乾期は歓喜の季節⑤
その振動は、屋敷全体を伝いそこにいたすべての人間がその場に立ちすくませた。
何事かと騒ぎ立てるもの。
慌てて火の始末をするもの。
荘厳な扉を開き、整えられた髭を蓄えた男性が屋敷の一室より出てくる。
周囲はしきりに警告音が鳴り響いている。
「何事だ!」
屋敷の者を一喝するかの如く声を上げる。怒りからではなくそれほどの声量を出さねば誰の耳にも聞こえないと思ったからだ。
給仕の一人がその男の傍まで近寄り
「だ、だれかが宝物庫の扉に触れたものかと」と答える。
だが男が求めていた答えとは異なったらしい。今度は怒りの声を上げる。
「そんなことはわかっている。警備隊へ今すぐ連絡しろ、ぐずぐずするな!」
踵を返して走り出す給仕をよそに、供えられていた散弾銃を取り出し、弾丸を装填する。
主に狩りに興じるときに用いる2連装式の中折れ散弾銃をやってきた庭師たちに投げて渡すと、自身は護身用の拳銃を構え宝物庫へと向かう。
庭師を含めて、4名の男たちが地下へと向かっていく。
このような事態を起こすようなバカは大抵の場合部外者だ。
そして、今この屋敷にはそのような愚行を犯しそうな部外者が2名ほど、いるのである。
「今度からは、もっと身辺調査をするべきだな」
そう愚痴りながら、歩みを進める。
荒々しさすら感じる行進は、地下にいるその部外者たちにも聞こえていた。
「そろそろご到着だ。どうする?」
再びその刃を腕に受けるアルハンブラ。薄皮を裂くように刃がその腕をすべると再び宝物庫の闇の中へと消え去っていく。
「そうだな」
そういい、アルハンブラの背後より走り出すオーレリウスを静止するように腕を伸ばすが、間に合わない。
「ちょっくら、悪魔とランデブーに行ってくる。骨は拾ってくれよ」
そういい闇の奥へと消え去るその影を見やるアルハンブラ。
「しっかり謝ってこいよ。武運長久を」
そういい、かつての戦友を見送るのだった。
だが次の瞬間には再び闇より迫るその刃が、アルハンブラではなく。
今まさに宝物庫の前までやってきた男たちへと向けられていた。
「…っ!?」
男たちが眼前より迫りくるその男に守られたと知るのに時間はかからなかった。
その背中にはさっくりと裂かれた皮膚から血が滴り落ちる。
「警備隊には連絡したのか?」
血濡れのアルハンブラを見た男たちは、何があったのか説明を求めた。
「一体あなたは、ここで何をしているのだ!」
その問いに、どう返したものかと思案しながら腕を振り上げる。
拳から、金属同士を打ち付けたかのような激しい音が木霊する。
思わず身を屈める男と庭師たち。
ようやく、それとない答えを思いついたようでアルハンブラは口を開く。
「この屋敷で起きている、怪事件の犯人が宝物庫にいるんだよ」
そうして、アルハンブラは説明を始めた。
彼の言い分は全く荒唐無稽で、おおよそ信じられるものではなかった。
だが、時々自分たちを守る男がすました顔で傷を負っていくその姿を目にすれば全く飲み込めない話でもなかった。
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暗闇の奥、宝物庫の灯りはついていない。
本来であればどこかに照明のスイッチくらいありそうだが、それを探す余裕はオーレリウスにはなかった。
その闇の奥で迸るそれを、気配と音だけで追う。
⦅さぁて、なんて声をかけるんだい色男⦆
間違いなく外野だからこそこの状況を楽しんでいるであろうストルムの言葉に白い干し葡萄を噛むような顔をしたオーレリウスは、だが同時にどう言葉をかけて良いものかと思案した。
この暗闇の中を、間違いなくそいつが動いている。
夜目の魔法を使ってもよいが、この状況では逆に悪手になりかねない。目玉を切り裂かれてしまうかもしれない。
なので、慎重に言葉を発する。
「あー…とりあえず、だ。無事でよかったよ」
その言葉とともに首を横に曲げるオーレリウス。
首に感じる刃物の感触と、風切音が怒気を孕むかのように思えた。
「何年ぶりだ?確かミュドザランバ防衛戦。覚えてるよな」
肩を掠める何か。
僅かにしたたる血の温もりが冷たく体を伝う。
「分かった、わかったから落ち着けよ?すまなかったとは思ってるよ。あそこでお前を置いていったのは俺のせいじゃないってお前も分かるだろ」
身を翻すとそれをなぞるように殺意を纏った何かが通る。
「迫りくるメルカッタ解放軍と、その騒ぎに反応した「アグリスパの死熊」共と板挟みになった時…俺だって賭けに出る必要があったんだ」
しばしの静寂。話を聞くつもりにはなったらしい。
「お前があの時、そぅ。死熊達を率いていた頭領の頭蓋を砕いた後…背後より解放軍が迫っていたんだ…まぁ確かにその手を離したのは俺の悪手だったさ。それは俺も思うし心から謝罪したい」
⦅まぁ、かなり深くぶっ刺さって抜けなくなってしまったのが原因だけどな⦆
(黙ってろボケナス)
念話でそのようなやり取りを察してか、遠くのほうで金属をこするような音が聞こえる。
オーレリウスは両手を上げる。
「だから、お前が思う形で俺を好きにしてくれ。俺が言いたいのはな?『俺が悪かった』ってだけだ。以上…頭をカチ割るなり心臓を抉り飛ばすなりどうぞご自由に」
再び、静寂が闇を包む。
オーレリウスの額から使う汗が、頬を伝う。
ゆっくりと瞳を閉じてその時が来るのを待つ。
処刑台に乗せられ、首を撥ねられるかのような錯覚に陥りそうな心を何とか奮い立たせ、その場に立つ。
その時が来る。
闇の奥から刃が迫る。
それは聞き慣れた鈍い金属音とともにオーレリウスのあげられた右手へ目掛け跳んでくる。
「そうか、一応許してはくれるんだな」
オーレリウスはそれを掴む。
懐かしさすら感じるその握り心地は、かつて彼とともに戦争を歩んできたものである。
夜目の魔法により、その姿があらわになる。
握りやすさをオーレリウスに合わせ調整されたグリップ。
やや内側に反っている特徴的な柄は獲物の固い部位ごと打ち据えるために調整されている。
ところどころ錆の目立つ刃。帝国製の刀剣より肉厚で、耐久力と打撃力で敵を叩き切るのに適した片刃の刀身。
そして例によってトーマスにより施されたレバー・アクション機構。
その手に握られていたのは、黒塗りの片手斧であった。
「久しぶりだな」
そう語りかけるが斧からの返答はない。
ただ静かに、オーレリウスの感覚を反芻しているように感じた。
談話室へと連れられたアルハンブラは、貴族の当主である男とメイド長の女を前に椅子にどっかりと腰掛けていた。
給仕たちが体中に包帯を巻いている姿はさながらハーレムの様相を呈していたが、その中心にいるのがミイラ男なのが実に締まらない。
アルハンブラは、事の顛末をこう伝え始めた。
「あんたらが持つ宝物の中に、どでかい熊の骨はなかったか。もしかしたら頭蓋骨に斧が突き刺さってるかもしれないんだが」
その問いに、当主は答える。
「先々代のころ、奇妙な遺物を買っていた。今でも覚えているよ…大きな熊の頭蓋骨に深々と刺さったその斧のことは。自分も含めて誰一人抜くことができなかったが、暫く屋敷で展示をしていた。ところが先代のころに宝物庫へとしまったらしい。新しいオブジェをそこに置くためだ。以来、今日までずっとそこにしまい込んでいたな」
髭をなぞりながらそう答えを聞くと、アルハンブラが納得したように続ける。
「その熊、正しくは大昔にいた「アグリスパの死熊」と呼ばれる大熊の頭蓋骨らしいんだがよ。そいつの頭を斧でカチ割った契約者がいたんだよ。それこそが今回の一件の始まりってわけさ」
そう語るアルハンブラをいぶかしむメイド長。その丸眼鏡が僅かに輝いた。
「ですが、その熊とあの斧。どういう関係なのでしょうか」
指をさし、質問の鋭さに敬意を示す。
「そぅ。問題はそこなんだ、アグリスパの死熊はね。刃折りの呪いを持つ死なずの熊の群れなんだとよ」
包帯で包まれた腕を回しながらそう答え、話を続ける。
「死ぬことなく群れで迫るその熊たちを仕留める手段が、リーダー格たる熊を殺すことなんだ。また、その呪いがさす名前の通り、奴らは周囲にある刀剣類を風属性の魔法で全部叩き折っちまったとされる」
そういって、「禍つ獣大全」と表紙が掛かれた非常に分厚い辞書の上へ足をのせるアルハンブラ。
こういう態度をしても、それ相応の応対をされているところがシルバー等級と呼ばれる冒険者の「格」なのであろうか。
「まぁ、これは全部この辞書に書いてあったことではあるんだがね?実際のところ、最近になってあの斧が落ちてしまったらしいんだ。その結果…」
その言葉を引き取るように当主が口を開いた
「熊の呪いが発動し、屋敷中の刃物がすべて折られた。ということですかな」
「その通り。そのことを知った俺はいてもたってもいられずあそこへ突貫して頭蓋を破壊したんだよ」とサムズアップするアルハンブラ。
ため息をつく当主。
「それであれば、一言言ってくださってもよかったでしょうに。事が事であるのなら宝物庫のカギくらいお渡ししましたのに」
それを笑って返すアルハンブラ。
「あー。それもそうだったな…今度気を付けるよ」
何はともあれ、これでもう刃物が叩き折られる被害もなくなるだろうとアルハンブラは告げ立ち上がる際、メイド長がその背を止めた。
「それであれば…なぜあの時、私はあそこで気を失っていたのでしょうか?」
メイド長へ振り替えるアルハンブラ。その左頬より剝き出しになっている歯がまず彼女を威圧する。
「それは、お前に振りかかろうとていた呪いを俺が防いだからだよ…ってのじゃ、だめかな?」
先ほどの威圧はどこへやら。柔和な笑みを浮かべた大男が、そこにいるだけであった。
とりあえず、この話はそういうことで終わった。
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あれから数日が経過したある夜のこと。
アルハンブラが夜の森を進んでいた。
すっかり寒さが身に染みる季節になってしまった。そろそろ第二雨期も近いのかもしれない。
乾期の季節は、今は最高潮に達してきている。そんな寒さだ。
そうして、小さな灯火を見つけた時そこにいるオーレリウスを見つけたのだ。
「かくして、刃物を折った犯人も無事熊が背負ってくれたことであの屋敷で起こっていた「刃物が折れる怪事件」もなくなり、今急ピッチで準備が進んでいるんだとよ。明日には準備ができるそうじゃないか。いやぁ、何事もなくてよかったねぇ」
そういい、足元に転がっているそれを拾う。
見事に真っ二つされている、使い込まれたナイフがあった。
ガシガシと、金属をこする音を聞く。みやればそれは斧を砥石で研いでいた音であった。
「精が出るなぁ?夜はお愉しみなようで」
そういい焚火の傍に座り、スキットルに詰めた酒を煽るアルハンブラ。
「そうかよ。こっちは今大盛り上がりだよ」
額に玉のような汗を浮かべながら斧を研いでいくオーレリウス。
「許してはもらったんじゃねぇのか?」とアルハンブラが折れたナイフを投げ捨てながら訪ねる。
「それはそれ。これはこれさ」
ため息をつくオーレリウス。
実際のところアルハンブラの説明は、一部正しくない。
死熊は確かに、刃物折りの呪いをもつ禍つ獣であった。だがその効力が死んだ後の発揮されることがあるのはそういう特性を持つものに限られる話で、熊に関してはそのような特性はない。
ではなぜ刃物折りが起こったのか。
原因は、今オーレリウスが必死になだめながら研ぎ澄ましている斧だ。
先ほどまで錆付いていた刀身がしっかりと研ぎ澄まされていく。
ここからさらに塗料を塗り、オーレリウスのほぼ全財産を奪った粉末状にしたマナクリスタルで魔法刻印を彫りこむ必要がある。
そうして初めてオーレリウスを許すであろうその斧は、呪われている。
瘴気地帯に長いこと放置されていたその斧は、呪われていたのだ。
そしてオーレリウスは、そんな呪いに愛されていた。
早い話が「斧に嫉妬されていた」故に起きた出来事であったのだ。
「お前は相変わらず、呪いに愛されるな?特務上等狙撃兵」
そう笑うアルハンブラを、オーレリウスは目で諫めた。
―うるせぇよ、中尉―と。




