩れる距離まで迫った獣を他人の手に委ねてしまったこと。

 人間に殺すよう祈ってしまったこと。



 契約者が掲げる槍は、努めて獣の血と脂にのみ(まみ)れる。それは無辜の人々を守る槍であるが故。それが仕留めるは獣の命のみであるが故。


 ―故に、槍に誓う。獣と人の境を分かつことを。

 ―故に、槍に誓う。這い廻り、蠢き続ける獣を狩ることを。

 ―故に、槍に誓う。その背にいる、名も知らぬ人々を守ることを。

 ―故に、槍と帝国に誓う。我らは竜騎兵大隊の(ひとつ)。人を守るため、人を捨てたものであることを。人のために、人を捨てたものであることを。


 かつてオーレリウスも誓った、槍の誓い。

 それは契約者という存在が何のために生まれ、何と戦い。

 何を守る存在であり、命を捨てるべきかを宣言する。

 帝国に忠誠を

 国民に忠誠を

 それが槍の誓いである。

 それが、オーレリウスにとって生き方の指針である。


 だがそんな槍の誓いは、静かにゆっくりと…それでも無情なほど確かに腐り落ち始めていた。


 オーレリウスはそう考えている。

 それでも、槍の下に縋りつき生きている。今この時であってもだ。

 嘲笑され、無様なありようではあるが。この契約者(オーレリウス)を人側へと押しどめている、最後の(えにし)となっている。


 アルハンブラはそんな風に感じ、ため息をついた。


 そしてオーレリウスへ手を伸ばす。

 手を取り立ち上がるオーレリウスへ、審判を下す。


 撃ち込まれた丸太のような右腕が、再び罪人を石床へ叩き伏せる。


 ……その一撃のみで、アルハンブラはオーレリウスを赦すことにした。



 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 そうして、夜が来る。


 アルハンブラは、その街を歩いている。

 体を伸ばし、肩を回す。

 


 自分のことは、隠さず伝えるといい。そう伝えてはいたが、灰かぶりの女は自分のことを告げてくれたのだろうか。そうすれば相手側からこちらへコンタクトを取ってくるはずだ。


 何かを探したり、見つけたりする洞察力や観察眼というものをレンズに例えるのならば、アルハンブラのレンズはあまりいい代物とは言えない。


 そもそもレンズに頼らず、その肉眼で見えるものをそのとおりに突き進むほうが好ましいと考えている。

 考えることもするが、それ以上に考えるよりも手を動かす状況を好む。


 だから、詮索をしていると灰かぶりたちに告げた。

 相手から来てくれるように仕向けた。

 

 そうして、少しづつ人のいない通りへと足を進める。

 


 そこで出会ったのは、夜の闇に溶けるような肌を持つ3人の女たちであった。

 

 「やぁ、お嬢さんたち。散歩にしては随分と夜が深くなってから出歩くもんだね」


 気さくに挨拶を告げるアルハンブラへ、クスクスと笑みを浮かべる幼子が告げた。

 「初めまして。詮索屋さん?私たちを見ても驚かないことには誉めてあげようじゃない」


 「それは恐悦至極」


 アルハンブラの返礼にむっとした様子のミ・グドレを宥めるネ・グドレ。


 そんな二人の前に躍り出る輝くような金髪を靡かせる雌豹が如きダ・グドレ。

 「礼儀がなっているじゃぁないかい。どんな奴かと思ったがその見た目で案外…」


 腰をかがめ、上目遣いをアルハンブラへ向けながら値踏みするような目線を向ける。

 そうして、微笑みを浮かべる。


 アルハンブラはこの3人姉妹を知っている。


 (プリンセス)、と呼ばれている。

 灰かぶり達からすれば上位階級に当たる。いわば彼女たちの王族ともいえるだろう。

 それは獣に寄っていることの証明でもあり、闇のごとき黒い肌を視れば嫌でも理解できる。ここにオーレリウスがいれば間違いなく、喜んで引き金を引く。アイツはそういう男だ。


 「まぁいいさ。あんたはその汚い手であたしらの尻に触ったんだ。手打ちで済むと思うなよ?」

 ダ・グドレが静かに構える。


 「あぁ、そうかい。それじゃぁお手柔らかに」

 アルハンブラは静かに体から力を抜く。

 構える様子もない。


 ダ・グドレがアルハンブラ目掛け突貫する。

 「舐められたもんだねぇ!」

 地面に両手をつき、ぐるりと身を()わす。一瞬で距離を詰めつつ下段よりアルハンブラ目掛け蹴りを撃ち込む。


 蹴りが見事にアルハンブラの下腹部へ撃ち込まれる。衝撃が走り、足元の石床がヒビを刻まれる。


 喜び勇むミ・グドレをよそに、ネ・グドレが訝しむ様子を見せる。

 そうして、それが姿を現した時三姉妹全員が驚愕する。

 

 男は、その場から一歩たりとも動いてはいない。

 地面が割れるほどの踏み込みでダ・グドレの蹴りを受け止め切ったのだ。


 「…なっ!?」


 一瞬で距離を取るダ・グドレであったがその瞬間にはアルハンブラの姿はどこにもなかった。


 「姉さん!後ろに」


 ネ・グドレが叫んだが既に遅い。


 夜に溶ける肌をもつ姫の背後へと闇を引き裂くようにアルハンブラの姿が現れる。

 そうして、大きく右手を振り上げ。


 耳をふさぎたくなるほどの衝撃音が街へしたたかに響き渡った。

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