この世に潜む亡霊たち⑧
朝日がミュレのテーブルへと差し込む。
陽光を浴びたその顔が、眩しさで僅かに歪む。
「ん…ぅ」
テーブルに突っ伏すように眠っていたミュレはそのまま体をほぐすように上に伸ばす。
懐中時計は朝の5時を示していた。
思い出す限り、考え事をしているうちにそのまま眠ってしまったらしい。最後に確認した時間から逆算して、ほとんど仮眠の域である。
寝ぼけた目をこすりながら洗面所へと行くと杖を取り出す。
―水氷旋律:水球―
杖を軽く洗面桶の前で振るうとばしゃりと音を立てて水がまるで放り込まれたかのように溜まる。
―火炎旋律:灯火―
あくびを噛み殺しながら水を温めると、顔をばしゃばしゃと洗う。
ふと目の前にある鏡を見る。
「…酷い隈」
ミュレの眼下には己への叱責をするかのように深い隈が出来上がっていた。
顔をタオルで拭いたのち、口を濯げば頭は多少はっきりとしてきた。
ふと服を見る。
そういえば昨日は、着替えることすら億劫でそのままだっけ。
我ながら管理が甘い。
幸か不幸か。今日は「朝番」の日である。
それが終わってからいろいろやることにしよう。
洗濯籠へ今まで着ていた衣類を乱雑に放り投げると、衣装箪笥を開く。
下着を履き替えると制服ではない、作業着へと袖を通す。
鼓笛隊のような制服とは異なり、朝番をこなすためにより動きやすい服である。
シャツへ袖を通し、オーバーオールを履く。
肩紐を固定すれば完成だ。
早速ミュレは朝番の場所へと向かった。
そこは、宿舎。といっても人の宿舎ではない。
なめらかな鱗を持つ、小型飛竜。「青のエメラルド種」たちの宿舎である。
早番、とは早朝行われる飛翔訓練の間にこの宿舎を含むスクール内すべての清掃と整備を行う日常業務である。
まず、平民派の生徒を6つのグループに分けそれぞれ日替わりでスクール各所を清掃、整備を行っていく。
スクール内は各個室、教員室を除く5つの区画に分けられており、余った1つのグループが清掃中「青のエメラルド種」を一旦別の場所へ移動させるという目的も兼ねた飛翔訓練へと従事する。今日、ミュレはこの宿舎を担当することとなっていた。
彼女が向かった時には既に何人かが集まり作業を開始していた。
その中には、あの人もいた。
「ほらほらぁ。皆しゃっきっとしなさぁい!」
そういって生徒たちへ檄を飛ばす灰色の髪と髭を持つ逞しい男性。
この学園でも数少ない大人の男性、レーヴァさんである。
「あら?ミュレちゃんおはよう…ちょっと。あなた昨日何時まで起きてたの?目の下の隈すごいじゃない…大丈夫?」
レーヴァさんはこんな調子でかがんでミュレの顔を見つめてくる。
すごい猫なで声だがまるで岩々がゆっくり動くような低い声をしている。
「大丈夫です、レーヴァさん。慣れてますので」
そういって熊手フォークを持って宿舎の中へと入る。
備え付けのマスクを装着し、敷き詰められた草を荷車へと移していく。
―疾風旋律:見えざる手―
一人で複数の熊手フォークを巧みに操り、荷車を動かしていく。
青のエメラルド種はきちんと管理をすれば人にも従う飛竜種であるのだがその分知能が高いわけではない。それゆえにこれらの草へは竜の糞尿がついてくることが多い。
だが、これらはただ捨てるわけではない。
荷車で運んだ草たちはしっかりと燃やし、灰にしたうえで土とよく混ぜてやれば上質な肥料となるのだ。
これを周辺の農村へ販売することでスクールは追加の収益を上げている。
その対価に、それら農村からは各種食料や宿舎用の牧草を買い取っている。
当然、終わることには全身から灰と糞の香りが漂う飛竜兵が出来上がるわけだが。
文句を言ったところで貴賓派がやるわけもなく、青のエメラルド種は貴重な戦力だ。全く持って不平等だ。
朝日が完全に上り、マスクの内側にじっとりと白くもやがかかることには糞尿のついた草をすべて運び出すことができた。
あとは、3つのチームに分けて清掃を行う。
牧草を燃やし、土と混ぜて寝かせておくチーム
大型倉庫内で保管してあるロールを宿舎まで持ってきて、敷き詰めるチーム。
そして、宿舎の清掃を行うチームである。
ミュレ達清掃チームは熊手フォークを壁に立てかけると杖を構えた。
そして全員で杖を巧みに振るう。
―水氷旋律:放射―
水球から放たれた放水が宿舎へと注がれ、汚れを洗い流していく。
しっかり洗い流した後は、乾かないうちに粉末洗剤を使ってブラシでこすり上げていく。
当然だが一人で複数のブラシを用いてこすり上げていく。
ちなみにミュレは4本で、今いるチームの中でも一番多く操っている。
そんな様子を後ろで感嘆しながら見ている仲間の声を聴くと、ついつい鼻が伸びそうになるが
『領域魔法の範囲…15mか。ざっこ』
迷うことなくミュレの実力を、たゆまぬ努力と研鑽をおおよそ3文字でへし折ってくれたあの火傷面が脳裏をよぎる。
同級生からすれば急に乱暴にブラシでこすり始めたミュレを見ることとなり「何でいきなり怒ってるんだろう?」と困惑させるだけであった。
これが終われば再び水で洗い流して、炎で熱をまとった風を当てて乾かせばおしまいだ。
そうこうしているうちに牧草が届くので、宿舎に敷き詰めていけば清掃は9割終わる。
あとは使用した道具を洗って片付ければ終わりである。
「ミュレ」
ふと、声をかけられた。
マスクを拭いて元の位置に戻したミュレが振り返ると、その顔に水があたる。
パシャリ、と飛沫をあげて顔に放たれた冷水に思わず短く「ひゃっ」っと悲鳴を上げる。
その様子を見て笑う少女。
「やっぱあんた、ちゃんと寝ないから避けられないじゃん。だからさっさと寝ればよかったのに」
そういってルームメイトの、アメリア・スコルティスが手を差し伸べる。
「アメリア、あんたねぇ」
そういってミュレはその手に引かれ立ち上がる。
「あーあ。全身びっしゃびしゃ」
夏も盛りとなるこの時期とはいえ、まだ朝方は少しぬるいくらいの気温である。
ミュレは髪を梳き挙げると、エネラルドグリーンの瞳が細められる。
その様子をアメリア含め、清掃チームがしげしげと眺めていた。
「…何よ?」そういうミュレに、アメリアが返す。
「やっぱりあんたさ…どっかのおとぎ話から生まれたとかないよね?」
思わずため息をつくミュレ。
「そんな訳ないでしょ。ちゃんと血と肉と心を持つ人の子よ」
「えー、うっそだぁ。某国の王子さまでしたって言われても驚かないわよ」
けらけらと笑うアメリアたち。
もうすぐ朝番も終わる。
「そろそろ、お風呂の準備も終わるかなぁ」
「あーね。今日の入浴剤何だろう?」
などと会話をしている皆を見やるミュレ。
その口元には、何かを企んでいるような笑みが浮かぶ。
「ねぇ、皆…あなたたちもこれから大浴場に行くんでしょ?」
そういって、杖を構える。
何をされるのか、即座に察知したアメリアたちは杖を構えるが…。
「ならあんたらも濡れネズミになっちまえ!」
ミュレの杖さばきは同学年を優に凌駕していた。
呆れるレーヴァをよそに、笑いと悲鳴が交わる生徒たち同士の(ミュレによる一方的な)水のかけ合いが始まっていたのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ややあって、スクールの食堂では朝番や飛翔訓練を終えた生徒たちが朝風呂を終え朝食を食べるために集まっていた。
それぞれグループを形成しており、2人から多いところだと20人くらいのグループ内で和気藹々と食事を楽しんでいた。
朝食といえば、ライ麦パンとほぐしたチキン。刻んだゆで卵が入ったグリーンサラダ。
それと玉ねぎのスープである。
ミュレは一人でパンを咀嚼している。
アメリアも別のグループと食事をしている。
以前はアメリアと食事をすることがミュレにとって当たり前であった。
いつしか、それは当たり前ではなくなっていった。
別に寂しいとは思わない。アメリアも彼女で付き合いというものがあるのだろう。
自分のような奴と一緒にいるのもたまたま同じ部屋に住むルームメイトであるからである。
ライ麦パンをむしり、玉ねぎのスープに浸して食べる。
チキンはしっとりとしており、レーヴァさんの料理スキルの高さをうかがわせる。
味付けは全体的にさっぱりとしているためか、それとも一仕事を終え、お風呂で汗を流した後だからかするすると食事が喉を通っていく。
それに、正直今のところ自分は友達付き合いよりもこっちのほうに気をやってしまっている。
メモを改めて捲る。
そこには『道中で見たあの軍用車両。何があった?』という丸で強調した文章があった。
オーレリウスどうしてこれを私に質問したのか。そこにはきっと何かある。
アイツは契約者だ。ついでに何かとトラブルの渦中にいることが多い。
前回は、逆に自分も渦に巻き込まれてしまい、判断を誤った。
だが今回は、そうはいかない。
「今回は、うまく使わせてもらうわよ」
その口元は、獲物を前に舌なめずりでもしような笑みを浮かべるミュレの姿があった。
ミュレは早速、資料室へと向かった。まだ誰もいない資料室は埃と歴史の香りがした。
ここ数日で起こった契約者関連の事件、もっと言えばあの軍用車両の顛末が記録されているであろう記事を探すためである。
いくつかのファイルを手に取り、パラパラとめくっていく。
自分の手でめくるのもよいが、今は効率重視だ。
―演算調律―
周囲に生み出した領域内で本が捲られるとミュレの眼前にいくつもの情報が乱立されていく。
それらを読んだ。
調べて、洗いざらい攫って
調べつくした。
そうして、調べた結果。
ミュレはテーブルに突っ伏していた。
「誰かわからないけど、ふざけんじゃぁないわよ」
ないのだ。
どこを探しても、メモのような切れ端まで洗いざらい探しても。
軍用車両に乗っていた契約者に関する情報や調査書が、まるでないのだ。
当たり前であるが、大原則として事件に立ち会ったものが調査書を纏める義務を持つ。複数人である場合は全員で協力して仕上げなければならない。
そうしてどんな形であれ、24時間以内には一度資料室へ提出し保管してもらう必要がある。
追加情報は適宜ここで追記や編纂を行うこととなっている。
例の事件が発生したのはここ数日の間だ。つまりどんな下手糞な纏め方であれ必ずここに提出される必要がある。
ミュレだって、無理言ってオーレリウスへの尋問をさせてもらう対価としてこの編集を押し付けられ、あの偽情報満載のクソ野郎に関する来歴を寝る時間ギリギリまで絞れる知恵をすべて動員してかかってようやっと提出したのだ。そのあとあんなことを思いついてしまったのだから、いよいよ眠れなくなってしまったというのに。
「リレー開始早々、派手に転ばされた気分だわ」
テーブルの冷たさが、照りつける陽光の暑さが今はすべて理不尽に感じた。
振り出しどころか、スタートラインから大きく後ろに引きずり込まれたのだ。
もとより、別にする必要がない案件かもしれない。
でも、ミュレは
体をゆっくり起こし、自分の頬をたたく。
無人の資料室に、バチンと音が響く。
「逆に、判ったことがある」
要するにこの資料を作らないバカのケツを蹴るついでにいろいろ聞くことができるという大義名分ができた訳だ。
そして、この資料を「わざと作らなかった」と仮定した場合。
契約者への協力・隠匿行為は、下手すれば七大連合の名のもとに法律による断罪が執行される。
それほどの大ごとなのだ。
すなわち、ミュレ・アンダーソンという人間の名を高める足がかりとしては十二分ではないか。
自分のほかにも、ともすれば同じような綱渡りをしているものがいる。
だからこそわかる。この綱がどんなにか細くて、下に広がる闇がいかに深いものなのかを。
仲間からどんな目で見られるかなぞ知ったものか。
「私が居たいと願う場所は、ここじゃないから」
ならどんなものも利用する。
私は、偉くなりたい。上り詰めたその場所で、今再びスクールを正しく平等と正しい区別のもとに人を見る組織へと再編する。
そしてミュレが見やるその奥。
その奥にいるであろう、戦うべき敵に備えなければならない。
なら、ここにいるべきではない。
ミュレは速足で資料室を後にした。




