この世に潜む亡霊たち㉓
スクールのそこで、ヘメリックとミュレが座っていた。
ヘメリックの研究室は今やがらんとしており、そこに誰かがさっきまでいたのかなど思えない程に静まり返っている。
本をぺらぺらとめくる音だけが、その静寂の中でミュレの耳に届く音である。
「そういえば、聞いたか?」
ふと、ヘメリックがミュレへ声をかける。
「何をですか?」
明日行う最後の講義用にまとめていた資料の進捗を滞らせることなくミュレが返答する。
「今回の一件。その顛末さ…あのグループ、一人残らず退学処分となったらしいぞ」
そういうヘメリックの言葉にまるではじき出された弾丸のようにミュレが飛び上がる。
物音にヘメリックがミュレのほうを見やる。
チェーンのついた丸眼鏡を外し、言葉を続ける。
「総勢6名の飛竜兵生徒を密猟生物の保護管理規約違反。ということらしいな?なかなかスクールも思い切ったことをするものだと思ったが…あぁ、そういうことか」
本を閉じて、すっと立ち上がるヘメリックはおもむろにポットへ水を注ぎ、火をともす。
宙に浮きながら底を火で炙られるポットと、ミュレの内心の昂りが似通っているようにヘメリックは感じた。
「アメリアだろう?アイツはあくまで付き合わされた。という事で退学にはなってない。が、今頃学園の『中央評議会』で震えあがっているだろうな」
ミュレはほっと胸をなでおろすのと同時に、きっと今頃檻に閉じ込められたネズミが獰猛な猫の群れの真ん中に投げ入れられたような感覚なのだろうなと思うとちょっと笑ってしまった。
こほん、と咳払いをするヘメリックに感化され席に座って資料の作成を再開するミュレをしり目に、ヘメリックは再び本のページをめくりながら口を開く。
「色々疑問がある。簡単なところから言えば何故更新日でもないのにデータの削除が行われた」
それについては、ミュレは既に答えを持っていた。別に今更隠す必要もあるまい。
もちろん、自分に不利になりえる箇所は黙ったままだ。
「エンジェル・スリーパーですよ。あれを使ったんです」
ミュレは意図的に不必要なところを省きながら説明する。
これは、契約者を誘拐した時の当該事項を作成する際にカーバンクルの兎の一件…言ってしまえば契約者の禁書保管庫への隠匿を行うために報告書を作成しなかったことはよかったものの、カーバンクルの兎を学園内に持ち込むところを「領域」によって記録されてしまっていたというのだ。この時監視役であったグループの一人が一瞬だけ領域を消していたのだが、これがうまくいかなかったらしい。
もっとも正しくはそれを密猟ないし、密輸入しようとしていた契約者の一団を…であるが。
それ故に可及的速やかに記録の抹消を行う必要がある。幸いなことにそのグループの何人かがその日メインサーバーの清掃日であったために即座に行動を起こした。
無謀にもエンジェル・スリーパーを資料室から持ち出しメインサーバー内へ接続(この時の方法はミュレも行ったものと同じである)。そして映像記録や領域の獲得情報を消すことにしたのだが、操作を誤りそれまでのログもろとも消してしまったというのだ。
当然、時間が掛かるため次の日に同じようにトラブルを起こしエンジェル・スリーパーを回収したというわけだ。
複数人いる故にできる方法ともいえる。
ヘメリックはふむ。と納得した様子であった。
「思えば、最近妙にメインサーバーへ触れてしまう生徒が多い。と先生方も噂していたな」
そして、もう一つある。といわんがばかりに人差し指を宙に立てる。
くるくると円を描くように指をまわすとポットから注がれたお湯がコーヒーの粉を入れたカップに溜まっていく。
周囲をコーヒーの香りが包み込む中で、それをもう一つ作るとミュレへと渡す。
一口すする。
そののち、ヘメリックが再び口を開く。
「何故。アメリアがあの本を持っていた?次いで言えば何故アメリアはあのグループに利用されることになったんだと思う?」
ミュレは思わずペンを止める。それは、ミュレも気になっていたところだ。
どう話を転がしても、どの角度から紐解こうとしてもこの一点だけがまるでほどける様子を見せない。絡まりすぎた糸が球を形成するようにその内側に隠してあるものを一向に出そうとしないのだ。
「私もいろいろ、考えてはみた。が…答えにたどり着けることはなかった。グループが持っていた木片。禁書保管庫へのマスター・キーもアメリアが渡したものだというじゃないか」
コーヒーを飲むヘメリックは貴賓派たる優雅さを醸し出しているが、当の派閥が嗜むのは紅茶である。
「この学園も、一枚岩ではないと前々から思っていたのだが…案外アメリアもその闇の側にいるのかもしれないな」
その目には、これ以上詮索はしないほうがいい。という警戒の色を示していた。
赤い瞳が、ミュレに警告を発していた。
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馬車に揺られ、旅路を急ぐ少女がいた。
その手に杖はなく、鼓笛隊のような制服も来ていない。僅かに背を丸め、目を伏して静かに馬車に揺られていた。
その少女は、故郷を目指していた。
彼女の故郷が、獣の襲来を受けたのはもう二週間も前になる。
その時、自身の父親と弟が傷を受け今やその命も風前の灯火となっている。
できることならば、2匹のカーバンクルの兎をこの手に帰りたかった。それでなくともせめて弟だけでも…そう思い決死の覚悟であの夜声を上げたのだ。
カーバンクルの兎を手にしよう。と。
きっと裏切られることは容易に想像できていた。あの女は遊ぶ金にいつも飢えていたから。
それでも、やるしかなかった。こんな世界で、一人ぼっちになるくらいなら命を懸けた賭けの一つくらいやってやる。
結果が、このざまだ。
すべて失い、失意のまま家族のもとへと帰ることになったのだ。
だが、まだよかったのかもしれない。
少なくとも、今はそう思っている。
家族のために、傍にいてやることができるからだ。
死にゆく定めとはいえ、最後のその時までせめて傍にいてやろう。
そう思い、御者に尋ねる。
「すいません。あとどれくらいでしょうか?」
御者は空を眺めながらやんわりと答える。
「もうすぐ着きますよ。家族ともすぐに会えることでしょう」
そう言われると、少女は顔を上げた。家族にこんなところを見せるわけにはいかない。
せめて、まっすぐみんなの最期を看取ってあげるのが孝行になるだろう。
そう、思っていた。
この時、彼女はそう思っていた。
パン
聞き慣れた音であった。
耳に響くその音のほうを向く。
御者の手に握られていたのは、銃である。
七大連合正式採用36式拳銃、「ニュクス」
ブローバック方式を採用した自動式拳銃である。
少女は自身の臓物が熱を帯びるのを感じた。こみ上げてくる血を吐き出しながら馬車の中を這うように逃げる。
馬車が止まる。
御者が馬車の中へとやってくる。
逃げなきゃ。少女の頭の中にはそれだけであった。
家族に、会わなきゃ。
その無垢な思いごと、御者は少女を踏みつける。
構えられた拳銃の殺意を、少女は背中越しに感じていた。
「出来ればね、あんただけは殺したくなかったよ。だが、だがね…残念だよ。『秘密』を知ってしまった以上生かしておくことは出来ねぇんだ。そういう決まりでね」
秘密?
何の秘密?
知りえる秘密…あぁ。
もしかして、あれのことなのか?
「ゆ…許し……」
直後に馬車の中を、数回の閃光と炸裂音が木霊する。
それで、すべてが終わった。
御者は穴を掘っていた。
なるべく深く穴を掘っていた。
シャベルではない。御者は手をふるうと抉れるように大地が流動していった。
そうして、赤く濁ったそれをその中に投げ入れ土で蓋をする。
大地にしみている赤色を土で隠した後、その場所と馬車の中を特別な灰を用いて浄める。
こうすれば、この後この場所に穢れが生まれることを抑えることができる。
そうして、何事もなかったかのように御者は馬車へと腰掛ける。
御者は、隠していた通信端末に手を伸ばしコールを送る。
「…俺だ、こっちは終わった」
「……」
誰かからの言葉を、男は静かに聞いていた。男は契約者であった。
直に馬車を引いていた馬が、その姿を竜へと転じさせる。
緑色の外殻を身にまとう、飛竜であった。
堅苦しいものを振り払うように身震いをするとその翼を伸ばした。
新緑の橄欖種はその前足が翼と一体化している飛竜である。
「そうか、6人全員。分かった…頼むから、今度はこういう仕事は頼まないでくれ。少なくとも、俺にあんな娘を殺させないでくれ」
そういい、通信端末を馬車の中へと投げ入れ竜の背に乗る。
新緑の橄欖種が瞬く間に飛翔を開始した少し後、馬車は仕込まれていた爆薬によって木っ端微塵に吹き飛んだ。
だが、その音をだれも聞くことはなかった。
ここには、誰もいないのだから。
少年は、開けられた窓の外からその時が来るのを今か、今かと待ちわびていた。
父親が言うには、近々姉がこの街に帰ってくるのだという。
その言葉を伝えたその顔はどこか沈んでいるようにも思えたが、やがてそれは穏やかな微笑みに掻き消されていた。もっともそのような機微を悟れるほど、少年はまだ成熟してはいなかった。
少年は、今日か、明日かと窓を開け姉の帰郷を待ちわびていた。
ここ数年なかなか会える機会がなかった姉は少年にとって誇るに足る存在であった。
飛竜兵となった姉は家族に背中を押され学園へと赴いたのだ。その背中を今でも覚えている。
自分もいつか、姉のような皆を守れる存在になりたかった。だがそれをあざ笑うかのように、少年は咳き込む。
吐き出される赤い粘性物を袖で拭う。しまった、これをやるといつも父親に怒られてしまうことを思い出した。
皆でまた一緒にご飯を食べて、暮らせるのかもしれない。ありきたりな期待感が少年の胸を温かく包み込み、それが生きる希望となっていた。
獣に受けたむごたらしい傷が、シャツの内側…首から背中に伸びている。
血は止まったが、咳が止まらない。
あれから少年と父親は碌に外へも出ていない。どうやら病気になってしまったのだと父親から言われ外に出ないようきつく言われているためだ。それから毎日親戚が家の前に色々と置いてくのをこの場所から眺めていた。
だが、そんな日々も終わりを告げる。
姉が帰ってくれば、きっとまたあの楽しい日々が返ってくるんだ。
優しくて、頼りになる姉。
少年の誇りである姉。
今日帰ってくるのかな?
今日帰ってくるの?
今日は、帰ってこないの?
今日も、帰ってこない?
夏期が終わる。
日の入りが速くなり、ナナイロアゲハがその姿を見せなくなったころ。
少年は、日の陰りを見ていた。
ゆっくりとその風が冷たくなるのを感じながら、自分の体に残る熱をどこか遠くへもっていってしまうように感じながら。
その幼き瞳を、ゆっくりと閉じていくのであった。




