この世に潜む亡霊たち⑰
夕暮れの中で、オオカミはぽつんとそこにいた。
なんてことはない。ストルムより「そこにいろ」といわれたからだ。
理由を聞いても
「俺も知らん」
とシラを切られてしまった。
「いったい、何なんすか…」
オオカミはその場にしゃがみ、夕日を静かに眺めていた。じりじりと沈んでいく傍から夜の闇がやってくる。
やがて世界は闇に包まれる。
良い子は寝ているべき時間。
悪者たちの時間。そして、亡霊たちの時間。
亡霊と悪者の違いは「良い子に手を出すか否か」くらいであろうか。
オオカミもまた、亡霊側の存在であった。
そんな折だ。
オオカミはその音を聞いた。
僅かに草の揺れる音。
いくつものその音は、複数人がこちらにやってくる音だとすぐにわかった。
こんなところに屍人も屍骨もいるわけがない。そもそもあいつらはここまで速く走れない。
オオカミはそそくさとその場を離れた。
何がどうなっているのかわからないまま背後より迫りくる飛竜兵の少女たちを見やる。
皆一様に杖を構えている。あからさまなまでの戦闘態勢。
オオカミはやっと理解した。嵌められたのだと。
でも、どうして?
自分たちを助けるということでやってきたあの竜が、そんなことをするのだろうか?
思案は迫りくる風の弾丸で搔き消されてしまった。
「マズイ マズイ マズイ!」
オオカミは補足され、追い立てられている。それはまさにかつて自身が行っていたもの。
その一つとなって獲物を追い立てる狩り。
今は自分が、獲物の側であった。
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飛竜兵の一人は驚いていた。
ミュレの話は本当であったのだ。
―最近管轄に不法侵入した者がこの近くで、サバクオオカミを見たという。おそらく契約をしている可能性がある。土属性の吸収属性を持っている可能性が極めて高い―
成程、逃げる理由も最もだ。最近この近くで捕まったといわれる男だが、遠方よりやってきたという。
理由は父親との喧嘩が理由ではあるらしいが、それは契約者を送り込まれるほどの規模であったようだ。
這う這うの体でここまで逃げてきたというのであれば、離れたくない理由も納得できる。
なれば、飛竜兵としての務めを果たすのみ。
彼女もまた、杖を構えていた。
そしてそんな様子を、彼方の空より眺める者がいた。
ストルムは何とも言えない複雑な表情でその光景を見ていた。事の発端は我が相棒の疑心にある。
あのオオカミは何かを隠しているのではないか。というものだ。
⦅そうだとしても、いまだに理解ができねぇ。ここまでやる必要があるのかよ⦆
ストルムは念話を用いて、オーレリウスへと自身の心境を吐露する。
(オオカミにはあとで説明するとして、結局俺は明日の裁判で何らかの罪には問われることになるだろう。その際にどれだけ情状酌量を求めることができるかが勝負ってところだ)
⦅その情報をもとに、ミュレの奴が早朝からサーバーにハッキングを試みる。と?⦆
(計画としてはそうだな、相棒)
⦅なんとまぁ、ちぐはぐなこってよ⦆
などといいながらもストルムには役割が二つある。そのうちの一つはとてもタイミングが重要になってくる。
その機会を、追われるオオカミを上空から見やりながらゆっくりと待った。
オオカミはジグザグに走りながら風の弾丸を避けていく。流石のスタミナとでも言おうか、かれこれ10分はこの逃走劇を繰り広げている。
そろそろ、だな。
ストルムはオオカミが湖の一つを目指しながら走るところで、狙いを定める。
―招風、投擲槍―
風を織り合わせ、不可視の槍を構築する。
狙いをゆっくりと定める。
オーレリウスほどではないものの、狙撃はそこそこ正確であるという自負がある。
そうして、オオカミが湖畔に至った刹那。
風の弾丸がオオカミに向けられた刹那。
風の槍は轟音とともに射出される。
それはやすやすと弾丸を掻き消し
オオカミの足元に着弾する。
周囲を暴風が逆巻く。
飛竜兵全員が目を開けられないほどに。
僅かな時間吹き荒れた風は、そのあとには何事もなかったかのように周囲に溶け込んでいく。そうして、飛竜兵は見た。
「…しまった」
湖の向こうで、呆けた顔をしているオオカミを。
飛竜兵たちはすぐに杖を構える。
オオカミもそそくさと逃亡を始める。
いくつかの風の弾丸が湖を超えて迫るも、それがオオカミにあたることはなく。飛竜兵たちは苦々しい顔を浮かべて遠くで小さくなっていくオオカミを見ることしかできなかった。
要するに、飛竜兵たちはこう考えたのだ。
複数の風の弾丸がオオカミの足元で着弾したことによりそれが湖を超えてオオカミを蹴り上げてしまった、と。
彼女たちの魔法は、複数人が同じ魔法を使用することでその威力を向上させるという技術がある。領域魔法より端を発するこの作用は時に「合わさりすぎる」ことで予想だにしない結果を招くことがある。
仮定の話だが、ヘメリックのような熟練したものであればそんなこともないだろう。
ひとえに彼女たちは己の未熟さを呪うだけだった。
実際のところは、同属性の竜魔法が叩きこまれた結果生まれたものではあるのだが。
だが、執拗さでいえば飛竜兵は大したものである。
湖面をまっすぐ滑るように移動してすぐにオオカミを追い立て始める。
ストルムはそれを見やるとすぐに裏側へと移動する。
次に行うことは、同じかそれ以上の執拗さと慎重さを求められるからだ。
オオカミは森を駆け、平野を走った。
とにかく走り抜けた。
息も切れてき始めてきたころ、ふと後ろを見やる。
追手はいない。ただし、今のところはという前置詞をつける必要がある。
オオカミは意を決して、吼えた。
周囲の平野に響くようなその声は静かに、そして確かに木霊した。
オオカミは、不安であった。不安で仕方がなかった。だから呼んだのだ。
周囲の風がさらさらと流れる。
そしてその音を聞く。草が揺れる音。今度はよく聞き慣れた、草を蹴る音。
夜の闇が迫るように、それらはあちこちよりオオカミのもとへと集まっていく。
それは、群れであった。オオカミは、群れの王であった。
いつの間にか、周囲には二十数匹の狼たちが集まった。彼らは再び群れとなった。オオカミは仲間との再会を喜んだ。
次の瞬間、虚空を割るその姿を見た時にすぐにそれは後悔へと変わった。
黒い外殻、澄み切った水のごとき青い瞳。
ストルムが、そこに現れたのだ。
「オオカミ、オオカミ。オオカミよぉ…お前らは、よぉ」
そういい、ゆっくりと近づくストルムを仲間が威嚇する。
「『裏側』を検知できないのは群れ単位になってもかよ」
そうして、その片目が紫に輝いたときその瞳はオオカミを捉えた。
いくつかのオオカミがその背に、木箱を背負っていることを。
「それは、なんだよ」
ストルムの当然の問いに、その奥にいるオーレリウスの疑念に、オオカミは
「あんたらに、いう必要のないことっすよ」
と返すオオカミ。
「そうか」
ストルムは俯きながら、少し寂しそうな様子を見せる。
「俺ぁよぉ、オオカミ」
「なんですか?」
オオカミの周囲を包むように、青白い文字が浮かび上がる。燐光文字であるとオオカミが理解するその瞬間には、全身を駆け巡る一撃によって動けなくなってしまった。
視れば、仲間のオオカミたちも皆一様にその場に倒れ伏している。
「ストルム…テメェ……」
―招雷:捕獲陣―
周囲に張り巡らされた雷の糸がオオカミたちをからめとり、その動きを奪っていた。
「安心しろ、この糸には風を編み上げてある。あんたらにとっては傷を癒す意味があるだろ?」
オオカミたちの吸収特性は風属性である。それにより雷で受けるダメージは最低限に押しとどめられている。
スクールの生徒たちにはミュレの「嘘」がきちんと伝わっていたのだろう、教科書みたいにオオカミへと放たれていた疾風旋律:放射ではオオカミへの致命傷を与えることはできない。とはいえ、まともに喰らえば衝撃で動けなくなる。そういう意味ではオオカミが逃げるのは当たり前だし、結果として飛竜兵をしっかり騙し切ったともいえる。
ストルムの前足が、木箱へと運ばれる。
軽く叩くと、浮かび上がった燐光文字より発生される風の刃が器用に木箱を破壊する。
その中から現れた生物を見たストルムは、何かを納得した様子であった。
それを見たオーレリウスは、「やったな?テメェら」と何かを納得してしまった様子であった。
その桃色の体毛を持つ、兎にも似た小動物の額にはルビーのような石があった。
そいつは、物珍しそうに月を眺めていた。
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ヘメリックとともに講義室へと入ったミュレは、早速今回受講する生徒たちを見やる。
その中にいるアメリアはどこか物憂げな表情を浮かべながらミュレに手を振っているが、ミュレはこれを無視して壇上に上がる。
そうして、改めて生徒たちを一瞥したのち。後ろで椅子に腰かけ、脚を組んでこちらを見やるヘメリックをどこか苦々しく見やると、台車に乗せた教材の中から一つの石を取り出す。
それに向かい、杖を構えるとそれがミュレの頭上にモニターのように浮かび上がる。
生徒皆の視線がその石へと向けられたのを確認し、ミュレは講義を開始した。
「さて、我らが同士飛竜兵諸姉。このみすぼらしい石が何なのか分かるものは挙手を求めます」
エメラルドのようなその石は煤けたように黒く変色してはいるものの、元々綺麗な石ではあったのだろう、その残滓のような輝きを放っているように皆が感じていた。
周囲の生徒同士でひそひそと相談をしているもの。
沈黙を貫くもの。
皆の様子はそれぞれ異なったが、ミュレはもう少しヒントが必要であると感じた。
「これは、とある益なるもの。その生物の生体部位の一つです」
これ見よがしに教鞭を左手へとぺちぺちと打ち、皆の視線を集めようとしては見るものの、ミュレの体格と品格ではまだ物足りないようにヘメリックは感じた。
「益なるもの、というのは我々スクールにおいて極めて重要な保護観察生物、そして禍つ獣に連なる生物です。元来禍つ獣は我々人類と争うかのように、競うかのようにこの地で人類と幾度も衝突を続けてきました。しかしながら希少な獣に分類されており、その中でも特に人類に対して有益な効果を持ち、敵対意思のない獣たちの存在を指します。これらの生物たちが確認されて以降。我々スクールの重要な業務の一つとなりました」
そういってアメリアを見やる。居眠りをし始める兆候はまだ見られない。
「その中でもこの生物が持つこの宝石は特に汎用性が高く、それがゆえに乱獲の憂き目にあっている象徴的な生物といえます。この生物は、我々スクールにおいても非常に有益で、有効な効果を持ち合わせており、適切な管理のもとで使用されてきております。しかしながらその特性と、何より宝石を思わせるこの外観によって多くの者たちに狙われてきました。最近でも我々の同士がこれらの乱獲グループを摘発した記録が残ってます…そろそろ、思い出せましたか?」
そういい、近くの生徒へと教鞭を指す。
指名を受けた生徒はどこかどぎまぎしながら答えを言おうとしどろもどろな手ぶりをしている。
ミュレはため息をつき、生徒の肩を軽く叩く。
「大丈夫よ、補習は正解するための場所じゃないわ。正しい知識を学びなおす場所。いくら間違えてもそれ事態が減点の対象にはならないわ。冗談みたいな回答をしなけれだけどね?」
ミュレなりに落ち着かせようとしてみたのだろう。その意図を察してくれたのか、生徒は何度か呼吸を整えると、その名前を答える。
教鞭を再び左手にぺちんと当てたミュレは、満足げな笑みを浮かべた。
「正解よ」
そういって再び壇上へと上がるミュレ。
「この生物は、生息環境の中でも生育する動植物に紛れる特性上、一部のものを除き緑色の体毛を持ちエメラルド様の生体部位を額に生み出すことで知られているわね。極稀にだけど、ヘルウェス砂漠に生息する個体は桃色の体毛を持つとされているわね」
そういい、ミュレは分厚い辞典を取り出す。
ページをめくり、その生物の生態模写が書かれたページを開く。
その生物は、兎によく似ていた。緑色の体毛を持つ兎。だが額にはめ込まれるようにある宝石がそれは既存生物と大きく異なることを象徴するように生徒たちは感じた。
ミュレは、皆が映し出された映像を見た際に、その生物を見たことがあるとみんな頭の中で思い出してくれたのだろうという確信を得た。
「そぅ…この生物の名前は『カーバンクルの兎』。私たちの中でも最もポピュラーな。益なるものの一種よ」




