乾期は歓喜の季節④
アルハンブラは肩に担いだ大きな荷物をおろし、汗を拭う。
僅かな寒風がその身に注がれたとしても、その体を駆け巡る血潮を冷ますにはまだ温い程である。
運び込んだテーブルを給仕たちが丁寧に拭いている中、それを見た。
誰にも気が付かれないように建物へ歩みを進める影を見た。
その歩みは、とてもよく見慣れたものであった。
「あら?あなた」
オーレリウスは一人の給仕に呼び止められた。
内心どきりとしつつもその給仕へと振り向く。瀟洒な丸眼鏡をつけたその給仕は周りから長と呼ばれるには十分足る凛とした雰囲気を携えていた。
その眼光がこちらを見やる。興味と疑念が入り混じったような瞳をしていた。
「どちらへ行かれるのです。あなたに頼んでおいた仕事はもう終わったのですか?」
当たり前の疑問がオーレリウスを襲う。
さてどう答えたものかと一瞬考える。馬鹿正直に「地下にあった魔法の気配を追ってます」などと宣うわけにはいかない。
だがはぐらかすようなことがあってもいけない。もう数日はお世話になるのだから信頼関係に亀裂を入れるような発言は控えなければいけない。
なので、オーレリウスは事前に仕込みをしておいた。
「あー、その件ですがね…こちらへ来てもらえますか?」
そういい、共に行った先で水浸しの便器を見た時の彼女の顔は妙に合点が言った顔であった。
事前に招水で意図的に便器を一つ詰まらせておいたのだ。
「なるほど…それであそこにいたわけですね」
実際はさっきまで裏にいたのだが、オーレリウスはそこから水音が聞こえたので見に来たということにしておいた。一応筋は通っている。
であれば、ということで早速地下に通された。
豪邸であるがその地下には様々なパイプが通っている。この世界ではある程度の富裕層であればトイレは水洗だし、調理機器もわざわざ薪を入れて使うことなどもない。
ツマミを回せば簡単に火が灯る。農村部からすれば喉から手が出るほどほしいであろう復旧された遺物たちの恩恵を受けているのだ。
オーレリウスからすれば懐かしさすら覚える代物たちであったが今のメルカッタにおいてこれ以上の先進技術もそうそうない。
ややあって機械室へ通されたオーレリウスは背後に長の気配を感じながら配管を確認していく。もっともこれはフリでいい。実際のところどこも詰まっていないのだから。
適当にあちこち叩きながら確認する様子を長に見せる。ある程度ゆっくりとしていれば痺れを切らせるか用事に呼ばれていなくなってくれると思ったが案外向こうの給仕達もよく鍛えられているのだろう。長はその眼鏡をこちらからそらせる様子を見せない。
案外そう時間も経っていないのだろうか?と疑問に思いつつ、我慢比べはオーレリウスが先に白旗を上げることにした。
カンカンと叩いた場所から水が流れていく。
「どうにかなったみたいだな」と小さくぼやくが、元々仕込んでいた招水を解除しただけである。今ごろ便器の水は何事もなかったかのように流れ始めているだろう。
長がその様子に訝しげな眼を向けていたが用が済んだのならとすぐに出るよう促された。
オーレリウスがその通り部屋から出た時、わざと倒れこむ。
男の体に包まれるように長がオーレリウスの内側へとやってくる。
一瞬の出来事で長がうろたえている刹那、竜眼が宿りし契約者の左手が燐光文字をその首へと記した。
びくりと跳ねる長の体を支えると、壁にもたれ掛からせるようにそっと寄せる。
極々わずかな招雷であるが、人の身では気を失わせるには十分な威力を持つ。
こいつの最大のメリットは後遺症が残りにくいこと。それでも目覚めてすぐは四肢に痺れを感じるだろうが。
⦅いいのか?人間にそんなもんぶち込んで。機械の心臓でも持ってたらアウトだぞ⦆
裏側の向こうから相棒が茶化す。
(ならお前は聞いたか?時計の針みたいな心音を)
⦅いや?しっかりとした肉の音だった⦆
ならいいだろとでも言うが如く無言で地下へと歩みを進めていく。
埃をかぶったその先は
宝物庫
という古ぼけたネームプレートが打ち付けられていた。
(さて、ここに何が…)
その時だ。その背後に気配を感じた。
突然現れたそれはまるで時計の針が動く間に一瞬で迫りくるようで、その勇猛な気配を現す。
「何やってるんだ」
冷たくその声がオーレリウスを突き刺す。
つかさず、オーレリウスの左手が背後の相手へと突きつけられる。
その肉を伝って指先より発せられた招雷がその体を痺れさせる…はずであった。
「相手が悪かったな」
その男は小さく笑う。
背後にそびえる鋼のような筋肉を伝う無数の傷。
アルハンブラの脇腹に突き立てられた指より発せられた小さな雷撃ではこの山岳を崩すことはできないだろう。
相手を確認したのち、オーレリウスは小さく息を吐いた。それは安堵の息であった。
「なんか妙な気配を感じたもんで、来てみれば。何やってるんだお前は」
アルハンブラの、当然の疑問がオーレリウスを襲う。
今度は相対することはなかったし、事前に仕込む必要もない。
包み隠さず事情を説明するオーレリウス。
発言の果てに、腕を組んで納得するアルハンブラ。
「なぁるほど。魔法の気配ねぇ…でもよ。それならこの屋敷のいたるところから反応を感じるんじゃねぇのか?ざっと見た感じこの屋敷の主は相当な金持ちだ。遺物をあちこちで使用しているようじゃねぇか」
厨房道具、照明、一部の家財道具。
アルハンブラが指示したそれは、確かにオーレリウスも感じていた。
遺物といってもオーレリウスが持つ小型着火機をはじめとした生活物品や消耗品などもかつて帝国が使用したものであれば皆一様に遺物である。
だが当時の帝国が誇る生活水準。ひいては文明力の高さはそれを使用できるという意味でメルカッタの貴族たちにおいてはある種ステータスとなっている。
じぶんは、これだけ過去の先進文明の利器を扱えている。という具合だ。
「まぁ、厨房で見かけたあれはコンロじゃなくって小型の炉心だがな」
通常の運用をすればこの屋敷はあっという間に炭も残らねぇよと笑うアルハンブラに釣られてオーレリウスが肩をすくめる。
この時代において遺物への理解度なぞ、所詮そんなものだ。16気筒のエンジンで手回しの石臼をブン回す奴が時々いるのだ。
だが、とオーレリウスとアルハンブラが宝物庫の扉を見やる。
「どうやらこっちは、正しく使われているみたいだな」
とアルハンブラがつぶやいた。
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帝国の存在した時代、入り口に対し魔法によるロックをはじめとしたセキュリティの強化はどの家庭においても一般的に行われていた。
ドア自体は何の変哲もない木製のドアだが、そこに仕込まれた魔法刻印がそれを物語っている。
製造されてから数百年も経過しているのだが、いまだその役目を果たし続けているというわけだ。
オーレリウスはドアを見やる。
「初歩的な魔法刻印とはいえ、風属性の威力反射に水属性の衝撃吸収。警報装置までついているな。解除するには専用のキーがいる。持っているとすればこの屋敷に主だろうな」
初歩的な、というもののオーレリウスはだからこそ警戒をしている。
魔法刻印はその用途に応じて初歩的なものから先進技術の粋を集めて作成されたものまで多岐に及ぶ。刻印された文様や内臓された魔法の効力からそれがどの程度の代物なのかをうかがい知ることができる一方で、初歩的であればあるほど精度と強度が保証されている。という側面がある。
高度なものであればあるほど、それの維持には膨大なコストや技術を要するのだ。何もしなければ案外あっさり瓦解してしまう。
要するに、ドア一枚とはいえ下手な真似はできない。というわけだ。
「んじゃなんだ。お前はここで引き下がるってのか?」
オーレリウスは首を振る。もとよりそのつもりはない。
もっと言えば時間もない。
早速刻印の解除を試みようと左手を伸ばした時であった。
その手をアルハンブラが掴む。
「おいおい相棒。小さな鍵穴をほじくり回してたんじゃぁ、日が暮れちまうぜ」
嫌な予感がする。
「鍵ってのはなぁ、この世に必ず二つあるもんだ。一つはこの屋敷の主が確かに持ってるだろうさ」
そういい、アルハンブラがドアの前に立つ。
⦅オイ オイ オイ オイ!正気かアイツ⁉⦆
念話で響く相棒の静止など届く故もなく、アルハンブラがその右足をドアに突き立てる。
風属性の反射が刃と衝撃を交えてアルハンブラへと襲い掛かる。
巻きあがる砂煙と爆音は屋敷を僅かに揺らした。
そしてすべてが静寂を取り戻した時、二人の契約者の前には無残に突き破られたドアがあるだけであった。
衣服のあちこちが破れても、その体に傷一つない男がドアを見て笑う。
「もう一本は、常に俺の右足に宿ってるのさ」
「カッコつけている場合じゃねぇ」
そういいうが早いか、オーレリウスが魔法を発揮する。
―交錯―
竜魔法第二階位に属するこの魔法は、自身と任意の対象を即座にすり替える魔法である。
乖離の発展形として裏側を使用した移動系の魔法に属している。
つかさず、滅撃を展開するオーレリウスの眼前でそれがはじけ飛んだ。
周囲へ迸る稲妻とともにオーレリウスは背後に移動したアルハンブラへと吹き飛ばされる。
「おいおい、抱擁は向かい合ってするものだぜ?」
この状況を理解していないわけもないだろうに、アルハンブラは余裕を見せている。
「その包容を俺に向けんじゃねぇ」
オーレリウスはすぐさま立ち上がると、その奥を見る。
宝物庫の奥より感じるその気配を、オーレリウスは見ていた。
それには確かなものがあった。
再びの、斬撃が迫る。
オーレリウスは左手を構えようとするものの、咄嗟に身をかがめる。
頭をかすめるその刃が、アルハンブラを襲う。
胴体を切り付けられた後、2、3歩後退するもののその体に傷は見えない。
オーレリウスは己の左手を見つめている。
「どうした?骨でもやったか」
変わらず軽口を述べるアルハンブラが、オーレリウスの表情を見やると事の事態を察しあったためか構えを取る。
静かに息を吐き、両手を前に突き出す。
体を丸め、腕で上半身全部を守りに入る構えだ。
オーレリウスは、その違和感に気が付いた。
いや、実のところある程度最初から察しがついていた。
だからここに来たのだ。もしかすればあれは、ここに放置されているのではないかという推測があったからだ。
そしてその推測は、アルハンブラにも伝わった。
「オーレリウス。もしかしなくても…」
そぅ、オーレリウスは今魔法が使えなくなってしまっている。
僅かに斬撃を浴びた際に感じた感覚。
虚無の感覚。
闇属性たる漆黒の瘴気による影響である。
だが、こんな港町の豪邸の地下とはいえそんなものが存在していいはずがない。
そうであればここら一帯は、虚無の怪物たちが跋扈する地獄の様相を示しているはずだ。
今頃騒ぎを聞きつけてこちらに向かってくる者たちがいるだろう。
言い訳を考えている時間はあるだろうかとオーレリウスが考える暇もなく、再びその刃が迫りくる。
それはまるでブーメランのように闇からとびかかっては、闇へと消えていく。
アルハンブラがその両腕にいくつかの傷を作りながら拳で打ち据えようとしても、躱される。
その奥に、何がいるのか。
オーレリウスは頭を搔いた。
その存在に、思い当たる節しかなかったからであった。




